みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

おっちゃん

沼田公園案内図 (2016/10/30 訪問)

パンフレットより。

+ 続きを読む

おっちゃん

松代城跡ごあんない (2015/08/03 訪問)

現地案内板より抜粋。

+ 続きを読む

おっちゃん

松前藩戸切地陣屋案内図 (2019/06/08 訪問)

現地案内板より抜粋。

+ 続きを読む

零汰

終活1残雪:100城・続100・100名道、城郭巡りの記録 7日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?そんな疑問と残雪を求めて名道を走る7日目

5時にホテルを出て、5分程度で2回目の松本城に到着。前々日まは立山に宿泊しアルペンルートに行くつもりだったが迷っていた。拘束時間が長かった為に急遽宿泊地を松本に変更した。よって松本城は入場時間の壁に阻まれ周囲から眺めるだけに終わる、しかも霧に覆われよく見えない。入場時間の壁には今後も行く先々で悩ませられると覚悟している。本日はルート変更の為、郡上八幡城と彦根城を最低限のノルマとし、その他は行き当たりばったりで琵琶湖を目指した。

松本からは、険道安房峠を通りたかったが冬季閉鎖の為に安房トンネルを抜けて高山城と高山陣屋に至る。高山は25年振りだったが記憶と一致しなかった。

高山城・・・・二の丸公園に到着し散策、一部石垣がある。小1時間ほどの攻城だった。
高山陣屋・・・時間の壁に阻まれ周囲からの散策に終わった。時には板塀より内部を覗き込む。

ライダー絶景ロードに選ばれているせせらぎ街道を南下、難易度が低くとても走り易い。本日は土曜日、道の駅パスカル清美で休憩、続々とライダーが集まりだした。普段はよほどの事が無い限り言葉を交わすことを避けている。この日は行き当たりばったりで動いていたので油断して年配ライダーに捕まった。独りで乗り付けて来たライダーだ。とにかく話が長くて何を話しているか大概分からない。昔の事や周辺の事を言われてもさっぱり不明。30分後満足した年配ライダーはニコニコしながら去って行った。この後も休憩で立ち寄った別の道の駅でもまた捕まった。合計1時間ほど年配ライダーの暇潰しに時間を費やす。本当に今日は油断が甚だしい、もっと素っ気なく対応しないとダメだ。同じライダーでも昨日のセローさんと違い価値観に隔たりがある時は苦痛と拷問の時間の様だ。この時間があとに入場時間の壁に影響を及ぼす。

郡上八幡城・・・コンパクトに纏まった良い城郭だと思います。残念ながら一番記憶に残っているのはとてもタイトな登城路。距離は長
        くは無いのだか、九十九折の激しい道路。前の車がタイヤを滑らせ何度も何度も切り返し、その都度待機。城の横の駐
        車場に着くまでとても時間がかかった。到着するまでこんな道とは誰も思いませんよね。

小倉山城から頂上迄開通していない伊吹山ドライブウェイ経由で本日メインの彦根城に向かう。ライダー絶景ロードの伊吹山ドライブウェイ、とてもタイトな道路でした。霞がかって絶景は望めなかったが今後の事を考えると行って良かった。

彦根城・・・・二重の堀に囲まれたどても広い城郭でした。入口付近から見上げる登り石垣はとても美しい、もっと近くで見たいもの 
       だ。攻城を開始たのは4時前、閉館まで1時間しかなくなった。現存天守なのに建物内を見るのは諦めて城域を小走りで移   
       動。この時間でも人が多くて写真が中々撮る事が難しい。撮りたい説明版から中々人が離れてくれない。ちょっと泣きた  
       くなる。15分前くらいに閉館の予告アナウンス、ここは放課後の小学校か!イライラしながら歩き回ったが限界があっ
       た。消化不良で時間切れ、入場時間の壁に阻まれたとても残念な攻城となってしまった。
       
       2時間以上は余裕で見ることが出来るはずだったのに、どこで時間を無駄にしたのか、伊吹山ドライブウェイに寄った  
       のがいけなかったのか。いいえ、年配ライダーに時間を盗まれたからです。

昨日とうって変わり、終日入場時間の壁もあり消化不良の結果となって残念で反省している。遠方の城郭巡りの場合はもう少し計画の段階で深く考えたい。2度目の攻城は現実無理なので、観光地化されている城郭については、土日での攻城かどうか、入場時間の有無、そしてブレの無いルート選定。次回からは時間的な問題を突き詰めて計画したいと思う。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

