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零汰

終活1残雪:100城・続100・100名道、城郭巡りの記録 4・5日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡らないとダメなのか?そんな疑問と残雪を求めて名道を走る4・5目

3日目(20日)
本日は終日ライダーの日、甲府から本日の宿泊地の前橋に向かうのに、富士五湖・バイク乗りに認知度の高い道志みちと奥多摩周遊道路・大菩薩ライン・国道141号・コスモス街道から前橋に至る遠回りのルートを走行し到着。前日まで八王子城を経由して幾つかの城郭の攻城にするか悩んだが、今回は残雪欲が勝ってしまい八ヶ岳方面をチョイスし残雪を堪能した。

20歳の時は静岡に住んでいて、寮で大河ドラマ「真田太平記」の総集編を見て影響され、清水から見延を抜けて甲府経由で上田城を見に行った事を思い出す。意識して城郭に足が向かったのは初めての事だった。上田城責での丹波哲郎の「まだまだ~」「まだまだ~」の場面が今でも忘れられない。丹波さんは生前、霊界を彷徨わなければ渋い役者さんでしたよね。因みに大河は20数年見ていません。

4日目(21日)
前橋のホテルを5時に出て国道122号でいろは坂を目指す、早朝で車はほとんど無く川沿いの雰囲気が良かった。中禅寺湖、戦場ヶ原を抜け湯本温泉。この周辺は残雪が美しい。赤城山に向かうのに金精道路を通りたかったが冬季閉鎖の為に引き返し、いろは坂の下りを通り来た道を通る。赤城道路を南から登り沼田城を目指す。赤城道路の特徴は路面のウネウネ、城郭のウネウネを見るのは心地よいですが、路面のウネウネはいけませんな。

沼田城・・・思いの外公園化していた。一部石垣が残り空堀も見ることが出来る。真田氏なんですね。
名胡桃城・・さほど広く無いが整備されていいる城郭でした。こちらも真田氏ですか。
岩櫃城・・・今回初めての山城で気が高ぶる。うん・・・山城だ。こちらも真田氏ですか?今日は真田氏三昧の日なんですね。

本日は前橋のホテルに連泊、榛名山を抜けて帰るつもりが道を間違え北軽井沢に出てしまう。まぁ、浅間山、多分浅間山の残雪を思いがけず見ることが出来たのOKとした。本日は2℃~24℃と気温差の激しい日でした。冬・春ジャケットを着込み脱ぎ、冬・春・夏と3種類のグローブを使い分けた日となりました。この先バイクは年を取ると厳しくなるな、そう感じる日でした。

3城共100城・続100城です、詳細は諸先輩方の投稿をご覧ください。

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彩の国武蔵野守

烏城 (2020/10/10 訪問)

後楽園から見上げる黒の城壁。
美しさ、迫力共に文句なしです。

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城好きのメガネ

「敦賀城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
敦賀城は、蜂屋頼隆が敦賀の地に入り三層の天守を築城したとされる。しかし、蜂屋頼隆が九州征伐の際に病死したため、大谷吉継が入城したとされる。大谷吉継は水運を利用して大改修を行う。関ヶ原の戦いには、西軍に属し奮戦するも敗北、自刃し所領は没収された。越前に入った結城秀康によって城代が置かれたが、一国一城令に伴い廃城、破却される。現在、移築門が遺されている。

<アクセス>
JR敦賀駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「金ヶ崎城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
金ヶ崎城は、後醍醐天皇の皇子である恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城する。難攻不落の名城と名高い・金ヶ崎城を力攻めすることが困難なため足利方の斯波高経らの軍勢に兵糧攻めにされる。新田義貞らは、再起を図るため闇夜に密かに脱出し、体勢を立て直すが、金ヶ崎城を救援しようとするも足利方に阻まれる。足利方の総攻撃により尊良親王、新田義顕(義貞の嫡男)、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王は捕縛され落城する。戦国時代には、越前・朝倉氏の支配下に入る。織田信長による越前侵攻の際に、天筒山城を失うが、盟友・浅井長政が離反する。織田信長は木下藤吉郎らに殿を任せ、京に撤退する。朝倉氏の滅亡に伴い廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR敦賀駅 徒歩35分

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城好きのメガネ

「天筒山城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
天筒山城は、金ヶ崎城の支城で、越前・朝倉氏の支配下であった。織田信長による越前侵攻の際に落城する。織田勢が金ヶ崎城に攻め寄せるも、浅井長政の離反により退却を迫られ、「金ヶ崎の退き口」につながる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR敦賀駅 徒歩35分

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城好きのメガネ

「安田城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
安田城は、豊臣秀吉による越中攻めの際に、富山城の佐々成政との戦に備えて築いたとされる。前田家の家臣・岡嶋一吉が城主として入る。一国一城令に伴い廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR婦中鵜坂駅 徒歩20分

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彩の国武蔵野守

真田丸の舞台 (2016/10/15 訪問)

真田丸で盛り上がっていた上田城。
場内には真田神社もありました。

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城好きのメガネ

「小丸山城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
能登一国の国主となった前田利家が七尾城に入る。七尾城は中世の山城であり、政治や経済面での不便があったことから七尾港に近い小丸山に城を築いたことが始まりとされる。その後、本拠地を尾山城へ移したため、兄・前田安勝が七尾城代を兼ねる。一国一城令に伴い廃城となる。現在、曲輪・土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR七尾駅 徒歩15分

