江戸城三十六見附の一つ、日比谷見附跡を訪れました。
見附跡の枡形は国道1号線になっており残っていませんが、日比谷公園に枡形の先に続いていた石垣の一部が残っています。
日比谷公園の心字池は堀の名残で、その東側に南北に続く石垣の先は、牛込見附の石垣を築いた阿波徳島藩の松平(蜂須賀)阿波守と、土佐藩の松平(山内)土佐守の屋敷があったようです。
前日に訪れた牛込見附跡と同様、ここにも交番があり、江戸時代と同じく往来を監視する役目は続いていました。
日比谷公園近くのミッドタウン日比谷の6階のパークビューガーデンからは江戸城が見えるのでお勧めですが、窓の傍はほとんど植え込み(花壇?)に覆われていて、写真を撮ると背景のビル等が写り込んでしまいました・・・
また、仙台藩外桜田上屋敷が日比谷公園の辺りにあったと推定されており、日比谷公園の北側には伊達政宗終焉の地の説明がありました。
寛永13年(1636年)、政宗公はここで死去したようです。享年70歳。
司馬遼太郎氏の短編『馬上少年過ぐ』で描かれていたような余生をこの辺りで過ごしたのでしょうか。
+ 続きを読む










