京極氏館からの転戦です。車はそのまま、伊吹山登山者用駐車場(35.388200、136.415796)に駐車したまま、京極氏館跡に建てられた伊吹神社の脇にある登山道を登っていきます。
上平寺城は京極高次の先祖にあたる京極高清が築いた城です。
美濃と越前を結ぶ越前海道(北国脇往還)が通る交通の要所にあり、山麓の京極氏館(京極氏上平館)の「詰の城」として機能していました。
1523年(大永3年)、家臣の浅見氏や浅井氏ら国人衆が反乱を起こしたため、高清らは尾張へ逃れました。
その後、北近江では小谷城の浅井氏が台頭し戦国大名化を果たしたため、京極氏は没落しました。
1570年(元亀元年)に浅井長政が織田信長を裏切り敵対関係となると、長政は織田氏に対する防衛ラインとして上平寺城(刈安城)を改修して備えましたが、城を守備していた鎌刃城主・堀秀村らが織田方に寝返ったことにともない廃城となりました。
伊吹神社境内奥の鳥居左手に「上平寺城50分」の立て札がありますが、45分くらいで主郭に着きます。
土塁に虎口、大きな竪堀が見所で、山麓にある上平寺集会所に案内板があります。
攻城時間は80分くらいでした。次の攻城先=菩提山城に向かいました。
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