松本城は戦国時代の初めに造られた深志城が始まりとされています。1550年武田信玄によって深志城は陥落し、馬場信春を城代として、大規模な拡張工事が行われ近世松本城に至る縄張りが整いました。
1582年、織田信長の武田氏征伐征伐によって、深志城は小笠原氏が城主に返り咲き松本城と改称しました。1590年には、元徳川家康の重臣、豊臣大名の石川数正が8万石で入城し、石川氏二代によって本格的な城郭普請が行われ、天守・本丸御殿・二の丸・三の丸が完成した。その後、小笠原氏・戸田氏・松平氏・堀田氏・水野氏・その後、再度戸田氏が入城し、明治を迎えました。
松本城は現存12天守の内、五層天守は姫路城・松江城とこの松本城だけで、遺構としては、現存天守(大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓)石垣・復元門・水堀が残り松本城公園として、観光地化されています。
松本城へは5度目の攻城ですが、最近は松本周辺の林城をはじめとする山城を攻城し、2016年以来の攻城です。9月に放送された、タモリさんのブラタモリを見て、総堀と云われる堀跡を見逃していたので、5度目の攻城を決めました。
北門馬出しに残る湧水は確認したのですが、現存天守に魅了され本丸周辺を歩き回り、なんと靴擦れ((+_+))なんとも痛い((+_+))それでも我慢して散策したのですが、防災訓練の関係で月見櫓にヨウジョウがされていて、まことに残念((+_+))、(家に帰り画像を確認したところ、2016年9月17日の画像にも月見櫓にヨウジョウがされていました)でしたが、堀跡は確認できたのと、現存天守を見れたので満足しています(*^▽^*)
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