16世紀の初め頃から天正13年まで紀州守護の畠山氏が拠っていたお城とされ、羽柴秀吉による紀州攻めの際には畠山式部大輔なる人物がここで討死している。西の城まで行ければいいやと思って登ったがそこまででも結構高かったw
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2024/05/20 21:19
西の城まででも結構高かった (2024/11/04 訪問)
16世紀の初め頃から天正13年まで紀州守護の畠山氏が拠っていたお城とされ、羽柴秀吉による紀州攻めの際には畠山式部大輔なる人物がここで討死している。西の城まで行ければいいやと思って登ったがそこまででも結構高かったw
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2024/05/20 20:48
戦後時代の平城が復元された貴重な城 (2024/05/06 訪問)
井田川左岸に立地する戦国時代の平城です。天正13年(1585)、羽柴秀吉が富山城に拠る佐々成政を攻めた際、秀吉の本陣となった白鳥城の支城として築かれ、前田氏の家臣 岡嶋一吉が居城したとされます。
国史跡に指定され、発掘調査を元に復元整備されています。戦後時代の平城で復元された城は初めてで珍しいです。
本丸・二の丸・右郭の3つの曲輪の周囲は水堀がめぐらされ、本丸・二の丸は土塁で防御し、各郭の間は土橋・木橋で繋がっています。
本丸の土塁は幅広で高く、土塁上から二の丸・右郭を見渡せます。幅がかなり広く分厚い土塁で驚きました。
全体像が分かり易く、よく整備され水堀・土塁が綺麗で気持ちいい城でした。
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2024/05/20 20:06
吉川氏の支城としての役割を持つ。 (2024/01/03 訪問)
今田城は山県一族今田氏の城とされ、今田氏が没落すると吉川経高が城館を継承し、毛利元就次男の元春が吉川家を相続してからは、吉川元春の居城・日山城の支城としての役割を果たしたそうです。駐車場は閉鎖されていて、登城道の近くにあるこぶしの名水の駐車場も使用できません。しょうがないから、なんとか駐車できそうなスペースを探して戻ってきます。
三郭、二郭と順番に訪れ主郭にたどり着きます。三郭に入る手前には意味深な石が散らばっています。しかし、そこから先には石垣は見られず、主郭の周囲にわずかに土塁が残るのみです。
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2024/05/20 19:39
郭の数は少ないが堀切が良く残っている。 (2024/01/03 訪問)
野田山城は吉川氏の最北の守りと考えられている丘城です(城郭体系には山城と記載あり)。単郭の城郭のようですが、周囲には立派な堀切があり、小規模な城ですが守りは堅固です。城主については不明な点が多いのですが、板垣内蔵之助と記された資料があるようです。
墓地の裏手から道が続いていて、入ってすぐ左手に見えてくる三段の扁平地も補助的な郭とされているようです。しかし、これらの扁平地を見るといつも悩むのが杉の木の植林のために扁平されているのではないか?という疑念です。
昔からある扁平地を杉の木の植林に利用しているだけなら問題ないですが、遺構との判別が難しいときもあります。
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2024/05/20 18:46
金山小学校裏の楯山です⛰ (2024/04/06 訪問)
金山小学校裏の楯山が金山城です。私は南東部の神社ワキから登城しましたが,西側からもルートがありそうでした。途中で合流して山頂を目指します。ところどころ倒木がありましたが,くぐったり,またいだりしてクリアできる程度でした。
主郭には,不動堂という標柱がありますので,ここを目指すことになります。虎口や竪堀がしっかり遺っていました。シーズンを間違えなければ,イヤでも目に飛び込んできます。
また,金山小学校の校庭に移築門があります。見逃し注意です。
上越市の山城くんさん,猿毛城情報ありがとうございました。いずれ,岩手城とセットで…と考えておりました。ただ,今シーズンは上越~名立間で頻繁に熊の出没が確認されたため,見送りました。一昨シーズンは,春日山城~城ヶ峰砦間の尾根を縦走したり,支城の沖見城を優先したので攻城できませんでした。しかし,能登半島地震による春日山城天守台のヒビも気にはなっているんですが…。
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2024/05/20 17:23
猿毛城は整備されています。 (2024/05/19 訪問)
私は5月19日(日)登ってきました。
登山道は整備され、危険箇所にはロープも用意されております。
数年前には登山道が埋もれてしまい道がわからず遭難者が出たノですが
注意して登れば安全に登れます。熊等の動物の気配も見当たりません。
主閣には少し草が伸びていますが、特に気になる程ではありませんでした。
すばらしい山城なので是非皆さん、訪れてみてください。
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2024/05/20 15:46
