その昔、四層は死層に通ずるというので嫌われて、ほとんどの城は三層か五層であったのに、大垣城は四層だった。郡上八万城は大垣城のコピーで、従って四層。アメリカ軍の爆撃で燃える前は国宝。大垣は水都という別名を持つように、水が豊富で自噴水があちこちにわいていた(今でも一部で見られる)。そのため繊維工業、化学工業などの大工場が立地したので、それを米軍が狙って焼夷弾を落とし、燃やした。大垣の近くの金生山では石灰が採れるので分かるように、地質も古い。大垣城の石垣の石に化石を含むものがあるのはそのため。私が通った高校の校歌に「巨鹿の北野~」という文句があった。巨鹿城は大垣城の別名。濃尾三大河川に囲まれた地域なので地盤は固くない。それでも古代から日本史の分岐点に当たるような大きな会戦がおこなわれたり、重要な関所があったり、美濃は歴史好きにはお勧めの場所。春日局の生誕地も近い。
+ 続きを読む











