かもやまじょう

鴨山城

岡山県浅口市

別名 : 鴨方城、加茂山城、清滝山城、石井山城
旧国名 : 備中

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

細川野洲家の拠点 (2024/10/10 訪問)

 標高167.7mにある全長約400mの連郭式山城です。駐車場の登城路から登って行くと堀切があり南の曲輪と北の曲輪に分かれています。曲輪は概ね整備さえ歩きやすくなっています。
 縄張り図から石積みと北曲輪先にある堀切を、まず確認しようと思っていました。南曲輪の先には石積みと表示された場所がありますが。崖の上から見てみるとそれらしき所はありましたが、石積みか否か判断できません。下りて確認しようと思いましたが、急峻で落ち葉の堆積もあり断念しました。他の場所から下りて行けないかと少し探しましたが、石積みに近づく道は見つけらません。北曲輪の先には堀切の表示がありましたが、浅くなっているのか、探し方が悪いのか、よくわかりません。
 上記のことは残念でしたが、それなりには楽しく散策しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

鴨方の細川氏の城郭 (2024/01/04 訪問)

鴨山城は周囲三方を川に囲まれた鴨山に築かれ、「備中国主」としてこの地に勢力を誇った、鴨方細川氏の城とされています。細川通董の菩提寺・長川寺から昭和11年に刊行された「細川家系図」によると鴨山初代・細川清国~7代・ 通董まで応永14年~天正16年に至るまで鴨山城主を継承し「備中国主」の任を果たしたと記載されているようですが、この「備中国主」というのは「備中守護職」とは異なるようです。
主郭がどのあたりになるかは不明ですが、城郭体系では登城道を登ってすぐの石積の上部を一ノ檀としています。そこから南に二ノ檀~最南部の五ノ檀に続いていくわけですが五ノ檀の西側の急峻な崖の所に「石積み」の標柱が建っています。しかし、あれは石積なのでしょうか?
あんな危ない場所に石積みが築けるのでしょうか。節理の類だと思うのですが、どうなのでしょう。
城域の南側が主要な部分のようで、堀切を挟んで北側にも郭が連なっているのですが、土塁や堀切などの仕掛けは無いようです。開けた南側と違って、北側の城域は鬱蒼とした山城の雰囲気です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

ラララ 鴨山~♪ (車で行けてゴキゲン) (2024/01/04 訪問)

鴨山城は標高168m、比高140mの鴨山の山頂に築かれている山城で、尾根上に南北に沿って城域が続いています。山間部を舗装路が通っていて、登城道近くまで車で行くことが出来、そこから比高20~30mで城址にたどり着きます。楽に山城を堪能できる上に駐車スペースも有り‥‥‥う~ん、100点、100点満点。これですよ、これ! 広島、山口のムリンドウに泣かされてきた私も最後に救われた気がします。
登城道を登っていくと程なく謎の石積みが見えてきます。岩の各所に仏像が彫られています。ここから南北に城域が分かれているのですが、北と南では雰囲気が異なります。南は山岳寺院のようで、眺望もよく各所に石や石積が見られます。まずは日当たりのよさそうな南側から訪問です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

管領細川氏の残照 (2022/03/20 訪問)

城域は、鞍部を挟んで、北曲輪群と南曲輪群とからなります。北曲輪群が先にできたと。南曲輪群には花崗岩巨石がごろごろ。自然の石垣になっています。北曲輪群は一転して岩はなく平坦な曲輪が続きます。
備後、備中の守護は、細川氏であり、本家京兆家の分家 野洲家が鴨山城を築き、備中浅口郡を支配しました。最後は、毛利家軍に組み込まれ、子孫は、府中毛利家の家老を勤めたと。

追伸:小荷駄さん、鹿伏兎城の投稿にて、ヒロケンさんと並んで名を挙げていただき、ありがとうございます。最後の分かれ道の所に、指差しの道標がありますが、左に折れるのではなく、直進のように見えますよね。私も一旦直進しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 不明
築城主 細川満国
築城年 応永14年(1407)
主な改修者 細川通菫
主な城主 細川氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、櫓台
再建造物 石碑
住所 岡山県浅口市鴨方町鴨方
問い合わせ先 浅口市役所
問い合わせ先電話番号 0865-44-7000