鮎貝城、荒砥城を終えて国道287号線沿いの白鷹ヤナ道の駅でトイレ休憩、鮎の塩焼き匂いに誘われてビールを飲む訳にいかず昼飯用に鮎の炊き込みご飯、鮎の唐揚げを購入。
後はひたすら国道287号線を北上、最上川の川沿いを走る、小雨でしたが紅葉もしっかりと見え良い景観でした、左沢楯山城辺りでは最上川左手奥に懐かしく山城を確認しながら走行、山形西部街道(国道347号線)をさらに北上し県道30号線に入り途中崖崩れで通行止め迂回して国道13号線へ舟形から県道31号線を大蔵村へ、後はナビに従い清水城の駐車場へ、その前に2の丸から外堀大土塁が目の前に現れ胸はドキドキ興奮状態駐車場に停める前にノックアウトです。 約2時間半ほどの走行で道は良くスムーズでした。
車を駐車場に停め私1人だけの貸切状態、トイレ無く立派駐車場です。
城郭放浪記さんの桜の時期の写真が頭に入ってるので土塁上の桜の木を見ながら想像するが寂しい限り、外堀土塁、空堀、南城下町方向今は田圃、2の丸も今は田圃、内堀、内堀と本丸堀切と間の細長い曲輪、本丸堀切を降りて登って本丸へ本丸は草原以外に広い、北先端に東屋、曲がった最上川が見下ろせる。最上川に沿い北に伸びた丘陵を堀切で刻み城郭にした丘城かな?東西は崖に成ってる良い造りですし開発に耐えてよく残ってくれたと感謝です。
歴史的には源義家の末裔斯波氏の流れ成沢城主兼義の子満久が大蔵村の地に入部し文明10年(1478年)清水城を築き清水氏を称する、以来7代約140年継承、6代義氏に子無く最上義光の3子義親を養子に迎える、義光2子家親は徳川家近習、3子義親は豊臣家近習と仕え、関ヶ原、大坂の陣頃より対立が深まり兄家親に攻められ7代続いた清水義親、清水家は滅亡慶長19年(1614年)。(本丸案内板より)
雨は少し上がり晴れ間も出ましたが黒い雲が走り突風が吹き不安に成りながら探訪撮影、良い城です、桜が咲いてたら最高でしたが?丁度同報無線の正午のサイレンが鳴り車の中で白鷹ヤナ道の駅で求めた鮎ご飯、鮎の唐揚げで昼食にしました突風で車が揺れるほど。
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