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まっぴー

空堀天国!?武田築城技術の結集 諏訪原城🏯 (2020/03/15 訪問)

遺構度→★★★★☆ 復元度→★★★☆☆
施設充実度→★★★★★ 楽しさ度→★★★★☆

武田の築城技術の結集と言われる諏訪原城に行ってきました!
武田氏が遠江侵攻のために牧之原台地上に築かれたお城で一説では馬場信春が築いたとも言われています。長篠の戦い後に徳川家康が落とし、武田に対抗する拠点にしていたものの、武田氏が滅びると存在意義も薄れ、廃城になりました。その為武田氏と徳川氏の技術が集結している城です。
遺構は空堀や三日月堀、土塁、曲輪、そして武田や徳川の城でしか見ることのできない丸馬出が綺麗に残っています。
特に空堀は多く、またとても立派で大迫力でした!傾斜も凄く、深い空堀がいくつもあり、まさに空堀天国とも言えるお城でした。
諏訪原城のシンボルとも言える丸馬出は圧巻で、ここまで立派な丸馬出は見たことがなかったので感動しました。ここまで綺麗に残っていることに感謝です。ありがとうございます(^_^)
また丸馬出の周りを囲んでいる三日月堀も素晴らしく、見惚れてしまいました!
復元された門を潜って奥に行き、下を見るとかなり下の道路と距離があり、これは攻められないなと思いました。僕だったらすぐ諦めます(笑)武士は本当に凄いなと思います。
土塁も高く、立派でした。
諏訪原城の遺構の質の良さを感じられました。

しっかりと整備されている為見やすく、説明板もあるので遺構の場所もすぐに分かります。また山城ですが大してキツイ訳でもないので平山城に近いと思います。

駐車場も完備されているので車も大丈夫です。
ビジターセンターでスタンプを押すことが出来、状態も良好です。(ちなみにビジターセンターの外の城郭の入り口にも設置してあります。)パンフレットもガイダンス施設にあるので貰ってからお城探索をすると良いと思います。探索時間は1時間は要らないと思います。(目安なので1つ1つ細かく見たい人は多めにとってください。)

とても素晴らしい城郭でした!皆さんも是非行ってみてください!

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todo94

個人所有地 (2020/03/14 訪問)

城址碑や説明板の建っている場所がどう見ても個人のお宅の中のように感じられました。説明板に近づいて読むことがはばかられてしまいました。

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街道おじさん

島原城登城 (2020/03/11 訪問)

松倉重政がが日野江城を廃城にし、この島原城を新たに築いた。
このため重税を課し、またキリシタン弾圧も続けたために
島原の乱が勃発したという因縁の城。
しかしそうした不幸な歴史にもかかわらず、青空に映えた層塔型の天守は美しかった。

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赤い城

発掘調査中 (2020/03/15 訪問)

府中城の出城で外城と呼ばれています。
主郭部分は現在発掘調査中でした。
岡田稲荷のところに説明板があり、空堀と土塁が残っています。
空堀は竹が倒れていてほぼ藪状態、ここは整備したら見所になりそう、と思いました。

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にのまる

ゲームオーバー(´;ω;`) (2020/03/12 訪問)

 無理だと思ったら引き返す覚悟をしながらも、もしかしたら行けるかも…という期待もあって、トレッキングシューズで出かけました。
 麓の浄福寺で解説板を読み、ほころびはじめた枝垂桜を眺めていると、お寺の裏から動物の鳴き声のようなものが聞こえたのでそっと覗いてみると、お猿さんたちがお食事中(゚Д゚;)
野生の猿との初めての邂逅がまさか都内だとは(―_―)!!
ここが登城口だったらソッコー引き揚げていたと思うのですが、そうではなかったので予定通り白山大権現横の登城口へ。この緩やかな上りが永遠に続くわけではないというのは皆さまのご投稿で理解しておりましたので油断はいたしません。ですが、観音堂まで素直に石段を上がらずに左の坂から行ってしまったのはちょっと失敗。石段の方がきっと楽です。
 観音堂の先をさらに少し登った電柱のあるところから少し下り坂になって、緩やかな上りをしばらく進むと…出た!直登の道。皆さまが言っておられたのはここのことかとしばし感慨にふけり、この道に備えて途中で拾っておいた木の枝を相棒にがんばって登って、平らな道に出ました。が、それもつかの間、さらに急な土の壁が立ちはだかる…。距離としてはそんなになさそうだけどあまりにも傾斜が急で。二方向から行けそうだったけれどどっちを選択しても大差なさそうな怖さ。まじ、ここ滑った人おるやろ?ザイルと道連れと心の準備がないと私には無理。ここが限界でした。(お食事を終えたお猿さんたちが帰ってくるかもしれないしというドキドキもあり。)
でもこの先に広がる世界を見てみたいので、ともに滑ってコケての覚悟をしてくれる人が見つかったら(いるか?)再チャレンジしたいです。