ハマっている古代山城シリーズ。この水門は一見の価値ありです! (2024/05/09 訪問)
古代山城シリーズの神籠石と水門跡です。
列石の神籠石も水門跡に関してもいずれも1400年前の遺構という事を考えて、その技術力と美しさに感動します。
やはり国を守らなくてはという国家プロジェクトで作られた壮大な城跡という事も心踊る要因の1つです。
特にここは南水門が素晴らしかったです。
きれいに積まれて作られた水門にうっとりです。
また、その水門から東西に配置された列石もなんとも言えない雰囲気です。
池の北には北水門の跡もありますが、ここは壊れてしまってます。
遺構までは車でかなり近くまで行けます。
道はコンクリートで作られた林道ではありますが、結構荒れてます。
スピードをゆっくり進めば問題ないかとは思いますが、あまり油断してますとガタガタの所にタイヤをやられますよ。
慎重に進んだ先に見る事ができる遺構に大満足ではありますが、くれぐれもお気をつけてください。
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2024/05/20 14:19
大好きな官兵衛を求めて (2024/05/15 訪問)
官兵衛の縄張りを行った中津城へ。
資料館など見学するものが多くて16時前に到着したことを後悔。
現在、長篠戦いの際に有名な話の落合左平次道次背旗(鳥居強右衛門磔図)が特別展示されていてなんだか得した気分です。
官兵衛だけではなく、奥平家のことも知ることができてとても有意義でした。
次回は早くいってゆっくりと見てみたいと思います。
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2024/05/20 14:04
大好きな官兵衛探訪の旅 (2024/05/15 訪問)
お城巡り初心者ではありますが大好きな官兵衛の九州征伐の際に攻め落とした宇留津城へ。
今は石碑しかありませんでしたが宝積寺を囲むようにあったと説明板にありました。
有名な白い犬のお話もここですよね。
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2024/05/20 13:56
階段が整備されているが結構しんどい (2024/05/15 訪問)
北九州空港から近く登山口の駐車場は今は閉鎖されています。
現在は手前のところに駐車場が整備されているのでここを利用。
階段を整備してあったりとしっかり管理されているのですが、階段の段差が大きかったりと意外と登りごたえのある山城です。
頂上は以前の災害で立ち入り禁止ばかりになってはいますが苅田の町や海が見えるので気持ちが良いです。
石段なども残っており素敵な登城となりました。
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2024/05/20 13:32
南北朝時代の山城 (2024/05/16 訪問)
門司城に行った後に南北朝時代に袂を分かちあったという猿喰城へ。
登山口は城山霊園の分岐を霊園とは反対に曲がるとすぐにある。
テレビの中継塔などがあるため山道はあるが、地面は滑りやすい。
山頂に石碑と祠がある。
木が生い茂っており景色を見渡すことはできない。
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2024/05/20 12:28
「日本100名城かるた」の達成率が53%になりました!
おかげさまで「日本100名城かるた」の達成率が53%になりました!
いつも気にしていただき、本当にありがとうございます。
残りたったの47%!!
なんとか商品化できるよう編集部でも日々いろいろ動いております。
みなさまの周囲のお城好き、かるた好きの方々に、ぜひ「日本100名城かるた」の存在を知らせていただけますよう
重ねてお願い申し上げます。
目指せ、夢のかるた大会!!!
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2024/05/20 11:32
坂田城探訪 (2024/05/17 訪問)
千葉県のお城、坂田城を訪問しました。自動車でのアクセスで、駐車場は隣接したふれあい坂田池公園の駐車場を利用しました。
このお城は千葉一族の三谷氏が築城し、その後戦国時代に井田氏が改修したそうです。
縄張りは南側から主郭と馬出郭、二郭、三郭と北側へと連なっている形です。
登城は、駐車場に近い、南側の登城口から主郭、馬出郭、二郭、三郭の順に周りました。主郭、馬出郭は散策路がありますが、周りは木と草で覆われていました。一方、二郭、三郭は梅の木が栽培されていますが開けています。
各郭間の堀、土塁も残っており、この城の見どころの一つでしょう。
なお、ここの梅の木は有名で、毎年2~3月にかけて「坂田城跡梅まつり」が開催されているそうです。次は、梅まつりの時期に訪れて見たいものです。
また、ここは成田空港に離着陸する飛行機の通り道であり、訪問時上空を飛ぶ飛行機が見えましたよ。
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2024/05/20 07:01
2024/05/20 00:09
眺めが最高! (2024/05/16 訪問)
門司氏の古城で関門海峡を一望できるのでとても気持ちが良い!