川勝光照推し (2022/05/05 訪問)

2021年11月に、まーやんさんが訪問後、看板、説明板が増えたのではないかと思います。国道沿いに、「戦国大名 川勝光照候 今宮城」の看板があり、登城口には迷いません。登城道や道標もよく整備されています。
山体は、砂岩、頁岩を含むチャートであり、棚野川が激しく浸食して、急斜面、痩せ尾根を作っています。今宮城は、この痩せ尾根に郭群を並べています。

まーやんさんの投稿の「そこから津向山頂へ約40分、本曲輪に戻らず下っていくと愛宕山展望地が二ヵ所あり、上松祭場跡の大岩も見れるので合わせて見ていただきたい。」に従い、今宮城の背後の連続堀切を越えて、津向山山頂に登り、今宮城のある尾根の南側の尾根を下りました。けっこう、きつかったが、京都市街北西にそびえる愛宕山が春霞の先に見え、行った甲斐がありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

H7年山上に天守台・本丸石垣復元整備される (2009/05/15 訪問)

 日光・会津・松島名所名湯3泊4日定年退職旅行の2日目白河小峰城を終えて3城目二本松城へ13年前の平成21年5月中旬登城。レンタカーは二の丸城塁高石垣前の専用駐車場利用。

 私は過去に探訪済みなので平成7年に発掘調査の上復元整備された山上の本丸・天守台を主に観察探訪、二の丸下の千人溜り二本松少年隊群像を拝み、二の丸高石垣を仰ぎ見て、箕輪門(昭和57年復元)から入り、ぶらぶらゆっくり山上を目指す、山上の本丸・天守台の復元修復整備後は初めての探訪観察、天守曲輪の様な本丸・天守台、北角に天守台を設け西側に西櫓台続き多聞櫓台、東側に東櫓台続き多聞櫓台、南中程に枡形虎口の構えに成って居る。見晴らしも素晴らしく360度見渡せる、資料によると天守閣は建って無かった様子です。
 天守台から下城、搦手側石垣、山々の新緑、藤の花が綺麗でした。

 歴史的には室町期畠山氏が9代約150年治め戦国期伊達政宗の治める所と成り、小田原征伐後の奥州仕置き後蒲生氏郷が会津に入り二本松城は会津の支城へ、蒲生氏後上杉氏の会津支配、関ヶ原後再び蒲生氏支配、寛永4年(1627年)松山より加藤嘉明が会津に入る、二本松城は会津若松城の支城扱い、加藤氏の時代には石垣改修が成されたのでは?寛永20年(1643年)白河より丹羽氏が10万石余で入封し今日の石垣の姿に大改修し丹羽氏10代継承し明治を迎える。
 しかし戊辰戦争では本体が会津方面に出向いてる所を婦女子少年で守も陥落、二本松少年隊の悲話が伝えられて居る。


 二本松城を終わって、会津若松城、天守閣に登る、会津若松城のシアター鑑賞、幻の神指城の復元映像も上映、白虎隊の飯盛山見学参拝、会津さざえ堂を昇り降りを見学して今夜の宿泊先東山温泉へ、老舗旅館向瀧は無理として湯川渓流沿いの和式ホテル、温泉と地酒にビール、窓から見える渓流、渓流の音、新緑、所々に藤の紫が点在し五感に癒される温泉ホテルでした。

 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ばばよ

石垣色々 (2022/05/06 訪問)

本来土塁中心で石垣は一部、実際天守や櫓さえ建てられなかったということですが、石垣に特徴ありました。
基本的には野面積みですが、本丸と二の丸を結ぶ鉄門跡は鏡石が存在をみせます。
そこから東側の石垣は割石など隙間を埋める小さな石があまりなく、積石も比較的同じサイズのものが目立ちます。色も2色構成に見えます。
小規模な割に場所によって与えるイメージが変わります。

現存建築物は移築千歳御門(埋門)のみですが、元々は本丸と少し離れた千歳御殿の入口にあったと考えられているようで、本来今の場所ではなかったそうです。

富山市内は路面電車、バス、レンタサイクルといずれも充実している印象を受けました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

びーこ

改修中の石垣の石を超観察! (2022/05/01 訪問)

数回目の登城だが、いつも違った姿を見せてくれる弘前城。でも今回は桜なし、天気曇りということで特に期待もせずに登城を開始。前回は石垣の改修を始める前ということで、膨らんだ石垣を間近で見ることができたが、今回は全面シートで覆われていて、足場も組んであり、殆ど何も見えない状態。天守閣内のビデオは調整中で見れず、岩木山を見渡す展望台はコロナで封鎖。全く、踏んだり蹴ったりである。

