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まさお

岡山 烏城 (2024/03/30 訪問)

宇喜多秀家が構築した烏城 登城者は圧倒的に外国人旅行者が多かった。

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まさお

秀吉水攻め 中国大返しの舞台 (2024/03/30 訪問)

岡山駅からJR吉備線で備中高松駅下車 徒歩15分位で到着。城跡というより水性植物園のような印象でした。

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カズサン

復元御台場 (2024/04/20 訪問)

 松任城終えて松任駅前のホテル宿泊し朝7時半にホテルを出発し北陸路11番目北北東に約8.6km程の寺中御台場を初登城。

 駐車場:銭屋五兵衛記念館駐車場(36°35'48"N 136°35'47"E)利用。
 参考資料:城びと、グーグルマップに依る。

 駐車場から大野湊緑地公園に入り復元されてる台場の土塁を見学、砲座一門の復元、解説板によると土塁80mの内17mを部分復元し大砲は700m西の犀川方向を狙っていた、下関戦争を考慮し外国勢上陸後の対応を図った模様。寺中台場は慶応2年(1866年)加賀藩によって築かれた。
 大野湊緑地公園には回遊式庭園が造園され、隣接地に銭屋五兵衛記念館が有りますが朝早く開館前周囲を見学、東奥には鬱蒼とした森が有り大野湊神社が鎮座してる、加賀藩5社の筆頭で加賀藩にも篤く祀られていた。
 
 奇麗に整備された緑地公園によく保全されている、大変ありがたい。銭屋五兵衛記念館は朝早くて見学できませんでした。
 この後は今回の主目的、切山城へ向かいます。
 
 

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ぴーかる

詰城の踏破ならずも収穫あり (2024/02/24 訪問)

【夕景城】
<駐車場他>北麓の堅田地区から登城しました。<35.111863, 133.044869>から南にどんどん進んで行くと石敷道と東方向に行く分岐があり、その分岐に1台停めれる。
<交通手段>車

<感想>1泊2日尼子十砦の旅ラスト9城目。尼子十旗のラスト1こ、2023/2/26の攻城ならずのリベンジに来ました。昨年来た時から林道が整備されていて上記駐車ポイントから石敷道がかなり奥まで出来ていました。前回は雪もひどくて進めませんでしたが、今回行ってみて結局、熊笹もひどくて雪が無くても全然進めなかったであろう事が分かった。
 石敷道が終わり林道に入ると林道の横に並行して堀があり、その上段に広い削平地があります。大石も数個転がっています。丸太橋を渡り(少し怖い)少し進むとサイト城郭放浪記さんの平段と名付けた曲輪群に着きます。北正面に崩れた石積み遺構があり南の山側に広く連段となっています。手前の方は杉が植林整備されていますが、奥の上段は熊笹が鬱蒼としています。連段の東側は近年改変した道が付けられていますが途中で終わっています。連段の段差に僅かに石積み遺構が見られ、発見したのが東側、沢の方を藪漕ぎして上へ行くと、掘り下げて石組した沢からの取水場のような遺構と曲輪壁の内側を角に切った石垣遺構がありました。これらが遺構であれば麓居館跡だと思います。
 道が無いので詰めの山城の登山口が分からず、平段を藪漕ぎして上へ行ったり、沢を登ってみたりして迷走、時間をロスし、平段の横の沢を渡り、保安林の看板のある所から奥へ進み、尾根が急斜面に迫った場所から登りました。登るにつれて上方が積雪になっていて靴がぐちょぐちょ、雪に阻まれ、時刻が17:00でタイムアップとなり、またもや断念しました。後日、城郭放浪記さんの写真と照合して登山口は合っていそうなので登城の目処はたちました。14:30に到着しましたが、時間も相当かかりそうなので積雪の無い時期、朝一番目に攻めようと反省し、今シーズンのうちに再チャレンジしようかと思います。城びと唯一、尼子十旗をコンプリートされているtodo94さん、2回目の夕景城挑戦でさらりと攻城されておられるのに感服いたしました。
 
 これにてこの旅終了。尼子十砦の城は砦跡らしく、山の尾根や山頂部を僅かに削平しただけの小規模のものが多かった。尾根には堀切がほとんど無く、この地方独特の城郭構造の特徴ではないかという感想を持ちました。投稿としては初投稿、初登城記録合わせて3城できた事は嬉しい。総走行距離控え忘れたが無事帰還しました。

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ヒロケン

能登半島地震の爪痕 (2024/04/29 訪問)

賤ケ岳の合戦以降、前田利家公が金沢城に入城して以来、近世城郭としての形が整えられ版籍奉還まで14代にわたって金沢城は前田家の居城として改修や修繕が行われてきました。
この度、金沢城に訪問し能登半島地震で崩れた石垣や膨らんだ石垣を見てきました。崩れた石垣が3か所、膨らんだ石垣が1か所あり、城内で通行の規制がかかっている箇所が数か所ありました。主に本丸と玉泉院丸の石垣がダメージを受けておりました。
ですが、重要文化財の建物や復元・復興された建物にはダメージが無かった様に思います。

