雉岡城から転戦しました。城山稲荷神社に城址碑と説明板がありました。神社の一角は枡形のように見えなくもありません。立派なケヤキが鎮座していました。市役所近くの土塁遺構はチェックしていないので機会があったら又訪れたいと思います。
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2022/02/13 07:11
2022/02/12 22:18
2022/02/12 21:58
2022/02/12 15:18
鹿野城も桜の名所です (2011/04/12 訪問)
鳥取城の桜と城跡を十二分に堪能して西の鹿野城へ、城山の山麓に檀家寺が有りますので前日まで京都の親鸞聖人750年遠忌法要をご引率頂いたご院家と坊守さんにお礼と参拝、寺院内にある両親祖父母の墓所にも参拝し、桜満開の鹿野城を堪能しました、中々桜の時期に訪ねる事が出来ませんでしたので桜は数十年年振りかと思います。
地元では近世城郭に仕上げた亀井玆矩公は大変慕われて居ります、城山の郭と麓に本丸、内堀、出丸、外堀と大きく拡張しました、南蛮貿易にも大きく手を染め櫓名に朝鮮櫓、オランダ櫓と名付けた程です。
桜は出丸と言われてる二の丸に多く植栽されて居り中に在る中学校が桜に覆われて仕舞います、内堀と桜、赤い橋本丸への通路、東側の薬研堀辺りも見所です。
車は城山下の神社鳥居の有る所、外堀東側の薬研堀側の観光駐車場が利用できます。
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2022/02/12 13:19
2022/02/12 11:25
2022/02/12 10:33
巻石垣・天球丸下石垣工事中 (2011/04/12 訪問)
最近の鳥取城は巻石垣が日本城郭で唯一の石垣として城仲間では有名ですが、以前は天球丸の出隅横矢掛かりの角下に土砂植栽が埋まってるなぁ~くらいにしか思って居ました、巻石垣復元工事が竣工すると写真が全国的に出回りあっという間に有名に成りました。
11年前の平成23年4月中旬、桜景観の写真と併せて天球丸下の巻石垣、楯蔵跡、同曲輪の石垣復元工事中の写真を掲載投稿致します。
翌年には巻石垣、楯蔵跡石垣群は復元完成しています。
投稿続きます。
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2022/02/12 10:13
津山城 (2022/02/11 訪問)
見事な石垣
青空のもと城址散策を楽しみました
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2022/02/12 09:55
平成23年鳥取城・桜10選 (2011/04/12 訪問)
平成23年4月中旬、前日までに京都での用事を済ませ故郷鳥取へ、時期は桜満開グッドタイミング、鳥取城へ帰省の度の登城です、写真も沢山撮り投稿の写真に迷いますが、私の意のままに写真掲載いたします。
桜は染井吉野桜がほとんどです、特に二ノ丸周辺、内堀周辺に多く植栽されて居ります、今回は特に3月11日東日本大震災発生から1ヶ月過ぎ、津波被害地区に向かって黙禱を捧げてる花見グループが居ましたので1枚アップしました。
写真の掲載順番は自身のトップテンでは無く、自分自身の良いなぁ~で順位では有りません。皆さんの参考に成れば荒神です。
続きあり。
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2022/02/12 00:26
36見附めぐり㉖(番外)~乾門~
乾門は代官町通りから吹上への出入口で、つくられたのは明治時代です。
どっしりとした風格のある門は紅葉山下門の移築とのこと。古地図などで確認してみましたが、その位置、用途、時代を考えてもとても合理的な移築だと感じました。
乾門は皇居関係車両の出入口なので一般人は歩道から眺めるだけで近づくことはできません。「一般参観」ではここまでは来ませんので、近くで見られるのは「一般参賀」「一般公開」が再開されるときになるのではないかと思います。
江戸城現役時代には存在しなかった門ですが、奥にあった山下門が通りまで出てきてくれたと捉えるのもおもしろいですし、36見附の“36”を“たくさん”という意味とすると数に拘る必要もないかなと思い、番外にエントリーしました。
乾門周辺の見どころとしては、北の丸公園にある北白川能久親王像や、旧東京国立近代美術館工芸館の建物などがあります。『千鳥ヶ淵さんぽ道』は内郭では珍しく土の上を歩けます。皇居ランナーさんは反対側を走るので、ゆったりと千鳥ヶ淵を眺めながら半蔵堀方面に向かえます。
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2022/02/11 22:13
2022/02/11 21:18
2022/02/11 21:11
市民センター (2022/01/16 訪問)
昔は水戸城がある台地が伸びてその端部に築かれていたとのことです。干拓で切り取られ今では城址碑のみです。
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2022/02/11 21:06
2022/02/11 21:02
道路沿いに土塁が残る (2022/01/30 訪問)
この日は東上線を乗り鉄で廻りました。
青鳥城、武蔵松山城、高坂氏館、大堀山城と廻り締めがここ。再訪です。
霞ヶ関駅から徒歩で15分ですがこの日は大堀山城から歩きました。
