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イタさん

再訪、近くに来たので寄ってみました (2025/02/23 訪問)

前回と変わらない画像となりました。ちょうど2年振りの訪問になるが、大きく変わった所も無いように思える。前は東郭から北下が見え、腰郭と標柱は見えたが、今回は笹などが多く北下が見えない。また半年ほど前に来ているが、木の伐採等で中心部は進入禁止だった。中郭と東郭間の堀切の下草などを刈ってないかと期待したが、前より藪化が進んでいた。

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T-Shionoya

二俣城 隠しアイテムのある要塞 (2024/12/29 訪問)

昨年末に訪れた静岡県浜松市の二俣城。

天竜川が山地から平野へ流れ出るポイントで、江戸中期まで二俣川の合流点であった比高約40mの要害の丘に築かれた城。
北は秋葉山を経て南信濃に繋がる、遠州平野と信濃を結ぶ要衝の地。

1560年の桶狭間の後、今川家臣松井氏の時代に笹岡城から移転された城と推測され、家康時代は鵜殿氏長、中根正照、大久保忠世が城主に。家康の関東移封により秀吉家臣で浜松城主となる堀尾吉晴の弟・宗光が入り近世的な石垣を導入。1600年の堀尾氏移封後、まもなくして廃城とのこと。

現在は北の丸に神社が建ち、南の丸2は未整備ながら他は少々公園化された国指定史跡の城跡。

実際に訪れると、3つの堀切とセットの土塁が比較的明瞭に存在し、折れを伴う虎口が更に要塞感をアップ。
積み直された部分も多いらしいが天守台や大手門を筆頭に石垣が散在し、本丸東側土塁の外側と西の丸1の石垣はまるでゲームの隠しアイテム。

滞在時間は約1時間半。
年末にもかかわらず二の丸周辺が赤く染まっていた二俣城が、私の城郭巡りの193城目となりました。

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ぴーかる

塩河城 (2024/12/28 訪問)

【塩河城】
<駐車場他>登城口の横<35.356443,137.074911>塩河公園の駐車スペースに駐車。
<交通手段>車

<見所>堀切・尾根曲輪
<感想>日帰り小里城攻め旅ラスト7城目。塩河城は築城年・築城者ともに不明で主な城主に可児氏ということしか分かっていません。
先達方の投稿を参考に、登城口は上記ポイントの奥のバリケードの左手の尾根を進みます。右手に鉄塔の平地、進んでゴルフ場の金網を抜けると何となく城跡感が出てきます。どんどん進むとやがて木戸跡っぽい遺構や尾根土橋、尾根上に土塁があります。主郭と思われる切岸の手前に堀切がありますので、その奥が主郭だろうと分かります。主郭は楕円形に綺麗に削平されています。主郭の尾根以外は急峻な斜面になっています。広い削平地は主郭のみで主に尾根を利用した防御だったと思います。これにてこの旅終了、朝早く出立したのでたくさん城跡を巡れました。走行距離455㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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宮内少輔

整備された城跡 (2025/02/23 訪問)

所沢市東端にあり、最寄りの東所沢駅から徒歩でも自転車🚲️でも通いやすい距離にあります。空堀跡もくっきり残っています。城の北西には血の出る松があり、ホラー要素もあります。山頂本丸には、城山神社⛩️が祀られています。
所沢生涯学習センターには城のジオラマがあるので、見ていって下さい!(>_<)

滝の城入り口の看板前から少し離れた所に団子屋がありますが、凄く美味しいのでオススメです!!

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宮内少輔

太平記縁の地 (2025/01/10 訪問)

太田駅北口からシティーライナーおおた新田線で最寄りバス停の反町薬師入口まで20分、そこから徒歩で10分程。

城館跡には反町薬師(照明寺)あり、新田氏関連の史跡の案内図もあります。城館の殆どは水堀で囲われていますが、南側に土塁があり、僅かに城館跡の痕跡があります。また、そこから北へ歩いて30分程の所に新田義貞挙兵の地・生品神社⛩️があるので、時間に余裕があったり、太平記が好きな方に是非オススメです!!😆

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ダイエティシャン

三の丸跡に【しまねっこ御殿🐱】誕生 (2025/02/22 訪問)

