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朝田 辰兵衛

日の入城(新潟県上越市) (2022/05/03 訪問)

【ひのいり じょう】標高:313m,比高:113m(シーサイドパーク名立の最下部より)。日本海へ突出した名立の地形を生かした,春日山城海上警備の支城。また,地理的に狼煙の中継も兼ねていたと思われます。
アクセスは,シーサイドパーク名立より三角台を目指します。シーサイドパーク名立の最上部から50mほど戻ったところに遊歩道の入口があります。この遊歩道が登城道。三角台が主郭となります。主郭周辺が整備されれば,絶景が広がり,ヤブに隠れた堀も姿を現すことになると思います。主郭の手前と奥に小規模ながら削平地が見られました。手前の削平地は,ほぼほぼ監視用と思われます。

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まーやん

俺様に過ぎたる城 (2022/05/02 訪問)

はい、例によって家族旅行のついでに寄っただけです。
はい、制限が厳し過ぎて今回もマーキングだけです。
たった40分なのに…この後ゆるキャラに会うために登らずこの地を後にいたしました⤵️
戦果は三成像のみでございますm(__)m
毎度毎度新幹線から佐和山城跡の看板を眺めながら、いつか自分も、と思っておましたが、私には過ぎたる城であり、スルーしてしまいました。

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トマト

御城印 (2021/11/21 訪問)

御城印いただきました。

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おっちゃん

駿府城案内図 (2014/03/31 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

春日山城跡案内図 (2016/12/04 訪問)

現地案内板より抜粋。

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まにまに

天守台発掘現場は必見 (2022/05/03 訪問)

さすが大御所様の城だけあって天守台が大きい!
発掘現場では天正期と慶長期の天守台の石垣が同じ場所で見られるなんて素敵すぎるぅ〜。石の積み方が明らかに違うのがよくわかる。慶長期の天守台の高さを示したポールを見上げて、ここにあったであろう天守を想像するとゾクゾクしました。天守のほぼ中央に井戸があるのも珍しい。
再現された隅櫓も面白かった。
城内の売店で食べた静岡おでん美味しかった(๑¯◡¯๑)

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刑部

【城と生き物】 (2022/04/30 訪問)

イベントで猿まわし! 一生懸命 芸をしてました!

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刑部

【城と生き物】 (2022/05/02 訪問)

私のそばに寄ってきましたよ!

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刑部

【城と生き物】 (2022/05/03 訪問)

わかりますか? 鳩が🐦休憩してます!

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にのまる

【城と生き物】

春ですねー

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くっしー

江戸城しか勝たん (2022/04/02 訪問)

江戸城に勝る城はありません。これこそ最強の城ですよ!!
今までいろんな城を見てきましたがこの規模のお城はないです。
歩いて一周しようかと思ったのですが、途中で断念しました。
大きさも凄ですが、舌状台地の先っぽにお城があるので、東京駅の方から北の丸の方まで歩いていくと結構な高低差のある坂になっています。これに私の体力は奪われました。これは攻める兵士の気持ちを考えれば大変だと思いますよ!!
種類の異なる石垣を見ることができましたし、石垣ではなく切岸になっている部分もあります。
凄まじい大きさのお堀もあります。
要するにもともと自然の要害であった江戸城が徳川家康によって近世城郭らしいお城に改修されたということですね。もちろんその自然の要害の部分を残しつつです。

これは幕末によく無血開城しましたなぁ~と思いました。
立て籠れば数年は余裕で持ちこたえられますよ。
でもそんなことしたらその後の日本の発展はなかったでしょう。
徳川慶喜、勝海舟、山岡鉄舟、西郷隆盛あたりはそのことがよくわかっていたんだと思います。
今回、江戸城を訪れてそんなことを感じました。

残念なことが一つ。太田道灌が築いた江戸城はどんなのだったかを知ることができないということです。
この広大な台地をどんなふうに使ったのか。どんな中世城郭だったのか。知りたいなぁ~

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イオ

香川元太郎 迷路絵本展 ―歴史考証をもとに― (2022/04/30 訪問)

城びとのイベント情報でも紹介されていますが、奈良県立万葉文化館で開催中の特別展「香川元太郎 迷路絵本展―歴史考証をもとに―」に行ってきました。香川元太郎先生は歴史考証イラストはもちろんのこと、迷路絵本シリーズの作者としても知られ、うちの子(小学生)も図書館であれこれと借りてきては挑戦していますので、GWの家族でのお出かけとして…という名目で、実のところは、この日に開催された香川先生の「歴史考証イラスト」講演会を真のお目当てに出かけました。

会場には150点に及ぶ迷路原画が展示され、子どもは大喜びでまだやったことのない本の迷路やかくし絵に挑戦しているので、なかなか先に進めません。そうこうするうちに講演会の時間になりましたが、子どもをほったらかしにして行くわけにもいかず、講演会は泣く泣くあきらめることに…。その分、迷路原画とその先に展示されている歴史考証イラスト51点をじっくり見て回ることができましたので、それはそれで悪くはなかったんですけどね。

それにしても、普段は美術館や美術展にはほとんど行かないんですが、印刷物で見たことのあるイラストでも原画で見るとひとつひとつの精緻な筆づかいが感じられて、改めて素晴らしいなぁ、と。その勢いでミュージアムショップで以前から欲しかった「日本の城」と「戦国の城」を購入し、講演会の後のサイン会で香川先生にサインしていただき、城郭イラストのポストカードまでいただいて、講演会の無念さを差し引いても大満足の迷路絵本展でした。