☆八王子城の中腹に「松竹バス停方面→」という道標があって、どこなんだろうなあと思っていたら、浄福寺城最寄りの「恩方事務所」の1コ前のバス停がそうでした。浄福寺城は松竹城とも呼ぶのだそう。八王子城とほぼ繋がっているみたいです。あと、松竹は「しょうちく」だと思っていたら「まつたけ」でした。

☆☆隠し撮りした写真⑧にお猿さんが三匹隠れています(^_^)/☆☆

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チェブ

城山稲荷神社と城下公園。 (2020/02/23 訪問)

本庄 実忠さんが築城した「本庄城」。
本庄氏は関東官領の山内上杉氏の家臣でしたが北条氏に攻められました。
北条家に仲間入りすると、秀吉さんの北条征伐。
本庄氏も「小田原城」で自害します。本庄氏は滅亡してしまいました。
家康さんの時代に「本庄城」は廃城し、幕府直轄地になりました。
「本庄城」の石碑と説明板は城山稲荷神社にあります。遺構は分かりませんでした。
この城山稲荷神社から少し下った場所に城下公園がありました。
こんもりとした所があり、何となく土塁に見えるような気がしました。、、、土塁に見えて欲しかっただけかもしれませんが。
奥にボーリングの巨大ピンがありました。
これは、昭和の遺構でしょうか(笑)

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カズサン

寺伝に利家誕生と言われる前田城 (2020/03/17 訪問)

 荒子城を終えて西に2、3km程の前田城に初登城。

 車は事前にグーグルマップで確認し前田速念寺前の道は狭く路駐出来そうに無いと判断して東の畑中道に路駐し徒歩で速念寺へ、すると山門前に参拝者駐車場が有りました参拝者以外駐車禁止と成ってますが利用可能か?
 前田城から荒子城に移る前田利昌(利家の父)の時代、寺伝ではここで利家は誕生し一緒に居城を荒子城に移すと言う事か?

 山門は二階建ての立派な楼門風、門前に前田城址の石碑、境内に最後の前田城主とされる前田与十郎の墓、寺は利家の叔父利則が出家して意休と号して前田速念寺住職に成った寺は浄土真宗のお寺です。 一人静に参拝、登城させて頂きました。

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カズサン

利家誕生巨大石碑が建ってる (2020/03/17 訪問)

 昨年12月中旬に蜂須賀城初探訪し夕刻時間切れで探訪できなかった荒子城でしたが3ヶ月後武漢コロナで騒がしい中、寺部城、挙母城を終えて東名、名古屋高速を使い荒子城初登城。

 車は冨士権現天満宮と権現公園の間の交通量の少ない所に路駐、権現公園の北側で若干広い道の路駐の方がいいかも。

 冨士権現天満宮の中に大きく立派な前田利家誕生の石碑が圧倒してる、隣に前田利家と荒子城の説明板、遺構は無いようですがここが若き日の利家が育った処だと思いにふけったり、説明板下のボックスにパンフレット「前田利家百万石への道 犬千代ルート」が入ってました、周辺散策参拝してもう一つの誕生したと言われてる前田城へ移動。

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ふうちゃん

続百名城達成 (2019/11/24 訪問)

続百名城を達成した最後の城です。

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街道おじさん

平戸城登城 (2020/03/10 訪問)

令和3年3月31日まで改修工事で天守、懐柔櫓、見奏櫓は見ることが出来なかったが、
山鹿流軍学による折れや屈曲が施された石垣を見るのは興味深かった。
改修工事終了後に是非もう一度訪れたい。

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todo94

16年ぶりの再訪 (2020/03/14 訪問)

