前田慶次の自腹でお城めぐり 【第12回】凸津城 後編~織田と藤堂の合作~

お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、織田信長の弟・信包が居城とし、築城名人・藤堂高虎が改修した津城(三重県)の後編。いよいよ本丸に突入した慶次が、高虎見事な築城技術を鑑賞できる高石垣や、それよりも古い信包時代の石垣など、お城好きにはたまらない見どころを細かく紹介します。

▶前編はこちら
【第12回】凸津城 前編~残されし石垣達~

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次

前田慶次齢四七九歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十二年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。

津城 城郭の魅力度を数値化

津城

戦国期~現代の石垣まで一度で楽しめるのが良き!
築城名人藤堂高虎の技術を眼で楽しみ、今後の復元でより盛り上がる城である!

津城

【基本情報】

城郭構造:平城
主な築城者:織田信包 (織田信長の弟)
※安濃津城(前身)は細野家が築城
築城年:1568年(信包入城、改修)
廃城:1871年(明治4年)
指定文化財:津城跡(三重県指定史跡)

【歴史】

■安濃津城時代
永禄年間(1558~69)に伊勢国の国人、細野家によって築城!

■織田信包が入城!
1568年、織田軍が伊勢国へ侵攻。信長の弟信包が入城し改修!

■幻の天守!?
1580年、5重の大天守と小天守と共に城を完成させたと言われる!

■安濃津城の戦い(関ヶ原の戦い)で焼失!
1600年、西軍の毛利・長宗我部軍に攻められ落城。城内の建築物の大半が焼失。

■築城名人藤堂高虎が入城し大改修!
1608年、藤堂高虎が入城し、輪郭式の城郭に改修し城下町も整備。現在の基盤を造り上げた。
明治維新まで藤堂家の居城となった。

■廃藩置県で廃城
1871年、廃藩置県で廃城。その後はお城公園として現在多くの者に愛される憩いの場となっておる!

■近代の活動
1958年、模擬隅櫓が再建。
2017年、続日本100名城に選定。

津城、目次

津城、転用石
 

【隠れ石見つけれるか?】

大手門を抜けて本丸に突入した儂が最初に見つけた珍しきものが此方!

慶次「ふふふ。どれですか?と思うたじゃろ?
この無数にある石垣の中には実に珍しきものがある故探してみよ」

正解は…
 
津城、転用石

【転用石】

野面積みに近い打込接ぎの石垣の中に潜むは「転用石」。
形も他と異なるであろう!
因みに矢穴も見られる故に慶長期以降の石垣と分かる。
新時代に古き良きところを取り入れるとはお洒落ではないか。

慶次「転用石とは…元々違う目的で使用された石。多くは寺社に使用されていた石である。
戦国時代では、急速に城を築城せねばならん事が多く石材調達の為に転用石が用いられた。
権力者の威厳を表すものであり、旧領主の墓地から転用する場合もある!」

築城者藤堂高虎は、津城築城の同時期に篠山城伊賀上野城丹波亀山城も築城しており
忙しさ故に転用石を用いたのやも知れぬ。

慶次「ほぼ同時期に大規模な城を四城も築城するとは、
皆忙しいとか藤堂高虎の前では決して申せぬな。ワッハハハハハハ」

して、驚くべき点はまだあり申す!
何とこの櫓台登る事ができるそうじゃ!

津城、櫓台

丁寧に現世の階段まで用意されておる。
櫓台に登るのは珍しいことだで!?

津城、丑寅櫓

更に登った先には丑寅(うしとら)櫓が御座る!

津城、丑寅櫓

【丑寅櫓は復興天守ならぬ復興櫓】

櫓台に登る為の階段を上がると目の前に丑寅櫓が御座る!

慶次「どうじゃ?層塔型の三重櫓は圧巻であるぞ!
然し乍(なが)ら皆に伝えねばならぬ事が!」

■丑寅櫓について…1871年の廃藩置県によって建築物が破却された。
1958年に丑寅櫓は復元された。
然り乍ら、場所も形も本来とは異なっており復興櫓と呼んだ方が良かろう。
天守の代わりに多くの観光客を出迎えておる。今は入城する事叶わぬ状況である。

三重三階櫓は我等の時代守りの要であるし、天守に並ぶ強さを誇る重要な建築物。
此の丑寅櫓は他城郭の天守に匹敵する高さを誇る!
唐破風まで付いて装飾性も豊かな櫓である!

