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昌官忠

大多喜久留里周辺攻城:館山城 (2016/11/19 訪問)

館山城は3回攻城しています。
①2014/03/30   妻と二人で桜見学の際に攻城
②2016/11/19   次男と二人で久留里城/大多喜城とあわせて攻城
③2019/06/29   妻と二人で館山旅行の際に攻城。
城山公園第一駐車場(34.982841、139.857740)に駐車して攻城しました。

1580年(天正8年)、里見義頼によって館山城が築城されました。
1591年(天正19年)6月から11月までの間にかけて、里見義康が岡本城から館山城へ移転をしてきます。
1614年(慶長19年)に里見氏は改易され館山藩は取り潰しとなり、この際に館山城も廃城となり、破却されました。
1781年(天明元年)に、稲葉正明が館山藩主となって館山に入りましたが城を再建することはなく、2代正武が城の麓に館山陣屋を構えて、そこを新たな政庁としました。
現在建つ天守は、後に丸岡城を模して1982年(昭和57年)に再建された模擬天守であり、当時の天守の概要や外観については不明だそうです。
この天守は現在、館山市立博物館分館(八犬伝博物館)として利用され、周辺は城山公園となっています。

里見八犬伝は何度も映画化やドラマ化されていますが、覚えているのは、1983年に薬師丸ひろ子さんと真田広之さんが主演された映画がテレビで放映されたものだけです。
城びと未登録ですが、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」で里見義実の居城のモデルとなった滝田城(千葉県南房総市)に「伏姫と八房像」があります。
攻城時間は3回併せて180分くらいだと思います。(写真は2016/11/19のものを投稿します)

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昌官忠

妻と二人で関宿城ドライブ攻城:関宿城 (2016/12/24 訪問)

10年乗り続けた車を買い換えるので、最後のドライブを兼ねて妻と二人で関宿城を攻城しました。
案内板/石碑前(35.826068、139.995977)に着きました。

1457年 - 古河公方家臣・簗田成助が下総国関宿に築城?
1558年 - 古河公方・足利義氏が簗田晴助を古河城と交換する形で、入城する
1565年 - 1574年 - 3度の関宿合戦(北条氏康・氏政・氏照vs城主簗田晴助(上杉方))
1590年 - 小田原征伐後、松平康元が入城、関宿藩興す
1671年 - 天守破損、御三階櫓を江戸城富士見櫓を模して建築
1742年(寛保2年) - 寛保二年江戸洪水により利根川上流部の舞木・赤岩・北河原及び新川通が破堤し、関宿城下に甚大な被害をもたらし、城郭も大破。
1870年 - 外曲輪焼失
1872年 - 廃城決定
1875年 - 民間払い下げ、破却
1995年 - 千葉県立関宿城博物館として再建

河川改修などの影響で遺構はほとんど残っていませんが、埋門と大手門と伝わる門が市内に、関宿城の城門と伝わる薬医門が逆井城に、それぞれ移築され現存しています。
また、千葉県立関宿城博物館に御三階櫓を模した模擬天守(模擬櫓)が建てられています。

本丸跡は天守閣から少し離れたところです。天気が良ければ展望台から関東平野が一望できます。
関宿城博物館(模擬天守)見映えよし、駐車場完備です。
攻城時間は40分くらいでした。

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にのまる

中曽根神社 (2021/03/06 訪問)

 この日は電車でワープしながら城東、城北エリアの4城をまわりました。
 2月初旬に「23区内の城びと登録城址を全部まわろう!」と思いつき、未訪のところを数えてみたら14城。中曽根城に行って、残り4城になりました。

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TMN97

松代城址 (2021/03/22 訪問)

松代城址

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TMN97

砥石城址 (2021/03/22 訪問)

砥石城址

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TMN97

龍岡城址 (2021/03/22 訪問)

龍岡城址

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TMN97

小諸城址 (2021/03/22 訪問)

小諸城址

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オ〜ヤマン

福井城山里口御門復元 (2020/11/15 訪問)

永平寺の帰りに寄りました。
巽櫓が復元されればもっといい城跡となるでしょうねー
(批判になるかもですが県庁と県警が城外移転するのとを願ってます)

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オ〜ヤマン

鹿児島城御楼門復元 (2020/05/07 訪問)

薩摩川内出張の前に復元された御楼門を見に行きました。
本当でかい門です。

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オ〜ヤマン

水戸城大手門と二の丸角櫓復元 (2021/03/09 訪問)

福井県敦賀出張先から福島遠征(いわき七峰トライトレイル、安達太良山スノーシュートレイル、磐梯山雪山トレイル)帰りに寄りました。
茨城空港から神戸空港へのフライト時間がなくて隈なく見れませんでしたが、御三家の城として整備されている姿はいいですねー
御三階櫓が再建されればもっとよかったですが!

