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ぴーかる

日野中野城 (2019/11/17 訪問)

【日野中野城】
<駐車場他>日野川ダム公園駐車場無料
<交通手段>車

<見所>切通し・石垣
<感想>蒲生氏郷の祖父定秀の築城、氏郷が1584年に伊勢国松ヶ島に転封後、二人領主を変え、1600年に廃城、江戸時代に入り城内に市橋氏が仁正寺藩立藩、陣屋を建て明治まで続く。
 本丸跡はダム公園の駐車場~住宅地に城跡碑がある辺りと思われるがそれらしい遺構は残っていない。残る遺構は本丸跡北側の土塁・石垣切通しと階段状の石積み・空堀・水堀の一部がある。仁正寺陣屋跡の石積みも残っている。堀切のある土塁上にはそれぞれ神社が建てられている。説明板の縄張り図(大正6年実測図)と残る北側土塁の高さからみてここも主郭の四方を高土塁で囲んだ城だったが石積みみ、切通し石垣、深い水堀等、有力豪族が造った城らしいところもあった。
 ちょっと北上したが、日帰り甲賀市城攻めの旅7城目。

<満足度>◆◆◇

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とってぃ

雪のため… (2019/12/31 訪問)

麓の看板まで

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とってぃ

この辺らしい (2019/12/31 訪問)

看板はないが、高昌寺の裏辺りらしい

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城好きのメガネ

「古河公方終焉の地 古河公方館」 (2019/12/29 訪問)

<オススメ>★★★★☆
古河は足利家の直轄地であり、政治・文化・軍事の重要拠点であった。古河公方館は足利成氏が大拡張を行い、南北1800m、東西550mにおよぶ大城郭へと発展させた。西を渡良瀬川、東を広大な水堀が囲い、防御だけではなく、交通・物流の拠点となる。戦国時代には北条氏綱は息女を足利晴氏に嫁がせ、義氏が生まれる。古河公方家の権力を手に入れた後北条氏にとって古河は関東の中心地ではなく境目の城となる。北条氏照が栗橋城に入ると古河城を後北条氏の家臣が牛耳ることになる。小田原征伐後、後北条氏が滅亡し、豊臣秀吉が古河城の破却を命じ、廃城となる。現在、土塁などが残されている。

<アクセス>
JR古河駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「古河城」 (2019/12/29 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
古河城は、徳川家康が関東入りした際に、娘婿である小笠原秀政が入封した。古河城は、東北の外様への備えの一翼を担った。 徳川将軍による日光社参では、岩槻城・古河城・宇都宮城に宿泊した後、日光に入ることを恒例とし、将軍の宿城の一つとしても重要視された。また、藩主が頻繁に交代するが、大老の土井利勝・堀田正俊、老中の永井尚政・松平信之・本多忠良・土井利厚・土井利位など幕政に参画した。特に、土井利勝は、食糧・薪確保のために江戸の家臣の子息たちに桃の種を集めさせ古河に植えさせた。幕末には、勤皇か佐幕かに分かれたが、最終的には勤皇となる。新政府軍に恭順した。現在、旧古河城乾門が移築現存している。

<アクセス>
JR古河駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「県史跡 足利政氏館」 (2019/12/29 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
古河公方になった足利政氏の館跡とされる。足利政氏は5代鎌倉公方であり、初代古河公方となった足利成氏の嫡男である。政氏は関東管領家と連携し、新興勢力である伊勢宗瑞と対峙した。しかし、政氏が関東管領と連携を強化するものの、嫡子の高基は相模の伊勢宗瑞との結びつきを画策し、父子の対立が表面化した。さらに、次男の義明が高基と対立し、安房の里見や真里谷の支援を受け、小弓公方として独立する。1516年、高基に古河城を攻められ、小山家なども離反し敗北する。後継の座を高基にゆずり、甘棠院に隠居した。現在、土塁や空堀が残されている。


<アクセス>
JR久喜駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「久喜陣屋」 (2019/12/29 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
徳川家譜代大名の米津政武が立藩した。5代米津通政が移封する際に陣屋を廃したとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR久喜駅 徒歩15分

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赤い城

千本城の出城 (2019/12/30 訪問)

登城口のところに空地があり、そこに駐車。
特に看板や説明板もありませんでしたが・・・。
ここも台風の影響で倒木が多い。
登城道から右に登ると祠があり、さらに急な坂を登るとまた祠。
この郭が二条の台と言われる主郭のようです。
小櫃川に囲まれた要害性の高い城のようです。

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todo94

歴史の道 (2019/12/27 訪問)

幸地グスクの説明板だけでなく、「歴史の道」の説明板もありました。首里城と中城を結ぶ歴史の道の中間に幸地グスクは位置しています。三山鼎立時代には重要な道だったとのこと。晴天に恵まれたこの日ですが、流石に夕刻にはかき曇ってきていました。