遅咲きの八重桜を見ながらダラダラ歩いていると、石垣改修の経緯を纏めた展示をしている小さなプレハブを発見。工事の方々の休憩室かと思った。中に入ってみると、狭いながらも興味深いパネルや模型が展示してある!一番の情報は、剥した石垣の石は、四の丸に保管してあるということ。さっそく四の丸(今はグランドになっている)に向かうと、桜まつり期間中は来園者の飲食スペースになっていた。飲食に夢中の人々を横目に、サイズや形ごとにキレイに並んでいる石垣の石を超観察!しかし、この量の石を積み直すとは、パズル好きの私でも考えただけで気が遠くなる・・2024年度までに完成するというから、あと2年か・・2年で出来るのか?2年後、必ず確認しに行くぞ!と固く誓ったのだった。

さて今回のグルメは、弘前城近くのりんご公園でリンゴ尽くしのランチ♪
リンゴ入りトンカツ、リンゴ入りイカメンチ、リンゴ入り炊き込みご飯、アップルパイ、リンゴソフトと、リンゴ大満喫!
期待してなかった弘前だったが、結果的に城もグルメも大満足であった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

【城と標柱】

史・・・

掘り出したい。

+ 続きを読む

小城小次郎

早く見に行くべし (2022/01/08 訪問)

城内の井戸に金属製の釣瓶が吊られていたので「かなつるべ」城と名付けられたのだとか(ほんとか)。発掘成果に基づき柵列や木橋が整備されたがもしかしたら老朽化でそのうちなくなるかも、という噂も聞いた。早く見に行くべし。

+ 続きを読む

刑部

姉川城と横竹城 (2022/05/01 訪問)

姉川城と横竹城は車で5分くらいの近さにあります、非常によく似た城郭で私が見た感じでは横竹城の方が規模が大きく公園になっています。

+ 続きを読む

ryu

チャリでいく小田部城 (2022/02/27 訪問)

自宅からチャリで10分ほどの小田部城を訪ねる。

小田部氏の里城。北側と西側に堀を巡らせた構造で宝満宮を含む 100m × 140m の範囲が「小田部氏宅」推定地。築城の場所は、福岡講倫館高校の敷地であるというが、城館遺構の存在は見られない。
大友氏時代に安楽平城主となった小田部氏の本貫地で、小田部氏の館城とも考えられている。『福岡県の城郭』では宝満神社から北の西応寺付近を小田部城跡と推測している。

+ 続きを読む

赤い城

小さな公園と東名 (2022/04/30 訪問)

喜多見城からの転戦、徒歩で20分くらい。
わざわざ行くことも無いでしょうが野川と仙川に挟まれた高台に位置しています。
東名高速が走っていて遺構はありません。
小さな公園と大六天橋がある程度。
この日はGWの三連休中日で東名も比較的流れていました。
この連休、結局近場廻りとなりました。

+ 続きを読む

ryu

高祖山登山と高祖城探訪 (2022/02/11 訪問)

市民のハイキングコースである鐘撞山から高祖山を縦走し、高祖城を探訪する。

建長元年(1249年)、原田氏の原田種継、原田種頼父子の築城。 怡土城の遺構を利用し、高祖山頂上に上ノ城(本城)と下ノ城がある。
一時少弐氏に奪われたが、最終的には大内氏の援助により原田氏が奪還した。 天正15年(1588年)豊臣秀吉の九州征伐により、城主原田信種は所領没収され廃城となる。

登り出しは小雨模様だったが、天気は回復傾向と読んで登る。鐘撞山で曇り空の展望を楽しみ、高祖山までの快適な尾根道を歩き、高祖山山頂直下の下の城址に着く。
ここのベンチでゆっくり昼食後、高祖山山頂までの高祖城の遺構を縄張り図を見ながら探索する。高祖山山頂(主郭)から急斜面を下り、姪浜堀と言われる堀切跡を探し、山頂周辺の曲輪跡を探索する。
帰路は鉢伏山観音へ下るコースを取って野外活動センターに出る。
下山した頃にはすっかり青空になっていた。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

古処山~屏山縦走と屏山城探訪 (2021/12/05 訪問)