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atsufumi

さくらまつり 規模縮小にて (2021/03/22 訪問)

いい季節なんですがねぇ。
桜まつりは、規模縮小ながら、準備中!

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駿府城

駿府城公園「東御門・巽櫓」の展示が新しくなってリニューアルオープンします!

静岡市からのお知らせです。

4月1日(木)、駿府城公園内施設「東御門・巽櫓」の展示が新しくなって、リニューアルオープンします!

2016年から開始し、これまで多くの発見があった天守台跡発掘調査の最新の成果も反映!
駿府城のルーツから、現代に至るまでの「駿府城の一生」にせまります。

展示室を全部で7つのゾーンに分け、戦国大名・今川氏の本拠地「今川館」から徳川家康による2度の築城、幕府の聖地としての維持、さらには廃城後の活用など、駿府城が歩んできた道のりをとことん紹介します!お城好きの皆さん、必見の展示です!

詳しくはホームページをご覧ください。
ブログで最新情報を紹介しています!
http://www.shizuoka-bunkazai.jp/castle-info/

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やなぎぶそん

整備がよくされている (2021/03/20 訪問)

整備が行き届いており、空堀は圧巻。

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やなぎぶそん

遺構は少なめ (2021/03/20 訪問)

石垣が少しありますが、遺構は少なめで当時の面影はあまり感じるのは難しかったです。

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やなぎぶそん

岩櫃山は危険 (2021/03/20 訪問)

岩櫃城の本丸は、岩櫃山の4合目付近にあるので、駐車場から15分くらいで着きます。
潜龍院跡は本丸とは岩櫃山を越えて反対側にあります。
こちらは岩櫃山の麓にありますが、駐車場から少し離れたところあるので、20分くらい歩きます。
岩櫃山の頂上に行かれる方は、軽装では危険なのでしっかりと準備が必要です。
山城以外の登山はほとんどしたことありませんが、何とか登ることができました。
体力には自信のある方ですが、全身筋肉痛になりました。
あまり自信のない方はやめた方がいいかもしれません。

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にのまる

春のうららの♪ (2021/03/06 訪問)

葛西清重館(西光寺)から歩いて、荒川(四ツ木橋)と隅田川(白鬚橋)を渡りました。
石浜城址公園と石浜神社が「有力な推定地のひとつ」(現地説明板)とのことです。

隅田川にはたくさんの橋が架かっています。
とりあえず何でもコンプリートしたがる性分なので【一筆書きで隅田川の橋を全部渡る】もやってみたくなりました。

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昌官忠

次男と二人で亥鼻城攻城:亥鼻城(千葉城) (2017/05/27 訪問)

次男のマンション最寄り駅から本千葉駅で下車。そこから徒歩10分くらいで亥鼻城(千葉城)に着きました。

中世の千葉城が登場する資料『相馬文書』には、1335年(建武2年)の一族の内紛の際に、千葉胤貞方が「千葉城」「千葉楯」を攻撃したことが記されているそうです。
しかし、亥鼻城のような台地上の城郭が築かれるようになるのは15世紀以降のことであり、「千葉楯」ともあることから、これは低地上の館を楯などで戦闘時に城郭化したものと考えられるようです。
千葉妙見宮(現在の千葉神社)及び同寺を崇敬する千葉氏及びその妙見信仰について書かれた『千学集抄』においては、千葉氏の館の場所を「堀内」と記しており、近年は千葉市街の低地に千葉館があった説が有力視されているようです。
亥鼻の古城が千葉氏の城だという記述が出てくるのは、江戸時代になってからのことで、1858年(安政5年)成田山新勝寺の新本堂建立の際に制作された『成田名所図会』には千葉常胤に関する一節があり、そのなかに「千葉氏古城址の図」が掲載されており中央に亥鼻山が描かれているようです。
千葉氏がのちに本拠地を本佐倉城に移した際に廃城になったかと考えられています。
また公園内には千葉常胤像と模擬天守が建てられています。天守内部は、郷土資料館となっています。

現在は亥鼻公園として整備されており、毎年3月下旬~4月上旬に「桜まつり」が開催されますが、自分が攻城したのは5月なので、当然、桜は散った後でした。
郷土資料館の展示は火縄銃などが中心だったような気がします(気のせいか?)。
また天守閣以外に、曲輪などの縄張りらしきものはなかったと思います。
攻城時間は25分くらいでした。

