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カズサン

【陸奥・展勝地】岩手県北上市 みちのく三大桜で満開堪能 (2010/05/02 訪問)

 前日の花巻城を終えて高速道で移動便利な北上JCT近くの北上市に宿を取り、翌日の城廻りの時間稼ぎの為早朝5時半頃から約1時間展勝地へ出掛け北上川東岸、珊瑚橋を渡り北のグラウンドの有る辺りに駐車し、北から南へ約1km程散策、早朝で光の関係で写真写りが余り良くありませんが投稿させて頂きます。

 展勝地は岩手県北上市立花10地割・・・こちらの方に現在は専用駐車場完備。 北上川の東堤防に南北1km以上に桜が咲き誇って居ます。

 みちのく三大桜名所は、ここ北上展勝地、青森県弘前公園、秋田県角館を桜の名所として皆さんから誉て居ます。

 清々しい早朝5時半展勝地は早朝の散歩、ウォーキングなどでそれなりに多くの人が出て居りました、季節は5月の連休2日、北上川にロープを張り鯉のぼりも川幅一杯に泳いでおり、桜は満開、鯉のぼりも共演と演出満載。
 大変良い景色名所を体験させて頂きました、青森の弘前城の桜は体験済み、角館は城廻りで行きましたが満開の桜は体験してません葉桜で終って居ます。

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やなぎぶそん

丸馬出のテーマパーク (2021/05/08 訪問)

ちょうど訪れた際、空には虹色現象である環水平アークが出ており、レアな現象に出会うことができました。一方お城の方は、丸馬出、三日月堀がこれでもかと配置されており、数々の丸馬出、三日月堀にはとても感動しました。土の城においては、最高峰のお城ではないでしょうか。整備もよく行き届いていることもあり、城郭の構造がわかりやすく、素晴らしいお城。

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にのまる

36見附めぐり㊲~大手三の門(下乗門)~

三の丸から二の丸への門で、御三家以外の大名は下乗橋の架かる水堀の手前で駕籠を降りなければならなかったそうです。(現在、水堀はありません。)
枡形の高麗門と櫓門の石垣が残っており、特に櫓門石垣の大きさに圧倒されます。一つ一つの石も大きくて、本丸へ近づいている実感が湧いてきます。
三の門と接して後方にあったもう一つの枡形は二の丸庭園(御殿跡)へ通じる銅門で石垣が残ります。本丸へはあと二つ厳重な門がありますが、二の丸へは二重枡形にすることで防備を固めていたことがうかがえます。
三の門の中には同心番所、門を抜けると百人番所が現存しています。百人番所の横に平屋の形をした植え込みがあるのですが、古写真を見るとこの場所には大名の供待ちの建物があったようで、頭の中がこれはもしかして植栽による建物復元なのか⁉︎となっています。

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じゅんじん

現存城門 (2022/03/02 訪問)

塩尻市の常光寺に移築現存されていました。
近くには北熊井城があります。よき堀です!

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じゅんじん

神社 (2022/03/01 訪問)

始め南側から行きましたがわからず北側の広い道沿いに停めていきました。3-2-1各郭がありわかりやすいですね。ただ雪(;^ω^)

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ダイエティシャン

桜の道100選から車で西に約10分 (2022/03/21 訪問)

桜の便りが届く季節ですが、こちらはまだ。

駐車場が、城跡の馬舎跡にあるのですが、昨年の豪雨で、道が崩れた為、そこまで車で行く事は難しいです。素人見では、道路は直しようがないような状態。

国道54号の桜並木に駐車スペースもあります。そこから、主郭まで、歩いて40、50分かかりそうです。

城跡には、【緑の桜 御衣黄】も咲きます。ソメイヨシノより、1、2週間、開花は遅いです。ソメイヨシノが終わっても、花見が楽しめる名所です。

城下の三刀屋川では、治水工事中。下流の斐伊川も、川の流れを大幅に変更する工事中。城跡も、将来、来たる豪雨に、打ち勝って欲しいものです。

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じゅんじん

神社たくさんの公園 (2022/03/01 訪問)

水路と土塁でお城があったことがよくわかります。佐久に用事があったついでによりました。ぴんころ地蔵を拝みました。

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じゅんじん

公園 (2022/03/01 訪問)

雪解け水で守備されていて靴の中が冷たい。
説明板が上ってすぐにありました。コンビニに停めて歩きました。

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ぴーかる

滝川城 (2022/03/05 訪問)

