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加茂 真明

宮城県多賀城市にある多賀城遺跡は続日本紀に記された多賀城ではない。

賀美郡部内の多賀柵が改修されて多賀城になった。従って、名取郡近くの多賀城碑出土地は続日本紀に記された多賀城跡ではない。
大伴家持は伊治城の乱で多賀城が侵掠されたことを受け、多賀は名取以南十四郡から遠くはなれているので多賀、階上に権郡を置く提言をした。なんと、多賀城碑は名取郡近くで江戸時代に発見された。しかも、虚偽がきされている。大野東人は神亀元年に按察使や鎮守将軍に任ぜられていない事も続日本紀にきされている。多賀城碑は偽物であり、多賀城が名取郡ちかくにあるはずがないのです。
養老律縁辺諸郡人居条(令羲解) 凡縁二東辺北辺西辺一諸郡人居、皆於二城堡内一安置、其営田之所、唯置二庄舎一、到二農時一、堪二営作一者、出就二庄田一、収斂訖、勒還、其城堡崩頽者、役二当処居戸一、随レ閑修理、とあるように、多賀城は北辺の城堡であり、近くの諸郡人が農閑期に居る所であり、鎮守府や国府ではありません。宝亀十一年の条に国司治所とあるのは多賀は未だ、賀美郡部内であり郡さえなかった所ゆえに、諸郡人を国司が治めていたのです。古代辺縁城郭は外寇から身を守る所であり戦国時代の城郭とはことなるのです。一二レ点をうまく表示できませんでした。

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カルビン

明けましておめでとうございます<(_ _)> (2014/09/21 訪問)

新年明けましておめでとうございます。

正直昨年1年は無かったものとしてカウントしたいくらい酷い1年だったと思います。
来年の初めに同じ事書かなくて済むようになれば嬉しいんですが。。。今の行政を含め緊張感無い人々を見ていると難しいかな(ー”ー#)

と、不安な事ばかり考えているとよろしくないのでポジティブ且つ慎重に行こうと思います。


年明け1発目は忍城投稿です。
個人的に模擬天守や櫓が近代的過ぎる&撮影禁止な場所が近隣に多かった(小田原城とかも)為に天守や櫓の興味が急激に薄れ、土の遺構に目覚めたきっかけになったのがここ忍城でした(ーωー;)

後に忍城にも遺構が残っており、更に忍城合戦に関する遺構が近隣に存在していた事でこの手のお城への評価を一転させたのも忍城なんですよね~(遠い目)
結果お城巡りを始めた2013年終盤に訪問したのを皮 切りに5回以上は訪問しておりますw

折角なので今回は忍城の周辺の関連場所を写真掲載させて頂きました。
(忍城模擬櫓/現存土塁、忍城支城・皿尾城碑、さきたま古墳内にある石田三成陣と石田堤跡、成田家重臣 正木丹波守の菩提寺・高源寺、忍城攻略戦・佐間口跡地となる佐間天神社)


本年も正攻法ではない記事が多くなると思いますが、生暖かい目で見て頂ければと思います(笑)
本年も宜しくお願い致しますm(_ _)m

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にのまる

今年もよろしくおねがいいたします。

あけましておめでとうございます。
昨年は思い出深い時間を過ごさせていただき、ありがとうございます。
小さな画面から見た大きな世界に、ますます訪城意欲が湧いてきました。
どんな形であれ、今年もたくさん楽しみたいと思っています。
どうぞよろしくおねがいいたします。

 昨年は年賀状に使えるような写真が撮れなかったので、籠城中に作った熊本城をベランダから手を伸ばし、空に向かって撮ってみました。東京は元旦からいいお天気です。今年が澄み渡る青空のように明るい一年になりますように🎍

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ぴーかる

日出城 (2020/11/27 訪問)

<はじめに>新年あけましておめでとうございます。昨年は疫災の影響で緊急事態や自粛期間があり思いきった攻め城ができずに、悶々とした日々も多かったことと思います。終息し安心して攻城旅ができる日が来ることを祈念しております。また皆様方もお体ご自愛ください。あい変わらず拙く伝わりにくい文章ですが少しでも皆様の攻城時の情報としてお役に立てたら良いかと思います。応援もまたよろしくお願い致します。
引き続いて昨年11・12月に行ったお城、未投稿分十数城がありますのでそこから始めたいと思います。