渋柿城、松尾城といった山城攻略は雨が降っていたため断念いたしました。2004年以来16年ぶりに川之江城へ。当然、予想されていたことですが、模擬天守内は私ただ一人の貸し切り状態でした。川之江陣屋にも初めて脚を伸ばしてみましたが、八幡神社に移築されているという陣屋門のチェックには失敗してしまいました。また、いつかチャレンジしてみたいと思います。

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赤い城

藪の中に説明板 (2020/03/15 訪問)

堅倉小学校の裏側、堅倉運動広場に車を停めました。
細い道沿いに低い土塁が残っています。
藪っぽい中に説明板が立っていてそこから土塁が伸びています、が分かりにくい。
佐竹氏が築いた砦だそうです。

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カズサン

チョイ寄り七州城と呼ばれる挙母城 (2020/03/17 訪問)

 寺部城に初登城の後矢作川の西に在り近いので挙母城に二十数年ぶりチョイ寄り、車は豊田市美術館の蓮池跡の駐車場を利用。

 駐車場の直ぐ北に復元二階隅櫓が建ってる、コロナ対策で櫓休館、美術館も駐車場のトイレも美術館休館中及び時間外は利用不可、寺部城から移築された茶室書院「又日亭」が隅櫓の裏側に在る、当日染井吉野桜だ1本1、2部咲きでした。

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カズサン

尾張徳川付家老槍の半蔵渡辺守綱の陣屋 (2020/03/17 訪問)

 コロナウイルス、花粉に気を付けて昨年12月中旬尾張蜂須賀城以降残ってた三河、尾張の戦国武将に関わってる城跡廻りをして来ました。
 車は守綱神社の南道路三角スペースに路駐。

 守綱神社を参拝して北に今は水の無い堀、堀の北に土塁、その上に寺部城の石碑、陣屋内部は建物の礎石があちこち、井戸が3ヶ所、東に土塁法面、北に丘陵が落ち込み水堀用水かも?、西は矢作川、西土塁は竹藪状態、矢作川の河川改修で西側は大幅に変わったのでしょう。西側土塁上には山桜が花をつけていました今年は早いのかな?
 東の3曲輪守綱寺近くに家老遊佐氏の長屋門、松本氏の長屋門が残ってる。

 歴史的には文明年間鈴木重時の築城、松平氏、織田氏、今川氏攻防が在り、最終的には慶長15年(1610)尾張徳川氏の付家老として家康の信認厚い槍の半蔵こと渡辺綱末裔渡辺半蔵守綱が1万4千石で寺部に入封し明治まで続く。

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ヨコちゃん

明智光秀最後の城 (2020/03/15 訪問)

「麒麟が来る」の影響で訪問者が予想より多かった。(自分もその一人ですが)
コロナの影響でボランティアの方のご説明は受けられませんでしたが、
DVDや展示も無料の割にはしっかりとしていて、よかったです。
初めて、御城印も購入しました。

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チェブ

カニを食べてはいけません。 (2020/02/23 訪問)

鎌倉幕府御家人の加治 家李さんが築城した「金窪城」です。
新田 義貞さんの家臣が改修しました。
関東官領 山内上杉氏の家臣、斎藤 盛光さんの居城になります。
時代が過ぎ本能寺の変後、北条家が侵略して来ました。神流川の戦いです。滝川 一益さんが初戦、北条家の「金窪城」を落城させますが敗北、退陣しました。
「金窪城」の斎藤氏も討死です。
金窪城址公園がお城跡です。石碑は公園入口の道を挟んで後ろ側です。土塁の上ですか?四段、階段を上がった場所に石碑と説明板がありました。
奥に民家があり、写真はアップで写しました。

「金窪城」にも悲しい言い伝えがありました。
満寿姫が嫁ぎ先と実家とで戦いがあり、身投げして満寿姫は龍になりました。腰元たちも後を追いカニになります。カ、カニ!?
金窪ではカニを食べてはいけない、との事です。
、、気を付けましょう。

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のっくん

本多忠勝生誕の地 (2020/03/18 訪問)

愛知県岡崎市にあります。
戦国最強!

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のっくん

大平一里塚 (2020/03/18 訪問)

愛知県岡崎市にある、旧東海道の一里塚

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のっくん

大平古城跡 (2020/03/18 訪問)

愛知県岡崎市にあります。

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のっくん

細田城跡 (2020/03/18 訪問)

愛知県豊田市と岡崎市の間ぐらいにある。

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