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ダイエティシャン

津和野城 Ⅰ (馬立 台所 海老郭) (2019/05/17 訪問)

鷲原八幡宮の登城口から、熊避け鈴を鳴らしながら中荒城を経由して、約30分でやっと山頂に着きました。
まさに、天空の城です。
最上部は、主郭ではないそうで、珍しい縄張だそうです。

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ダイエティシャン

下瀬山城 (2019/05/17 訪問)

津和野城の支城のひとつだそうです。登山口はありましたが、草に、覆われ、攻城出来ませんでした。

石見の山城の、攻城をいくつか目指しましたが、未整備も多く、熊の季節でもあり、素人では攻城出来ませんでした。山城攻城には、地元の行政や地域の方々のお力が如何に大切か、再認識しました。攻城出来た山城を整備して下さっている方々に感謝申し上げます。

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ダイエティシャン

中荒城 Ⅱ(石見国 鹿足郡津和野町鷲原 津和野城の一部)) (2019/05/17 訪問)

南出丸の堀切が素晴らしいです。
ここから、約5〜10分程でようやく、天空の城、津和野城石垣が見えます。
熊避け鈴は、必須だと思います。
今年も周辺市町村で、出没中だそうです。

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ダイエティシャン

中荒城 Ⅰ(石見国 鹿足郡津和野町鷲原 津和野城の一部)) (2019/05/17 訪問)

熊避け鈴鳴らしながら、鷲原八幡宮から、徒歩20分程、堀切が素晴らしいです。

津和野城野一部らしいです。

以下案内板より
吉見氏 初代頼行公の永仁3年(1295年【9代執権 北条貞時の時代】)の縄張図によるもの以下略
6段の郭の下周囲を東南 南 西 北 方向に空堀が取りまくように(以下略)堀削され、その空堀から、18本の中世の竪堀が放射線状に連続して、下方に向かって掘り下げられている。

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dougen

2017.7.17登城 (2017/07/17 訪問)

平形館から国道345号で南下し、鶴岡市街へ。鶴岡市街の中心にある鶴岡公園が鶴ヶ岡城址となります。
鶴岡公園として整備されており、幅の広い水濠や郭跡、櫓台が確認できます。

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ダイエティシャン

手引が浦台場(出雲国 出雲市多岐町) (2019/05/29 訪問)

島根県出雲市多岐にあります。
道の駅キララ多岐かから、浜田、山口県方面へ、車で約5分で海側に看板が見えます。
幕末、松江藩が、海の監視のため建てたそうです。
鳥取県赤崎の台場を模倣し、復元した、そうです。
駐車場は、国道9号線、台場側に10台位のがあります。案内板もあります。
ここから眺める日本海も綺麗でした。

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ダイエティシャン

四ツ山城跡(石見国 益田市美都町朝倉) (2019/05/19 訪問)

島根県益田市美都町朝倉にあります。 
立派な大きな看板があり、整備されていそうで、攻城出来そうでした。しかし、途中の道は、車両通行制限がありました。四ツ山保存会の方に、連絡し、許可が必要とのことでした。熊も出る季節で心配されると悪いので、攻城は諦めました。
駐車場は、通行規制の先にあるのでしょうか?

この地方の戦国武将の益田氏、三隅氏に、支配されていたそうです。

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ダイエティシャン

道川城跡(石見国 益田市匹見町道川) (2019/05/17 訪問)

島根県益田市匹見町道川にあります。
津和野方面から行きました。

案内板までは、辿り着きましたが、以降案内板も無く、攻城出来ませんでした。
市指定史跡ですが、案内板が無いと全く分かりませんでした。

大元神社の裏の辺りに2〜3台の駐車スペース(未塗装)があります。

以下案内板より、
主郭は、最上部に設けられ(以下略)3連からなる堀切で堅固している。(以下略)正長元年(1428年【室町幕府将軍、足利義教の時代で、正長の徳政一揆が、あった年】) には、吉見氏 家臣 長野頼久に占領されたともいわれている。(以下略)

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ダイエティシャン

三ノ瀬城跡(石見国 鹿足郡吉賀町柿木村福川) (2019/05/17 訪問)

島根県鹿足郡吉賀町柿木村福川にあります。津和野城の支城だそうです。

案内板には、辿り着き、遠景は撮れましたが、それ以降城迄の案内板も登城口も見当たりませんでした。
駐車場は、ありません。
城跡は、市道から三ノ瀬橋を渡った何処かにあるようです。

以下、案内板より。
天文年間、津和野城主の吉見氏が、家臣に( 以下略)与え、津和野城の支城として構築された山城です。(以下略)本丸、一の丸、二の丸跡が、当時の姿のまま残っています。天文23年(1554年【麒麟が来るでは、守護代織田信友がを信長が討った、信長の叔父信光が討たれた年】)陶晴賢が津和野城攻略にかかった時(以下略 )攻防があったと伝えられています。

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ダイエティシャン

指月城跡(石見国 鹿足郡吉賀町六日市沢田) (2019/05/17 訪問)

島根県鹿足郡吉賀町六日市沢田にあります。島根県最南端の山城だと思います。島根県吉賀町指月神社で探すと辿り着きました。

陶晴賢が津和野を攻める際、落城したそうです。

本やグーグルマップに従って攻城をめざしましたかが、案内板も無く、攻城出来ませんでした。
城の近くにあると思われる神社の写真を撮影しました。

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がんた

名古屋城 (2020/02/28 訪問)