【日出城】
<駐車場他>二の丸館駐車場
<交通手段>飛行機→レンタカー

<見所>鬼門櫓・鐘櫓・天守台・穴太積高石垣
<感想>2泊3日豊後国百・続百名城攻城の旅1城目。日出城は1602年に高台院(おね)の兄木下家定の3男、日出藩初代藩主木下延俊が、義兄であった細川忠興の支援・縄張りをしてもらい築城した。日出藩木下家は外様なのに転封も減封もされることなく明治まで続いた珍しい家である。城跡は本丸内は日出小学校になっていて入ることはできないが、本丸を中心とする石垣は大部分が残っており周辺散策を楽しむことができる。二の丸館横に移築現存の鐘櫓(内部入れず)、本丸北西堀外に移築現存の鬼門櫓があります。鬼門櫓は自由に内部見学できて修復時の資料等があります。修復前の倒壊寸前の写真を見ると見事に修復されたことに感心しました。本丸北堀底から見上げる櫓は雰囲気あって見応えあり。鬼門切落し箇所もしっかり確認。本丸大手門跡は現在の小学校正門になっているが大手土橋の石垣塀は上部がかまぼこ石になっています。最大の見応えは天守台を含む穴太積みの高石垣です。天守は破風がいっさい無い層塔型3重の初期型のもの(細川忠興縄張りなので小倉城と似た天守だったかもしれないと想像する)だったそうだが、天守台は巨大で圧巻です。本丸東面の裏御門跡から天守台にかけての堀石垣も2段に分けてはいるが、海を引き込んだ堀となっていて見応えがあります。本丸西側に致道館という藩校が現存しており立寄った。続百名城にも負けてない見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◆
<グルメ>勿論城下かれいを食べました。旬が5月頃で今は時期外れなので、下調べして1年中提供してくれる「能良玄屋(のらくろや)」をチョイス。ミニセットをいただきました。かれい独特の脂のくせが全く無く刺身が特に美味しかった。

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todo94

小雨の中の攻城 (2020/12/12 訪問)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。昨年の攻城ですが、新年の初投稿とさせていただきます。説明板の下に駐車し、1から3まで防堀(竪堀)井戸を越えて三の丸に到達。二の丸にも脚を伸ばして山頂の本丸にたどり着きました。地元小学生の手による案内板はありがたい限りです。吉川弘文館の「甲信越の名城を歩く」の縄張図を見ると本丸下の帯郭の奥に畝状竪堀があるようです。雨が降っていたので本を持っての攻城はできませんでしたし、整備の手も入っていないようなので帯郭までの攻城に終わっていますが、いつか機会を見て確認できたらいいなと思います。整備の手が入っていない畝城竪堀では見栄えは期待できないのですが。

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あーぞー

2020年城郭ベストナイン 眺望部門 (2020/03/11 訪問)

ベストナイン最後の発表は眺望部門です。ここでは旭山城を選出。
善光寺平を一望でき、川中島の戦いに深く関与したことを素晴らしい眺望から体感できます。破城の痕跡である散乱した石が歴史を物語っており遺構面でも十分楽しむことができました。


2020年は歴史に残る1年となってしまいました。一方、お城では新発見や復元が相次ぎ今後の楽しみが増えたことだと思います。私はこの楽しみをコロナ終息後に取って置き今しばらく北条領国内で籠城生活を続けるつもりです。皆様もどうか感染しないようそして城欠乏症にならないようベストなバランスを保ち生活していかれることを願います。
2021年が良い年になりますように。(花園城訪問前に北条氏邦夫妻の墓前で祈願して参りました。)

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退会済み
ユーザー

小川城に行きました。 (2020/12/29 訪問)

小川城に行きました。
この城は1492年(明慶元年)に
沼田荘田城主沼田景久が西の備えとして築城。
次男の小川次郎景秋に七百貫文を与え、
住まわせたのが始まりの城です。
また、小川・名胡桃・明徳寺の三つの城の三角形のちいきは重要な戦略点で、
長尾景虎(のちの上杉謙信)の関東出陣時にも
三国峠から上州に入り宮野(猿ヶ京)を通り小川城を経て
沼田に出陣。武田信玄も沼田城を通り名胡桃、小川城を通っている。
やはりこの城はすごいですね。
真田も使ってますから
皆さんも行ってみてください
行った当時は12月29日なので雪が降っています。
(小川城の投稿は少しずつ説明などを入れていきます。
ご了承ください)

