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江尻のJ

上には登れず (2019/03/09 訪問)

石垣の一部でも見ようとタクシーで上りましたが通行止めで行けませんでした。麓の大宰府展示館でスタンプをもらいました。

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江尻のJ

とにかく広かった、福岡城 (2019/03/09 訪問)

ちょっと上の天守台を見ようと、坂を上って行ったら、目の前にサッカーコートがありました、はるか先の天守台に行くのはあきらめました。下には野球場、陸上競技場があったみたいなのに、何この広さ。移動はタクシー

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朝田 辰兵衛

積雪の形跡がなかったです。 (2019/03/15 訪問)

登城口は,藤戸神社鳥居から。鳥居をくぐって直登もよし。右回りで“学びの山道”を進むもよし。藤戸神社で合流したら,向かって右に“学びの山道”が延長して続いています。そして,西側の遺構を散策しながら本丸を目指します。
標高:165m,比高:150m。
なお,登城口から東側に居館跡があります。現在は墓地ですが,しっかり土塁跡と認識できます。

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江尻のJ

登らなかった (2019/03/08 訪問)

山城は苦手なのでスタンプだけの訪問だった。タクシーで移動

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Ka-z

【平成31年】戊辰戦争シリーズ (2019/01/13 訪問)

戊辰戦争をメインに縁ある史跡を巡っています。
白河小峰城も3.11で石垣の一部が崩れ落ちるなど被害を受けていましたが、修復も進みつつあり4月より禁止区域の再通行となり、多くの観光客が足を運ぶのが期待されます。

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江尻のJ

お城の原型、吉野ケ里 (2019/03/08 訪問)

広さに驚きました、集落はお城の作りになっていました。周りを堀で囲い、土手を築き、入り口は狭くかぎ型に曲がっていました。四隅に当たるところには、見張りの塔(櫓)が立っていました。移動はタクシーでした。

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江尻のJ

佐賀城 (2019/03/08 訪問)

天守台からの眺めが良かったです。移動はタクシーでした

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カルビン

【平成28年】何も無さ過ぎ (2016/06/11 訪問)

春日山城は既に1度訪問してましたが、春日山神社の御朱印を授与頂きたくこの年に再訪致しました。
直江津駅からバスで訪問したのですが、その際最寄りのバス停の目の前にある上越市埋没文化財センターに立ち寄って、御館と福島城の情報を入手。

この日の予定通り春日山城→林泉寺→水族博物館と進み、そこから時間に余裕があったので、情報を得ていた事もあってその足で御館と福島城にも向かいました。

水族博物館から御館へは歩いて行ったのですが、周辺には特に案内版とかは無かったので、事前に地図を御準備されます様に。
(直江津駅からは1km離れていないので、駅から歩いても全然行けると思います・・・今は案内もあるかも?)


御館跡地の公園に到着しましたが、はっきり言って何も残っておりません。
あるのは石碑と解説版だけです(勿論知ってて訪問しましたが)

歴史的観点からもっと何か増えているのでは?と抱いていた薄い期待もあっさり裏切られました(汗)

なのであくまでも春日山城のバーター的な訪問が良いと思いますのでご注意を。

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江尻のJ

見事な石垣の久留米城 (2019/03/08 訪問)

立派な石垣を見て、かぎ型の坂道を奥へと進むと鳥居の奥に社が見えた。左側には井戸があった。少し小ぶりのお城だった。移動はタクシーでした

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江尻のJ

1泊2日の九州、佐賀・福岡城めぐり (2019/03/08 訪問)

久しぶりの城廻でした。妻が長い時間歩くと疲れるので、しばらく城廻ができませんでした。なるべく歩かない様タクシーを使い城廻ができるよう、計画を立てて実行しました。現地のタクシーに連絡を取り、周りたいコースを告げ予約を取りました。行きたいところがすべて廻れて満足のできた旅でした。

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todo94

続日本100名城スタンプ99個目② (2019/03/09 訪問)

