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織田晃司

♪嘉〜麻 嘉麻 嘉麻 嘉麻 嘉麻カメレオン (2021/09/19 訪問)

♪ユー嘉麻ゴー ユー嘉麻ゴー
というわけで(なにが?)嘉麻市の益富城に行きました。

山頂の城跡の他に市内の寺に搦手門と大手門が移築されてます。

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織田晃司

またもや2つは別物 (2021/09/19 訪問)

「いものがんぎ」のある主郭部と水門のある場所は離れてるので車で移動するようになります。

自然災害で通行止めの箇所が多いので行く前にチェックしたほうがいいです。

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織田晃司

2つは別物 (2021/09/18 訪問)

武雄高校と住宅地の間にある塚崎城跡碑と塚崎城石門はそれぞれ別の場所にあるものと考えて(駐車場が無いので)見たらすぐ移動するようにしましょう。

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肉球

奈良梨陣屋・埼玉県比企郡小川町 (2021/09/11 訪問)

城びと未登録の陣屋です
信濃の名門諏訪頼忠・頼水親子が徳川家康関東移封の際に築いた陣屋跡です。
1590年に築かれ1592年には上野国総社へ所領が移されその後故郷の諏訪へ。
僅かな期間しか存在しなかったようです。
現在陣屋跡には八和田神社が建っていますが
その周りには土塁、堀跡が確認できます。

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カズサン

石垣と長屋門が見たくて初登城 (2013/07/06 訪問)

 平成25年7月、竹中氏陣屋、関ヶ原古戦場を終えて伊勢街道国道365号線を南下、大垣市上石津町の上石津郷土史料館を目指す、国道から西の山手田園地帯を通り村落に入り道は狭いが石垣横の登り道で上石津郷土資料館に到着、同駐車場を利用。
 先に資料館(100円)に入り陣屋の模型、古地図を見学、現存西高木家長屋門を見学、同屋敷の石垣、陣屋登城路の石垣、埋門石垣、周辺屋敷北側の土塁と石垣、東高木家の土蔵と巡る。
 結構、登城路石垣、埋門石垣と見応えが有ります、長屋門しっかりと残って居り、東高木家の土蔵もしっかり残って居ます。
 
 高木家は清和源氏の流れ、織田、豊臣、徳川に仕え関ヶ原に近く関ヶ原では徳川氏の道案内役で軍功を挙げこの地を拝領、高木家は西高木家2300石、東高木家1000石、北高木家1000石と三家あります、領内にあっては三家一体となって行政にあたったと。(パンフレットより)

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カズサン

竹中氏陣屋初登城 (2013/07/06 訪問)

 菩提山城は竹中半兵衛の城として有名ですが山城は比高も有り体力的に最初から敬遠し麓の陣屋跡を初めて訪ねました。
 住所:岐阜県不破郡垂井町岩手619-2 現在岩手小学校が陣屋跡に建ってます。

 今回の城廻りは関ヶ原古戦場を新幹線、高速道で往来するが関ヶ原古戦場に足を踏み入れてない為関ヶ原を訪ね周辺の美濃西部未踏の城跡巡る事に高速関ヶ原ICを降りて最初に竹中氏陣屋を訪ねる、車はナビに従い陣屋跡近くの専用駐車場を利用。

 探訪は陣屋櫓門(木造白漆喰仕上げ壁)、半兵衛の戦装束で銅像、水堀、門構えの石垣、門北に石垣と広場が有り勝手口門?さらっとの見学でした。北に約500m半兵衛の墓は禅幢寺に有り寄って居ません、近くに菁莪記念館が有り竹中氏資料展示、寄ってません。

 この後関ヶ原古戦場廻り、美濃西高木氏陣屋と訪ねました。

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tsuchinari

何度目かの福岡城 (2021/09/19 訪問)

今回は場内の県立美術館で開催していたキングダム原画展に行ったついでに福岡城に登城した。もう3回目か4回目になるか。現在住んでいる広島や地元の香川でもないのにこの回数はかなり多いほう。
今回は短時間だったが、堅固な石垣やその上に聳える多聞櫓をしっかり観ることができた。やはり福岡城が如何に巨大な城郭であったかを今回も感じることができた。

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tsuchinari

日本の防衛 (2021/09/19 訪問)

もう6年ほど前になるだろうか。今回の水城のすぐ近くの大野城に登城したのは。
歴史的な背景を考えるとこの水城と大野城は一体化してもいいように感じました。
水城は城というより防塁。地図で見ると朝鮮からの侵攻に備え太宰府政庁を守るために作られたことがよくわかる。
もう1500年ほど昔の話だけど、綺麗に維持保存されている事に感謝したい。
この時代、国を守るという意識によって水城は作られた。時代は違えど、その国防の意識が現在の日本には欠けているようにも感じる。
水城から感じられる先人の気概に負けない気持ちを日本人として取り戻したいところだ。

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tsuchinari

近世城郭の典型 (2021/09/19 訪問)

久留米城は戦国期につくられ江戸時代を通じて有馬氏が治めた城である。近世城郭によく観られる強固な石垣が現存しています。
個人的にはコロナ禍の影響で城巡りがご無沙汰になっていて、今回は本当に久しぶりの城巡りでした。なので以前100名城を巡っていた頃なら、よくある石垣ぐらいにしか感じなかったかもしれませんが、今回は心癒されました。やはりお城は素晴らしい。景観だけでもここまで来た価値があります。
近世城郭の高石垣と背後の筑後川に守られ、現在は篠山神社として地元に根付いているように感じられました。

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todo94

過去の攻城 (2009/10/10 訪問)