津城、櫓台
 
ボランティアガイド(案内人)深見殿に櫓台を案内してもらう。

津城、多聞櫓
 

【多聞櫓】

嘗(かつ)ては此処に多聞櫓が存在した。
現在は松の木が植生されておるが、守りの要であったのじゃ。
深見殿が俊敏な動きで櫓の幅を儂に伝えてくれておる!
多聞櫓…幅6mの長さ約95mの長大なものであったそうじゃ。

津城、多聞櫓

此れ程重厚感溢れる櫓が連なっておったのじゃ。
また、水堀も幅があり此れを攻めようとは思うまい。
設計者が同じだで至極当然であるが、名古屋城に似ておるな。

慶次「天晴れ津城! 天晴藤堂高虎!」

津城、丑寅櫓

櫓台を降りて北側から本丸周りを探索致す。

見事な丑寅櫓に目が移るが、土台の石垣もやはり見事。
算木積み良き哉。

津城、転用石

ほいで此処にも転用石がある!

津城、高石垣

直線的な高石垣は藤堂高虎が得意とした技術!
此れが天下人を唸らした築城術也!

津城、犬走

津城、犬走
 
北側からぐるっと回り石垣を見たらば、土台部分は人が歩ける場所が設けられておる。

【犬走(いぬばしり)の登場!珍しいぞ!!】

石垣を安定させる為!
元々此処は湿地帯! 故に石垣が崩れるのを防ぐ為である。

津城、天守台の石垣

ぐるっと反対側まで移動したらば、草に生い茂った石垣。
さて此処は何か!?

【天守台の石垣である!】

して、皆に是非に見てもらいたいものが。

津城、天守台の石垣

この全体を覚えて桶狭間!(くだらん言葉遊びは置いといて)

津城、天守

【信包様時代の天守!?】

織田信長様の伊勢侵攻において弟君の信包様が築城!
1580年に幻の5重天守と小天守を築城したと聞く。
此の写し絵は資料を基に存在したらばと仮定して描かれたものである!

慶次「もし、今も御座ったらばと考えると
津城の壮大さと天下に轟かせる素質を感じずにはいられまい!?」

津城、石垣
 

【最古の石垣は信包時代】

境界線から左側が津城最古の石垣となっており
織田信包様時代の石垣で野面積みである。
初期の算木積みも見られて儂としては大興奮じゃ!
右側が藤堂高虎が拡張の為に広げた跡という話と石垣補強の為という話がある。
織田と藤堂の合作はここしか見られぬぞ!

続いて。

津城、埋門

信包様時代の石垣に沿って天守台方面に歩むと石垣の合間に空間が御座る!
此れが【埋門(うずみもん)】である。本丸よりの脱出口として1639年に築城された。
元々此処は【犬走】になっており、狭い通路を抜けて城外へ出れるようになっておったのじゃ!

慶次「現世で申すところの非常口である!」

津城、復元

【復元に向けて】

案内人深見殿に多くを指南してもろた!
誠に見事な城であった津城。見所の石垣は細やかに見てもらいたいし、
津の町の基盤を造り上げた津城無くば今の町の発展はない!

【重要な報せ】

津城は資料も残っており復元の話を進めておる。
特に今回紹介した多門櫓を始めとした櫓に関しては6億円で復元できるそうじゃ。(※現段階の調査によると)
地元の三重県の者達には特に、足を運び復元への力添えもしてもらいたい次第。
津城の魅力を発信し多くの者が楽しめる城へ更に進化する事を願っておる!
土日には、ボランティアガイドの者達がおる故に話を聞くと良いぞ!

※恒例の天守男前田度については、此度天主が無い故に男前田度は無しである。
他の城郭を参考にしてちょ。

城巡りをした後は、ご当地名物を食しに参るぞ!
此度はこちら!

津城、新玉亭

【新玉亭】

うなぎ屋である!(ホームページ https://shintamatei.co.jp/

津の町は名古屋と同じくうなぎが名物と聞く。また、名古屋よりも手頃で味も良いとか!?
此れは尾張で育った前田慶次としては、外せぬ案件に候!
「前田慶次の自腹でお城めぐり」史上最高額の飯代になる予感!!

津城、新玉亭
 

【お手頃!】

メニューとやらが此方!
むむ!?やはり安い…。しからば「中丼」で米を大盛で頂戴致す!

津城、新玉亭

津城、新玉亭
 

【丼に収まらぬこの量】

傾奇者の儂に相応しい見た目ではないか!!
無論!すべて完食し御代わりを頼もうとしたが、
初見の者はできぬようで次回以降は可能とのこと。
次参る折は米特盛をくってやろうぞ! ワッハハハハハハ。
皆も特にうなぎを食したくば参るが良いぞ!

して、最後に。

津城、津駅

【津駅】

津駅へ参り観光案内所にて御城印を購入である!
これにて津城巡り終いである。
皆如何であったか?

初の三重県の城巡りであったが、良き出会いと築城名人藤堂高虎の匠の技術には感服致した。
今後は三重県にも侵攻と言う名の取材を進めて参るぞ!

次は何処の城へ参ろうか。また読んでちょうよ。
【残金】54622円

以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益

凸伝令

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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)