新城市作手地区の古宮城川尻城亀山城石橋城を草が伸びて無く草刈り後の状態を見て置きたくて出掛けた帰りに桜満開状態でしたのでチョイ寄り見学しました、県外遠くから多くの方が見えてました。
桜が満開でしたので桜を入れて撮った写真を投稿します。
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2021/03/27 14:07
2021/03/27 11:58
麓の織田信雄陣屋跡 (2014/05/02 訪問)
宇陀松山城に登城前後麓の宇陀町並みと織田信雄が福島高晴元和元年(1615年)改易後5万石の大名として入封、領地は大和宇陀郡3万石と上野甘楽郡2万石、宇陀松山城の麓に陣屋を築いた。
現在春日神社の辺りに春日門跡が残り櫓台石垣が立派に残ってる、神社石垣もその残りか?街中に松山西口関門が残ってる。
次の柳生陣屋に向かう前に後藤又兵衛ゆかりの桜を季節外れですが桜としても有名ですし後藤又兵衛の名前に引かれて葉桜と又兵衛を見学、偲びました。桜は見事な大木枝ぶりが見事です。
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2021/03/27 11:10
発掘調査され景観見応え有る織豊城郭です (2014/05/02 訪問)
7年前の5月連休、五條市五條代官所の探訪を終えて石舞台遺跡横を通り宇陀松山城へ「道の駅宇陀路大宇陀」へ着く前あたりから宇陀城の山頂景観が眼前に入り登城前から浮き浮きドキドキ状態、道の駅でトイレ休憩、情報収集?何時もながらガイド情報は城郭放浪記さん余湖図コレクションさん頼り。
宇陀の町並み保存地区を眺めながら春日神社参道より入り銀行裏手の駐車場が連休で空いて居り隅の方に駐車させて頂きました。
登城口の春日口から入り陣屋時代の櫓石垣が見事です、神社に登り宇陀松山城への案内石柱から道なりに登城へ、石柱には杖が沢山置いて有りました、登城者の汗と努力の結晶でしょうか?
登城口から杉木立で鬱蒼としてます、5月で歩けば汗だく比高100m程の登城路ゆっくりと歩いてると杉木立が空けて草に覆われた土塁状の景観が現れる、堀底道か?前面は側面は土塁か?発掘調査で復元整備された屈曲した大手虎口石段石垣が見えて来ます、山頂部は樹木が伐採されて城塁、土塁、大手虎口、帯曲輪、本丸、天守台、大御殿、御加番、段曲輪群、各堀が良く観察出来ます。
二の丸は杉木立が密集し草茂り余り踏み込めずですが二の丸の櫓台は確認、二の丸と大御殿の間の石垣堀も確認、天守台の周囲には石垣が確認できます。
兎に角山頂部の景観が素晴らしい大御殿から眺めると天守台、裾野の残る石垣、往時の石垣に覆われた天守曲輪、本丸が眼前に飛び込んで来るような想像をして仕舞います、関ヶ原、一国一城令まで在った城が廃城破却された事は残念です。
また近年台風、大雨で土砂崩れ被害に遭った事は残念です、お見舞い申し上げます。復旧を祈ってます。
歴史的には南北朝期秋山氏の城、豊臣秀長時代大和百万石の郡山城の支城として高取城、宇陀松山城が織豊系城郭として石垣造り城郭として改修され見事な城郭だった事が想定されます、廃城が実にもったいなく残念。
麓の織田陣屋跡は別途投稿いたします。
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2021/03/27 10:12
堂々とした薬医門 (2021/03/13 訪問)
【山口城】
<駐車場他>県庁駐車場無料
<交通手段>車
<見所>現存薬医門
