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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:古池城 (2022/06/10 訪問)

菊之城からの転戦です。浦田墓地石碑付近(32.951747、130.802209)に路駐しました。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、出田氏累代の居城と伝えられています。出田氏は菊池氏三代経頼の孫経信から始まるそうです。
天文年間(1532年〜1555年)に城親賢、天正年間(1573年〜1592年)に城親冬が在城したとも伝えられています。

主郭の中心に古墳状の土壇と祠があるのみで、遺構はよくわかりません。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=神尾城に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:菊之城 (2022/06/10 訪問)

戸崎城からの転戦です。道路脇(32.969539、130.806347)に路駐しました。田んぼの小高い所(32.970089、130.806635)に説明板と城碑があります。

築城年代は定かではないようです。延久年間(1069年〜1074年)に菊地則隆によって築かれたと伝わります。
十六代菊池武政のとき菊池城に居城を移した後は、菊池十八外城の一つとして利用されました。

田んぼの小高い所に石碑と案内板が建っています。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=古池城に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:戸崎城 (2022/06/10 訪問)

城林城からの転戦です。林道入口(32.971560、130.820233)から進入し、200m先にある弁財天入口付近(32.972573、130.821530)に駐車しました。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、鹿島氏累代の居城と伝えられています。

駐車した道路脇付近に城址碑があり、ここを東側に上がって行ったところが物見です。(攻城した時は、こちらが戸崎城と勘違いしていました)
駐車した場所から西側に上がっていったところに、弁財天が奉られている高土塁のような土台があります。
弁財天が物見だと勘違いして引き返してしまった為、主郭はみていません。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=菊之城に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:城林城 (2022/06/10 訪問)

隈府城からの転戦です。「木庭城址 この上」道標前(32.981409、130.829033)に駐車しました。そこから主郭まで100mくらいです。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、城主は城武顕と伝えられています。城氏は菊地一族で山鹿郡城村発祥とのこと。

城林城は別名=木庭城と云います。
本丸近くまで車道が延びていますが、「木庭城址 この上」に至るまでの道はとにかく狭いです。
本丸の東側に堀があり、畑になっています。撮った写真はピンボケが多く、投稿写真が少なくてすみません。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=戸崎城に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:隈府城 (2022/06/10 訪問)

隈部氏館からの転戦です。菊池神社駐車場付近(32.987925、130.8164651)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、正平年間(1346年〜1370年)に菊池氏によって築かれたと云われています。
菊池氏は太宰府官藤原政則の子孫とされ、藤原則隆のときに肥後に下向し菊の池城を築いたそうです。十六代菊池武政のとき、菊の池城から隈部城へと居城を移しました。
南北朝時代には、南朝の有として肥後国を中心に九州全土にその勢力をのばしましたが、北朝方の今川了俊が九州に下向してくるとその勢力は衰退しました。
兼朝の時、肥後国守護職を回復し戦国時代に続きますが、大友氏に破れ嫡流が途絶えました。
菊池氏が滅亡すると赤星氏の勢力下になりますが、隈部氏によって追い出され、隈部館から隈部氏が移り居城となりました。
隈部氏は北侵する島津氏に降伏しましたが、豊臣秀吉による九州征伐で秀吉に降伏し本領を安堵されました。
しかし、熊本に入封した佐々成政が検地を行うとこれに反発して挙兵し、成政が菊池城に押し寄せると城村城に籠もってこれに対抗しました。
これが、きっかけとなって肥後国衆一揆が広まり、成政は謹慎の後に切腹、隈部氏もまた嫡流は断絶しました。

菊池城は現在の菊池神社の境内に築かれていました。
菊池城の遺構の大半は消滅してしまっているようですが、神社の北側に巨大な空堀と高土塁が残されています。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=城林城に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:隈部氏館 (2022/06/10 訪問)

葛原城からの転戦です。隈部氏館跡駐車場(33.054801、130.796977)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、隈部氏によって築かれました。
隈部氏は大和源氏宇野氏の末裔で、菊地氏に仕え隈部の名字を与えられたと云われています。
隈部氏は菊池家臣団において城氏や赤星氏らと並び重要な地位にありました。
菊池氏が没落すると大友氏や龍造寺らと結んで勢力を拡大し、1578年(天正6年)には赤星氏を隈府城から追放し、隈府城を本城として移りました。
隈部氏はその後、肥後に入封した佐々成政に従いましたが、隈部親永は成政の検地に反発して挙兵します。
これが肥後国人一揆の発端となりましたが、豊臣秀吉が派遣した援軍に降り、隈部氏は滅亡しました。