猿喰城とセットで行ってきました✨
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2024/05/19 23:24
最高です! (2024/05/19 訪問)
本丸西虎口に石垣が復元されました。
説明会にはいけませんでしたが、今後その石垣の上に建造物が建てられる予定らしいです。
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2024/05/19 19:43
小田原攻めの家康公の本陣。この周囲に三万の兵が集結。 (2024/01/26 訪問)
今井陣城は天正18年(1590)の小田原征伐の際に徳川家康が陣を張った場所とされています。案内板によれば家康は3万の兵を三方に分けたとされ、三島から宮城野を経て久野・諏訪原に出た部隊、鷹ノ巣城を経て湯坂を越えた部隊、足柄城・新荘城を落として足柄越えをした部隊とが合流して、小田原城の東方のこの地に布陣したとのことです。
案内板や石碑のある、この場所は当時は柳川和泉守泰久の宅地で家康はここを本陣として、およそ110日滞留していたとのことです。ちなみに駐車場はありません。私はどうしたかといいますと、まあ一瞬のことですので‥
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2024/05/19 19:17
山本晴幸(勘介)生誕の地 豊橋市賀茂町 (2024/05/19 訪問)
豊橋市賀茂町にある賀茂しょうぶ園に向かう県道499号線の道中に山本晴幸生誕の地の案内板があります。石碑の場所はちょっと細道が入り組んでいて大型車は通行はキツいので歩いて行った方が良いでしょう。5ナンバーでギリギリ通れます。できれば石碑には勘介の名前も入れておいて欲しかったですね。富士宮市にも山本勘介生誕の地の石碑があるようです。
賀茂しょうぶ園は今が見頃で250種、約3万7千株のハナショウブが植えられています。しょうぶ園から賀茂神社に道が続いており、賀茂神社は天平元年(729)創建と伝わります。たぶん式内社です。
天文12年(1543)今川氏親が298貫を神領として寄進し、慶長8年(1603)天下人となった徳川家康からは100石を寄せられています。
えーと‥戦国時代の一貫を約15万円として 298貫だと4500万円くらい‥
一石約30万円として 100石だと3000万‥‥‥計算間違えたかな??そうそう時代によって価値も変わるだろうし、きっと何かの間違いですわ。一貫約10万円とすると、だいたいトントンになります。
永禄11年(1568)家康公が遠州入国に際し、参詣し日本一の大旗を奉納しているとのことです。
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2024/05/19 17:51
2024/05/19 15:40
会津三城目はやっぱり鶴ヶ城! (2024/05/13 訪問)
会津の旅、三城目は鶴ヶ城に。これまでに何度か攻城しているのですが、雨天でもあり、天守閣内の歴史博物館でゆっくりと会津の歴史を学ぼうと立ち寄りました。
戊辰戦争時の砲撃によって傷ついた天守は明治7年(1874)に政府の命により取り壊されます。往時の傷ついた天守の姿も写真に残されており見ることができます。その後天守は昭和40年(1965)に再建されるのですが、私が小学生の時に初めて目にし、深い感動を覚えた白亜の五層天守は再建後の間もない頃だったのでしょう。暇さえあれば天守の姿を落書きしている私を観て父親は、人物往来社発行、大類伸監修の「名城名鑑」全三巻を買い与えてくれました。私の城好きは以来50数年に及びます。
平成12年(2000)には干飯櫓と南走長屋が復元され、平成23年(2011)には天守の屋根瓦が赤瓦に葺き替えられ、ますます美しい姿になりました。
この城に初めて天守を築いたのは蒲生氏郷で文禄2年(1593)に今より高い七層だったとのこと。その後領主の変遷により、寛永4年(1627)に入部した加藤氏によって五層天守に改められたということです。
天守のあとは、三の丸跡の福島県立博物館で、新設された会津若松城下のジオラマを観覧。旧城下町の成り立ちや戊辰戦争の籠城戦の歴史を知ることができました。
歴史ある寺社や街並み、温泉と地の食材と酒、どれもが旅の愉しみなのですが、やはり私にとってはその地の城館探訪が欠かせないと改めて感じました。
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