きょうごくしやかた

京極氏館

滋賀県米原市

別名 : 京極氏城館、弥高寺、加賀屋敷、長岡城
旧国名 : 近江

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館の庭園跡
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ヒロケン

京極氏遺跡 (2023/11/18 訪問)

京極氏館は東西約170m、南北250mで、この居館を中心に東西に家臣団の屋敷、南に城下町を配し、伊吹山登山道中腹には京極氏館の詰城として、上平寺城・弥高寺などが築かれています。館があった場所には巨石を用いた庭園もあり、当時、京極家の権力の大きさが伝わってきます。
この、京極氏館と周辺の遺構は、1523年に起きた京極氏家臣団のクーデターで落城するまでの約20年間、北近江の政治や文化の中心地でした。京極氏衰退の後、北近江の実権は京極氏の家臣であった、戦国大名で有名な浅井氏が握ることになります。

この日、館跡、上平寺城跡、弥高寺跡を含めた京極氏遺跡群を見学するため、滋賀県米原市を訪れました。駐車場は館跡前に伊吹山登山客用と遺跡群見学者用の駐車スペースがあります。(トイレはありません。)
遺跡群を見学するため、この地を訪れました、伊吹神社(京極氏館跡)境内を通り、伊吹山、上平寺城、弥高寺に行くことが出来ますが、登山道崩落・熊出没・害獣駆除等の理由により、館以降入山禁止となっていました"(-""-)"
京極氏遺跡は、庭園のある館、家臣団の屋敷、詰城がセットで残る遺跡群であるため、是非セットで行きたかったのですが、残念でした。

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しんちゃん

防御力と優美さを備えた近江守護京極氏の館跡 (2023/04/08 訪問)

京極氏館は上平寺城に麓にある、近江守護職京極氏の平時の居館です。
攻め手は南側からまっすぐ攻め入ろうとするが、まず侵入路が斜め右へそれます。
そこから今度は反対方向に90度ほぼ直角に進むことになるのですが
このときに右手の弾正屋敷、蔵屋敷、左手の隠岐氏屋敷の三方向から攻撃を受けます。
たいていの敵はここで討ち果たされるものと思われます。
特に隠岐氏屋敷は、わずかに高地にあり今でも周囲に土塁を備えているので
ここからの弓矢の攻撃は相当に熾烈であったと想定します。
そこからも左右に数段の郭をそなえ、しかもだんだんに高所に向かっていきます。
まさに守りに適した館の構造になっており、小規模な城と呼んでも差し支えないでしょう。
突きあたりに鳥居と階段があり最高所には伊吹神社があります。
かつてはここもみはり台を兼ねていたのでしょう。
それほど侵入者の動きを見るのに適している場所です。
かつての館跡と庭園跡は鳥居の右手にあります。庭園はかつての庭石がのこり
十分な雰囲気を残しています。ここ数日天候が怪しかったのですが
そのおかげでかつての池跡に水がたまって、まるで池のようです。
鳥居の左手には京極氏墓所が残ります。
京極氏の冥福と旅の安全を祈って、上平寺城と弥高寺に向かいます。

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ぶーたろー

栄枯盛衰 古の繁栄を偲ぶことができる。 (2022/03/31 訪問)

https://youtu.be/cHgD7kxcgf0
↑この動画を参考にしてね!
京極氏館跡に行ってきました!
滋賀県米原市にある京極氏館跡に行ってきました!館跡には庭園跡があり「虎石」よ呼ばれる石が、当時の姿のまま立っています。館の奥には神社があり、その脇を登っていくと、京極氏一族の墓があり、今もひっそりと眠っています。上平寺城へは、館跡を通って登城することになります。

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青春の巨匠

庭園が見事 (2021/10/10 訪問)

この下の城の京極氏の居館の庭園が水と植木が無いだけの完璧な形で残っているのに、びっくり。でもお楽しみは詰めの城です。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 京極高清
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 京極氏
廃城年 大永3年(1523)
遺構 庭園
指定文化財 国史跡(京極氏遺跡)
再建造物 碑、説明板
住所 滋賀県米原市伊吹町上平寺弥高
問い合わせ先 米原市役所山東庁舎教育委員会事務局歴史文化財保護課
問い合わせ先電話番号 0749-55-4552