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todo94

城カード櫓シリーズ (2021/03/13 訪問)

今回の最大の目的は、櫓シリーズの城カードゲットだったのですが、16:30の受付にギリギリ間に合って本丸内に入ることができました。平成40年まで有効の城主手形を持っているので入場無料です。二様の石垣や連続する枡形を俯瞰するというのはなんとも新鮮な体験でした。熊本の標本木の開花が5輪に達しておらず開花宣言は出ていませんでしたが、城内の桜はかなり咲いていました。2021年4月26日に天守内部の公開が予定されていますが、新型コロナウイルス感染者数のリバウンドの兆しもあり、予定通り公開の運びとなるのでしょうか。

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昌官忠

印旛日本医大前駅周辺攻城:笠神城➡城びと未登録(千葉県印西市) (2018/04/07 訪問)

南陽院手前の空スペース(35.819207、140.207845)を借りて攻城しました。

笠神城の歴史は東国戦記実録などの軍記に頼るところが多く信頼できるような史料はないために確実なことはわからないようです。
千葉氏に関連する城であることは蘇羽鷹神社の存在から肯定できると思われるそうです。
戦国時代には千葉氏の家臣原肥前守の嫡子原豊前守が笠神城を守っていたが、1575年(天正3年)に豊島氏の居城である布川城を攻めたときに返り討ちに遭い、原肥前守は討死し笠神城の兵士たちも敗走したといわれています。
現在城址は南陽院の境内となっており、土塁や堀切の遺構が残っています。

裏に蘓波鷹神社があり、小さいが城の雰囲気はあります。
自分が攻城した際は、まだ見学できました(?)が、現在は「城跡への立ち入りや境内の写真を撮ることも禁止している」ようなので、見学は控えたほうがよさそうです。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

印旛日本医大前駅周辺攻城:松虫城 (2018/04/07 訪問)

松虫寺の駐車場(35.789202、140.214790)に駐車して攻城しました。

松虫城の詳細は不明ですが、臼井原氏の拠点のひとつだったと推定されています。
関東の諸葛孔明」と評される栗林下総守義長が佐倉の千葉氏を攻めたときに陣屋をおいたと伝わっていますが、栗林義長が実在した人物かどうか定かではありません。
真言宗松虫寺前の解説板には、「1585年(天正13年)2月28日に鵜沢信濃守敏信という名前が刻まれた鰐口(1976年6月1日指定の印旛村指定文化財)が残されている」との説明があります。
廃城時期については1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に、北条氏の滅亡とともに廃城になったものと考えられています。
現在城址には土塁や堀跡などが残っています。

小さな寺はなかなか趣きがありますし、横堀や土塁等が確認できました。
攻城時間は20分くらいでした。

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ながす

にっぽん城祭り in愛知

今週末楽しみだな〜!!
ワクワク😎🤩

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赤い城

主郭は果樹園になっている (2021/03/13 訪問)

国分氏の菩提寺である知足院さんに車を駐めて訪問。
知足院前の道を登っていくと城址があります。
途中の道もそれっぽい雰囲気があります。
主郭部は果樹園となっていて土塁の上に標柱が立っていました。
民家もあるので私有地の部分が多いかな。
堀跡と思われる通路からは帯曲輪っぽい場所もありました。

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ぴーかる

私部城 (2021/02/20 訪問)

【交野城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡南西側にコインPあり。
<交通手段>バイク

<見所>堀・曲輪・土塁
<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング第3弾、大阪府内限定7城目。城跡の説明は現地案内板をご覧下さい。説明板は二郭にあります。二郭内の一部は城跡遺構として広場になっています。二郭と主郭の間の堀と土塁、主郭北側の土塁は凸凹が明確で城跡遺構が色濃く残っています。南側月極め駐車場の南に池堀の一部も残っています。

<満足度>◆◆◇

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にのまる

旗岡八幡神社 (2021/02/07 訪問)

お城めぐりというよりも寺社めぐりな一日。
ゴールが見えてきました。
駅近だけど電車には乗りません。歩きます。

①梶原氏館(梶原稲荷神社)
②新井宿城(熊野神社)
③池上氏館(本行寺)
④馬込城(湯殿神社)
⑤荏原氏館(旗岡八幡神社)👈👈👈[ココ]
⑥品川氏館(貴船神社)

【境内ではマスク着用と控えめな会話を】と大きく掲げられた鳥居を見上げ、そういえば家を出てから誰とも話してないな…と気づく。

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まっつん

鳴滝山城跡 (2021/03/14 訪問)

瀬戸内海国立公園鳴滝山を目指して山道を進んでいただくと、途中で2枚目の写真の駐車場があります。(鳴滝山展望台まで行くと行き過ぎなので要注意!)
そこに車を駐車して歩いてすぐのところに写真3枚目の案内板があるので、その道を進んでいけばわりとすぐに写真5・6枚目の主郭にたどり着きます。写真4枚目のように、途中石垣がありますが、どうやらほとんどは段々畑を造成したときのもののようです。
鳴滝山展望台よりも圧倒的に来る人が少ないのでゆっくりと瀬戸内海の景色を楽しめました!(写真7枚目)
鳴滝山城は、鎌倉時代末期の元享年間(1321年〜1324年)に宮地次政が築城。室町時代の1423(応永30)年、宮地恒躬が城主の頃、対立していた大平山城主木頃経兼の奇襲に遭い落城。恒躬は戦死、妻の鈴姫は自害し、子の明光は因島へ落ち延びて、宮地氏は海賊として有名な因島村上氏の家臣となったそうです。

