越前を平定した織田信長から大野郡を与えられた金森長近が居城として築いた城で、長近が飛騨高山に移った後は青木一矩や織田秀雄が城主となり、関ケ原の戦いの後は福井藩領として土屋正明らが城代を務め、松平氏を経て入城した土井氏が八代続いて明治を迎えました。
美濃街道を見下ろす大野盆地中央部の独立丘(亀山)に本丸、東麓に二の丸と三の丸を梯郭式に配し、西麓の赤根川を天然の堀とする平山城で、東側に短冊状に設けられた城下町は北陸の小京都と呼ばれています。
結ステーション多目的広場駐車場に車を駐めて、亀山を見上げると天守が青空のもとに聳えています。しかしながら本丸周辺は前回(4年ほど前)に訪れているので、今回は亀山には登らずに折りたたみ自転車で城下町めぐりです。
まずは百間堀(外堀)沿いに北に向かい、武家屋敷旧田村家へ。旧田村家は大野藩の家老を務めた田村又左衛門家の屋敷で、江戸後期築の主屋が公開されています。庭園東辺の築山は外堀沿いに築かれていた土居の一部で、外堀の土居は現在ではここにしか遺っていないようです。また、式台や庭園には風車棚が設置されていて、映えスポットになっていました。
旧田村家から東に回り込むと石燈籠地蔵尊があります。城下町の縄張の基点となった石燈籠通り一番町に測量用具を埋めた地に石燈籠地蔵尊を安置したもので、整然と区画された町並みを自転車で走っていると、なるほど小京都と呼ばれるのも納得です。
石燈籠通りを東に進むと、城下町東端の防衛線として設けられた寺町に行き当たります。寺町通りにある善導寺は藩主・土井氏の菩提寺であり、道向かいの墓地に土井氏歴代の墓所があります。
結ステーションに戻って、越前おおの結楽座の隣の藩主隠居所でひと休み。土井利忠の隠居所を移築復元したもので、無料休憩所として開放されています。建物内には越前大野城と城下町の模型や、移築前の隠居所に使われていた瓦や柱、大野藩にまつわる品が展示されていました。
最後に大野市内の移築門めぐりを。西に約2kmの真乗寺には不明門が移築されています。真乗寺は藩主・土井氏の休憩所だったそうで、そのご縁によるものでしょうか。北北西に約600mの光明寺には鳩門が移築されています。立派な山門になっていますが、二階部分は改築されたもののようです。
そしてお土産は噂に名高い伊藤順和堂のいもきんつばです。前回は午後に訪れて売り切れだったので、今回は早めに確保しました。小豆に替えてさつまいも餡によるきんつばと言えばその通りなんですが、和菓子というよりスイートポテトですね、これは。程よい甘さが絶品でスイートポテト好きの子どもと家内にも大好評。帰って食べるなりもっと買っておけばよかったと後悔したほどでした。要冷蔵のため持ち帰りには保冷バッグがあったほうがいいと思いますが、甘党ならば大いにおすすめです。
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