続日本100名城としては、同じ大内氏遺跡である大内氏館より高嶺城の方をメインとしたい気持ちです。見応えのある石垣は毛利氏時代のものなので、大内氏遺跡という観点からは必要ないのかもしれませんが。2008年に訪れた時より案内表示が充実していましたし、樹木も多少、伐採されたようで主郭からの眺望が良くなっていて、整備が進められている感じを受けました。スタンプ置き場の山口市歴史民俗資料館で縄張図付のリーフレットを頂けます。

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小城小次郎

引田城

浮き沈みの激しい武将・仙石秀久も籠ったお城は生駒親正が讃岐高松に移った後も存続していたようで、慶長期には山上に石垣が累々と連なる堅城だったらしい。

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再訪▪城廻りvol.6 高松城 (1982.7.30訪問、2019.1.5再訪) (1982/07/30 訪問)

四国最大の天守のあった、高松城へ行ってきました。
高松城は日本三大海城といわれ、当時、北側は瀬戸内海に面しており、城そのものが軍港としての機能も有していました。
現在では埋め立てられ海岸線は少し離れてしまいましたが、水門によって海とつながっており、堀には海水が引かれています。

城の周囲は中堀、外堀などは埋め立てられ、開発され市街地化していますが、中堀の一部や内堀とその内部の石垣は当時のまま残されており、玉藻公園として市民の憩いの場になっています。

37年前、訪れたときには、天守台には、明治35年に建てられた初代藩主松平頼重を祀った玉藻廟が鎮座していました。

ここ高松城は、天守の古写真が残っており、昭和の時代から我が町にも天守を!と過去2回復元運動もありましたがどれも失敗。

平成8年には高松城跡保存整備基本計画が策定され、平成23年には追加修正されて、往時の海城を再現する計画が少しずつ現在も進行中です。
この基本計画によると、古写真の残っている北西隅に海に面してあった鹿櫓と多聞櫓の復元、現在移築現存している艮櫓の元の位置への再移築。今艮櫓が建っている位置にあった太鼓櫓の復元。戦災焼失した桜御門の復元、大手前地区の中堀の復元などが計画されています。もちろん天守の復元はこの計画のメイン事業です。

平成21年に発足した「高松城の復元を進める市民の会」の積極的な活動により、10万人の署名を添えて文化庁に提出するなど、再度天守再建に向けて動き出しています。

余談ですが、天守などの歴史的建造物の復元には二種類あって、名古屋城天守や高松城天守が目指しているのが復元といわれるものです。これは外観などが古写真などで正確にわかり、内部に関しても図面や写真によって構造が解るものでないと文化庁からの建設許可は出ません。
もうひとつは復元的整備といわれているものがあります。これは外観などが古写真や、絵図である程度わかっているのですが、内部構造などが詳細にわかっていない建造物が対象になっています。しかし、この復元的整備は基準となるものがなく、あやふやなものとなっています。
全国で古写真や絵図の残っている天守や、櫓、門などのほとんどがこれにあたります。
天守でいうと名古屋城▪岡山城▪広島城▪大垣城の4つの天守しか文化庁のいう復元の許可はおりないというのが現状です。

しかし、前述の市民の会の活動がきっかけになって、文化庁ではこの復元的整備の新たな基準を決めようと去年の秋から有識者と共に協議を開始しています。
ここ高松城天守のように天守や櫓、門など復元にあと一歩なんだけど、なかなか復元できないという全国に散らばるお城に、新たな復元的整備の基準が一つの光となることを祈るばかりです。


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城好きのメガネ

「諫早城」 (2019/03/10 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
戦国時代に西郷尚善が築城した山城である。本明川を天然の水堀とし、土塁や空堀で防備を固めた。1587年、西郷純尭は、豊臣秀吉の九州征伐に参陣しなかったため所領を没収された。その後、諫早城は、龍造寺家晴に与えられ、家晴の子、直孝は名を諫早氏に改め、幕末まで存続した。茂門の代に財政難のため麓に諫早陣屋をおいたとされる。現在、諌早公園として整備されており、国重要文化財の眼鏡橋が園内に移築されている。