三の丸跡の島根県庁内に、【しまねっこ御殿🐱】(=しまねっこの家)誕生。しまねっこ満載のかわいい御殿だそうです。閉庁時間内も外から見ることが出来るそうです。
松江城のお越しの際は、三の丸跡島根県庁内の【しまねっこ御殿🐱】にも是非足を運んでみて下さい。

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にのまる

6年ぶりに。 (2025/01/18 訪問)

鞠智城見学がどのくらいになるかわからなかったので熊本城は翌日にまわしてもいいかなと思っていたのですが、14:30過ぎに熊本城近くのバス停まで戻れたのでそのまま見学に繰り出しました。

前回同様、真っ先に市役所14階の展望フロアへ。復興に向けて力強く歩んでいる姿、今日の姿をしっかりと記憶に留めておきたいと思いました。

城内は見学路が整えられていたので順路に従って見学しました。
長い歴史の中で幾多の困難を乗り越えてきたであろう熊本城。痛々しいままの石垣と美しく積み直された石垣と。どちらも逞しく踏ん張っているように目に映ります。
宇土櫓が完全復活するのは8年後の予定だそうです。その姿をもし見ることができたなら…、見上げることができたならどんなに嬉しいでしょう!

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とばつびしゃもん

負傷した城 (2024/12/31 訪問)

城の北側、カンサヂヤーという建物があるところに車が数台駐車できるスペースがありそこから登城開始。
木々に覆われていて城の全貌が分からないまま道を進み、階段を上ると主郭と思われるエリアに到達。かつて展望台があったようだが撤去されている。
15分の攻城。下城途中、舗装の亀裂に足を取られ転倒。右足の親指に激痛が残る中、2024年最後の攻城を終える。

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小城小次郎

戦国武士との対話 (2024/04/29 訪問)

新津氏の支配領域にあって街道監視等を目的とするお城との評価だが部分的な発掘では戦国時代と結びつくモノは出なかったとか。適度に荒れた城内には手作り感満載の看板類が目に付くが「戦国武士との対話」は遠慮したい(笑)

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とばつびしゃもん

肝高の城 (2024/12/31 訪問)

14年ぶりの登城。当時はなかったあまわりパークに駐車し大晦日も開館している歴史文化施設館へ。阿麻和利をヒーローにしたシアターが見られる。企画展示室では「グスクとは城か?」という展示がありとても興味深く見学できました。
施設館から歩いて数分、西原御門から登城開始。四の曲輪から見上げた三の曲輪石垣の姿は壮観。
三の曲輪から殿舎のあった二の曲輪を通って20分で一の曲輪へ。吹き飛ばされそうな強い風の中、北には金武湾、南には中城湾の眺望は爽快。
阿麻和利が城主の頃は京都や鎌倉ほど繁栄し、肝高(きむたか)と表現されたとか。
下城後、施設館横の観光ターミナルで続日本100名城スタンプポン。

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家城主水祐 (2025/02/22 訪問)

 北畠氏の家臣家城氏の居城と伝わっています。戦国時代の家城主水祐は槍の名人として活躍しました。
主郭の北東にある二重堀切と南の三重堀切が見どころです。二重堀切は深さがある程度残っていて高揚感が高まります。二重堀切を横から写真を撮りましたが、主郭から遠位部の堀切は倒木でよく見えません。三重堀切も撮ってみましたが斜め下からとなり主郭側の堀切がよくわかりません。堀切以外にも帯曲輪や尾根には曲輪の跡と思われる削平地もありました。コンパクトな城址ですが、遺構が明瞭で楽しく散策できます。

 JR家城駅より徒歩にて登城しました。

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イタさん

多古城出城 千葉県香取郡多古町 (2025/02/18 訪問)

先月末に訪問した多古城跡の東に位置する出城になる。今は分断されているが、多古城の台地と地続きだったと言われる。保存会さんの説明には、遺構は半分以上消滅、曲輪跡が残るとあるが、遺構と呼べるものは全く分からない。南中腹には天神社が建っており、平地だが、神社建立時の削平ではないか。社殿の前からは、南から東にかけて眺めが良い。以前は水の多い地帯だったろうか、東の先には並木城が見える。天神社左手から幅30~40㎝の狭い道を上がれるが、すぐに竹藪となり最高部は諦める。

