大和郡山城は豊臣秀長の居城でしたが、江戸時代も松平氏・本多氏と譜代が入り、享保9年(1724)に柳沢吉里が15万石で入っています。柳沢氏も江戸時代は譜代の扱いになっています。追手向櫓は明治6年に取り払われてしまいましたが、昭和62年に再建されています。この日はたまたま公開されていて、梅の盆栽の展示が行われていました。
関ヶ原の合戦の後、城内の建物の多くは伏見城に移されたとされますが、天守は二条城に移されたそうです。今は天守台が残り、展望施設となり公開時間が限られているようです。
10月~3月:7時~17時
4月~9月:7時~19時
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