越賀城は岬に突き出た丘陵上にありますが、浸食を受け周囲が、だいぶ削られているようです。城主は越賀隼人とされていますが、三代にわたって隼人を名乗っており、戦国時代は二代目の隼人隆政が城主であったようです。
九鬼嘉隆が志摩の平定を目指して侵攻してきた際には的矢治郎左衛門・三浦新助・甲賀雅楽・和具豊前ら地元の豪族らとともに越賀城に集結して抵抗しますが、三年の籠城の末に降参し、嘉隆の家臣となったそうです。
当時300の将兵が籠城したことから、当時はそれだけの城域があったようです。北側の狭い道に入ると城址への道が続いています。城内は酷い藪で北側に土塁が確認できる程度で、とても散策できる状況ではありませんでした。
東に1kmほど行ったところに和具城があり岬に突き出た越賀城と同様の造りになっていますが、暗くて写真がイマイチだったのと、藪蚊の大軍に襲われてゆっくり散策できなかったので割愛いたします。
+ 続きを読む