高鍋城を終えて直線で南南西約12kmの佐土原城を目指す、佐土原城は平成8年からの山上部の本丸・天守確認発掘調査が行われ、成果として多数の瓦と礎石、天守台からは織豊期の瓦、金箔鯱瓦片などが発見され新聞等で発表されていた、是非山上の本丸跡、天守台跡を見たいと、13年前の平成21年6月中旬、大分県宮崎県城廻りの10城目、初登城探訪確認を致しました。
探訪ルートは、二の丸御殿、西から廻る尾根堀底道登城路(シラス台地を掘り切ったか?)、南の城て前の堀切、本丸虎口、本丸跡、本命の天守台跡、残存石垣も確認、元在ったと言う三階櫓が金箔瓦で輝いてる姿を想像、しかし6月草は深くはっきりとは見えない。
フィルムカメラ主体でデジカメの写真が少ないのが残念ですが天守台、堀切、堀底道登城路(ピントが甘いですが)を投稿します。
歴史的には日向の国佐土原も伊東氏の領国、島津氏との攻防で伊東氏は豊後大友氏を頼り、大友氏も島津氏に圧迫され豊友秀吉の九州征伐平定、島津氏は薩摩大隅日向の一部を許され、佐土原城も島津家久へ子の豊久が継ぐが関ヶ原で伯父義弘の撤退戦で戦死、一時幕府領と成るが慶長8年(1603年)島津以之3万石で許され、以降島津氏が継承して明治を迎える。
平成5年6月に発掘調査の上二の丸御殿復元して開館している、御殿は鶴松館として資料館として活用されている登城日は土曜日でした。現在は平成29年より開館は土曜日曜祝日と成ってる様です。
又山上の本丸、天守台には近年の台風被害で一部登城路通行不可と成ってる所も有る様です。
次に天ヶ城(高岡城)模擬復元天守を目指す。
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