神奈川県小田原市にある百名城の一つ小田原城です。鎌倉時代初期土肥遠平がこの地に館を置いたのが始まりとされます。1416年上杉禅秀の乱で土肥氏は禅秀に味方して敗れ、小田原は大森頼春に与えられ本格的な城として築城されます。1495年伊豆の北条早雲が突如小田原城を襲い大森氏から城を奪取、以来北条氏の本城として氏綱・氏康・氏政と城を改修・拡張が続けられたとされます。1561年上杉謙信、1569年武田信玄の攻撃を受けるも撃退、難攻不落を誇っています。北条時代の小田原城は城下町をすっぽり包んだ総構が特徴で、土塁・空堀の総延長は9kmとも12kmとも言われる大城郭で、現在の小田原城から北西の小田原高校周辺が主郭とされ、現在の小田原城を含む東西約2.8km南北約2.4kmの規模であったとされます。しかし、1590年豊臣秀吉が20万と言われる大軍により小田原城に押し寄せ、約6万の兵で小田原城に籠城した北条氏も3か月で降伏開城。関東は徳川家康に与えられ、小田原城は家康家臣の大久保氏が4万石で城主となりますが、1614年改易となります。その後数々の城代が置かれますが、1632年稲葉正勝が城主となり翌年の大地震で倒壊した城を大改修し本丸・二の丸・三の丸を築き近代的な城郭にしたと言われます。1685年稲葉氏が越後高田に転封となると大久保氏が再度城主となり明治維新まで続いています。明治維新により天守などは解体されますが、現在城は本丸・二の丸が小田原城址公園となり、三の丸は小学校や文化会館、住宅地となっています。市政20年復興事業により昭和35年天守閣が再建、その後も常盤木門が昭和46年に、銅門が平成9年に、馬出門が平成21年に再建されてます。
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