名古屋駅からJR東海で米原まで行き、JR西日本に乗り換えて河毛駅から30分歩くと登城口に着きます。そこから約2時間の満喫です。4月に行ったのでもうあまり記憶がないですが、最初確かどっかの分岐点を誤って真っ直ぐ行ったので山の頂上まで来てしまいました。その後下山して同じ分岐点を今度は左に曲がってみると、なんとか、大石垣と本丸にたどり着けました。
ということなので、下記に載せている写真はどこの写真か曖昧でわかりません。
石垣と門跡が見どころです。
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2023/11/04 22:11
雨上がりの登城 (2023/04/16 訪問)
名古屋駅からJR東海で米原まで行き、JR西日本に乗り換えて河毛駅から30分歩くと登城口に着きます。そこから約2時間の満喫です。4月に行ったのでもうあまり記憶がないですが、最初確かどっかの分岐点を誤って真っ直ぐ行ったので山の頂上まで来てしまいました。その後下山して同じ分岐点を今度は左に曲がってみると、なんとか、大石垣と本丸にたどり着けました。
ということなので、下記に載せている写真はどこの写真か曖昧でわかりません。
石垣と門跡が見どころです。
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2023/11/04 22:08
西不明門~本丸一文字門~巽櫓跡 (2023/09/08 訪問)
坤櫓から土塁の上(遊歩道になっています)を歩いて西不明門へ。
折れ曲がりや石垣を眺めていると、はるばる遠くまで来てよかったとしみじみ思い、充足感が湧いてきます。
下におりて枡形に櫓門を想像再建し、出たり入ったり隠れたりして楽しいひと時を過ごしました。
西不明門の外側は後まわしにして、二の丸土塁の約1/4(南→西)を歩いたところで本丸へ向かいました。
三年前に訪れた際はフェンスが張りめぐらされており、お散歩中の方と本丸御殿復元の夢を語りあった記憶が。
本丸へは西側の散策園路から入りました。本丸御殿跡の整備が完了したらなくなりそうな気がする入口です。本丸へは“大手橋を渡り一文字門から枡形へ入る”ものだったので、中から外に向かうのはそれだけで新鮮かつ妙な感覚でした。
歩きながら、この土塁上に長大な土塀が!この石垣の上に一文字門が!と想像すると、夢が膨らみます。というよりあまりに壮大なロマンで、考えただけでドキドキしてきました。
古写真や史料をお持ちの方が現れますように🙏
今日のこの日を懐かしみつつ公園整備が完了した姿を見に来られたらいいな(完成予定は10年後)☺️
本丸一文字門を出たら土塁ウォーキング再開です。
郷土資料館の裏、「山形城墟碑」のあたりからのぼって巽櫓跡へ。
櫓台には塀を支える礎石が二列。各時代の改変を知ることができます。
そして何と!巽櫓、再建されていました!!
遊び心なのか本気なのか、何かのイベント用なのか非常時用の倉庫か何かなのか?全くわからなかったけれど、こういうサプライズ、大好きです。
白漆喰をイメージしたと思われる真っ白な二重櫓で、内側には装飾はなく外側に破風がついている本格仕様です!
ここから二の丸東大手門まで(南→東)歩きます。塀の礎石がまっすぐに延びていて、礎石好きには堪らない光景です。(このあともっとすごい塀礎石に出会うのですが。)
<つづく>
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2023/11/04 21:47
2023/11/04 21:41
2023/11/04 21:37
匂坂三兄弟 (2023/04/02 訪問)
今川に仕えた猛将・匂坂長能が台地端への築城提言を蹴っ飛ばして平地にこしらえたのが匂坂館。一応台地端にも匂坂城はある(どちらも遺構はないが)。長能の息子達が姉川で真柄十郎を討ち取る大手柄をあげた匂坂三兄弟。
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2023/11/04 21:31
益富城散策 (2023/11/04 訪問)
別名一夜城。
もう少し景色が見れれば良いが簡単に行けたので良かったです。
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2023/11/04 21:25
秋月城散策 (2023/11/04 訪問)
秋月城跡に行ってきました。紅葉には少し早かったですが昔の歴史を散策・学ぶ事が出来ました。
紅葉時期・桜の時期は最高なのが分かります。
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2023/11/04 21:05
2023/11/04 18:22
武門のレガシー (2023/11/04 訪問)
桑名市博物館の「武門の遺産(レガシー)」展を見てきました。桑名城・忍城・小峰城の城絵図が展示されてます‼️
先日、行った行田市の展示では、スペースの都合で小峰城の絵図は出陳されていなかったので、現物が見られて良かった。
