(八王子市HPより)https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/002/005/p003412.html
JR八王子駅からバスで20分の所にある滝山城址🚌 バス停からファミマが見えるのですが、それとは反対方向に進み、案内板に従って竹の茂った坂道を進みます(というかもうそこからが城址の敷地内なんだけど)
三の丸→二の丸→と進みます🚶♂️ 途中、封鎖されてる道および場所が3箇所(そこは脇道なのでそのまま進む分には支障は無いけど)ありました。中丸に着くとトイレがあり、レジャーシート敷いたファミリーがおり、そして城址というか滝山公園という名前で案内板(1枚目)がありました
北条氏照(小田原北条氏3代目氏康の次男、4代目氏政の弟)がこの城を居城としており、永禄十二年(1569年)には小田原城に攻め込んだ武田信玄がここを包囲…周辺の村々を焼き払い(城こそ落ちなかったものの)甚大な被害を受けた模様🔥🏠
(本能寺の変が起きた)天正十年(1582年)ごろから、ここより更に堅固な天然の要塞である八王子城の築城工事が始められ、天正十五年(1587年)には拠点はそこへ移り、滝山城は廃城になってしまったそう
中丸にはかつて宿泊所となっていた建物(2枚目)もあり、そこに日本100名城スタンプ(画像右下)が設置されてました。今の私にとってスタンプは御城印と同じくらいの価値と達成感のある存在なため、スルーなどあり得ません…
郵送販売用の用紙が備え付けられており、念の為にそれを取って、その捺印欄に試し押し…文字が薄らとしてる箇所はありましたが、及第点には色が写っていたので、それに続きスタンプ帳にも押しました
3枚目は本丸の中心地。この側に霞神社…金刀比羅神社…と言った神社があり、まずそこにお参り。規模が小さく無人の施設だったので御朱印の類はおそらく無いと思われます。日露戦争および満州事変や太平洋戦争における戦没者を慰霊する文章が彫られた石碑(慰霊碑と思われる)もそこにありました🪨
それから階段を降りて空堀を歩き、中丸と本丸を繋ぐ橋の下を通る…そして本丸に戻り、滝山城址の石碑…その歴史が短めに紹介された石碑を眺めたわけです。北条氏照が当主で八王子城に移転する前までは、この辺りに何らかの屋敷がおそらくあったのでしょう🏠
本丸の端から眺めた光景(4枚目)川…そしてマンションがズラリと並んだ街並みが見渡せます。これを一目見て「撮影してSNSに挙げる価値あり」と直感した私は迷わずスマホの撮影機能を立ち上げてシャッターを押しました
ここの城が現役だった頃にはどんな風景が映っていた…のでしょうか
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