<感想>1泊2日中国地方西部の旅2城目。歴史資料館にて高嶺城・大内氏館のスタンプを押印後徒歩で来城した。山口城は1864年に毛利氏の13代毛利敬親の時に幕末の有事に備えて下関や瀬戸内海に近い萩より移鎮した。 砲台を備えた稜堡式城郭であったらしいです。維新後は城内は山口県庁として使用されたが廃城となった。現存する薬医門は幕末は藩庁門、廃藩置県後は県庁正門として使用され大正時代に新しい庁舎が竣工すると県庁西門として使用されている。
旧藩庁門は現在でも徒歩で通過でき一応は門として利用されている。堂々とした造りで今でも目立った傷一つ無く残っているのが素晴らしい。両サイドの土塀や土橋もいいです。水掘の一部も現存し、この薬医門辺りから南辺と東側にかけて残っています。大正時代に建てられた県庁舎と議会議事堂も重要文化財となっています。
<満足度>◆◆◇
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2021/03/27 09:08
2021/03/27 08:48
2021/03/27 06:12
リハビリ15城巡り⑥:八幡塚砦 (2021/03/24 訪問)
足腰リハビリ15城巡り6城目は八幡塚砦です。
六郷土手駅より徒歩7~8分くらいで六郷神社鳥居前(35.543516、139.712977)に着きました。
六郷神社は戦国時代に行方弾正によって築かれた八幡塚砦のあった場所といわれます。
行方弾正は小田原城へ向かう武田信玄の軍勢をこの八幡塚砦で迎え撃ったという伝説が残っています。
六郷神社は明治になって改名するまで八幡宮と呼ばれていたそうです。
境内は構え堀と呼ばれた掘割りに囲まれていたそうで、鳥居の前には堀の名残と思われる石橋が残されています。
六郷土手駅から六郷神社に向かう途中に「旧東海道跡碑」を見つけました。
攻城時間は10分くらいでした。
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2021/03/27 05:56
リハビリ15城巡り⑤:行方氏館 (2021/03/24 訪問)
足腰リハビリ15城巡り5城目は行方氏館です。
京急蒲田駅より徒歩7~8分くらいで圓頓寺前(35.564751、139.723927)に着きました。
行方氏館は、戦国時代に行方直清によって築かれました。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めの時、上杉景勝・前田利家の軍勢により攻められ、直清は討ち死にしたそうです。
独身時代に一度、一人暮らしをしたことがあります。当初の配属先がJR蒲田駅の近くだったこともあり、京急蒲田付近に住んでいましたが、お寺があることさえ全然気づきませんでした。
圓頓寺の境内地は行方氏の館跡とされ、墓域には行方弾正の供養塔があるそうですが、門が閉まっていて中に入れませんでした。
また門前の石碑にも行方氏館跡の由来を示す碑があります。
攻城時間は5分くらいでした。
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2021/03/26 23:55
2021/03/26 22:48
天守復興50周年記念企画展やってました (2021/03/26 訪問)
高島城への登城は2回目。前回は続百名城スタンプに気を取られ、気付かなかった遺構を後から知った事や、天守復興50周年記念企画展&記念御城印を販売するとの事でしたので、再度訪問して来ました。
もしかすると桜が咲いているかな?と期待していましたが、まだまだ蕾でした。残念。
高島城で300円以上の買い物をすると「LoGet! CARD」が貰えるとの事で、高島城のカードを頂きましたが、これ、何に使うの?