隈部館は隈部神社の境内となっています。
主郭は広く庭園跡や礎石建物跡が残っています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=隈府城に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:葛原城 (2022/06/10 訪問)

五社尾城からの転戦です。葛原城1.6Km道標がある付近(33.011977、130.822523)から林道に入り、入口付近の駐車スペース(33.027178、130.828258)に駐車しました。そこから主郭まで100mくらいです。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、市野瀬氏累代の居城と伝えられています。

林道を進めば辿り着きます。そこからは案内標識に従って歩けば主郭はすぐです。
葛原城は現在、栗畑となっていて遺構はなく、説明板と石碑があるのみです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=隈部氏館に向かいます。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:五社尾城 (2022/06/10 訪問)

鷹取城からの転戦です。標識があるカーブミラー付近(33.019180、130.852359)に路駐しました。そこから主郭まで600mくらいだと思います。

築城年代は定かではないようです。菊池十八外城の一つとされ、城主は不詳ながら大和守大蔵久家とも伝えられています。

主郭の150m?くらい手前で蔦に阻まれ先に進めず、攻城を断念しました。
途中断念しましたが攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=葛原城に向かいます。

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零汰

石積あります (2020/11/28 訪問)

整然としている石積は綺麗で芸術作品の様に思える時もあるが、破損している石積や不揃いの石積、無造作感のある石積は近世の石積に比べると出来損ない感があるが、実はこちらの方が好みだったりする。こちらは城域自体はさほど広く感じなっかたが、その割に多くの石積が点在している様に感じました。

駐車場から二の丸に達するまでには一部急な坂道を登ります。いくつかの自然石の間を抜けると石積で補強している二の丸の虎口にたどり着きます。ほぼ全周に土塁があり石塁も見受けられます。樹木の関係もありますが本丸よりもが眺望が良かったです。

本丸にも大手と搦手以外の全周に渡り土塁が施され、各所に石積が点在しています。搦手から北側に向かうと案内図の位置に横堀などの遺構を見ることが出来ます。

所要時間1時間10分:1.8km:累計高低差216m

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ヒロケン

畝堀・障子堀 (2022/06/11 訪問)

山中城は、戦国時代末期小田原に本城を置いた後北条氏が築城した山城です。標高580m・城の範囲は東西500m・南北1000mにも及び、武田氏・今川氏との国境の境で、北条方西方の最前線の要の城として重要視されました。
その後、豊臣秀吉公と不仲になり秀吉公の小田原攻めに備え、急ごしらえで堀や岱先出丸等増築しましたが、増築が未完成のまま豊臣軍の総攻撃を受けました。北条方4千・豊臣方4万10倍近い圧倒的兵力の前に半日で落城したといわれています。

現在の山中城は、国指定史跡・日本百名城として土塁に囲まれた各曲輪・堀・北条の城の象徴である畝堀・障子堀が400年前の遺構がそのまま復元されています。駐車場・トイレも完備されており、各曲輪に説明板が設けられ、散策しやすい城跡です。

4度目の訪問で、此処から見る富士が自分は一番好きなのですが、この日は生憎の曇り空で富士を拝むことが出来ませんでした(>_<)
石を使わない土だけの山城ですが、見所満載の城跡です。(*^▽^*)

5月、八木城跡を訪問した際、登城口に城山登山者アンケートがBOXに入っており、回答したところ、「まんが八木城と内藤ジョアン」の小冊子が八木城観光協会から届きました(*^▽^*)ちょっと得した気分です。ありがとうございます。

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銀閣寺の裏山 (2022/06/18 訪問)

 銀閣寺の裏山が城址で、三好長慶に追われた足利義晴、義輝親子が京都奪還の足がかかりとして築いたとされています。土塁や浅くなってはいますが、堀切を見ることができます。水の手はどこだろうと思っていましたが、下山したときに大文字送り火の看板をよく見ると「道の途中の名水は中尾城跡の本丸より流れている水です」と書かれていました。どこに流れているのかわかりませんでした。予想していたより急峻な山で、足場も少し悪いところがありますが、登山道は概ね整備されています。大山出城を散策後、中尾城に行きました。城址を過ぎれば大文字山まで行くことができ、この日も多くの方が登山を楽しんでみえました。自分は城址から大文字山には行かず下山しています。

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残っていれば (2022/06/18 訪問)

 遺構は移築門等以外はないと思っていますが、3カ所石碑を見つけました。

 新型コロナウィルスも落ち着きつつあり政府も方針を変えたこともあり京都には人が戻ってきていますね。修学旅行と思われる学生さんたちを多く見かけるようになりました。

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城とマスク

愛知のお城巡り (2020/11/02 訪問)

