若狭と京都を結ぶ「鯖街道」のメインルートである若狭街道を見下ろす場所にあります。元亀元年(1570年)織田信長が越前朝倉氏を攻めたとき一夜を過ごしたと伝わっています。
また細川藤孝の妻は、この若狭国熊川城主沼田光兼の娘麝香(細川マリア)で細川忠興の母親ということです。
主郭までの登城路は整備されていて歩きやすい。白石神社と熊川陣屋址から登るルートがありますが、間もなく合流します。登り始めると、すぐに五条の畝堀があります。段曲輪を見ながら主郭まで15分くらいでしょうか。主郭背後の三重堀までは容易に行くことができますが、南西にある二重掘に行く道が整備されていないため少し苦労しました。空堀、竪堀が浅くなっていますが、コンパクトで比較的散策しやすい城址です。
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