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生太郎

曇天の大阪城 (2019/12/19 訪問)

仕事の合間に大阪城に行って来ました。

大阪城の建物に関する史料を探して、色々と妄想したくなりました。

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ぴちょまる

川越 (2019/12/28 訪問)

有名な時の鐘から、東へ向かって約1kmの所に、川越城の本丸御殿がある。
到着したのが遅くて、外から眺めるだけ(^_^;)

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にのまる

固い! (2019/12/06 訪問)

こんな年の瀬になんかちょっとあれですが、紅葉がきれいだった中村城です。
江戸時代の相馬氏の居城だったという認識だけで行ったのですが、坂上田村麻呂が801年の蝦夷との戦いのときに守りの城(館)として築いたのが最初だったそうです。
壮観な鉢巻石垣が本丸にあります。土塁と水堀もキレキレです。枡形あり、食い違いありで、虎口の形状を見ているだけでも楽しめます。本丸から赤橋を渡ったところにある丸土張り(馬出)が小さいながら印象的でした。水堀に囲まれた郭、天守や御殿があった本丸など、解説を読みかつての姿を想像しながら歩きました。
仙台まで行ってからぐるっと戻ったのでなかなか遠かったですが、個性的な縄張りを楽しめ、行ってよかったと思いました。

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ヨッシー

万里の長城みたい!? (2019/02/09 訪問)

石垣が立派で迫力満点です!
海外の方が多いので、中国に居るような錯覚を覚えて、
面白かったです。
謎のおばあちゃんが居ます(笑)

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ヨッシー

石垣が素晴らしい!! (2019/02/11 訪問)

あまり知られていないのか、我々だけでした。

石垣が独特でゴツゴツ感が凄かった。
高さにも圧倒されます。(写真では伝わりにくい(^_^;))
いい意味での裏切られ感に感動します。
興味のある方は是非行ってみてください!

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水門 (2019/12/29 訪問)

紀伊田辺駅から徒歩に登城しました。
錦水公園として水門と石垣が一部残っています。

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馬谷合戦 (2019/12/29 訪問)

 草堂寺の横の小道から歩いて登城しました。
しばらく歩いていると右側に案内板があります。主郭までの登城路は一部足場が悪い場所もありますが、概ね整備されています。紀勢自動車道が城址の東側の曲輪の下をトンネルで貫通しています。その周囲にも竪堀があるらしいのですが、シダ類で覆われ見にくかったこともありますが道路に落ちそうで怖く近くまで行って確認できませんでした。この城の魅力は北から西にかけてある畝状竪堀です。シダ類等により見えにくい所もありましたが、何とか確認できました。

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安宅氏の詰城 (2019/12/29 訪問)

 安宅本城の詰城です。
城域は整備され見学しやすくなっています。縄張りもよくわかり、土塁などの状態も良好です。特に空堀は深さをある程度保って長く残っていていました。特に北側の尾根を断ち切る様に堀切となっている空堀は圧巻です。
コンパクトですが期待していた以上の城址で、2時間近く散策してしましました。安宅本城から歩いて5分くらいの所に八幡神社があり、その裏に登城口があります。

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安宅水軍 (2019/12/29 訪問)

 紀伊日置駅より徒歩にて行きました。
安宅橋を渡った所に標識があります。その下に見える所が城址です。民家の下に見える石垣が遺構だということです。

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紀州最大級の山城 (2019/12/28 訪問)

 和歌山県最大級の山城であり、主要な曲輪近郊は公園として整備されています。本丸、二の丸、水の手曲輪、西の丸、東の丸は容易に見学できます。ここの城址の見所は堀切だと思っています。「古城行道」の碑のある所から上がって行きますと左側に西の丸からの尾根にある堀切を見ながらの登城となりますが冬でも藪になっていて見づらかった。東の丸の先、あるいは北側の尾根にも見ごたえのある堀切があります。ただ明瞭な道があるわけでもなく少し行くのに苦労しました。それでも全体としては非常にいい城址だと思います。

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城山と本丸 (2019/12/28 訪問)

「城山」と「本丸」とあります。
「城山」へは案内板の反対側の鋪装された道を三寶寺の門前を通り抜け尾根まで上がり、後は道なりに進みます。突き当りを右へ入りと城域となりますが、藪になっています。主郭の土塁はわかりますが、堀切があるとの情報でしたが藪のため確認できませんでした。
「本丸」へは一度下山して主要道路側の道を上がりました。城址までは道も整備され辿り着くことができます。しかし土塁などはわかりますが、こちらも藪で詳細はわかりにくかった。
写真は2枚目から4枚目が「城山」、5枚目から7枚目が「本丸」の写真です。

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