こしかじょう

越賀城

三重県志摩市


旧国名 : 志摩

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城址遠景
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しんちゃん

九鬼嘉隆の志摩平定に抵抗す (2024/09/29 訪問)

越賀城は岬に突き出た丘陵上にありますが、浸食を受け周囲が、だいぶ削られているようです。城主は越賀隼人とされていますが、三代にわたって隼人を名乗っており、戦国時代は二代目の隼人隆政が城主であったようです。
九鬼嘉隆が志摩の平定を目指して侵攻してきた際には的矢治郎左衛門・三浦新助・甲賀雅楽・和具豊前ら地元の豪族らとともに越賀城に集結して抵抗しますが、三年の籠城の末に降参し、嘉隆の家臣となったそうです。
当時300の将兵が籠城したことから、当時はそれだけの城域があったようです。北側の狭い道に入ると城址への道が続いています。城内は酷い藪で北側に土塁が確認できる程度で、とても散策できる状況ではありませんでした。
東に1kmほど行ったところに和具城があり岬に突き出た越賀城と同様の造りになっていますが、暗くて写真がイマイチだったのと、藪蚊の大軍に襲われてゆっくり散策できなかったので割愛いたします。

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ぴーかる

越賀城 (2024/06/08 訪問)

【越賀城】
<駐車場他>横の漁港広場に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り伊勢志摩の平山城巡り旅7城目。越賀城の築城年代は定かではないが、初代越賀隆俊が城を構えたとされます。信長に属した九鬼嘉隆に攻められ降伏しその後は九鬼氏に仕え、以降江戸時代は綾部藩三田藩に分かれた九鬼氏にそれぞれ仕えることになります。
 城跡は海へ突き出た丘陵にあります。丘陵の北側の堀切から丘陵上に行けます。丘陵上の曲輪跡は以前は畑だったらしいが現在は藪化しています。曲輪の北側に土居が盛られていて北側の堀切にはまあまあな切岸になっています。城跡が小さすぎるので海側に伸びるコンクリートの岬部分もかつて丘陵があったのではないかと思います。浸食されて小さくなった丘陵部分が今の岬になったかと。
 堀切の北側の住宅地に江戸時代の藩の米蔵が現存しています。

<満足度>◆◇◇

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じゅんじん

海~ (2023/11/18 訪問)

主郭は藪ですね。

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城山休憩所 (2022/06/30 訪問)

 近鉄鵜方駅から三重交通バスにて約1時間、越賀バス停より徒歩5分くらいです。主郭(と思っていますが)へ上る道はありますが、整備されていなくて藪となっています。土塁らしきものがあり撮影しましたが、写真にすると藪だけが目立ちます。
この日は快晴で暑い日でしたが海風が吹いていて体感温度を下げてくれました。志摩の海はめっちゃ美しいです。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 越賀氏
築城年 不明
主な城主 越賀氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、井戸跡
住所 三重県志摩市志摩町越賀字城山
問い合わせ先 志摩市観光協会志摩案内所
問い合わせ先電話番号 0599-85-1212