<オススメ>★★★☆☆
高安寺城は、平将門を討ち取った功績で武蔵野守となった藤原秀郷の館跡であった。平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経も寺に立ち寄り、武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと言われ、「弁慶硯の井戸」が残されている。南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の合戦で本陣を構え、戦乱によって寺が炎上した。戦国時代には、上杉氏・後北条氏などによって軍事的に利用される事も多く、度々の戦乱で衰退・荒廃した。現在、城郭としての遺構は残されていない。しかし、山門・鐘楼・本堂は東京都選定歴史的建造物に選定され、幕末の志士・木曽源太郎墓(都指定旧跡)など見どころは多い。
<アクセス>
JR分倍河原駅 徒歩10分
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