まずは 愛知の代表の城
城時代は戦後復興されたコンクリート製で外観は当時に近いかもしれない
中は展望台とか戦国博物館と思った方がいいですが
今は入ることはできません。
組織地内に那古野跡もあります

もうひとつ 名古屋城で外せないのが
名古屋おもてなし武将隊です
土日の演武、平日のおもてなしと楽しいですよ
コロナ後復活を楽しみにした方がいいです

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朝田 辰兵衛

【家×お城】登城したお城しりとり[147] (2017/05/27 訪問)

カルビンさん,即レス&修正,大変にありがとうございました!
「ま」で私がリレーしたいと思います。

桝形古城[新潟県長岡市]_【ま→こ(ご)】
    ↓
五泉城[新潟県五泉市]_【ご→せん】
    ↓
仙台城[宮城県仙台市]_【せん→い】
    ↓
一乗谷城[福井県福井市]_【い→に?】

次は,丹羽長重さんを指名させていただきます。
福島の名城で,「松2本」をリクエストします。

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カルビン

【家×お城】登城したお城しりとり[146] (2019/12/28 訪問)

にのまるさんの「延岡城」の「か」から

河後森城(かごもり:愛媛・続100名城)

守山城(もりやま:愛知)

両城とも投稿済なので写真は最低限で。


次の方、「山」「やま」「ま」でお願いします。

※「やま」の手札はまだいくつかありますが、「はら」「ら」はもう無いです。。。
「あ」で終わるのも見つからないので、ちょい閉塞感が(危)

緊急連絡:朝田さん、すいません。現地の茶畑園の方に杜山を「もりやま」と読むと教えて頂いていたので、ずーっと「もりやま」だと思ってましたorz・・・「やしろやま」だったんですね。。。「もりやま」カードが複数あるので差し替えさせて頂きましたm(_ _)m
ご指摘ありがとうございます。

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朝田 辰兵衛

【再訪】前回は積雪があり,北東隅部が明瞭ではなかったので。 (2020/05/30 訪問)

前回は積雪により,ほぼホワイトってカンジで,全然わからなかっただろうな…ということで,再訪しました。高城城からは比較的近距離に位置しています。

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にのまる

【家×お城】登城したお城しりとり[145]

津和野城の「の」から、

延岡城…続日本100名城

次の方、「か」「おか」などでお願いします☆彡

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赤い城

緊急事態センター解除でとりあえず県内 (2020/05/30 訪問)

緊急事態宣言中もテレワークなし、毎日出勤でしりとりもクイズもすっかり乗り遅れました。
もっともクイズはさっぱりでしたけど・・・。
で、解除され県外移動は自粛なので野田市を攻めました。
チーバ君の鼻にあたる関宿城。
博物館はまだ休館中でしたが天気もよく久々の城で気持ちよかったです。
本丸跡に立つ石碑は博物館から徒歩ですぐ。
特に遺構とかはありません。
本丸跡から徒歩で20分くらいのところにある実相寺には一部が移築された本丸御殿、さらに離れたところ(車で移動しました)には埋門が残っています。
利根川、江戸川をうまく利用した城ですが遺構はほとんど残っていないのが残念でした。

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ぎんなんじょう

周りの緑で白壁がとてもきれいでした (2013/08/04 訪問)

東武線南栗橋駅から徒歩で2時間近くかかりました。遠目からの天守が、田んぼの緑に映えて、きれいでした。

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ぎんなんじょう

薬医門と大木に御三家の威厳と歴史の重み (2013/08/03 訪問)

スタンプラリー21城目。
本丸、二の丸、三の丸にそれぞれ学校が建ち、少し残念な面もありますが、移築されている薬医門に徳川御三家としての威厳と二の丸の大木に歴史の重みを感じました。

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桜璃

散歩のついでに (2020/05/30 訪問)

家の徒歩圏内に東京都立園芸高校という学校があるのですが、この地には戦国時代に兎々呂城(とどろじょう)という城があったという情報を得たので探索に行ってきました。とどろじょうと言う城名ですが、トトロの城ではなさそうです。校門の右脇に「兎々呂城」を示す石碑があるのみで、他に遺構が残ってはいないようでした。
もしかしたら学校の敷地内に土塁など残っているのかもしれません。城主は南条右京亮重長さんという方で小田原北条家の家臣だったようです。 「兎々呂城」の「城」を「き」と読ませると「とどろき」となり、等々力渓谷で有名な「等々力」の語源ともなっているようです

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ぎりょう

八谷館(宮城県黒川郡大和町落合)東北自動車道建設により公園となった中世城館 (2020/05/31 訪問)

新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言もなんとか全国的に解除となりました。例年春は3月初めからGWまでの期間を地元の中世城館の調査に出かけているのですが今年は自粛。とはいえひさびさ散歩がてらに出かけたくなり八谷館に「登城」しました。
宮城県北、大和町落合にある八谷館は東北自動車道建設によりその一部が消滅してしまっているが、残された部分は「八谷館緑地公園」として整備されている。城址は南北に連なる曲輪・切岸・堀切など中世城館の雰囲気を残しながらも最上部は遊具が設置されている。曲輪からの眺めは西側に遠く七ツ森・船形山を望む。城主はこの地域の領主黒川氏に連なる八谷氏が天正年中まで居城したとの伝承がある。

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