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にのまる

夢の世界へ誘ってくれてありがとう。 (2025/01/18 訪問)

先月下旬、九州の100名城&続100名城(未訪11城)を制覇すべく、リュックひとつを背負って出かけてきました。

事前に細かい予定は立てず、反時計回りで移動して大体1週間くらいで九州一周できるかな?とゆる〜くイメージ。一日毎に(翌日の)予定を立ててコマを進めることにしました。
一人旅なので、行程ミスしても、途中で気が変わっても、ひたすら歩き続けることになっても、ギブアップしても誰にも迷惑をかけることはありません。その点はすごく気が楽です。

実家滞在中だったのでスタートは幡生駅→新下関駅。
福岡県内は全てスタンプ押印済みなので7:32発のさくら401号で一路熊本へ。
最初の目的地は鞠智城。
いきなり難易度高めの経路です。

8:36に熊本駅着。
8:59発のバスに乗り換え、1時間20分揺られて菊地プラザ(電鉄プラザ)で下車。

ここから鞠智城までは、
①きくち観光あいのりタクシー
②タクシー
③徒歩約50分
の3択。(※自分調べ)

①のあいのりタクシーは時間が合わなかったので×
普段なら③の徒歩を選択するところですが、見学時間を少しでも長くとりたかったのでタクシーに来てもらいました。料金は1,400円だったと記憶してします。
(帰りは鞠智城発13:00のあいのりタクシーを予約しました。一人400円です。)

乗車10分足らずで温故創生館に到着。
目に飛び込んできた堂々たる八角鼓楼!
写真でしか見たことのなかったその姿を目の前にし、来てよかった、無事に来られてよかった。ここまで連れてきてくれた山陽本線と新幹線とバスとタクシーの運転士さんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。ここから先は自分の足で歩きます。

温故創生館でスタンプを押して展示見学と予習。城内へ繰り出します。かなり広いですが、わりと隅々まで歩きまわれそう。遥々来たので貪欲に行きます!
深迫門・堀切門・南側土塁線・池の尾門・復元建物とまわりました。礎石好きには堪らない門礎石。長大な土塁線をイメージ再建して仰け反ったり、建物礎石群と復元建物で古代へタイムスリップしたり。
見晴らしのよさや歩きやすさはお手入れをしてくださっている方々のおかげ。幸せMAXな時間を過ごすことができました。

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まさお

関東100名城達成! 水戸城ドライブ (2025/02/16 訪問)

新車2回目のドライブで関越道・外環道・常磐道経由で水戸城と偕楽園に行ってきました。
弘道館・水戸黄門神社・大堀切・二中見晴し台・二の丸角櫓・大手門と回りました。
偕楽園は時期が早すぎたせいか、まだ梅はほとんど開花していませんでした。

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天守閣を観る (2025/02/20 訪問)

 この日は朝は晴れていました。白亜の天守閣が青空に映えて綺麗に見えました。こんな青空に恵まれた姫路城は久しぶりのような気がします。昼頃には雲が多くなってきましたが、いい風景を見ることができました。冬の特別公開を観に来て早めに帰るつもりが、天守閣周囲をし一周してしまいました。北側にある堀の外側より観る天守閣が好きです。

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けむん

登りやすい山城でした (2025/02/20 訪問)

登城道が良く整備されていて、楽に登れました。塚脇バス停から30分位でした。頂上からは、大阪全体が望めて確かにここに築城するだろうなと感じました。

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カズサン

天守曲輪・天守閣ー4/4 (2025/02/17 訪問)

 冬枯れの浜松城散策探訪、搦手の埋門が樹木の景観整備、伐採、剪定作業で通行止めと成って居ましたので、天守御門から入り天守閣には登らず外回りをグルーと見て何時もながらの写真ですが投稿致します。
 一点今まで気付か無かったのですが天守御門東側下の側溝南にパイプが敷設されて水はけが南広場方向の側溝へ流されるようになっていました。浜松城を守るためなのでしょう。
 最強の寒波第二波でしょうか、北西の風が強く吹き抜けていましたが天守閣は観光客で賑わっていました。
 

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カズサン

本丸囲い石垣・土塁ー3/4 (2025/02/17 訪問)