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あーぞー

2020年城郭ベストナイン 中世城郭(石積)部門 (2020/03/20 訪問)

中世城郭部門ラストは石積。本栖城を選出しました。
樹海の中から現れる石積や郭の城壁となる溶岩でできた石積は見事です。戦国時代の東国史を語る上で欠かせないのが中道往還。そこを押さえる拠点が本栖城です。
樹海を歩かなければならず、街道封鎖と関わりのない石積も存在するので下調べと同行者は必須です。情報を仕入れてから複数人で訪れれば迷う確率は減ると思います。尾根づたいに烏帽子岳へ登れば富士山と樹海を一望できるので余力があれば足を伸ばすことをオススメします。

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あーぞー

2020年城郭ベストナイン 中世城郭(虎口)部門 (2020/03/11 訪問)

続いて中世城郭(虎口)部門からは牧之島城を選出。
枡形と丸馬出のセットが見られ、武田の城を堪能できました。城は整備されているので季節関係なく楽しめそうです。篠ノ井駅から本数の少ないバスで向かったのですが乗客はほぼゼロ。緊急事態宣言が発令される前のことなので本当に利用者が少ないのでしょう。公共交通機関で廻っている方はコロナが収まったらお早めに。

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あーぞー

2020年城郭ベストナイン 中世城郭(土塁)部門 (2020/03/03 訪問)

続いて中世城郭(土塁)部門からは南酒出城を選出。
あまりメジャーな城ではありませんが土塁、空堀に重厚感があり、比高がない分城壁で守りをかためているのだなぁと思いながら歩きました。土塁の高さは標準的ですが最上部に多聞櫓が建ちそうな広いスペースがあり土塁の上に登って防戦しようとしていたことがわかりました。
比較的新しい解説板があり知識を入れてから歩くことができます。早春に行ったにも関わらず一部藪が深かったので堀を探索される方は要注意です。

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あーぞー

2020年城郭ベストナイン 中世城郭(堀切)部門 (2020/03/07 訪問)

続いて中世城郭(堀切)部門からは浄福寺城を選出。
岩盤を削った迫力ある堀切のある城には数多く行きましたが同一の城が複数部門で受賞することは避けたかったので土の堀切で最も見応えのあった浄福寺城を選びました。浄福寺城の魅力は東からの攻撃に備えた数々の堀切。関東では珍しく畝状空堀群もあります。東からの敵を防ぐ気持ちで歩くと城の堅固さがよくわかりました。
城への道はかなり険しく滑るので登山靴での登城をオススメします。

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たつのり

63 (2014/04/29 訪問)

忍城(おしじょう)は映画「のぼうの城」のモデルとなった城で、ドラマ「陸王」で良くランニング姿のバックにあった城で有名ですね。

一応、埼玉県民(出身は東京で勤務先も東京なので、全然地元愛がない)なので、100名城でなくても訪問してみることにしました。(のちに続100名城を知る)

何だか宇和島城的に顔に見えるのは私だけでしょうか?




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たつのり

62 (2018/05/02 訪問)

模擬天守だそうですが、元々平屋だったのを3階建てにして建築したと記載があります。
こういう町おこし的な城もアリでしょうから、地域のランドマークとして作ったらいいのに・・・

と思ったけど、史実と余りにもかけ離れた城を自分が支払う住民税から使われるんじゃ反対するかも知れません。(苦笑)

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たつのり

76 (2018/09/16 訪問)

実は私の嫁さんは鹿児島出身です。
帰省時に丁度大河ドラマ「西郷どん」放映にちなんで、ドラマ館など市内観光に付き合ってくれた義兄にお願いして、スタンプ帳のある歴史資料センター黎明館にも寄って貰いました。

鹿児島城は別名鶴丸城。
その跡地に県立鶴丸高校があり、県内1の進学校(私立のラサールは別格として)なんだそうです。
嫁さん曰く、鹿児島県人は最終的にどこの大学へ行ったかよりもどこの高校を卒業したかというヒエラルキーがあるそうで、鶴丸高校出身の方は一族郎党の誉れなんだとか。