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リトルボブ

森林浴気分で見学できます (2021/03/16 訪問)

笠間城は関東では珍しい石垣のお城ですが、それ以上に建物が現存していることで関心がありました。
休日出勤の代休が取れたので、平日ならすいているだろうと思い、見に行くことにしました。

千人溜駐車場にバイクを止めて、歩いていきます。
視界は一面緑色で、すっかり森林浴気分。
来てよかったなあ~などと思いながら歩いているとすぐに大手門跡です。
石垣がかつての厳格な雰囲気を想像させます。

さらに進むと広場に出ます。本丸跡です。
土塁に上るとかつては周辺の山々が見えたようなのですが、木が邪魔してほとんど見えません。
ここに建っていた八幡台櫓は真浄寺に移築されて、今でも現存しています。

その先いよいよ天守跡です。

天守台は地震の影響で一部崩れてしまったので周辺はロープが張られてビニールシートがかけてありました。
その上に建つ佐志能神社の拝殿は明治時代に解体した天守の廃材を転用しているそうです。
奥にある本殿を囲う塀は天守の瓦を利用していると思われます。

その後下山し真浄寺に移設した八幡台櫓を見学しました。
さらに坂尾の土塁を見学した後で城下町を思わせる雰囲気の街並みを歩きながら食事を済ませてお土産を購入し、帰路につきました。

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小城小次郎

隣接する右岡城とワンセット (2020/12/19 訪問)

確かな歴史は伝わらないが氏家氏一族が中里氏を称してここに居住したとも。隣接する右岡城とワンセットと考えられているが防御性や機能に特に優劣はないようで、どちらも平時から並列的に用いられた居館なのではなかろうか。

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カズサン

元鳥取城主山名豊国の旗本陣屋 (2014/11/03 訪問)

 鳥取で母の七回忌法要を終えた翌日国道9号線で但馬村岡陣屋へ初登城しました、高校時代キャンプ、山登りで通過点、中国道が開通して無い頃の国道9号線帰省での通過点として馴染みは有るのですが陣屋跡との認識は有りませんでした。
 車は国道9号線山手側の登城口手前の駐車場を利用。登城路を登って陣屋内の御殿山公園にも駐車可能です。

 歴史は秀吉と第一次鳥取城合戦で戦った山名豊国が秀吉に降伏し鳥取城を預かるが部下との抗争で追い出され、秀吉天下時代は御伽衆で秀吉に仕え、関ヶ原合戦で東軍に付き戦後美方郡6700石で交代寄合の旗本、明治元年維新政府に新田開発4300石が認められ11,000石で大名に列し村岡藩を立藩。 室町期隆盛を極めた山名家も山名豊国の流れが明治まで残った。

 遺構は無く陣屋跡は御殿山公園と成り町民の憩いの場、曲輪は西向きに三段に成ってる様子で城郭の構えで有る、下の段に奥方の部屋が移築復元されてる。
 登城口9号線を挟んだ南側に「民俗資料館まほろば」が有る、パンフレット「村岡町城下めぐりマップ」を入手、南に下り城下町を散策、山名氏菩提寺法雲寺、境内の山名蔵(山名資料館)を参拝見学、村岡藩陣屋図が展示されてる。

 終わって八木城へ、車は八木城交流館前に駐車場在り利用、徒歩で9号線を渡り獣除けフェンスの手間に案内解説板が設置されてる、山頂の石垣の本丸までの登城は考えてないので麓周辺と山頂を望み終わりとする。
 情報で八木城のパンフレットが9号線を上って「道の駅ようか但馬蔵」(兵庫県養父市八鹿町高柳241-1)に有るとの事で、観光案内所で話をして入手した。
 この後は豊岡、玄武洞、日和山海岸、城崎温泉泊り湯めぐりを楽しんだ。
 

 

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todo94

清滝神社 (2021/03/13 訪問)

本丸に当たる場所には清滝神社が建っており、城址碑と説明板がありました。佐々成政に反抗した肥後国衆一揆ゆかりの地とのことです。周辺には大逆事件犠牲者顕彰碑や山鹿口の戦・薩軍野戦病院跡の説明板(光専寺)などがありました。

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にのまる

湯殿神社 (2021/02/07 訪問)

大田区と品川区の区境未訪6城一筆書きまわりの4城目。

①梶原氏館(梶原稲荷神社)
②新井宿城(熊野神社)
③池上氏館(本行寺)
④馬込城(湯殿神社)👈👈👈【ココ】
⑤荏原氏館(旗岡八幡神社)
⑥品川氏館(貴船神社)

