みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

カズサン

加越国境の城・切山城主郭周辺 (2024/04/20 訪問)

 今回主目的の切山城、北陸路12番目で初登城、寺中御台場より東へ14.2km程です。12年前に佐々軍の松根城を訪ねて以来、前田軍が松根城に対峙した切山城。香川元太郎画伯作画、千田嘉博教授監修の切山城想像俯瞰図を以前より見ていましたので是非訪ねたいと思い続けた願いが叶いました。

 駐車場:無し、林道入口手前の幅広三角エリアに路駐2台は可能?(36°36'12"N 136°44'53"E h=80m)、国道304号線を金沢市宮野町イ辺りから小原道(舗装で整備されてる)に入り北に約1km程に〈造林作業道/オトシの坂道/幅員3m〉黄色い菱形表示番が立ってる。

 参考資料:城郭放浪記さん同縄張図、余湖図コレクションさん、千田先生香川画伯の想像俯瞰図、グーグルマップに依る。

 林道坂道を徒歩で城郭放浪記さんも車を路駐し徒歩なので、約400~500m登ると案内解説板の在る所へ到着、坂道は砂利道ですが以前はコンクリート舗装の痕跡有り、軽4トラック、軽4駆であれば問題無く坂道走行できます、駐車も案内板辺りに数台は可能。
 林道坂道の途中に横矢掛りのエリアが有り北山手に横堀長く伸びはじめ1条で西に入ると2条の横堀で竪堀で東西遮断、南側小山には横矢が掛る様な台地が有ります。
 
 案内板北、西奥にスロープが有り馬出東下に登れるようですが以前の土塁登りで足首捻挫した経験から更に旧小原道を西に200m程廻り尾根道から切山城に登る、杉林にピンクテープ巻かれてそれなりに理解、尾根道に堀切、土橋に左右に堀切。
 主郭へは土橋より正面に外枡形が付き北から入り東へ曲がり主郭の虎口へ、主郭北側下には広い郭が西から北へ廻っている、主郭は土塁が廻り、南側に出張る様に櫓台がある、主郭東に虎口が在り土橋を挟んで馬出曲輪に成っている。
 馬出の東下、北下には曲輪が在る、東の曲輪からはスロープ状で小原道北側の兵舎溜りへ続き東西を断ち切る竪堀に続く。

 先ずは主郭周辺の写真を投稿します。香川画伯、千田先生の想像俯瞰図を現地の切山城で体験し緊張と感動の登城です。
 次に馬出周辺へと続きます。
 
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まさお

富士見市 難波田城公園 (2022/11/15 訪問)

鎌倉時代から戦国時代まで存在した難波田氏の居城跡に建てられた施設で曲輪等のほか、移築させた古民家・長屋門や行田市から寄贈された古代蓮などもあります。資料館では当地の歴史を学習することができます。知人が市民学芸員をやっています。

+ 続きを読む

まさお

加須 騎西城 (2023/06/18 訪問)

昭和50年に町制20周年を記念して建てられたそうです。郷土資料展示室として活用しているとのことです。

+ 続きを読む

まさお

小倉城跡 (2023/11/03 訪問)

スリーデーマーチ開催と重なり嵐山地区は人であふれていました。人込みを抜け大福寺裏手より小倉城跡へ登城しました。絶好のハイキングでした。下山後「昭和レトロの玉川温泉」に行きました。

+ 続きを読む

まさお

畠山重忠の菅谷館跡 (2024/04/29 訪問)

3回目の訪問。過去2回は東武鉄道主催の健康ハイキング「嵐山渓谷」での訪問でした。NHK大河ドラマでの畠山重忠とは違って年配の重忠の像が立っていました。

+ 続きを読む

まさお

比企城館跡群の平山城 (2024/04/29 訪問)

鉢形城跡から国道254号で30分のドライブ。登城スタンプは嵐山町役場入口ということで、町役場を目指す。町役場は丘の上に突然、劇場が現れたと驚くような立派な建物でした。スタンプが壊れていてインク漏れがあり、スタンプ帳が汚れてしまった。スタンプ押印の際には十分にご注意ください。
杉山城跡は、町役場から5分ほどの中学校隣地の丘陵上に地形を生かした城跡で、観光バスでのガイドツアーの方が大勢いました。

