6月の九州遠征前の、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城(PART3)です。
のんびりホリデーSUICAパス八高線&相模線8城巡り7城目は梶原景時城です。
寒川駅より徒歩10分ちょっとで鳥居前(35.364538、139.381832)に着きました。
梶原景時城は平安時代末から鎌倉時代にかけて活躍した武将梶原景時の館があったと伝承されています。
梶原景時(かじわら-かげとき)は鎌倉幕府の御家人で、平安時代後期の1140年頃に生まれました。
父は梶原景清で、母は横山党・横山孝兼の娘です。
1180年8月、源頼朝が挙兵し、石橋山の戦いとなった際には、反対勢力である平家側の武将として戦っています。
この時、敗れた源頼朝は山の中に隠れたのですが、大庭景親らと探索するなか、梶原景時は土肥の椙山にある「しとどの窟」に隠れている源頼朝を発見します。
しかし、梶原景時は情をもって、この山には誰もいないと大庭景親に報告し、源頼朝の命を救いました。
源頼朝が鎌倉幕府を開くと、この時の事が縁で、梶原景時は重用されるようになります。
1189年7月の奥州合戦にも、梶原景時と嫡男・梶原景季も参戦し、藤原泰衡を討伐します。
1192年には、和田義盛と交代する形で侍所別当に就任します。
1199年に源頼朝が死去したあとも、梶原景時は宿老として2代将軍・源頼家に重用されました。
この頃の梶原景時に与えられていた所領が、寒川の梶原景時屋敷跡の場所と言う事になります
しかし、文武に優れていた梶原景時も、侍所別当として御家人らを取り締まる立場であったことから、恨みを買い和田義盛ら66名が連判状を大江広元に提出させ、将軍・源頼家に言上します。
そのため、鎌倉追放を言い渡された梶原景時は、京に逃れる為、1200年1月20日に、この相模国一ノ宮(寒川)より一族を率いて出発しました。
その途中、駿河国清見関(静岡市清水区)近くで飯田家義らに発見され、狐崎の戦いとなりますが、一族33名と共に梶原景時や梶原景季も討たれました。
その3年後には、将軍・源頼家も北条時政によって将軍職を追放・暗殺され、代わって源実朝が将軍になりますが、北条時政が幕府の実権を握る事になりました。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で中村獅童さんが演じられている梶原景時。冷徹な感じがしますが教養があって知識人なんですね。
現在、館跡地には一之宮天満宮が建っています。
攻城時間は5分くらいでした。
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