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やま

滋賀の山城 (2021/10/17 訪問)

源右衛門カフェでパンフを入手するのがお勧め。無料駐車場も近くにあります。名神高速のガードをくぐり大手口から登城。この日はヒル、熊は出没しませんでしたが、源右衛門カフェでは「通常は出るが今日は大丈夫だろう」と言われた時には、少々ビビりました。道中の切岸は見事で、攻め手はさぞ大変だろうと感じました。南郭→主郭→北郭と進み西郭から下山するルートを取りました。見どころは南郭からの眺望、主郭虎口の石垣、北郭奥の大堀切や大石垣。西の曲輪群は「登りは無理です」と言われていたことがよくわかる急峻ですが、一見する価値ありです。険しい尾根を下山し、滝谷林道から帰りました。トレッキングシューズは必須アイテムです。

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やま

滋賀の山城 (2021/10/26 訪問)

出張帰りにちょっと寄り道。お城がある日向山の登城口は少しわかりにくかったですが何とか到着。721段?ある石段は綺麗に整備され、また竹林も美しくしんどいですが和みます。山頂の城跡エリアはそんなに広くないですが、食い違い虎口や、土塁址、櫓址などが確認できます。主郭入口脇にある石垣は草木に埋もれており、一目で確認できませんでした。お城は東海道、中山道を見下ろす要衝にあり、山頂からはなぜここに城郭が築かれたかが一目瞭然でわかります。

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todo94

ハートの木 (2021/10/31 訪問)

主郭部分は浄水場建設でかなり破壊されたようですが、一部が城跡ひろばとして残っています。公園として整備されすぎているきらいはありますが、橋が架かっている雄大な空堀はたぶん遺構だと思います。ハートの石は各地に結構見られますが、ハートの木は初めてでした。せっかく香取市まで足を伸ばしたので、帰りがけ、下総一宮の香取神宮には立ち寄っていきました。

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にのまる

文化財ウィーク (2021/11/02 訪問)

年に一度主郭に入ることができる「東京文化財ウィーク」。早帰りできる日の夕方、ダッシュ💨で行ってきました。
いつもは閉まっている柵が全開で、『石神井城跡発掘パネル展』開催中。
堀と土塁に囲まれた内郭(主郭)。写真や説明のおかげで「ここから見た感じがこうなっていて……」というのがよくわかりました。小屋がいくつか建っていたので何気なく近づいてみたらカラスが捕らえられていた、というドッキリもありましたが、いい経験ができました。
柵の中に入れなくても、東側の柵越しに土塁を確認することができます。周辺は住宅地ですが、説明板にあった地図を見ながら「だいたいこの辺りまで城域だったんじゃないかな」と確かめながら歩いてみました。
写真⑧の「石神井城址史跡碑」には長尾景春の乱で陥落するまでの石神井城主らの戦いの経緯が記され、最後に郷土の貴い史蹟が長い歴史の中で顧みられなくならないよう石碑を残し後世に伝える、と刻まれていました。遺構や文書などの史料とともに人々の熱い思いが歴史を伝えていくのだと思った秋の夕暮れでございました。
荻窪から路線バスを使われる方は「石神井公園」ではなくて「JA東京あおば」が便利です。
荻窪駅と石神井城の中間にある観泉寺には都の史跡である「今川氏累代の墓」があります。観泉寺は義元から三代目の直房が今川家の菩提寺としたお寺で、氏真以降の一族の墓碑があります。この辺りの今川という地名も今川家とのかかわりに因むのだそうです。お時間がありましたらバーターにぜひ。(写真⑨⑩)

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赤い城

信州の五稜郭 (2021/11/27 訪問)

五稜郭であいの館に駐車場があり、続100名城スタンプもここで押せます。
城跡には田口小学校が建っていますが見学もできます。
水堀や石垣も残っていて堀に沿って歩くのがなかなか良いです。
その他の遺構としては御台所が現存しています。
せっかくなので展望台のある田口城へ登城。
熊も大丈夫そうと聞き徒歩で登りました。
田口城のレポートは後日しますが展望台からは五角形の龍岡城を確認できました。
星形稜堡は函館の五稜郭とここだけ。
貴重な遺跡かと思います。

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カズサン

本丸及び主要部驚愕の高石垣群 (2011/11/12 訪問)

 10年前の平成23年11月、高山城、高山陣屋を終えて飛騨の里合掌造り村の横を通り松倉城を目指す、道は曲がりくねった登り道舗装されています、峠の松倉シンボル公園/広場に駐車場が在ります、車は同駐車場を利用。

 ルートは駐車場から案内指示板が有り登城路を登って行く、わりと緩い登り坂で楽な登城道でした、登城口に熊注意の看板、その当時熊除けベルは持って無く、冷や冷や登城、途中の尾根筋登城路に堀切が有り看板も有る、ほどなく三の丸高石垣に当たる、高石垣横下を通り搦手門跡から三の丸に上がる、上がると本丸外曲輪高石垣が聳える、横矢掛りにも成ってる、三の丸に南西角櫓跡、東南角櫓跡も有り、三の丸、本丸の東に二の丸が有る、二の丸から本丸外曲輪を登って本丸虎口から本丸に登る、眺望は絶景、本丸は南、西、東に低い石塁が有り北は高石垣の天端、城名石碑が建てる、二の丸に降りて本丸外曲輪と本丸の二重石垣を眺める、二の丸東に大手門跡、井戸跡、旗立岩がります、更に東の尾根筋に曲輪、堀切が有る様ですが足を延ばしていません。
 
