吉野ヶ里遺跡の周辺には縄文時代から人が住みはじめ、紀元前4世紀ごろには集落が形成されたようです。3世紀ごろには最盛期をむかえ、この周辺だけでも千人以上いたと推測されています。
吉野ヶ里の丘のいろいろな場所に甕棺がまとまって埋葬されていて、想定では15000を超す甕棺が埋められているとのことです。甕棺に葬られた遺骨の中には刀傷があったり、首が無いものも含まれており、倭国大乱とかかわりがあるのではないかと考えられています。
北墳丘墓は歴代の王が埋葬されている特別な墳墓と考えられており、異なる種類の土を南層にも突き固めた人工的に造られてた丘です。墳丘墓の内部はは展示用に公開されており、ここからは14基の甕棺が見つかっています。
主祭殿は周辺の王たちが集まって決議を行ったり、祭祀を行い信託を受ける場所として吉野ヶ里遺跡でも最も重要な建造物であったようです。
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