確かに嫁の父である今は亡き義父は、大変立派な方でありました。

あの薩摩藩の根城にしては天守もなくアレという感じではありますが、なんとなく武田信玄の「人は城、人は石垣・・・」を思い出しますね。

今年(2020年)に御楼門が再建されたそうで、義兄からまた見に来てとお誘いが来ておりますので、近いうちゆっくり訪問したいと思います。

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赤い城

発掘調査中 (2020/12/26 訪問)

産業能率大学前の高速道路工事中エリアにあります。
現在発掘調査中、この日は休みでしたが柱の跡などを見ることができました。
扇谷上杉氏に太田道灌が誅殺された城館として知られています。
発掘調査終了後どうなるかが気になります。

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たつのり

91 (2015/09/21 訪問)

地震で石垣が崩壊する前の2015年9月に訪問しておりました。
この頃はまだ100名城スタンプ帳を所持しておらず、写真は残っていますがスタンプはありません。
そういう意味では、ここでスタンプを押している人を見て「あれなんだろう?」ということになり、後日スタンプ帳を購入するきっかけを作ってくれたお城なんですね。

一番の魅力は加藤清正公が作った芸術的な曲線を描く石垣なのでしょうが、やはり城郭好きの私には黒色の男性的な2つの天守でしょう。黒色で似た型の松本城も2天守に見えますが、あちらは天守に櫓が併設されているので、2天守ではありません。

それと私がこの熊本城を高く評価する理由としてスケールの大きさがあります。

さすがに世界遺産の姫路城には敵いませんが、続く彦根城に次ぐ3番目のスケールではないでしょうか。

ちなみに大天守と小天守、各々料金が掛かります。
とても天気も良い9月の休日でしたので大混雑しており、大天守のみの登城とし、小天守は後日の楽しみに取っておいたら、2016年4月のあの大地震となりしばらくは拝観停止となってしまいました。

拝観停止は無期限ではないでしょうから、またの楽しみに取っておきます。

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むねしげ

(2020/12/19 訪問)

行ってみてください

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たつのり

67 (2016/05/31 訪問)

100名城スタンプを押すためだけに出張の合間に抜け出して訪問しました。
よくある現在は地元自治体の管理下にある公園内にあり、敷地も広大な城址でした。

余程焦っていたのか、スタンプが滲みまくっていてとても見にくくなってしまいました。

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蕗の門を見るために (2020/12/31 訪問)

久しぶりに掛川城に登城しました。掛川城近くにある円満寺にある移築された蕗の門を見逃していたため立ち寄りました。掛川城址から徒歩10分弱で行くことができます。
せっかくなので掛川城も散策しました。木造で復元された天守閣を中心に、本丸門南側の荒和布櫓があった場所には、かつて三の丸にあった太鼓櫓が二層に改築され移築されています。本丸門前には三日月堀・十露盤堀が整備され、四脚門が復元されています。二の丸御殿が現存していて見どころの一つです。三の丸の南側には大手一之門が復元されています。また安政六年に建てられた大手門番所があります。油山寺に移築された大手二之門が現存していますが、今回は行っていません。

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たつのり

86 (2016/08/05 訪問)

2016年夏の城巡りツアーの3日目、最終訪問地です。
ちなみに行程は
8月2日22時東京駅発サンライズ瀬戸(寝台特急電車)に乗って高松駅へ(そこからレンタカー)
3日①高松城②丸亀城③今治城(道後温泉泊)
4日④松山城⑤大洲城⑥宇和島城(佐川泊)
5日⑦高知城~坂本龍馬記念館~高知龍馬空港から飛行機で羽田へ

高知城の入り口には「国宝 高知城」の碑があり、「あれ?」と思っているとその注意書きの看板がありました。
松江城のように一度取り消されていても国宝復活もあるので、確かに歴史ある碑までは撤去する必要はありませんね。

さて、高知城といえば12ある現存天守の1つではありますが、同時に現存4御殿の1つでもあります。
現存御殿はどうしても襖絵なども新しくしていないので、どうしても古臭くなってしまうため余り注目されませんが、この空間に裃を着た藩の重鎮たちが会議をしたり、大名である上様へ面会したりしたことに思いを馳せられる貴重な空間です。

御殿の部屋には大河ドラマ「功名が辻」のポスターが貼ってありましたが、主人公千代役の仲間由紀恵さんの雰囲気が今と違うのが不思議でした。

また、雨の多い高知県(土佐)ならではの石樋もあり、ありがちな高欄がある似た天守とは異なる独自性を出していると思います。


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