<アクセス>
JR諫早駅 徒歩15分

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チェブ

本日、看板びと。 (2019/02/17 訪問)

足利 尊氏公の弟、直義さんに仕えた淵辺 (渕辺)義博さんの「淵野辺城」に行きました。

まず、住宅街の道が細く見通しが良くないので迷いました。「渕辺 義博居館跡之碑こちら」と親切な案内板がありましたが、やはり迷いました。
やっと見つけた「淵野辺城」はアパートの裏側と水道施設に挟まれてました。
遺構はありません。細い道をゆるく登ったので高台にあったんだよね、とザックリ確認し退陣しました。

車はもちろん自転車も見通しが悪いので気をつけて通行しましょう。

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カルビン

資料館から離れてます (2016/03/20 訪問)

その位置からして、何故ここが千葉県?と言いたくなる程県内北西ギリギリにある関宿城。
先日茨城県の逆井城upした際に関宿城の移築門がある事も書きましたが、両城は10km離れておりません。
電車の駅からは遠く、バスも本数少なかったハズなので、関宿城だけを目的にしない場合は車で訪問された方が良いです。

関宿城博物館はあくまで博物館なので、リアルなお城を探すも・・・2回訪問して見つけられずorz

また草木の少ない季節に三度訪問し、やっと本丸跡地と石碑を見つけましたε=(´Д`;)

しかし得に遺構が残っている訳でも無く・・・おそらく関宿城のあった場所は利根川が江戸川と分岐する場所にある為、川の整備の為に整備されてしまったんだと思われます(もしくはそもそも河川際にあった平城だったので、天災で消失した可能性も)


皆様は関宿城訪問されるなら、本丸1:博物館9くらいの比重で宜しいかと(笑)

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白桜

雪! (2019/03/14 訪問)

前日雪が降った七尾城。3月で雪景色の城が見れるなんて!朝早く行ったので誰もいなかったのも雪が踏まれてなくてきれいでした。石垣凄かったです。本丸からの眺め最高でした!駐車場から近いとこに本丸とかあるので、時間なくても楽しめる。今度来たときは山の装備もってきて麓から登りたいです

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todo94

続日本100名城スタンプ99個目① (2019/03/09 訪問)

国史跡の大内氏遺跡のひとつです。築山館に隣接と云って良い龍福寺がその故地です。龍福寺本堂は重文に指定されています。土塁や庭園が整備されていますが、続日本100名城としては高嶺城とセットでないと役不足かと。ということで、続けて高嶺城に向かいました。高嶺城は大内氏館からもよく見えます。

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小城小次郎

洲本城

続100名城だが、そもそも100名城に選ばれなかったのが不思議なくらい。天守台の上に天守台を作っちゃったのは賛否あるとは思うが、あの天守はあの天守で私は好きだ。

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くろもり

お城にお参りへ (2014/04/13 訪問)

投稿日の今日、3月13日は上杉謙信公の旧暦での命日(天正6年3月13日)です。
旧暦の命日を現在の新暦にすると1578年4月19日が命日になります。

後北条氏から上杉氏の養子となった上杉景虎公は、旧暦の天正7年3月24日が命日で、新暦にすると1579年4月19日。

御館の乱で景虎公を破った景勝公は、旧暦の元和9年3月20日が命日で、新暦にすると1623年4月19日。

不思議なことに新暦にすると4月19日が三公の命日となります。

命日には少し早かったのですが、新暦4月13日に三公に縁のある春日山城へお参りに行きました。

丁度、桜が咲いている時期で、実城(本丸)跡にはたくさんの人が桜の写真を撮っていましたが、桜よりも上杉三郎(景虎)宅址の石碑の下に、真っ赤な薔薇の花が一輪手向けてあったのが印象に残っています。

私はやはり謙信公となってしまうのですが、景虎公を想う方もいるのだなと思うとともに。三ノ丸屋敷跡の説明にある「今、春日山城の中で最も注目を集めている所である」の説明は本当なのだと実感しました。
※小説『炎の蜃気楼』の主人公が景虎公なので、そのファンの方が薔薇を手向けていったのだと思います。

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