武漢コロナウイルス禍でこの桜の時期城廻り出来ず旧聞ですが大河ドラマ光秀で投稿が多い中ですが平成28年12月初旬奥三河の市場城を終えて県道19号線を奥三河東美濃の山間部を通り土岐市妻木町に在る妻木城、北山麓の妻木陣屋(士屋敷跡)を初登城。
先に県道19号線から県道388号線に入り妻木陣屋の御殿跡士屋敷跡を観察し、県道19号線に戻り名岐国際GCを目指してGCと兼用入口より道標に従い城池沿いの広い駐車場にたどり着く。
駐車場にはハイキングの方々が多く同地でボランティアの方から妻木城さんさくマップを頂いた、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんと頂いた散策マップで探訪。
駐車場からは楽に登る事が出来、巨石群が出迎えて呉れるこれも楽しい、圧巻は本丸下南側の柱状節理の巨石がさも石垣を積んだ様に虎口を構えてる、南側帯曲輪を通り本丸南の狭く急峻な登城路を経て本丸曲輪Ⅰ、二の丸曲輪Ⅱは石垣塁、二の丸北に枡形虎口、眺望も素晴らしい。
妻木城は美濃源氏土岐氏の流れ妻木郷の領主と成り妻木氏を称す、妻木広忠は本能寺の変で光秀に従って近江坂本で自刃、広忠の娘は光秀の妻という、広忠の子妻木貞徳は信長の馬廻を務めていたが本能寺の変後は家督は妻木頼忠に譲り隠居した、関ヶ原で東軍に属し妻木氏は土岐郡内に7500石を領し妻木城から北山麓に陣屋を構えた、万治元年(1658年)妻木頼次が没して嗣子無く改易、妻木城、陣屋も廃された。
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