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昌官忠

佐倉酒々井印西近辺攻城:岩戸城➡城びと未登録(千葉県印西市) (2018/04/02 訪問)

西福寺前の空スペース(35.764651、140.171594)に駐車して攻城しました。

岩戸城は鎌倉時代末期に、千葉氏一族の臼井氏に仕えた岩戸五郎胤安の居城で、師戸城や志津城と並ぶ臼井氏の三大支城のひとつでした。
1314年(正和3年)、胤安は臼井氏の家督相続争いに巻き込まれ、討死しました。
その後は師戸城あるいは臼井城の支城として利用されたと考えられていますが、詳細は不明です。
現在城址は宅地化されていますが、西福寺がある場所が本丸跡で、周辺に土塁や掘跡を確認することができます。

県道64号線上にある「西福寺入口の電柱の看板」を入れば西福寺に着きます。なお、看板小さく高い所にあります。
土塁と堀跡を確認しました。
攻城時間は15分くらいでした。

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朝田 辰兵衛

朝練中の野球部員の清々しい挨拶が印象的でした。 (2019/06/30 訪問)

シナガワグース⇔大多喜駅間の高速バスを利用しました。開館前にぐるりと散策が終わってしまい,開館を待っていると一人の男性が声をかけてきました。お互いの城めぐり情報を交換し合って盛り上がっていると,どうも地元に近い気がしてきました。「ところで,どちらからですか…?」と尋ねると,同じ越後人ということが判明しました。越後の城以外で同郷の方と遭遇したのは初めてで,苦笑いが止まりませんでした…。また,自然な声かけができる,朝練中の野球部員の清々しい挨拶が印象的でした。

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pascal

大坂の陣の真実が見えてしまう 茶臼山陣城 (2017/03/04 訪問)

大坂冬の陣では徳川家康が本陣にし、夏の陣では真田信繁が陣を敷いたと言われる茶臼山陣城です。


【アクセス】
最寄り駅は天王寺で、駅の北西に広がる天王寺公園の北東の角にある『茶臼山古墳』が茶臼山陣城跡です。


【城の歴史】
 茶臼山古墳は5世紀頃に地元の豪族が造った前方後円墳だと言われていますが、戦国時代の天文15年(1546)、細川晴元の臣の山中又三郎が古墳の後円部分に砦を築き、大塚城と名付けました。
しかし、大塚城は翌年の“舎利寺の戦い”で細川氏綱軍に攻め込まれて落城し、わずか1年の短命に終わってしまいました。

 その後の慶長19年(1614)の“大坂冬の陣”では、徳川家康が此処に本陣を置きました。
家康は大坂城下の家屋を壊して資材とし、堅固な陣城を築いたそうですから、土工事も大規模に行われた事でしょう。

 冬の陣の和睦から4ヶ月後には“大坂夏の陣”が起こります。
籠城戦が効かなくなった大坂方の諸将は城外に陣を敷き、野戦の布陣となります。
その中で茶臼山を選んで布陣したのは真田信繁の軍3,000で、信繁は此処から平野の家康本陣に向け出撃し、あと一歩の所まで家康を追い詰めますが、力尽きて討死にしてしまいます。


【見どころ】
 山上は200坪ほどの削平地になっていて、少し下にも帯曲輪状の地形が認められますが、空堀や土塁遺構は無く、“城”という感じは薄いものです。
 どうやら“古墳ではない説”もある様で、奈良時代に和気清麻呂が運河を掘削し始めた跡…とも言われています。
その後の大塚城と家康の陣城、どの遺構がどの時代のものなのか、日本史の幅広い知識が無いと判別の難しい城址でした。

 茶臼山の北300mにある安居神社は真田信繁の終焉の地だそうで、境内には信繫の銅像などが有って、観光客もチラホラ居ます。
真田ファンの方は併せて訪ねて見るのも一興かと思います。


【感想】
 現地に行って気付く不都合な真実…(^^;
信繁は幾重もの徳川方の布陣を突破して、茶臼山の南東3㎞の平野にあった家康の本陣を襲いました。
家康は堪らず、3里も退いた(奈良県香芝市あたりまで?)と言います。
追撃する信繁はその途中で力尽き、安居神社の地まで戻って休息中のところを松平忠直の家臣に討たれたそうです。
つまり、敵軍がウジャウジャ居る中を、5㎞以上も戻って来た訳ですね…。

真田信繁、というか真田幸村については、あまり深くは調べない方が良さそうです。

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