 浜松城の本丸南側に天守曲輪南東隅から石垣・土塁が南東角まで伸びて多門櫓、鉄門、菱櫓が構えていました、現在は天守曲輪南東隅に石垣・土塁の一部が残存し、多門櫓下の石垣は発掘調査で発見されて底辺部整備されて残存現地展示されています。
 又本丸北側には天守曲輪北東から東に富士見櫓台が東端に在りその下段から東に石垣・土塁伸びて北東隅底石垣が一昨年のどうする家康大河ドラマ館の北側に石垣露出展示館が併設されて、本丸北東隅石垣として露出展示されていました、その地点まで本丸囲い石垣・土塁でした。
 冬枯れ草刈整備されて本丸囲い石垣・土塁南側と北側の残存部分が良く見える様に成って居ました、この時期のプレゼントです。
 東側の本丸は半分ほど消滅して石垣崖法面と南北の通路と成って居ます、しかしその地下には浜松市役所駐車場となって東側の石垣底辺部が残って居ります、本丸を復元されると東側の石垣と裏御門が見えて来る様に成るのですが、どうなる事でしょう?
 草刈されて良く見える様に成って居た本丸囲い石垣・土塁の写真を投稿します。
 

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トク

⑧【護佐丸と沖縄6城】(4)勝連城(2/2) (2025/02/06 訪問)

勝蓮城の続き(2/2)です。二の曲輪から階段を登り(写真①)、いちばん最上部の一の曲輪へ着きました。一の曲輪には玉ノミウヂ御嶽がありました(写真②③)。ここは祈祷をする場所でもあり見張りの場所でもあったようです。東は知念半島と宮城島(写真⑤)、北には金武湾(写真⑥)、南は太平洋、西は中城湾(写真⑦)と四方を海と半島に囲まれた、とてもすばらしい景色でした。

護佐丸がまだ座喜味を居城としていた頃、先の勝連按司「茂知附」は尚国王に従おうとはせず、勝連で独裁政治を行っていました。そしてだんだんと勢力を拡大し、国王を脅かすようになります。阿麻和利は嘉手納の農民の捨て子で、茂知附に拾われ育てられたと伝わっています。1440年悪政により困窮している勝連の領民たちを見かねた阿麻和利は、何と養父の茂知附を討ち自らが勝連按司となります。そして漁業や貿易を盛んにし、勝連を豊かな地にしたため、領民からは慕われていったようです。

しかし同じ年、三代目の琉球国王となった尚中の命により、護佐丸が座喜味より自ら築いた中城城に移り按司となります。阿麻和利は勝連按司となったものの、勝連城を睨むように巨大な城を建てた護佐丸を常に脅威に感じ、やはり琉球国王には従おうとしませんでした。

しかしその13年後(1453年)、阿麻和利に転機が訪れます。王位継承をめぐり四代目「尚金福」死後、王の子「志魯」と王の弟「布里」の間で家督争いが起き、首里城は戦乱で焼かれ両者ともに命を落とします(志魯布里の乱)。その3年後に首里城は再建され、二番目の弟「尚泰久」が王位に着くと、弱体化した王朝を立て直すため、国王は自分の娘「百十踏揚」(ももとふみあがり)を阿麻和利の妃にして和睦を計ろうとします。しかし阿麻和利はこの関係を逆に利用し、護佐丸と国王をこの際一気に滅ぼして、琉球王国を乗っ取ってやろうと企んだのでした。

私は勝連城の一の曲輪から中城湾を眺めて見ました。確かに喉元に刃(やいば)を突きつけるような場所に、護佐丸の建てた中城城が見えました(写真⑦)。

勝連按司となった阿麻和利は、「どうやったらあの邪魔な護佐丸を滅ぼす事ができるのだろうか?」。毎日ここから中城城を眺め、その事ばかりを考えていたのではないでしょうか?

次は「首里城」に続きます。
 

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todo94

えびのスカイライン沿い (2025/02/10 訪問)

野尻城からの転戦です。入口の標柱は国道268号の路傍、運転していても見えやすい位置に建っていますのでわかりやすいかと思います。ただ、整備の手はあまり入っておらず、案内表示も何もないので、城内の散策には多少難渋するかと思います。グーグルマップのポイントの地点にはとりあえずたどり着くことができました。

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