1585年に豊臣秀吉の命で筒井定次が伊賀上野20万石へ移ると、定次は伊賀上野城を築き、家臣の松倉勝重に名張8000石を与えて名張城を築かせました!
勝重は城の完成を待たずに亡くなり、嫡男重政が家督と築城事業を引き継いだが、重政は定次と衝突し、筒井氏のもとを去っていった!
その後、名張城に城代として桃ヶ谷国仲が入った!
しかしながら、1608年に筒井氏は所領を没収され、国仲もここを去っていった!
筒井氏に代わって、伊勢・伊賀22万石を与えられた藤堂高虎は、家臣の梅原武政を名張城代に任命しました!
しかし、武政は失政続きで1617年に解任され、高虎の異母弟で伊賀上野城代の高清の支配となりました!
一方、丹羽長秀の三男として生まれ、豊臣秀長の養子を経て、高虎の養子に入った藤堂高吉は、高虎の後継者と思われておりましたが、1601年に実子の高次が誕生したことで高虎との関係が悪化しました!
高虎が伊勢・伊賀に移ったのに伴い、高吉は伊予今治2万石を与えられたが、1636年に高吉は伊勢・伊賀名張2万石へ移されました!
高吉は廃城となっていた名張城に殿館を築き、名張陣屋と言った!
高吉の子孫である藤堂宮内家は独立した大名ではなく、藤堂本家の藩内領主という扱いでした!
これを不服として、享保年間には本家からの独立を幕府に働きかけたが失敗して、結局、藩内領主のまま幕末まで存続しました!
高吉の実兄である丹羽長重、そして育ての親である藤堂高虎は、いずれも築城名人として名高い!
名張陣屋の遺構は、名張藤堂家邸跡や移築された太鼓門などが現存されています!
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