弘前城から南東約11㎞にあり青森県弘前市の大仏ケ鼻城(石川城)です。いつ頃築城された定かでありませんが、鎌倉時代には、この地の地頭曽我氏が在城したとされます。その後、津軽は南部氏が制圧、津軽郡代として南部高信が1533年この城を居城に津軽を治めたとされます。1571年南部氏に従っていた津軽為信は郡代を守るためと称し、近くの古舘堀越城を修復整備、城の検分と完成の祝いと称し高信家臣を招待、宴を開きもてなし油断させ、その夜突然、大仏ケ鼻城を僅か80名余を先陣とし総勢5百弱の兵で急襲落城させてます。高信は自刃(一説には南部に逃れたとも)。南部氏はその時期、当主晴政と娘婿の信直との対立や晴政亡き後、信直と一族九戸氏との間に相続争いが続いたため津軽に介入することができず、津軽氏はその間に、南部方の津軽諸城を次々に攻略し十数年で津軽統一を果たしています。城は、津軽平野の南西部に位置する平川左岸の丘陵の標高97mに築かれた平山城で、本丸、二ノ丸、三之丸を配し東西230m南北270mの規模を有していたとされます。自然の地形を利用した要害のため遺構はほとんど残っていませんが、城は現在大仏公園として市民の憩いの場となっています。
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