 観察、探訪中にガサガサと音がしたのでもしかと身構えるが同好の士で一安心、若干言葉を交わすがすれ違いのみ。
 南東角櫓跡から三の丸の南側の高石垣を望むが草に覆われてハッキリとしないが高石垣の存在は認識出来る。
 この時点で山城山頂が三の丸本丸二の丸を高石垣で構えた城郭を観察したのは松倉城が初めて、山城は余り登城してませんでしたが認識を新たにした山城でした。驚愕と圧巻の堅固な城郭を十二分に堪能しました眺望も最高、絶景です。

 城址本丸に在る案内板による歴史
 三木自綱は天正5年(1577年)白川郷を除く一円を支配し松倉城を夏城とした。松倉城は山城ながら山上の本丸に矢倉、城門を置き、標高856m比高360mの松倉山上に巨石を使って、堅固な石垣を築き上げている。戦国末期の山城から一歩前進した雄大な縄張りをもつ城である。天正13年(1585年)金森長近、可重父子に攻められて落城し以後廃城と成った。(案内板、高山市教育委員会の抜粋)

 石垣の積みかたは織豊期後期、若干算木積の痕跡も見られるので、安土城築城前後より後かと、その当時に三木氏巨石を使った築城技術が有ったのか? くっしーさん投稿の考察が妥当な様に思えますが?

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朝田 辰兵衛

会津新宮城とネーミングは立派だが… (2021/12/04 訪問)

遺構はイマイチで,陣が峯城や青山城のバーターで訪れることとなるでしょう。

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いんげん丸虫

小式部城 長野県箕輪町 (2021/11/21 訪問)

上の平城の詰城のようです。城といっても平場に腰曲輪、堀切が1つある
程度で烽火台の役割なのでしょうか。高木は無く、見晴らしの良い場所です。
無量寺に駐車可能で整備された林道を歩きます。途中、寺山砦があり40分位で
小式部城の看板に着きます。

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CoCo姫

錦帯橋と岩国城 (2021/12/04 訪問)

紅葉の時期に岩国城に行ってきました。本丸の石垣や井戸など、歴史を感じました。

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やま

夜の大垣城 (2021/10/28 訪問)

出張で近くまで来たので夜の大垣城へ。ライトアップされていて綺麗でした。夜のお城もいいですねぇ。

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やま

やはり大物 (2021/10/30 訪問)

とにかく遠かったけど、見どころ満載で最高でした。山城独特の静寂に包まれた中、素晴らしい石垣群に圧倒されました。また謙信公も絶賛された天守からの眺望は圧巻でした。整備も良好で、地元・関係者の方々に感謝でした。

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やま

高岡城散策 (2021/10/30 訪問)

100名城である高岡城を攻略。以外と普通の公園で石垣も1カ所とやや物足りない感がありました。水堀は当時のまま残されているようですが、空中から見るわけにも行かず残念でした。

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カズサン

現存建物と復元建物で綺麗に保存整備 (2011/11/12 訪問)

 10年前の平成23年11月、高山城の初登城を終えて三の丸跡の護国神社、水堀が終りの探訪でしたので二の丸公園駐車場に車を置いたまま、歩いて直ぐ近くの高山陣屋を初探訪。
 
 土曜日秋の行楽シーズンと有って人出は多く流石観光の飛騨高山です、その中心高山陣屋、観光客も多く各建物の撮影に出来るだけ人影を写さない様にと苦心する。
 
 入館して建物内部の見学、全国で唯一の天領代官所現存建物と復元建物が有りますがほぼ往時の建物は整備揃った様です、玄関式台、大広間、白洲、奥の居間、座敷、書院、台所、縁側より庭園を鑑賞、三階の建物も有りました、外に廻って大きな米蔵、米蔵は高山城の御蔵を移築した物で約400年の履歴が有る方です、他の現存建物は文化、天保の建物だそうです、復元建物は平成8年までに三次にわたり行ったとの事。
 素晴らしい形で後世の私たちに伝えて頂ける有難さ大変有意義な見学探訪でした。

 歴史は金森氏が羽州上山に元禄5年(1692年)転封の後、天領と成りそれ以来明治維新に至るまでの177年に25代の代官・郡代が江戸から派遣され、幕府直轄地の行政・財政・警察などの政務を行った。(高山陣屋パンフレット抜粋、一部加筆)

 陣屋の見学を終えて久しぶりの高山ですので古い町並みの在る伝統的建造物群保存地区を散策、旧高山町役場、中橋から高山城も眺め、飛騨高山まちの博物館、高山別院、飛騨国分寺三重塔、飛騨牛の美味しい匂いをかぎながら二の丸公園駐車場へ、坂道が辛い。

