じょうへいじじょう

上平寺城

滋賀県米原市

別名 : 上平寺館、上平館、上平城、苅安城、苅安尾城、桐ヶ城、霧ヶ城
旧国名 : 近江

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①主郭(本丸)内部
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昌官忠

(東海&関西)遠征5日目:上平寺城 (2025/05/19 訪問)

京極氏館からの転戦です。車はそのまま、伊吹山登山者用駐車場(35.388200、136.415796)に駐車したまま、京極氏館跡に建てられた伊吹神社の脇にある登山道を登っていきます。

上平寺城は京極高次の先祖にあたる京極高清が築いた城です。
美濃と越前を結ぶ越前海道(北国脇往還)が通る交通の要所にあり、山麓の京極氏館(京極氏上平館)の「詰の城」として機能していました。
1523年(大永3年)、家臣の浅見氏や浅井氏ら国人衆が反乱を起こしたため、高清らは尾張へ逃れました。
その後、北近江では小谷城の浅井氏が台頭し戦国大名化を果たしたため、京極氏は没落しました。
1570年(元亀元年)に浅井長政が織田信長を裏切り敵対関係となると、長政は織田氏に対する防衛ラインとして上平寺城(刈安城)を改修して備えましたが、城を守備していた鎌刃城主・堀秀村らが織田方に寝返ったことにともない廃城となりました。

伊吹神社境内奥の鳥居左手に「上平寺城50分」の立て札がありますが、45分くらいで主郭に着きます。
土塁に虎口、大きな竪堀が見所で、山麓にある上平寺集会所に案内板があります。
攻城時間は80分くらいでした。次の攻城先=菩提山城に向かいました。

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しんちゃん

上平寺城② 弥高寺編 中級以上 (2023/04/08 訪問)

上平寺城①の続き国指定史跡 弥高寺です。
上平寺城のレポートなのに何で?と思われるのも当然ですが
自分の中では上平寺城と弥高寺はセットになっています。
国の史跡として登録されており、おる意味においては上平寺城以上に
城塞としての遺構を残している寺(城)なのです。
福井の平泉寺や滋賀の百済寺も城塞としての機能を有しており、古くは
奈良の吉野山も山全体が南朝の城塞といって良いと思います。
城人のサイトには載っていませんが、城好きとしては外して通るわけには
行かなかったのです。
上平寺城から分岐していく道が弥高寺に続いていくのですが
この道が結構危ない。カーブで崖のようになっている箇所もあり
足元が崩れたら無事ではすみません。
登城は自己責任とはいえ危険を感じるようであったら引き返すことを
お勧めします。僭越ながらタイトルに中級以上と記載していただいたのは
これが原因なのです。
大門跡を通って主郭に向かいますがここが食違い虎口のようになっている上に
基礎部に石垣が使われています。もうこの段階で普通の寺ではないのです。
案内板にも京極氏や浅井氏に城郭として改修されたことが記されています。
つまり詰めの城のさらに詰めの城の役割をはたしているわけですね。
主郭に向かう途中、扁平地にたくさんの郭がありますが皆、明確に土塁で区分けされています。
虎口を通って本堂跡に到着。ここが主郭になります。
弥高百房といわれる城址のなかでも一番大きい郭です。
周囲は土塁で囲まれ上平寺城の主郭以上に広く感じます。遠くには
琵琶湖が良く見える。なかなか眺望にも優れています。
主郭の背後には大堀切で伊吹山に向かう道を遮断しています。
主郭と大堀切の間には大きな土塁があり上部は郭としても機能しそうなほど
大きな土塁です。千葉県の真里谷城の主郭背後の大土塁とほぼ同スケールです。
部分的とはいえ正直ここまでやるか?というほど手の込んだ防御設備を
備えているのがこの寺(城)の特徴です。
採鉱所や悉地院のルートを経由して下山しましたが、これでは
京極氏館の駐車場に戻るにはすごく遠回りになります。
やはり戻りも例の山中ルートで帰るのが正解のようでした。
くれぐれも山道を歩く際は足元に気を付けてください。



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しんちゃん

上平寺城①上平寺城編 ~中級編 (2023/04/08 訪問)

上平寺城は近江守護京極氏の詰めの城です。
標高669m、比高380m。山城で比高400mクラスは結構な距離ですよ。
しかも山道がなかなかきついです。久々の山城で増えた体重が膝にかかってきます。
この京極氏の遺構群を攻めるときは特にしっかり準備を整えてから
訪問していただきたいと思います。
まずは南の三の丸から北上して行きます。
三の丸は左側に畝状の竪堀群を有し、南に向かって大竪堀を有します。
三の丸自体も周囲に土塁を有し、堀切を経て二の丸にかかります。
二の丸もいくつかの郭を有していて虎口が連続して折れ曲がります。
枡形虎口という紹介がありますが喰違い虎口のようにも見えます。
これで合っていますでしょうか?二の丸の入り口はなかなか
手が込んでいたと記憶しています。
本丸は南西に2本竪堀を備え西側と南東側に虎口を備えています。
本丸は周囲に土塁をめぐらしています。
非常に良く遺構を残した国の史跡の山城ですが、
北に続く道をたどっていくと途中で弥高寺に向かう道に突き当たります。
本丸の北にも大堀切がありますが、ここでもう一つの目的 弥高寺に向かいます。
上平寺城②に続きます。



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青春の巨匠

そもそもが伊吹山の登山路 (2021/10/10 訪問)

日本100名山、伊吹山の登山路の途中にある。1時間の登りはかなりキツイ。日曜日ということもあり、10名ほどとすれ違ったが、登山家あり、カメラマンあり、若者カップルあり、老夫婦あり、城マニアありとバラエティーに富んでいた。城は信長の時代に使われた関西の城にしては珍しい土の城だが、とても良い状態で遺構が残っている。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 京極高清
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 京極氏
廃城年 元亀元年(1570)
遺構 曲輪、竪堀、土塁、虎口
指定文化財 国史跡(京極氏遺跡)
再建造物 碑、説明板
住所 滋賀県米原市弥高
問い合わせ先 米原市役所山東庁舎教育委員会事務局歴史文化財保護課
問い合わせ先電話番号 0749-55-4552