次男のマンション最寄り駅から本千葉駅で下車。そこから徒歩10分くらいで亥鼻城(千葉城)に着きました。
中世の千葉城が登場する資料『相馬文書』には、1335年(建武2年)の一族の内紛の際に、千葉胤貞方が「千葉城」「千葉楯」を攻撃したことが記されているそうです。
しかし、亥鼻城のような台地上の城郭が築かれるようになるのは15世紀以降のことであり、「千葉楯」ともあることから、これは低地上の館を楯などで戦闘時に城郭化したものと考えられるようです。
千葉妙見宮(現在の千葉神社)及び同寺を崇敬する千葉氏及びその妙見信仰について書かれた『千学集抄』においては、千葉氏の館の場所を「堀内」と記しており、近年は千葉市街の低地に千葉館があった説が有力視されているようです。
亥鼻の古城が千葉氏の城だという記述が出てくるのは、江戸時代になってからのことで、1858年(安政5年)成田山新勝寺の新本堂建立の際に制作された『成田名所図会』には千葉常胤に関する一節があり、そのなかに「千葉氏古城址の図」が掲載されており中央に亥鼻山が描かれているようです。
千葉氏がのちに本拠地を本佐倉城に移した際に廃城になったかと考えられています。
また公園内には千葉常胤像と模擬天守が建てられています。天守内部は、郷土資料館となっています。
現在は亥鼻公園として整備されており、毎年3月下旬~4月上旬に「桜まつり」が開催されますが、自分が攻城したのは5月なので、当然、桜は散った後でした。
郷土資料館の展示は火縄銃などが中心だったような気がします(気のせいか?)。
また天守閣以外に、曲輪などの縄張りらしきものはなかったと思います。
攻城時間は25分くらいでした。
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