なるたきやまじょう

鳴滝山城

広島県尾道市

別名 : 探題山
旧国名 : 備後

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①石積
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征17日目:鳴滝山城 (2026/05/27 訪問)

三原駅でレンタカーを借り、そこから車で35分(途中、道を間違えリカバリに時間を要した)くらいで、鳴滝山城駐車場(34.408146、133.150676)に着きました。
今日は1日、雨の予報です。弱雨なので登城することにしました。駐車場から鳴滝山城登城口(34.407373、133.151078)に向かいました。

最初の築城は不明ですが、鎌倉末期の元享年間(1321年〜1324年)に宮地次政によって築かれたと云われています。
この宮地氏は、備中・宮地が出身の武将とされ、宮地次政が初代です。
室町幕府より備後守護に任じられた渋川義行が一時、備後・鳴滝城(備後・鳴滝山城)に入っていたともあります。
その後、宮地廣義、宮地廣俊、宮地恒躬(みやち-つねみ)と3代続きました。
1423年(応永30年)宮地恒躬の時、大平山城の木頃経兼に急襲され落城しました。
宮地恒躬は逃れるも討死し、正室である木梨杉原氏の娘「鈴御前」は、捕らえられて殺害されたとされ「鈴姫のほこら」があるそうです。
その子・宮地明光(みやち-あきみつ)は、鳴滝城の奪還を果たせず清原氏を頼ると、因島の備後・天神山城を与えられたようです。
こうして、因島村上氏の傘下となり、因島の備後・大江城に移りますが、その後、没落したようで、三原・仏通寺にて仏門に入り、瑞厳と号したともあります。

駐車場から300mで城址の表示です。
登城口付近にいらっしたご婦人に登るのは無理だよと云われましたがとりあえず登城。
石積の写真を数ヶ所で撮りました。
登城路は草が深く弱雨ですが、滑って2度転びました。登城は無理と判断し途中で撤退しました。この時点でズボンは濡れ、靴の中はベッショリです。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=長崎城に向かいました。

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シャンシャン

瀬戸内海を望む山城 (2025/11/15 訪問)

広島県尾道市にある山城。
登山道はあまり整備されたおらず、途中藪道も進みながら頂上へ向かう。
途中、いつの時代のものかわからないけど石垣や石積みがかなり残っていた。また土塁や堀切と思われる構造も確認できた。
頂上からは瀬戸内海の島々が見えて景色がいい!下山は道がよくわからなくなってしまい、若干遭難しかけて登山口と全然違う場所に辿り着いた(^^;

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todo94

日本遺産の城④ (2022/11/03 訪問)

日本遺産「日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島」の構成資産の城、4城目。尾道の寺めぐりをした後訪れました。この日、尾道ではイベントがあったようで駅前やラーメン店はたいそうな賑わいでしたが、この城には誰も居ません。登山者用の駐車場完備。鳴滝山登山道とは道の反対側に登城口があります。案内表示板の文字はかなり読み取りにくいです。海から結構離れた山城ですが、尾道水道をしっかりと見張ることは出来そうです。

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まっつん

鳴滝山城跡 (2021/03/14 訪問)

瀬戸内海国立公園鳴滝山を目指して山道を進んでいただくと、途中で2枚目の写真の駐車場があります。(鳴滝山展望台まで行くと行き過ぎなので要注意!)
そこに車を駐車して歩いてすぐのところに写真3枚目の案内板があるので、その道を進んでいけばわりとすぐに写真5・6枚目の主郭にたどり着きます。写真4枚目のように、途中石垣がありますが、どうやらほとんどは段々畑を造成したときのもののようです。
鳴滝山展望台よりも圧倒的に来る人が少ないのでゆっくりと瀬戸内海の景色を楽しめました!(写真7枚目)
鳴滝山城は、鎌倉時代末期の元享年間(1321年〜1324年)に宮地次政が築城。室町時代の1423(応永30)年、宮地恒躬が城主の頃、対立していた大平山城主木頃経兼の奇襲に遭い落城。恒躬は戦死、妻の鈴姫は自害し、子の明光は因島へ落ち延びて、宮地氏は海賊として有名な因島村上氏の家臣となったそうです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 宮地次政
築城年 元亨年間(1321〜1324)
主な城主 宮地氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建造物 説明板
住所 広島県尾道市吉和町鳴滝