【滝川城】
<駐車場他>櫟野寺駐車場または<34.896268, 136.251771>のポイントに駐車
<交通手段>車

<感想>滝川城の築城年は定かではない。織田信長の宿老滝川一益が甲賀大原の出生とする説もあるが定かではないのでここに在城したかは不明瞭です。城跡は櫟野川の橋を渡ると右手に城跡の説明板が遠くに見えているのですぐ分かります。分かる遺構は単郭の方形曲輪が1つあるのみで土塁囲みではあるが甲賀地方によくみられる程の高土塁ではない。曲輪内に水堀のような水の手のような窪地があります。東側は柵がしてあり小さい腰曲輪がありました。まあまあの藪で十分散策出来ませんで、どこまでが城跡なのかよくわからず。

<満足度>◆◇◇

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織田晃司

うっさっ うさやまと (2022/03/20 訪問)

明智光秀築城といわれる宇佐山城。
石垣に目がいきがちですが、竪堀や堀切も凄い。

三の丸からの景色は絶景。

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BUCHI38

空堀・土塁編 (2022/03/21 訪問)

勝竜寺城の駐車場は沼田丸という場所に当たり、土塁が一部残っています。また、近くにある神足公園は勝竜寺城の入り口にあたり、空堀と土塁が残っています。これは細川藤孝がつくったそうです。ここにはかつて土橋があったとされ、土橋を通る時空堀と土塁に閉じ込められた敵を左右から土橋へ集中攻撃をすることができます。神足公園はローソンが近くにあり、僕はローソンに車を止めていきました。

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POYO58

行きたかった明智光秀の城③ (2022/03/21 訪問)

細川藤孝が堅固な城に大改築した。細川藤孝の継子、細川忠興と明智光秀の娘、明智玉(細川ガラシャ)が結婚式を挙げた。また明智光秀が山崎合戦の時雨のため鉄砲が使えなかったためこの城に逃げ込み、最後に全力で鉄砲を撃って戦っていた。その後坂本城に敗走するところ小栗栖で農民に殺害されたと伝わっている。しかし、そんな資料は明智光秀の資料からは見つかっていない。豊臣秀吉が決めつけたとの説もある。他に考えるのは生存説である。代表的なものは天王山を通って大阪の本徳寺に逃れ出家し天海と名乗ったという説がある。定かではないが僕はこれを信じたいです。

勝竜寺城本丸には模擬櫓が建っています。石垣は模擬が多いですが、一部現存しています。枡形虎口も残ってます。城びとには石垣が現存とは書かれていません。また、少し離れたところに神足公園がありそこが勝竜寺城の入り口とされています。そこには立派な土塁が残っています。
御城印は長岡京駅の観光センターに売ってます。城には売ってません。

評価(1〜5)
遺構:3(思ったより残っていました)
建物の美:2(ちょっと城らしさがないのが残念)
行きやすさ:4

攻城時間
勝竜寺城全般だったら30分、山崎合戦関係のところも行くなら90分くらい

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カズサン

円城寺門が現存し本丸西門が復元 (2010/05/01 訪問)

 中々行けなかった東北城廻り前日の北陸、金沢城復元河北門、小松城を終えて東北城廻りの初めを花巻城に定め目的の現存円城寺門を目指して車を進める、車は三の丸公園の北側の駐車場利用、その直ぐ北が移築円城寺門が殿と座って居ます、三の丸公園には桜も咲きしばし眺めて骨休み。
 本丸復元西門の有る花巻小学校へ、車は周辺廻って車の往来も少なく武徳殿辺りの駐車場を利用。

 花巻小学校校舎とグラウンドの間の道をやや北に進み復元本丸西門へ平成6年に復元された、本丸に入りるさほど広くはない、北は崖で落ち込み瀬川へ、南は水堀が残ってる、西の水堀は復元か?北から本丸、二の丸、三の丸と悌郭式に東の北上川へ延びる台地に築かれている。

 歴史的には安倍氏の城柵との伝えも、稗貫氏が築き奥州仕置きで小田原に参陣しなかった稗貫氏は領地没収、稗貫氏一揆もあったが南部氏の領有に南部政直が慶長18年(1613年)城主と成り近世城郭に大改修。

 以前より城ガイド等に復元本丸西門が載って居ましたので是非見たいと常々思って居りましたがやっと願いが叶いました。でも遠い。

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higekam

白旗城の支城、駒山城 (2022/03/20 訪問)

利神城から帰る途中、JR上郡駅あたりの車窓から見た山容が特徴的で山城に間違いなし!と調べた結果、駒山城と判明。
『お城情報』にはないが、白旗城の支城と言われており、後日早速登城。