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2021/03/26 22:38
滋賀県最大級の堀切 (2021/03/26 訪問)
竪堀、堀切、土塁などが残っていて、見ごたえのある城址です。城域は案内標識があり、道も概ね整備されています。主郭はいいのですが、2郭、3郭は雑草が生えていました。圧巻は2郭と3郭の間にある堀切です。パンフレットには滋賀県最大級の規模と書いてありました。堀底への道はなくトラロープを使って下りて行きます。3郭の先にも郭や堀切がありますが、藪となっています。北西尾根曲輪群方面にある畝状竪堀はみやすかったのですが、主郭西側の竪堀は草でわかりにくかった。
新旭駅より徒歩に登城しました。15分くらいで登城口に着きました。案内標識があり迷うことはありません。
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2021/03/26 22:17
2021/03/26 22:09
願船寺 (2021/03/26 訪問)
願船寺周辺が城址らしいのですが、案内板などはありません。船木城出丸の石碑はわかりませんでした。
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2021/03/26 19:26
2021/03/26 19:20
2021/03/26 19:07
2021/03/26 18:30
百万石の憂鬱② (2019/09/06 訪問)
本多政重という人物がいます。家康の側近、本多正信・正純親子を父と兄に持ちながら、豊臣縁故の大名家を渡り歩き、関ヶ原では西軍に加担。最後は加賀の藩老を担いました。こう聞くと、徳川が一方的に送り込んだように思えますが、そう単純ではなさそうです。背景には幕藩体制草創期の微妙な駆け引きが見え隠れします。
金沢城を石川門から出て、兼六園を抜けるように歩くこと約10分。加賀本多博物館には加賀藩士の中で最高禄の5万石を拝領した加賀本多家ゆかりの品々が展示されています。なかでも「村雨の壺」は政重が加増を辞退した際、前田家3代・利常から代わりに下賜されたとされる名器。通称「五万石の壺」(写真は同館資料から。実物は撮影不可)。
さて、そんな政重の特異な歩みは徳川2代将軍・秀忠の寵童を斬って出奔するころから始まったそうです。その後の渡り奉公先でことごとく秀忠の嫌がらせに遭い、辿り着いた米沢で直江兼続の娘婿におさまったとのこと。当時、関ヶ原の戦後処理で大幅削封の憂き目に遭い、反徳川の筆頭と目された上杉家に収まること自体が結構な離れ業のように思えます。ひとつの見方は、同家存続のために動いた本多正信の意向を兼続が迎えたというもの。そこには多少の親心も働いたかもしれません。
その後、政重は加賀に帰参。幼かった利常によく仕えたそうですが、これも基本的には同じ構図ではないでしょうか。器量に不安のあった秀忠の治世で、外様雄藩を潰すのではなく、取り込みに行ったという点に味わいを感じます。大坂の陣を控え、関ヶ原の構図を越えたやりとりが水面下で行われていたのはほぼ確実で、況してや、正信と兼続という稀代の謀臣二人がその中心にいたかもしれないと思うと、個人的には心躍ります。
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2021/03/26 07:39
2021/03/26 06:33
リハビリ15城巡り④:梶原氏館 (2021/03/24 訪問)
足腰リハビリ15城巡り4城目は梶原氏館です。
立会川駅より徒歩10分くらいで梶原稲荷神社鳥居前(35.602735、139.737910)に着き、それから来福寺入口付近(35.601060、139.738653)へ向かいました。
梶原氏館は、後北条氏の家臣で馬込村(現在の大田区~品川区)を領有した梶原氏の居館です。
現在の来福寺から梶原稲荷神社にかけての範囲が居館跡とされているようです。
鎌倉時代、源頼朝に仕えた梶原景時の旧跡とも伝わりますが、後世のこじつけの可能性が高いとされています。
梶原景時を祀る梶原稲荷神社。住宅街の狭い路地にあります。
梶原稲荷神社の入口に赤いのぼりがあります。
攻城時間は10分くらいでした。
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2021/03/26 06:25
リハビリ15城巡り③:御殿山城 (2021/03/24 訪問)
足腰リハビリ15城巡り3城目は御殿山城です。
北品川駅より徒歩5分ちょっとで御殿山公園入口(35.620460、139.737327)に着きました。
御殿山城は太田道灌が江戸城を築くまでの居城でした。
その後、道灌が江戸城に移ったのちは宇多川和泉守長清を配置しました。
1590年(天正18年)に徳川家康が関東入封すると、この地に鷹場の仮御殿を築いたことから「御殿山」と呼ばれるようになったそうです。
現在の御殿山ガーデン付近が城址ですが、幕末の台場築造のための土取りに加え、明治以降は鉄道開通により地形も大きく崩されたため、遺構はありません。
攻城したのが通学時間帯で付近に「品川女子学院中・高」がある為、北品川駅からカメラを持ったおじさんが後ろをついてくるのが不審者に見られないかドキドキでした。(おじさんはただの「城好きです」と心の中で叫んでいました)
東京マリオットホテルの植え込みに案内板があるとの情報でホテル周辺を探しましたが見つけられませんでした。後で調べたらホテル左側の埋め込みだそうです。
攻城時間は10分くらいでした。
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