お城周辺では、マルシェが開かれていました。
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2023/11/04 18:11
石垣から見える浅井と織田軍の底力 (2023/11/03 訪問)
滞在時間:2時間30分ほど
行きは小谷城シャトルバスを利用し、
ガイドしてもらいました。
小谷城の歴史だけでなく周辺の地理のお話や
隠れた見所など濃いお話を聞かせてもらってとても面白かったです。
山王丸付近大石垣、本丸大堀切の迫力に
さすが五大山城と呼ばれるだけあると圧倒されました。
破城により崩れた石垣もよく見られましたが、
本丸や山王丸だけでなく屋敷跡の周りにも
野面積の石垣が残っていて、築いた浅井氏、
攻めた織田軍のパワーを感じました。
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2023/11/04 16:00
復元台所建物(4/4) (2023/10/05 訪問)
吉川元春館の南東位置の台所跡に台所と付属屋建物が復元されています、内部には昔懐かしい三口かまどが備えられて、鍋、釜がおいてありました、まだまだ真新しい観の天井屋根の木組み、実際煮炊きが出来るのでしょう、発掘調査結果により、広島大学の三浦先生の復元図が説明板に載っていました。
台所跡の近くには南側に土塁と堀が控え、南東には通用門跡も備わって居ました。
4編に渡って投稿しましたが2度目の登城なのでサラッと歩いてと思っておりましたが写真数多く長くなってしまいました、長々の投稿ご勘弁の程。
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2023/11/04 15:37
吉川元春墓所参拝と館内散歩(3/4) (2023/10/05 訪問)
素晴らしい立石垣の城塁を充分堪能して表門跡東正面虎口より入城、7年前は参拝して居なかった、吉川元春の墓をまず参拝と、館西奥に木立に囲まれた墓所を訪れる。
館内を散策し殿舎跡が北東と中央正面、井戸跡、庭園跡、館は西奥が一段高くなっている、北側は切岸崖、南側は空堀と土塁で固めて、間口は約110m、奥行約80mの広さ、奇麗に整備、地表復元されており大変散策しやすい。また南東には台所建物が復元されています。
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2023/11/04 11:25
2023/11/04 11:01
戦国の庭歴史館(1/4) (2023/10/05 訪問)
先に松本屋敷を探訪して、吉川元春館へ7年振り2度目の登城、広島県北部未踏の城探訪の未踏では有りませんが4城目。
駐車場:戦国の庭歴史館駐車場
参考資料:グーグルマップ、歴史館で頂いたパンフレットに依る
先ずは戦国の庭歴史館を訪ねて、展示物の閲覧、勉強、資料の入手、ここ吉川元春館の戦国の庭歴史館が史跡吉川氏城館跡群22ヶ所、内国史跡9ヶ所のセンターの役割、安芸吉川氏城館群のまとめ役でもあり、駐車場入口に「吉川氏城館跡周遊マップ」パネルが少し色褪せ始めましたがあります。
館内には吉川元春館の模型、吉川氏鎧兜のレプリカと一緒に撮影できる場所も有り記念撮影に最高です。
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2023/11/04 09:53
短い間、ご苦労様。 (2023/10/04 訪問)
栃木の県名の名前が入った「栃木城」。
栃木県の県庁所在地の 「宇都宮城」は、たくさんの方の憩いの場で、にぎやかな御城でした。城址公園にもなっています。
「栃木城」はひっそりとした公園でした。
それでも、高い土塁と水堀があり、広大だった事は想像できます。
公園は草刈りをしたのか、沢山の枯れ木と雑草の入った袋がありました。
改めて地元の方々に感謝です。
「栃木城」は皆川 広照さんが築城しました。
広照さんは、秀吉さんの北条討伐の時は北条方。小田原に籠りました。
が、家臣100人と脱出し、家康さんに助けてもらい、所領安堵されました。
きっと、この頃「栃木城」を築城したのでしょう。
広照さんは、家康さんの子 忠輝さんの家老になりました。忠輝さんと共に行動しましたので、1609年に「栃木城」は廃城です。
20年弱しか活躍できなかったようです。
広照さん、粗暴な忠輝さんを不行跡を訴え、まさかの改易です。
宇都宮市は栃木市に比べて、人口も産業も圧勝でした。
でも、「栃木城」の地元の方々と、皆川 広照さんの行動はとても晴れやかな気持ちにしてくれました。
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2023/11/03 23:44
大返し、からの〜 (2015/11/03 訪問)
1582年、本能寺で信長討死との報を受け、備中高松から畿内へ急行した羽柴秀吉と明智光秀が激突した山崎(京都府大山崎町)。勝敗の分れ目という意味でよく耳にする「天王山」はこの地にあります。