早く、復興されることを願っております。

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けむん

外堀を歩きました (2024/04/12 訪問)

四谷から赤坂見附まで、外堀を巡りました。

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けむん

とりあえず平日に行ってみました (2024/03/22 訪問)

前回、休日に訪問したら、人人人で、まともに見学できなかったので、平日に訪問して見ました。外国人の人が多かったですが、それでもゆっくりと見学出来て良かったです。西の丸庭園は、ガラガラでしたが。

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けむん

ロープウェイで楽に見学できます (2024/03/20 訪問)

山頂の主郭部分は、ロープウェイで行けば、比較的楽に見て回れます。下りは道を降りる予定でしたが、雪のために断念。ロープウェイも一時停止して心配しましたが、どうにか帰還できました。麓の秀次居館跡と八幡堀を見学して帰りました。

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けむん

大石垣が見事でした (2024/03/21 訪問)

単独行だったので、案内が欲しかったので滋賀MKタクシーの観光タクシーを利用して攻城しました。雪模様の中、定番の本丸から平井丸、池田丸、大石垣を巡ってきました。また、別途、桑實寺と石寺の館跡も巡りました。野面以前の石垣が見ごたえのある巨大な城でした。

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けむん

アイヌと屯田兵の勉強になりました (2024/04/21 訪問)

クラブツーリズムのツアーで攻城しました。釧路のチャシの見学もあり、アイヌや北海道の歴史が理解できる良いツアーでした。

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カズサン

松任駅頭の城址公園 (2024/04/19 訪問)

 安吉城を終えて北陸路10城目北に約5km程の松任城にH29年6月以来2度目の登城、当日は松任駅に近いホテルに宿泊、チェックインが5時前でしたのでチェックインを済ませて陽もまだあり街中での夕食も兼ねてぶらりと探訪。
 松任駅の南側に松任城址公園がありそこが旧跡に当たります、公園としてよく整備されて市民の憩いの場、散策の場でもあります、入口に松任城の歴史と題して案内解説板が有ります、東側の石橋近くに松任城略年表石板が有ります。
 城跡の案内石碑は無いかと南側をぶらりと、石碑などは見当たらなく、立派な赤松が願念寺門の左右に有りましたので見とれて撮影。
 松任駅は駅の上に北陸新幹線が走っていますが残念ながら停車しない、上り下りと走って居ましたので逆光の松任駅頭新幹線を撮影、また駅頭東に千代女の里俳句館が有り前に千代女の像と顕彰碑が有りましたのでゆっくり眺めてこれも撮影。

 当日は朝、昼と越前そばを頂きましたのでラーメンが食べたくなり松任城址公園の南西方に中華店があり、ラーメンと餃子を当てに瓶ビールの夕食でした。
 明日は今回の主目的切山城に登城です。
 

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カズサン

小公園に城址碑が立っています (2024/04/19 訪問)

 舟岡山城を終えて北陸路9城目北西に約8.2km程の安吉城に初登城、田園の中の山島コミュニティセンターに在ります。

 駐車場:山島コミュニティセンター(石川県白山市安吉町119)の駐車場を利用
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 山島コミュニティセンター北東の角に小公園として円筒柱に安吉城址と刻まれた石碑、暗くて黒く良く読めませんでしたが安吉城とその下に由来が記されてる石板が立居ました。
 森元総理の就任記念桜と根元に記念碑が有りさすが地元だと納得。

 城郭放浪記さんの情報では南に土塁の痕跡?と有り探査しましたが用水脇の土盛りか、民家側の土盛りか良く分かりませんでした。

 この城跡も加賀一向一揆の勢力、大窪家長で川筋一帯に4万石を領していた。(城郭放浪記さんより)

 夕刻迫り西陽が逆光となり写真撮りに一苦労。

 

 

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まさお

日本100名城巡り 第1弾! (2024/03/29 訪問)

今日から100名城巡りスタートします。

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東海茶飯駿

きれいな海が見える城 (2023/06/23 訪問)

私の住んでいる長崎市外海地区にあるお城址。
中世の頃らしく、お城というより要塞だったというべきか。

たまたま神浦に行ったので、寄ってみた。
お城の影は少しもないが、休憩所から見る角力灘の景色は最高だった。
夕陽もさぞきれいに見えることだろう。

訪れるとすれば晴れた夕方に、角力灘に沈む夕日が見られる時がいいと思う。

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東海茶飯駿

御城印初GET! (2024/03/26 訪問)

平戸城へ昔の会社の仲間と行きました。
当然御城印ももらいました。
この御城印。「ごじょういん」と読むものとばかり思っていましたが、「おしろいん」なのね。

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todo94

近江の城めぐり⑯ (2024/03/10 訪問)