二こぶラクダのような山頂部で、右の落葉樹がめだつところが本郭、左はしに常緑樹が群生しているところが二郭。
(1) 本郭は最高部にあるが円形状で狭い。部分的に石組みが残る。
(2) 二郭は三段構造で細長く、本郭の四倍以上広い。石組みはもともとなさそう。
(3) 興味深いのは本郭と二郭をつなぐ部分。連絡橋のように細長く両側が切り立った崖に加え、中央に空堀を配置。随所を石組みで固めていた形跡がある。
これを見ただけで足を運んだ価値はあった。連絡橋と書いたが相互連携を難しくしているようにも見える。

なお、入手した資料によれば北側急斜面に石垣があるようだが、急斜面に怯んでしまいギブアップ!

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背後に続く尾根方向を五重の堀切(+害獣柵)で防御 (2022/03/20 訪問)

背後の山塊から派生した尾根の先端に向けて、段々に郭を配置し、尾根の根元方向には鞍状になった部分に五重の堀切を設け、防御しています。本郭に一番近い堀切と一番外側の堀切が深く掘られています。五重の堀切を全て見ようとすると本郭に一番近い堀切の底の害獣柵を乗り越える必要があります。
2019年に訪問された国重さんの投稿写真にも害獣柵が写ってました。その後、本郭背後の堀切部分は藪化が進行中。本郭切岸に虎ロープが垂らしてありますが、ほとんど埋まってました。郭群は遊歩道もあり良く整備されています。

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カズサン

三代加賀藩主前田利常公の隠居城 (2010/04/30 訪問)

 小松城は一向一揆門徒武将若林氏築城に始まり柴田勝家の攻撃で落城、織田信長より村上頼勝を城主とし慶長3年(1598年)越後本庄(村上市)に移封、丹羽長重が12万石で入封、丹羽氏関ヶ原で西軍に属し利長と交戦し利長に降伏、以後前田氏の持ち城、元和の一国一城令で廃城したが寛永16年(1639年)加賀前田藩三代目藩主前田利常の隠居城として幕府に許される整備改修された、利常は約20年余生を風流風雅に過ごし万治元年(1658年)に亡くなった、以降は城番を置いて明治を迎える。

 城の形態は梯川の低湿地の湖沼に浮かぶ島々を活用して本丸を二重に囲むような形状、現在は本丸西に切込接ぎの天守台が残っている、往時は天守台より一回り小さく二層三階の数奇屋風天守が建っていたとか? 素晴らしい天守台です。
 天守台西側に堀の護岸石垣が一部残っている、本丸跡は小松高校のグラウンド、校舎に成って居る、グラウンド南土塁上に本丸跡石碑が有ります。
 三の丸は現在芦城公園として整備保全市民の憩いの場です、小松城を改修再建した三代前田利常公の銅像が公園内に立って居ます。

 12年前の平成22年4月下旬、金沢城復元成った河北門、いもり堀を観察探訪の後、小松城に寄りました車は本丸土塁本丸跡石碑の有るやや広い道へ路駐し駆け足探訪、三の丸跡芦城公園は公園西の道が一部駐車場に成って居りそこを利用。

 前回の2021年10月5日投稿2012年10月15日登城を初登城を記しましたが記憶は何と信頼できません2年前の2010年平成22年の4月30日に登城して居ました、申し訳ございません。
 

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やなぎぶそん

天守の中にプラネタリウム (2021/08/08 訪問)

模擬天守の中に高性能なプラネタリウムがあり、とてもきれいでした。また、道路を挟んで向かい側には、茅葺屋根集落の歴史民俗資料館があり楽しめます。

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todo94

県内の城めぐり2022④ (2022/02/27 訪問)

予備知識無しに訪れたのですが、こんなにすごい城だとは思いませんでした。さすがに県の史跡だけあります。毎年、大晦日に選定しているその年に初めて訪れた城の中のベスト3に間違いなく選定すると思います。リーフレットも用意されていて言うこと無しです。

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織田晃司

余談ですが… (2022/03/20 訪問)

大津城外堀石垣は丸屋町商店街の大津祭曳山展示館横の駐車場奥にあります。

余談ですが…
同じ丸屋町商店街に坂本龍馬ファンなら知っている寺田屋女将・登勢の実家の碑があります。

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宗春

石垣山一夜城 (2022/03/21 訪問)

お隣のヨロイヅカファームに行こうと妻を連れ出し、青春18きっぷを使って来ました。
妻がヨロイヅカファームで並んでケーキやパンを買っている間に攻めてきました。ボランティアの見学ツァーに参加したので90分ほどかかってしまいましたが。

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