すべて寺社で、場所がわかりやすいのがありがたいです。
いつものことですが、ランチ休憩は時間がもったいないのでノンストップで次へ向かいます。

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昌官忠

佐倉周辺攻城:謙信一夜城(ラスト) (2018/09/01 訪問)

付近に駐車場所がなく、TSUTAYA王子台店の駐車場(35.725498、140.180085)を借りて攻城しました。
店は違うけどTSUTAの会員なので許してください。

謙信一夜城は、千葉県佐倉市王子台3丁目にある上杉勢の本陣跡(付城跡)となり、別名は王子台砦です。
戦国時代の1566年(永禄9年)、関東管領・上杉謙信は、春日山城から関東に入り、北条氏になびいた常陸・小田城を攻略しました。
謙信一夜城は上杉謙信が原式部大輔胤貞が籠城する臼井城を攻略するために築いた城です。
しかし臼井城は堅城で、胤貞は佐倉城主の千葉胤富や北条氏の援護を受けて撃退に成功、謙信は諦めて撤退しています(謙信の撤退理由として足利将軍家から上洛を促す手紙が届いたためという説もあります)。
現在城址は「一夜城公園」となっており遺構は残っていませんが、公園内に巨大な城址碑が建てられています。

住宅街の公園に立派な石碑があります。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

佐倉周辺攻城:飯重城➡城びと未登録(千葉県佐倉市) (2018/09/01 訪問)

メモリアルスクエア佐倉の駐車場(35.715064、140.196840)を借りて攻城しました。

飯重城は記録がほとんど残っておらず、築城時期や城主については不明です。
おそらくは本佐倉城の支城として室町時代から戦国時代にかけて築かれた城だと思われます。
現在、大宮神社がある南側が城址で、土塁や堀切などの遺構を確認することができるようですが攻城できず。

大宮神社参道が見つけられず、どこから登城すればいいのかわからない為、付近を一周して撤退しました。
攻城時間は15分くらいでした。

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カズサン

木造復元天守閣が待たれます (2014/11/01 訪問)

 母の七回忌法要に合わせいつも通ってる名神、中国道に替えて北陸道、舞鶴若狭道を選択し、若狭国吉城に寄り歴史資料館と国吉城の麓部分を観察、山頂部は雨と体力的にパス。
 小浜城には3回登城してますが家内とは初めて、復元天守の計画が立案されて時間経過して居り行けば何か分かるかなとの訪問登城、現地では復元の様子無し、本丸の小浜神社、天守台に登り、西、南、東側を探訪観察のみ、終わって、福井若狭博物館に小浜城の天守閣復元模型が有るとの情報で寄りましたが展示は無し、応対頂いた方に小浜城の小冊子を頂きました感謝です。
 
 小浜城の歴史は京極高次が関ヶ原役の大津城合戦での功績で若狭一国賜り後瀬山城を廃し小浜城築城を南川、北川の合流中州に開始する、一応の完成を見るが寛永11年(1634年)京極氏出雲松江に移封、同年酒井忠勝が11万石で入封、寛永12年三重三階の天守閣が完成、以後酒井氏が明治まで治める。
 現在は本丸が残るのみ、内部は小浜神社境内、周囲は石垣が囲み南西角に天守台が大きく控えてるが天守台近くには民家が接して天守台の撮影が困難、その当時で約10年前から天守閣の再建運動が有り盛り上がってたようですが進展が無いようです。
 是非とも小浜城の天守閣、小天守、付櫓構成で実現して頂きたいものです!
 駐車場は小浜神社前に数台可能です。資料は神社にあり、お参り、お賽銭も多めに資料代も含めて。

 この後は舞鶴若狭道春日IC経由北近畿豊岡道の無料高速道を通り国道9号線、途中9号線沿いの八木城交流館により情報収集し鳥取市の実家へ到着し明日の法要スタンバイ。

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赤い城

深くて広い空堀が (2021/03/13 訪問)

城址公園として整備されています。
主郭部に駐車場もありますが西側にも駐車場がありここから登城。
主郭は公園になっていて石碑も立っています。
晴れてたら北浦の眺めも良さそうですがこの日は雨。
公園なので桜の名所でもあるようです。
主郭は土塁で囲まれています。
見どころは主郭東側の深くて広い空堀。
夏は藪化してるそうなのでこの時季がチャンス。
南方三十三館の一つ。
こんな凄い城を持ってたからなのか鹿島氏も太田城に呼び出され仕置されました。

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ぴーかる

長尾陣屋 (2021/02/20 訪問)

【長尾陣屋】
<駐車場他>駐車場はなし。近隣は狭い道なので駐停車も無理かと。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング第3弾、大阪府内限定6城目。長尾陣屋は1689年、久貝正方によって築かれたと伝わります。現在は石碑も何も設置されておらず周辺は宅地化されています。長尾谷高校近辺が陣屋だったようです。移築現存の門が枚方市内津田の圓通寺の山門としてありますので寄って撮影しました。

<満足度>◆◇◇

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アヤコ

城さんぽ (2020/02/26 訪問)

わざわざ行きたい、ここ行くために能登旅行を計画。

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アヤコ

城さんぽ (2020/01/07 訪問)

御城印集めにはまりはじめたきっかけ。

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