古処山城がある古処山から尾根伝いに隣にある屏山山頂(標高 928m)に位置する山城で、古処山城探訪前に古処山~屏山間を縦走し訪城した。

屛山山頂から嘉麻市方面の眺望を楽しみ、持ってきた縄張り図を見ながら屛山城の遺構を確認す
山頂東側の竪堀はやや不明瞭。西側の堀切2本はいずれも浅い。

屏山城は地誌類にはほとんど紹介されず、近年発見され、山名からこの名称が当てられているが、屏山は近世までは「宇土浦山」と呼ばれ、『福岡県地理全誌』の「宇土浦山」には「絶頂ヲ平家城ト云。」とあるためそれが本来の城の名称の可能性も考えられる。当然、城主等は不明である。(「福岡県の中近世城館跡」より)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

古処山~屏山縦走と古処山城探訪 (2021/12/05 訪問)

山では紅葉も終わって落葉し、山城巡りに最適の季節が到来、戦国時代の国人領主秋月氏の本城である古処山城と屛山山頂にある屛山城を訪ねて古処山~屛山を縦走してきた。

古処山城は、戦国時代秋月に本拠を構え、天正年間には筑前の中・南部の一帯を支配した国人領主秋月氏の本城である。

五合目登山口に車を停めて出発する。渓流沿いの登山道は近年の水害の影響なのかところどころ荒れている。
水舟を過ぎて、古処山頂に直登するコースを分けてまずは古処山の山腹を巻き、屛山を目指す。
屏山山頂で屛山城の遺構を確認後、尾根伝いに縦走路を戻り、つげの原生林をかき分け古処山頂に着く。山頂直下のベンチで昼食をとり、その後、山頂から西側に延びる尾根周辺の曲輪や堀切を縄張り図を参考にしながら見て回る。
さらに山頂から南に延びる尾根上にある経ヶ峰を往復し、南側の郭群を見て回る。

初冬の落ち葉を踏み分けながらの充実した山城探訪となった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

御飯ノ山城散策 (2021/10/07 訪問)

職場近くにある御飯ノ山城を訪ねてみる。
香椎台の戸建て住宅街で造成されほぼ遺構は残っていない。案内板と山城の模型が公園内に残る。

『筑前国続風土記』では大友氏家臣の一万田弾正が籠ったとあり、立花山城の出城ともある。『筑前国続風土記拾遺』には香椎宮が城主を置いたところではないかともしている。『筑前国続風土記拾遺』には城ノ腰と呼ばれ東西二つの峰で構成されるとある。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

英彦山登山と松尾城 (2021/10/02 訪問)

英彦山登山の帰路、黒田六端城のひとつである小石原にある松尾城を訪問する。

松尾城は戦国時代、秋月氏の家臣と考えられる宝珠山山城守の居城と伝えられ、黒田家入国後は、黒田六端城の一つとして仲間統胤が城主となったが、一国一城令で廃城となる。

標高は510mくらいだが駐車場からの比高は50mほどである。
城址までの山道は整備されていたが、主郭内部は丈の高いススキで覆われて入るのを躊躇われ、遺構もよくわからなかった。主郭南側の石垣、虎口の石垣を見て下る。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

伊都菜彩と波多江氏館 (2021/06/30 訪問)

糸島産の食材の直売所「伊都菜彩」に買い出しに行った際に訪問。現地は民地のため周囲を歩く。

『筑前国続風土記』「波多江」の項には「波多江村の内に、丹波屋敷と云所有。是波多江丹波が居たりし宅の址也。
四方大堀をかまへ、高築地あり」とする。『筑前国続風土記拾遺』では波多江丹波守種敦の宅跡とし、二方に堀の跡があるとしている。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ryu

風天山登山と綾部城探訪 (2021/06/24 訪問)

鎮西山城探訪後、宮山城(綾部城)を訪城する。

宮山城(綾部城)は、藤原通良によって築かれたと云われ、
鎌倉時代に通良の子通俊が綾部荘を賜わり綾部氏を名乗って居城としたらしい。その後、天正年間(1573年〜1592年)頃には龍造寺氏の家臣綾部鎮幸が城主となっていたらしい。

綾部八幡宮近くにある風天山公園駐車場に車を停めて、まずは綾部八幡宮にお詣り、神社の横から遊歩道を登る。登山道は夏草が生い茂って覆い隠されて歩きづらく、遺構も草に覆われてよく確認できなかった。やはりこの季節は山城巡りにはあまり適さない。

下りてきて参道の喜久屋というお店で名物の「あやべさんぼたもち」を買って帰る。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ769