土岐氏の一族の高山秀頼が承久の乱(1221年)の頃に築城したと云われます。
戦国時代になり1556年には武田信玄の命を受けた平井光行・頼母の親子が兵を進め城主となったと伝わり、その後、織田信長と武田信玄・勝頼との領土争いに巻き込まれ、遠山十八支城の一つに数えられるそうです。
1574年には武田勝頼による東美濃攻めの際、高山城の平井頼母は織田方として交戦しましたが落城したとされます。
本能寺の変後、1583年には森長可の東美濃平定戦の時には、高山城を死守していた平井頼母は開城を迫られ、森長可に明け渡したそうです。
城跡は公園化され、綺麗に整備されていて、堀切跡・曲輪跡などの表示があり分かりやすいです。
模擬ですが、城門や物見櫓など建てられており、黒色で雰囲気があって、なかなか良かったです。
事前に調べた時には特に遺構はないとのことでしたが、三の曲輪と一の曲輪の間は空堀・土橋跡のようにも見えました。
説明板の縄張り図には、出丸下に城門跡、木戸跡と書かれてましたので、降りて行くと、折れた虎口のようで、遺構ならテクニカルな面もある城だと思いました。
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