+ 続きを読む

チェブ

勝姫が見守る子供にやさしい公園。 (2024/04/13 訪問)

『上三川』、小学1年生でも漢字で書ける「上三川城」です。
宇都宮家一族、横田 頼業さんが築きました。

昭和感漂う『城址公園通り』の途中、お肉屋さんの揚げ物の良いにおいがすると、「上三川城」の入口に到着しました。
駐車場もあります。この日は土曜日で桜が満開。駐車場は季節により込み合い方が違いそうです。
水堀と土塁が本丸を守ってました。遊歩道が水堀横に続いているので右回りで散歩です。
鯉や鴨がゆったり泳いでます。折れがありましたが、復元か遺構かは分かりません。
一部 石垣で飾られてます。これはこれで美しいです。
途中、土塁に登れる階段があります。土塁の上も歩きやすく整備されてました。土塁は高さがあります。近くの幼稚園(保育園?)が入学式のようで、晴れやかな笑い声が聞こえます。
本丸に降り『勝姫稲荷神社』。こちらの勝姫様は、跡継ぎ問題で戦になり、片目に矢を受け堀に身を投げたんだとか。
今は公園の桜の花びらが勝姫様に降りかかります。
本丸では保育園の子供たちがお散歩してました。

こちらの「上三川城」は小さな子供が多い印象です。
『城址公園通り』を歩いてみたら、昭和感を感じました。でも、比較的 若い家族が住む新しいお宅が目立ちます。
新しい世代が「上三川城」を整備して、笑い声が絶えない本丸なら、勝姫様も穏やかに過ごす事ができるだろと思った「上三川城」攻めでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まさお

埼玉県を代表する堅城 (2024/04/29 訪問)

本日2城目。行田忍城から約1時間のドライブでした。荒川玉淀河原の河岸段丘の崖上で、荒川とその支流深沢川に守られた堅城
とのこと。規模が大きくじっくり見るには半日以上かかりそうです。また来ます。

+ 続きを読む

刑部

城と桜 2024 (2024/04/16 訪問)

桜の時期の松本城も最高でした! また、近くにある犬甘城の桜も最高です! ここから松本城がよく見えます。 写真の5枚目からは犬甘城で撮影です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

刑部

小笠原長時の城 (2024/04/16 訪問)

戦国時代の山城、小笠原長時の居城なので訪問。
小笠原氏城館より登城しました、途中土砂崩れで木が倒れてて道を塞いでいましたが何とか乗り越え30分ほどで主郭部へぐるりと散策かなり遺構が見られ満足。下山しようとしたら女性が1人で登って来てビックリ人影がゼロだったので・・話をすると反対側から40分以上かけて上がって来たとのことなんかいい出会いでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まさお

2回目の忍城 (2024/04/29 訪問)

昨年に続いて2回目の登城です。駐車場整理の係員さんが日本100名城94城達成の方で自分も頑張ろうと決意を新たにしました。

+ 続きを読む

まさお

絶好の低山ハイキングの地 (2024/04/18 訪問)

八王子城に続いて滝山城跡(現在は都立滝山公園になっているそうです)に行ってきました。駐車場から滝山城跡碑を通り、ガイドマップに従い一周ハイキングしてきました。かなりの規模がある城跡です。

+ 続きを読む

まさお

北条氏が築いた山城 (2024/04/18 訪問)

北条氏照が滝山城の後に築いた本格的な山城。 ガイダンス施設から石段を通って御主殿跡まで行きました。本丸登城は次回にとっておきます。

+ 続きを読む

todo94

年度末の城めぐり (2024/03/28 訪問)