両軍がこの山の占領を争い、羽柴軍の手に帰したとされますが、一方で、実際にどれほど戦局を左右する場面だったかについては様々な議論があるようです。
ひとつの見方は、山の争奪戦以前に両軍の兵力差は明らかであり(多く見積もって羽柴4万、明智1万6千)、おそらくは戦略段階で大勢は決していたと見るべきというもの。
その後の人心を一新したであろう大一番。その意味では「天王山」にふさわしいのでしょうが、細部に至っては、記録を残した側、つまり勝者の側の筆が幾分滑らかすぎた(盛った?)ということもあったりするのかもしれません。
標高270メートル。淀川を挟んで男山に対し、京都盆地の西の出入口をおさえる形勝の地。付近一帯には史跡が多く残っています。
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2023/11/03 22:39
水戸市内で水戸城に次ぐ大規模な城郭 (2023/09/25 訪問)
見川城から移動し、「見川稲荷神社前」のバス停からバスで向かおうとするも、1時間待ちであったため、やむを得ず徒歩で約40分かけて移動。
他のアクセス方法としては、JR常磐線 赤塚駅南口バス停から、「宮前」または「報仏寺」で下車してすぐです。
城の縄張は、北の天徳寺から南の国道50号近くの八坂神社までの東西500m、南北600mの広大なものだったようです。
主な見どころは、①報仏寺 ②八坂神社 ③河和田小学校周辺 ④天徳寺の4か所です。
(その他にも遺構はあるようですが、大部分が私有地になっています。)
①報仏寺
土塁と堀が残存しています。この土塁はかなりの高さがあります。堀は少し水が残っていました。かつては水堀だったようです。また報仏寺の東側の山門の所に河和田城跡の碑が立っています。
②八坂神社
報仏寺から南に5分ほど歩いたところにあります。境内の東側から見事な土塁と水堀を見ることができます。個人的に一番鳥肌が立ちました!!
③河和田小学校周辺
河和田小学校のバス停裏に、二重の堀と土塁が残存していて、歩道から見学することができます。
河和田小学校の校門近くには、河和田城の説明板があります。
④天徳寺
山門周辺に土塁と堀が残っています。現在は、堀に水はありませんが、かつては水堀だったと思われます。
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2023/11/03 22:14
2023/11/03 22:09
実は (2023/11/03 訪問)
ずっと気になっていた小田城跡に行きました。
小田氏は佐竹、上杉等様々な大名に攻め落とされながらも奪い返す執念はさすがです。
資料館で紹介されていた障子堀は残念ながらありませんでしたが虎口、堀、土塁、曲輪の跡がしっかり残っていました。
あまり大きくないので見やすくおすすめです!
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2023/11/03 20:22
来島海峡大橋塔頂ツアー (2023/10/29 訪問)
ネットで見つけた来島海峡大橋の塔頂ツアーに参加しました。
登城はしてません、が「行った」にポチしときます。
朝田さんにクイズで教えて頂いた茶色い穴は次回のお楽しみにしておきます。
下田水港からツアーがスタートします。
武志島には武者走りや岩礁ピットが残っているそうです。
来島城の砦の役割かな?
吊り橋の錘であるアンカレイジを見学したあと馬島へ上陸しました。
早速橋脚への塔頂、もちろんガイドさん付きです。
エレベーターで登り、その先少し階段を登ります。
観光用では無いのでその辺はご注意。
この日は凄く良い天気。
塔頂部からの眺めは最高でした!
まずはやっぱり来島城を探しました。
見えました!
塔頂部にいたのは20分くらいですが大崎下島など瀬戸内の多島美を満喫出来ました!
これ、おすすめです。
下に降りたあとは馬島の散策ツアーに。
馬島も城だったようです。
城の痕跡を見つけることは出来ませんでした。
が、馬島神社の先に来島海峡の潮流スポットがあります。
本当に速い、びっくりでした!
ずっと見ていたい感じでした。
この後は通常の潮流ツアーとなりました。
砲台跡が残る小島、そして来島へ。
今回は来島城は遠景のみです。
造船所を海から見学したら来島海峡の潮流体験です。
先ほどの馬島の潮流を今度は海から。
この潮を征した村上水軍の素敵さ、想像するだけでテンション上がります。
港に戻る途中の中渡城(島)には村上水軍の埋蔵金伝説があるそうです。
再び武志島に、ここでも潮流体験、船のエンジンを止めるとなおさら潮の速さが実感出来ました。
本当に満足、このツアーは本当におすすめです。
帰港後はせっかくなので亀老山へ、綺麗な夕景を見学して大返し。
リア攻めでは無いものの瀬戸内の素敵さを実感出来た1日でした。
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