…ただ、自分の本だけを二冊も買ったため、子どもからは「自分だけずるい!」と叱られてしまいましたが(笑)
 

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千田嘉博先生の講演会の前に攻城 (2022/04/30 訪問)

上津部田城は、北に伸びた丘陵の先端に築かれています。
講演会が行われた三重県文化会館大ホールの西の一画に有り、発掘調査の結果公園として整備保存されております。
洞門の上から南にかけて、主郭跡が有り空堀、土塁、井戸が残り、建物跡が平面復元されております。
東西に約100m、南北に約180m、面積約8.000㎡の広さが有りました。
主郭の北東隅に虎口跡があり、門跡もあった。
土器や古銭などが出土しています。
主郭の北側に小さな平坦地の2郭、南側には堀を挟んで30m四方位の3郭、東側には巾10m深さ4mの堀を挟んで細長い形の4郭が有りました。
城主については、記録が有りませんので分からないのですが、戦国時代に築城されて数十年ほど使用されたと思われます。

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赤い城

お寺の裏手に土塁が残る (2022/04/24 訪問)

米ケ崎城から徒歩で15分くらい。
東葉高速の飯山満駅とJR船橋駅のちょうど間くらいにあります。
長福寺が城跡で裏手の墓地から城址に入るところがありました。
以前訪問した際には柵が置いてありましたが撤去されていたので見学させてもらいました。
手作りのブランコがありましたがここのお子さん用に作られたものなのでしようか。
主郭だとしたら少し狭いです。
恐らくは住宅地となっている部分は削られてなくなったのだと思います。
城主は夏見氏ですが詳細は不明。
僅かですが遺構が残っているのが嬉しいですね。

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カズサン

天空の城郭・立体模型編 (2009/06/11 訪問)

 西の丸編からの続きです。

 岡城址山頂部の各郭、石垣を充分に堪能して立体模型が展示されてる、竹田市歴史博物館を訪ねました、目的の立体模型を見学撮影、模型でも胸は高鳴ります。
 岡藩、藩主中川氏の各種資料の展示、竹田市出身の作曲家滝廉太郎、日露戦争旅順港閉塞で有名な廣瀬武夫中佐の展示も有りました。

 資料館展示の岡城立体模型、岡城古写真を投稿します。

 長々とお付き合い頂きまして有難う御座いました。

 次は5城目佐伯城を目指します。

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カズサン

天空の城郭・西の丸編 (2009/06/11 訪問)

 家老屋敷編からの続きです。

 大手門を入って西側に一段高く広い場所が西の丸跡、西の丸御殿が広がって居ました、西の丸内部、周囲からの写真を投稿致します。

 続き(歴史資料館立体模型)へ

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カズサン

天空の城郭・家老屋敷編 (2009/06/11 訪問)

 主要郭編からの続きです。

 家老屋敷部へは、下原門跡、主要郭部を戻って、西中仕切門から籾倉跡、城代屋敷、家老但馬屋敷、清水谷を回り込んで家老中川民部屋敷、普請方屋敷、詰りの家老中川覚左衛門屋敷と巡り見学探訪しました。

 投稿写真は、家老中川覚左衛門屋敷の発掘調査の上、座敷間の状態で柱跡に半柱を建て畳寸法で各座敷を地表展示し屋敷を表している部分、詰めの北側の櫓台、家老中川民部屋敷、近戸門跡から中川民部屋敷西側の石垣土塁、家老但馬屋敷手前の朱印倉跡石垣です。
 家老中川覚左衛門屋敷から東側に相対して三の丸高石垣が前面に良く観えます。

 続き(西の丸編)へ。

 

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チェブ

浮き城と御神木。諏訪神社の巻き。 (2022/04/10 訪問)

「忍城」の行田市郷土博物館側の道の向こうに『諏訪神社』の立派な鳥居があります。
前々から気になっていたので、お邪魔しました。

鳥居をくぐると「忍城」とは違った穏やかな空間です。
参拝している方々がいらっしゃいましたので、写真は説明板と鳥瞰図のアップのみです。

諏訪神社は、成田 親泰さんが「忍城」を築いた時に遷座 したようです。
時代はとんで明治の頃、「忍城」の取り壊しを命ぜられます。樹木まで全てです。
諏訪神社の杉から赤い生血のようなものが流れ、手出しできず現在まで残る御神木がありました。
余談ですが、ネット検索したら『木から赤い樹液』ありました。木の種類は違いますが、生血に見え怖いです。

鳥瞰図がありました。
「忍城」は沼地があった所に、島が点在した地形を利用して築城された事が分かります。
そして思っていた以上に「忍城」が広大な敷地だったのですね 。想像以上だったので驚きました。
鳥瞰図から、この諏訪神社も「忍城」の城内だと分かりました。

今回の諏訪神社訪問で、明治政府の徹底高圧と、神罰を信じる心の、違った戦を見たようです。

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にのまる

【城と看板】

一人で7か所……o((⊙﹏⊙))o.

熊も怖いけど小さいヤツも怖いです💦

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にのまる

【城と標柱】

最強の記録媒体ヽ(^o^)丿
大事なことは石に刻んで残したいφ(..)

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