館跡は史跡公園になっていて塚状遺構や井戸跡、堀跡が復元されています。
西側の道路沿いに土塁が残っていて脇に石碑が立っています。
河越氏衰退後に常楽寺が建てられました。
その後、上杉憲政が河越城攻めの際にここに陣を置き、北条氏の時代には大道寺氏が改修したとされます。
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2022/02/11 21:01
2022/02/11 19:33
[鎌倉殿の13人]関連史跡 源頼朝上陸地 (2016/11/12 訪問)
頼朝の後を追う様に史跡紹介しようとしたところ、千葉県に逃れる為に船出した地を訪問していない事にこれupする際に気付きました(涙)
しかも千葉県で活動したと思われる史跡が見当たらないんですな~・・・これは早くも企画倒れの予感が(すまんorz)
とりあえず更新するつもりだった[源頼朝上陸地]の記事を書きます。
ここは石垣山合戦で敗れた源頼朝が再起を誓って平家勢力から逃れた地・・・ですね。
自分が碑石と解説版を見つけたのは城びとにも登録されている勝山城を訪問した際で、ホント偶然見つけて立ち寄った訳で。。。
特出したものがある訳ではないので、この上陸地だけを見に行くのはちょっと勿体ないです・・・
景色が良かったのが何よりでしたが(^^;)
ちなみに源頼朝上陸地は南房総にも有る様で、どちらが正しいのかは定かではありません。。。こちらは公共交通機関では行けなさそうな場所だったので、今後も縁がなさそうですが。。。
他に頼朝関連のネタが手持ちでは鎌倉にある像と墓所くらいしか無いなぁ。。。もっとあると思ってたんですが・・・
コロナが落ち着いたらとりあえず発見した未訪問の数ヶ所行こうかと思います。
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2022/02/11 17:52
伊勢亀山城 (2022/02/10 訪問)
亀山駅から徒歩でゆっくり回って宿場町まで含めて三時間位でした。北帯曲輪、埋門、等北側が特によかったです。
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2022/02/11 17:14
くねくねドライブ。 (2021/12/26 訪問)
昨年末に城攻めした山梨県の「上野原城」です。
古都氏が築きました。
この古都氏、北条 義時さんVS和田 義盛さん=和田合戦で、滅亡します。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場するかな?と、うっすら期待。
武田 信玄さんの時代には家臣の加藤氏が入城しました。
「上野原城」は武田氏と運命を共にします。
「上野原城」は皆さんが投稿されているように、住宅地にあります。車で来たので、長居できません。
私は、東京から山梨方面に向かって、国道20号を使いました。
大垂水峠を走り、相模湖を過ぎ、左手に『緑のラブレター』がみえたら「上野原城」はもう少しです。
この辺りの50代くらいでドライブ好きな方だったら分かると思います。
なんと「上野原城」の加藤 景忠さんの『加藤神社、加藤塚』が東京の端っこにあります。
それはまた、話しが長く脱線しそうなので後日にします (´∀`*)
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2022/02/11 17:10
寅年の信貴山詣 ~支尾根の曲輪群~ (2022/01/15 訪問)
(続き)
立入屋敷を抜けて西に進むと北側に堀切があり、その先に松永屋敷の西側を平行して北にのびる尾根(仮に北西尾根とします)の曲輪群が続いています。堀切は切通道になっていて、松永屋敷から直接来ることもできるようです(たぶん)。堀切を越えて北に少し行くと二条目の堀切があり、その先の曲輪の北下に三条目の堀切があります。堀切の東端は竪堀になって続いていますが、下の方は藪で見通せませんでした。堀切の北側は自然地形の緩斜面になっていて、その先に北西尾根で最大の曲輪が南北に広がり、西辺から北辺にかけてを低い土塁で囲んでいます。北辺の土塁の下は高さのある切岸になっていて、下りて行った先の北端の曲輪でビニールテープを目印に東下に向かうと斜面に石垣が遺っていました。
西尾根には多くの段曲輪が設けられていて、高安山からの登城道の虎口や土塁があるようですが、あまり整備されておらずよくわかりませんでした。
立入屋敷に戻って今度は北東尾根に向かいます。説明板の縄張図に「水の手」とある谷の向こうの尾根沿いに階段状に小曲輪が設けられており、何段か下りてみましたが、こちらは全くの未整備で特に目ぼしいものは見付けられませんでした。さらに帯曲輪を南に進んで東尾根へ。こちらも段曲輪が三段ほどあるだけだったので、戻ろうと切岸をよじ登っていると石積み(らしきもの)を発見。遺構かどうかはわかりませんが、灌木と藪をかき分け、切岸を登り降りまでして見つけたので遺構と思いたいところです。
…ということで、見落としはあるものの何とか全ての支尾根を探索できましたが、登城開始から3時間あまりが経過し、次第に日が傾いてきていたので少々焦りました。ただ、信貴山城を満喫した分、朝護孫子寺をじっくり見て回る時間がなくなったため、お参りはまた今度にしてそのまま帰途につく羽目に。…って、寅年だから朝護孫子寺にお参りに来たんとちゃうんかーい!(笑)
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