2023年度末、有給休暇をとっての旅は2023年末に続いて長崎県にしました。佐世保鎮守府周遊ラリーを完遂するためです。前日は、朝一で家を出て無事、献血ルーム西海にて献血することができました。佐世保に泊をとってレンタカーを借り受け、まず向かったのが広田城。登城路が民家の中を通っている感じで二の足を踏んでしまいます。ウッドヒル広田という住宅地の奥にある「ひろたの丘公園」からのアクセスだったら気兼ねすることなく登城できます。土橋、空堀、土塁などの遺構を視認することができますが、城址碑の存在がなんともうれしい限りです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

松尾山城の出城(2)。小早川秀秋はガチだったと結論(想定)。長期の投稿ご容赦を (2024/04/14 訪問)

GWに関ヶ原を訪れる方もおられることと存じますので松尾山城での投稿はこれでキリにさせていただきます。長々と投稿させていただきましたことを、ご容赦願います。最後に松尾山城の出城の続きになります。半ば無理やり登城しましたが、城址の西側には明確な遺構が集中して残っています。これまで、この陣所の存在が明らかになったことは有りませんが、それが意図してのことなのかは不明です。
土塁が北側、大谷吉継の陣の方に向かって続いています。最初はわかりにくい程度ですが、だんだん明確に土塁の形状をしてきます。続いて堀切と土橋が現れます。堀切は二つ続いていていずれも土橋がかかっています。一つ目の方深く、形状が良く残っています。その先に扁平地が続いた後に下に向かって竪堀が続いています。敵の侵入を阻止するのが狙いだと思います。
東側高所の扁平地が主要部と思われますが、西側ほど明確な遺構は残っていません。山頂付近を始め各所に開発の手が入っていて、散策が危険な個所もあります。一部ではありますが、明確な遺構を確認したことで、ここに松尾山城勢力の陣所があったと想定します。
私は対面の山中の城山(仮)に宇喜多秀家の陣所が有ったのではないかと想定しており、松尾山の陣には本来なら毛利勢が入る予定だったのではないかと考えています。根拠は三つの山とその周辺を自分の足で散策して、歴史的な背景や人物の立場などを考慮、地形の形状や構造から見る、その役割など総合的に考慮してのことです。もちろん、白峰氏らによる一次史料の解読の内容を知らなければ、関ヶ原にこんな場所があったのかで終わりです。
合戦前に松尾山とこの陣所を押えたことで、小早川が東軍側に付いたことは明白で、事実上の西軍の主力の正面に軍勢を配置したことで小早川秀秋に対する従来の(優柔不断で気弱)イメージは大きく変わってくると思います。この状態での長時間の対峙は難しく、開戦と同時にこの周辺でも合戦が行われた可能性は高いと想定します。

個人的には小早川秀秋には最後まで立場を明らかにしないで欲しかったというのはあります。その方がミステリアスで深堀りができますから。
小早川秀秋は合戦から2年後、21歳の若さで亡くなりますが、生まれは天正10年(1582)死亡は慶長7年(1602)なので21は数えで実際は20歳で亡くなったのだと思います。合戦の際は実年齢で18歳前後です。この時代の人物は吉川広家や毛利秀元、小早川秀秋など誰一人侮れる人物はいないと改めて感じました。特に合戦に自ら赴いてくる者はなおさらです。毛利ポンコツトリオは言いすぎでしたね。広家さん、秀元さんゴメンなさい。輝元さんはよくわかりません。

小早川の死後の翌年に徳川家康が征夷代将軍に就任します。実際に秀吉の時代・関白の方が征夷代将軍よりはるかに権威が高かった期間が3年あり、かつて秀吉の後継者候補であった小早川はその存在を危険視され暗殺された可能性もあると考えます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

豊臣秀次館 (2024/03/23 訪問)

石垣よきよき~

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

2回目 (2024/03/23 訪問)

琵琶湖が見られませんでした( ;∀;)
石垣よき
ねこ多し

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

掛川桜 (2024/03/02 訪問)

ピンク濃いめの早咲きです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

永林寺 (2024/02/17 訪問)

お寺の奥に城跡があります。お寺が立派。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まさお

岡山 烏城 (2024/03/30 訪問)

宇喜多秀家が構築した烏城 登城者は圧倒的に外国人旅行者が多かった。

+ 続きを読む

ページ238