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イオ

続・一日まるごと小谷城(大嶽) (2021/11/21 訪問)

(続き)

大嶽(おおづく)は小谷山頂に位置し、浅井亮政が小谷城を築いた当初の本丸とされます。後に本丸は南東尾根に拡張した曲輪群に移されましたが、織田信長が小谷城を攻めた際、来援した朝倉義景が大嶽に布陣して現在の姿に改修したと考えられます。

さて、岩尾から尾根道を数分歩いて大嶽に到着。山頂の主郭は全周を幅の広い土塁で囲み、南部と北部に土塁を喰い違わせた枡形虎口を設けていますが、灌木が生い茂っていてよくわかりません。主郭西下の帯曲輪に下りると西辺に分厚い土塁が長くのび、土塁を越えた先は二条の長大な堀切によって北西尾根を断ち切っています。北西尾根からの侵攻により大嶽が陥落したことを思うと、これだけの備えをしていても駄目だったのか…と感じさせられます。主郭に戻って、今度は福寿丸や山崎丸のある南西尾根方向へ登城道を下って行くと、三方を土塁で囲んだ曲輪があり、土塁の内側には石積みが見られます。曲輪の西側と南西下には二条の巨大な竪堀があり、南西尾根から攻め寄せる敵の横移動を封じています。今なお相当な幅と深さがあり、見ただけで横移動を断念してしまうほどの規模です。

大嶽は大嶽城とも呼ばれますが、単なる出曲輪にとどまらない、分厚い土塁と巨大な堀切・竪堀をめぐらせた見事な土の城でした。それでこそ再挑戦した甲斐があるってもんです。満足しつつ南西尾根を福寿丸に向かいます(続く)。
 

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やま

萌える山城 (2021/10/30 訪問)

越中3大山城である「増山城」に行ってきました。安田城から下道で移動したため入口で少々迷いましたが、何とか城門址(復元)に到着。山城ですが、そんなに登りはきつくなく城跡にたどり着くことができました。城跡に関しては凄いの1言。丸、郭、土塁、堀切等がとてもよく残っており、目の前に当時の光景が浮かび上がってくる感じでした。まさに「萌える山城」でした。唯一縦畝堀が確認できなかったのが心残りです。また行きたいです。

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モト

虎口、石垣が見られる魅力的な城跡 (2021/08/10 訪問)

城跡には神社が建っております。
ですがそこには虎口や桝形の入り組んだ城跡だった証を見ることができます。
本丸跡を囲む石垣が見所です。

神社の駐車場に停めて城跡を見学しました。
門は工事中でしたがくぐると魅力的な水掘と入り組んだ虎口が出現します。
虎口を通って本丸跡を下から眺めるとそこのつながる赤橋がテンションを上げてくれます。
訪れた時期はやや草が多く写真も確認しずらいのですが石垣も見れて大満足でした。

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やま

萌える平城 (2021/10/30 訪問)

紹介写真が美しく、富山県に行く機会があればぜひ行きたい城跡でした。富山城からも近く、駐車場無料完備、資料館も隣接し充実の1言でした。白鳥城の支城ということで、規模は大きくはありませんが、整備が素晴らしく行き届いており、「萌える城跡」でした。資料館では出土品等の展示や、パンフレットも無料配布されており、また受付の方も親切で最高でした。

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やま

江戸城散策 (2021/11/25 訪問)

城郭検定で良く出題される江戸城。出題される建物、門を直接見る機会がこれまでなかったので、この度仕事のアポの合間に散策。国指定史跡になっている建物が少ないのに現存建造物の宝庫であることに驚きました。また国指定史跡なっていない理由も説明看板で理解できました。次回時間ができたら外郭の遺構の見学に行く予定です。

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ぎりょう

創建1300年に向けて南門の復元工事中 (2021/12/05 訪問)

多賀城市が多賀城創建1,300年にあたる2024年公開に向け、外郭南門などの復元工事を行っていることを知り、数十年ぶりに訪れてみた。
多賀城は奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀半ばまで東北地方の政治、軍事、文化の中心地として栄えた場所。創建は神亀元年(724)に大野東人が築城し、天平宝宇6年(762)に藤原朝狩によって大きく改修されたと云う。(多賀城碑)
多賀城跡のこれまでの私のイメージは、多賀城碑とその覆屋、かつて正殿・東脇殿・西脇殿があった政庁跡の礎石群だけの「静かな場所」であった。しかし現在は外郭南門から政庁までの大路や、石垣が復元整備され、今後さらに高さ14mの二重の南門と築地塀が復元されると云う。古代の景観がわかり易くよみがえることへの期待感も大いにあるのだが、芭蕉がおくのほそ道の行脚で歌枕の地を訪れ、「・・・山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り、代変じて、其跡たしかならぬ事のみを・・・」と泪を落とした風情は失われてしまうのだろうか。

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小城小次郎

新しい方の拳母城 (2021/09/03 訪問)

拳母藩の藩庁はもともと別の拳母城(桜城)だったが水害やら何やらで拡張工事が難航し、何と18世紀の終わりになって新城築城が認められた結果、新たな拳母城(七州城)が完成したというものなのだそうだ。

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