上平寺城①の続き国指定史跡 弥高寺です。
上平寺城のレポートなのに何で?と思われるのも当然ですが
自分の中では上平寺城と弥高寺はセットになっています。
国の史跡として登録されており、おる意味においては上平寺城以上に
城塞としての遺構を残している寺(城)なのです。
福井の平泉寺や滋賀の百済寺も城塞としての機能を有しており、古くは
奈良の吉野山も山全体が南朝の城塞といって良いと思います。
城人のサイトには載っていませんが、城好きとしては外して通るわけには
行かなかったのです。
上平寺城から分岐していく道が弥高寺に続いていくのですが
この道が結構危ない。カーブで崖のようになっている箇所もあり
足元が崩れたら無事ではすみません。
登城は自己責任とはいえ危険を感じるようであったら引き返すことを
お勧めします。僭越ながらタイトルに中級以上と記載していただいたのは
これが原因なのです。
大門跡を通って主郭に向かいますがここが食違い虎口のようになっている上に
基礎部に石垣が使われています。もうこの段階で普通の寺ではないのです。
案内板にも京極氏や浅井氏に城郭として改修されたことが記されています。
つまり詰めの城のさらに詰めの城の役割をはたしているわけですね。
主郭に向かう途中、扁平地にたくさんの郭がありますが皆、明確に土塁で区分けされています。
虎口を通って本堂跡に到着。ここが主郭になります。
弥高百房といわれる城址のなかでも一番大きい郭です。
周囲は土塁で囲まれ上平寺城の主郭以上に広く感じます。遠くには
琵琶湖が良く見える。なかなか眺望にも優れています。
主郭の背後には大堀切で伊吹山に向かう道を遮断しています。
主郭と大堀切の間には大きな土塁があり上部は郭としても機能しそうなほど
大きな土塁です。千葉県の真里谷城の主郭背後の大土塁とほぼ同スケールです。
部分的とはいえ正直ここまでやるか?というほど手の込んだ防御設備を
備えているのがこの寺(城)の特徴です。
採鉱所や悉地院のルートを経由して下山しましたが、これでは
京極氏館の駐車場に戻るにはすごく遠回りになります。
やはり戻りも例の山中ルートで帰るのが正解のようでした。
くれぐれも山道を歩く際は足元に気を付けてください。
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