岐阜から愛知に移動して犬山城へ行きました、見学してから食べた木曽川で養殖された鮎の塩焼きが美味しかったです。
マスクはメキシコ滞在中ローリンさんがホテルまで来て納品してくれたマスクです。

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にのまる

9/12城目 (2022/05/20 訪問)

善照寺砦から坂を下り、扇川を目指します。住宅が立ち並ぶ舗装道路で感じる山城(砦)感。関東平野や江戸の埋め立て地ではなかなか味わえないおもしろさがありました。所有者様のご好意により見学させていただける城碑。ありがたかったです。

中島砦の見学を終えた時点で15時50分。早朝5時台に東京の自宅を出立してから休憩なしで10時間以上経過しましたが、日没までまだ2時間余りあるのでそのまま鷲津砦・丸根砦・大高城に向かいました(=゚ω゚)ノ

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にのまる

8/12城目 (2022/05/20 訪問)

丹下砦から徒歩20分くらい。長い坂を上ったところの砦公園は山頂を削平したそのままが広場になっているように見え、ほかの児童公園では感じたことのない曲輪感がありました。周辺の段や眺望によるものも大きいです。信長がここから義元本陣を睨んでいたのだと思うと感慨深く、それだけで充分満足、目的を果たせました。

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にのまる

7/12城目 (2022/05/20 訪問)

鳴海城から徒歩15分くらい。目指すは住宅地の中の1枚の説明板。見つけられるかドキドキしながら下って曲がって上って彷徨いました。きっとそのあたり全て砦跡です。説明板の場所を提供してくださっている方に感謝です。

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にのまる

6/12城目 (2022/05/20 訪問)

星崎城からひと駅2分なので電車に乗るほどでもないなと思い歩いたら意外と遠かったです。
ここからラストまでの桶狭間2城5砦は歩いて実感することが目的なので、鳴海城跡公園への最後の上り坂はきつくもありうれしくもありでした。
天神社の城碑を確認し、丹下砦へ向かいました。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「根古屋城」 (2022/04/30 訪問)

埼玉県秩父市横瀬町にある「根古屋城」です。

「根古屋城」は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で活躍中の、畠山 重忠さんのお父様が居城してました。
その後、北条家家臣(*後北条の方)渡辺監物さんや、浅見伊賀守のお城になり、北条家滅亡と共に廃城したようです。
調べてみると根古屋絹は、浅見伊賀守が絹の生産を奨励した事が始まりなんだとか。
こちらは滅亡せず、現在も続く産業です。
根古屋絹は、秩父銘仙へと発展しました。

「根古屋城」、まず入口が民家の畑。農作業中の方に伺い、写真②から案内板に従いました。
「根古屋城」を正面に左から登り、グルっと40分位で回れるそうです。
15分~20分ほど遊歩道を登ると山頂の郭に着きます。奥は急斜面になっています。天然の要害かと思いましたが、石灰石採所があり崩されてます。
武甲山が見えます。写真⑦です。
昭和から現在に至る、たくさんの建造物の為に切り取られる武甲山。
「根古屋城」が活躍した時代は、どんな山だったのでしょう。
それでも、今も風格ある山です。

右ルートで下ります。左手に堀切が2ヵ所ありました。、、、藪の向こうでしたので、怪しいですが。
細長く平な所があり、土塁があります。奥は竹藪で、郭も竹の子達が顔を出してます。
虎口付近に、お墓がありました。
個人的に下って来た時の方が、遺構に出会えました。
登りは階段ばかり見てたので( ´∀`)

秩父のお城、全部 攻めてはいませんが、こちらの「根古屋城」、一番 印象的でした。
城びと、未登録ですが、、、。

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washin

津山城跡 (2022/06/08 訪問)

2022/06/08 初めてです。

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ぴーかる

ふとげじょう (2022/05/21 訪問)

【二曲城】
<駐車場他>墓地公園駐車場<36.358814, 136.598537>が登城口から一番近い。鳥越一向一揆歴史館でもよい。
<交通手段>車

<見所>曲輪・掘立柱建物跡・石垣
<感想>1泊2日富山城の旅1城目。富山までの高速道路途中下車し鳥越城・二曲城御城印購入と二曲城登城しました。
 二曲城は続百名城の鳥越城の大日川を挟んで南側に位置しています。同じく一向一揆の城で1580年鳥越城と共に落城します。登城口に説明板があり、登城路は整備されています。二郭・三郭は堀切を挟んで連郭、少し南に登り主郭があります。主郭の西側の谷に四郭(倉跡)があり石垣は見事です。登城口の縄張り図に四郭から五郭へ行く小道があるのだが現在は道の跡すら無い全く藪化してしまって行けなくなっています。

<満足度>◆◆◇

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