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門が立派

良い

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POYO58

明智光秀幻の城 (2022/05/01 訪問)

織田信長の命により光秀は比叡山を焼き討ちする。その功により坂本を与えられる。光秀は焼失した西教寺を復興し、湖の上に天守を築く。本能寺の変後、山崎の戦いにより光秀は秀吉に敗れると、明智秀満が坂本城を燃やし、妻の煕子と自害(煕子はその前に病死したとも伝わる)。光秀は一般論は落武者狩りに殺されたと伝わっているが、その証拠となる資料が全く見つからない。

今は発掘調査により井戸と石垣が出土しました。しかし遺構はそれだけです。ただこの石垣が見るのはなかなか難しく、去年(2021年)に27年ぶりに姿を現したそうです。でも僕は見れなかったのでものすごく残念泣。今は光秀像が立っています。草むらにいくつか石垣の石が並んでるのですが、おそらく発掘調査によって見つかった物だと思います。

評価
遺構:2
建物:-
行きやすさ:4
total:2

攻城時間
10〜20分

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城好きのメガネ

「松任城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
松任城は、平安末期に松任氏の館として築城される。戦国時代には、加賀一向一揆の拠点となり、織田家の柴田勝家の攻撃により落城する。関ヶ原の戦い後は加賀藩の前田利長が約3年、丹羽長重が約11年間在城し、一国一城令に伴い廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR松任駅 徒歩10分

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彩の国武蔵野守

加賀百万石 (2019/04/07 訪問)

兼六園に隣接し、場内にはなんと金沢大学があるのです。

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じゅんじん

武田信義館と武田八幡宮 (2022/04/15 訪問)

大河ドラマで登場の武田信義さんの館跡と武田家歴代当主より保護された武田八幡宮になります。

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彩の国武蔵野守

日本三大平山城のひとつ (2020/07/27 訪問)

現在は鶴山公園として、津山のシンボル的な場所。輪郭式の平山城で周囲の石垣が見応えあります。

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じゅんじん

今回は渡りました (2022/04/15 訪問)

土塁と曲輪があります。

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じゅんじん

桜の終わりに (2022/04/15 訪問)

満開の時はすごそうです。資料館に北杜市及び山梨県のお城パンフありました。

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ヒロケン

国境を守る拠点 (2022/05/04 訪問)

森寺城は16世紀の初め頃に、能登の守護畠山義続によって築城された山城です。築城当初は湯山城と呼ばれていていましたが、廃城後に森寺地区にあったため、森寺城と呼ばれるようになったとのことです。
この城は、能登と越中の国境を守る城として利用されていましたが、畠山氏が没落後は上杉氏や織田氏の支城となりました。その後は、富山の役で佐々成政公が羽柴秀吉公に敗れ、越中・加賀・能登が前田利家公の所領となると戦略的重要性がなくなり、この頃に廃城になったと考えられています。

現在の森寺城は氷見市の指定文化財となっており、郭・石垣・土塁・堀切・井戸などの遺構が良好な状態で残っています。また、よく整備されており散策しやすい状態で、駐車場もあります。(サイダ屋敷前にトイレもありましたが、現在は使用されていないようです)
山城の大体が、山の麓に居館を持ち有事の際に立て籠もるための防御施設であり、詰城として使われる場合が多いのですが、この城は、広い郭を有することで、大勢の軍団を駐屯させる機能があったと考えられています。

8年ぶり2度目の訪問で、越中三大山城に次ぐ規模の城で自分の好きな中世山城の機能を色濃く残しており、また、訪問したいと考えていました。今回、金沢に嫁いだ娘のところに行くついでに立ち寄りました(どちらがついでか(゜_゜))
北陸地方では絶対にお勧めの城です(*^▽^*)



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城好きのメガネ

「虎御前山城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
虎御前山城は、浅井氏の小谷城を攻めるために織田信長が築城した陣城とされる。豊臣秀吉が城番を務めた。浅井氏の滅亡に伴い廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR河毛駅 徒歩20分

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いんげん丸虫

松ノ木館 山形県川西町 (2022/05/02 訪問)

詳細不明の標高280mの山城です。100mx60mとコンパクトで
北面は急斜面、東、南面と2重に横堀が周り、西面は大小4重の横堀に
なっています。
東の街道に路駐可能なスペースがあります。看板は無いですが数分直登
すれば土塁、横堀等の良好な遺構を見れます。
晩秋、春先が良いですね。

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城好きのメガネ

「大聖寺城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
大聖寺城は戦国時代には、加賀一向一揆の拠点となり越前・朝倉氏と攻防が繰り広げられた。賤ヶ岳の戦い後は、丹羽長秀の与力として溝口秀勝が入る。その後、山口宗永が城主となる。関ヶ原の戦いで山口宗永は西軍についたため、東軍の前田利長に攻められて、落城する。加賀・前田家の家臣が城代を務めたが、一国一城令に伴い廃城となる。1639年、加賀藩3代・前田利常が幕府に願い出て、三男・利治を入れて立藩する。城跡に藩庁として陣屋を築く。戊辰戦争では加賀藩に従い、新政府軍の兵站を担う。現在、曲輪、土塁、茶室(長流亭)が遺されている。

<アクセス>
JR大聖寺駅 徒歩20分

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