長光寺城からの転戦です。フェンスで囲まれた門跡とみられる石垣がまず目に飛び込んできました。その奥にきれいに土塁が連なっています。土塁の外側はかつては水濠であっただろう空堀が巡っていました。今回の近江の城めぐりの締めに素敵な城に出会えて大満足です。小荷駄さんの投稿にある徳昌寺は未訪なので機会があったら訪れたいと思います。滋賀県にはまだまだ素晴らしい城があると思うので楽しみです。蒲生スマートICが近くなので、帰路は非常にスムーズでした。

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しんちゃん

破城の痕跡? 三日月堀が二か所あるようだ (2024/04/29 訪問)

宇利城は文明年間(1469~1487)に今川方の熊谷重実が築城したと案内板には記されています。その後、享禄2年(1529)に松平清康の侵攻によって落城、天文14年(1545)には今川義元の攻撃を受け、今川氏に仕える近藤満用らが在城したとあります。文禄11年(1568)家康側に寝返った近藤氏は居城を柿本城に移し、その後の宇利城の状況は定かではないと記されています。
登城道の途中には松平右京亮の墓があり、本丸と二の丸(姫御殿)の間は堀で分けられ、本丸には北側に土塁が残っていました。西側の郭に石垣が残っているようなのですが、そこに至る道はシダの雑草が生い茂って通行が困難です。途中に井戸が有るのですが、それも草に埋もれかかっています。その先の道は草で見通しが悪いうえに下りが急になっているので、危険と判断し引き返しました。
この城は自分の家からはそれほど距離があるわけでもないので、いずれ訪問の機会があるかもしれません。その後は御馬屋平に向かいますが道はかなり崩れて来ており、これ以上崩壊すると通行は難しくなるかもしれません。
なぜか御馬屋平の入り口にロープが張ってありますが、せっかく来たのでちょっとだけ覗いてみます。すると‥有りました 三日月堀が。だいぶ埋もれてきてはいますが、これは確かに三日月堀です。状態としては野田城のそれに近いですね。
実は本丸の南の郭にも三日月掘らしき場所がありました。破城の痕跡らしき箇所も近くにあって、石が散乱し、だいぶ堀も埋まっているのですが自分には三日月掘の跡に見えました。岩略寺城の三日月堀に形態が似ていると思います。二つ目の三日月堀らしき箇所を確認したことで、この城には三日月堀が有った可能性が有ると考えます。
三河で三日月堀を確認した城は松平城山城、岩略寺城、野田城、古宮城 そして宇利城です。文禄11年以降の宇利城の状況は不明とされていますが、三河諸城同様に天正12年以降に改修を受けている可能性もあります。

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小城小次郎

声が出る。たぶん。 (2023/11/03 訪問)

立地的には安宅本城の詰めの城的な役割を考えたくなるが安宅一族の内紛で落城したと伝わる16世紀前半に当てはまる焼土層より上には遺構がないというから不思議。遺構の見事さには声が出る。たぶん必ず声が出る。

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しんちゃん

畔田城 豊橋市城下町 (2024/04/28 訪問)

畔田城は豊橋の豪族、畔田氏の城とされています。城びとの城ではありませんが、豊橋の城址では良く遺構を残している城です。平城に近いですが海に突き出した台地上に築かれた丘城(平山城)と言って良いと思います。畔田氏は寛正2年(1461)以前には豊橋市南部を支配し、戸田氏が勢力を伸ばす前の田原にも居住していたそうです。畔田氏は今川氏に従いますが、今川氏の衰退と共に、没落していったと考えられています。
城跡は住宅地の近くにありますが、遺構は良く残っており、北側から城址への道が続いています。四郭や三郭には土塁が残り、三郭と二郭の間には大きな堀があり土橋がかかっています。二郭と主郭の間にも堀があり、ここには橋が架かっています。主郭には案内板と祠があり、南側は木々に遮られて見通しは悪いですが波の音が良く聞こえます。おそらくその先は断崖絶壁で遠州灘が広がっているはずです。太平洋戦争時にも改修を受けているようで、おそらく塹壕や見張所の類としての扱いだったのではないかと考えます。主郭と二郭の間の堀は西は竪堀のように細く下にむかって続いているのですが、東側の堀底が不自然なほどに広いです。高射砲などを設置できるように二郭を削って堀底を広げてあるのかも知れません。

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名城一人旅

平成の大修理 (2014/06/21 訪問)

国宝姫路城の第天守保存修理工事
( 2009年6月〜2015年3月 )
姫路城(白鷺城)には何度か行きましたが
日本100名城、続・100名城巡りをするように
なってから今まで以上に興味が湧きました。

過去にフイルム写真で撮ったものを思い出し、
デジタルカメラで撮ったものとを比較しました。
修理中のクレーンとの2ショットはもう二度と見れないと
思います…。

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