攻城歴がありながら未投稿の物件を発見。12年前の攻城です。国宝の三仏寺投入堂、二十世紀梨記念館に続いて訪れました。攻城後には横綱・琴櫻の銅像をチェックし、重要伝統的建造物群保存地区を散策してから帰路につきました。

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織田晃司

カリッとサクッと美味しいスコー○ (2021/09/18 訪問)

龍造寺隆信が攻略してから要塞化した城。
石垣の見物には十分注意して下さい。

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カズサン

中濠と門跡めぐりⅡ (2013/05/13 訪問)

 平成25年5月連休明け、中濠と門跡めぐりⅠの続き、国道2号線沿いの鵰門跡から中ノ門跡、総社門跡まで、東側に中濠と門跡が内京口門跡、久長門跡、北に廻って野里門跡と有り西に廻っれ清水門に中濠が繋がっているようです。
 5月の連休明けで五月晴れ結構暑くしんどい中濠、門跡廻りでした、夕方にも近く姫路の繫華街アーケード街を通って食事でもと散策歩きましたが気に入った食事処が見つからず駅中で休んで駅弁を買って新幹線で駅弁とビールで本日の締めとしました。

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織田晃司

鹿島高校赤門分舎に (2021/09/18 訪問)

赤門があり、北東へ進むと大手門があります。(どちらも現存)

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織田晃司

展望台の (2021/09/18 訪問)

模擬天守。有明海の眺めはいい。

城跡にある石垣は模擬天守に行く手前に説明板と一緒にあります。

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カズサン

中濠と門跡めぐりⅠ (2013/05/13 訪問)

 平成25年5月連休明け姫路城天空の白鷺、天守閣修復工事見学の後、西の丸櫓群を初登城、大手門桜橋から内堀沿いに清水門へ、中濠千姫の小径を通って好古園西の市之橋門跡から外濠内側沿いに車門跡、埋門跡、国道2号線へ、中濠は埋めたてられ国道2号線へ中濠の香りは有りません。
 門跡は枡形構えで石垣が立派に残っており見応え充分です。

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織田晃司

眼鏡橋を (2021/09/18 訪問)

スタートにオリエンテーション感覚で城めぐり。
本丸を過ぎると急に山城。

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織田晃司

久山年神社 (2021/09/18 訪問)

本殿横に登城口。
15分程で主郭に到着。

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にのまる

都内・駅近で楽しめる平山城 (2021/08/25 訪問)

 上野原城の帰りに京王片倉で下車して久しぶりに寄りました。大小二つの曲輪とそれらを囲む土塁やお堀、土橋など見どころがいくつもあり、規模はそれほど大きくないのですが縄張りやパーツを歩いて理解しやすいお城です。西郭の芝生広場も気持ちがよくて、アドベンチャー感もあります。
 みなさんが目を留めておられる、鬼門にあたる腰曲輪にある住吉神社の毛利のマーク。応永年間に大江師親(毛利元春)が長門国から移り住んだ際に勧請したとこの地では信じられているのだそうです(大系より)。
 現地説明板には小田原北条氏による築城や利用の可能性も考えられると書かれていました。東郭南側の崖道、ゆっくり見たかったけれど蚊の大群に襲撃されたので池山ブンブン丸になりながら駆け抜けてしまいました。

【お城川柳126】
古絵図に描かれし井戸よ今いずこ

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備中三名城 佐井田城、備中松山城、猿掛城 (2021/09/12 訪問)

佐井田城は、備中松山城主 庄氏の一族である植木氏の居城でした。備中松山城から北へ20kmほどの備中北部にあります。備中南部の猿掛城、備中中部の松山城と合わせて備中三名城とも言われると。猿掛城も庄氏一族の居城でした。一度は備中の覇者となった三村氏は、庄氏を駆逐していったのですが、毛利元清との連合軍で、佐井田城に挑むこと三回とも、城を落とせぬうちに、宇喜多直家か庄氏の援軍が到着して惨敗。
備中松山城や猿掛城のように大きな城ではないですが、三方が急峻で背後の尾根を二重の堀切で遮断する要害です。三村、毛利連合軍が攻めあぐねるのもうなずけました。
三村氏は一度は備中の覇者になりながら、宇喜多直家に関する読み物で、敵としてだけでてきたり、毛利氏と宇喜多直家の和睦の際に、備中兵乱で討ち滅ぼされたと簡単に触れられたりといまいちよくわかりませんでした。「瀬戸の軍狼」井瀬伴著を見つけ、備中の山中の小勢力から伸してきて、ついには滅びていく流れを知ることができました。備中のたくさんの城がでてきますが、一番気になったのが、佐井田城で、早速、行ってみました。ちなみに備中兵乱の時点では、佐井田城も備中松山城も三村氏のものになっていました。
地元有志の方々が、組織を立ち上げ、城跡整備や掲示に力を入れておられます。夏場ながら、快適に散策することができました。

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ぴーかる

賤ヶ岳砦 (2021/07/28 訪問)

【賤ヶ岳砦】
<駐車場他>リフト乗り場無料Pあり十数台分程
<交通手段>車

<見所>眺望
<感想>暑さを避ける湖北城巡り5城目。賤ヶ岳は琵琶湖の最北と余呉湖を挟んだ山地の一番高い山であり、賤ヶ岳合戦の時には豊臣方の陣城として主に桑山重晴を城将としていました。
 山頂手前までリフトで行けるので楽ちんです。リフト乗り場横から登山道も整備されているようです。砦跡は公園化・改変されているようです。主郭跡に枡形、北西尾根に堀切、東側になだらかに曲輪が連なっているのが見られます。余呉湖と周辺が一望できて柴田軍の布陣の様子や動きがよく見えそうな気もするのですが。

<満足度>◆◆◇

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