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todo94

リニューアル城カード2枚目ゲット (2020/09/19 訪問)

献血ルームひえづに向かう前に備中松山城に立ち寄っていきました。目的は城カードのゲットです。4連休初日と云うことで、鞴峠行きのシャトルバス乗り場には長蛇の列ができていましたので、駐車場から徒歩で登城しました。城カードは300円のリニューアルバージョン。さんじゅーろーさまにも会うことができました。

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太古の浪漫 (2020/10/01 訪問)

勉強になる!
登城する前に、鬼ノ城ビジターセンターで古代のお城について勉強すれば、何倍も楽しくなります。
登城口は西にあたり、東に向かって下りです。
時計回りにまわっても反時計回りに回っても行きは楽いですが、帰りがキツいです。
西門は必見です。1400年前にタイムスリップしたかのように。
途中、自販機が無いので、ビジターセンターで水分を買っておくことをお勧めします。

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BUGTI

戦国千葉氏の居城 (2020/10/25 訪問)

戦国期千葉氏の城だけあって、さすがに規模が大きい。主郭である城山は周りを土塁で囲んだ厳重なつくりになっている。東山の北側には大きな空堀が口を開けたまま残っていた。航空写真を見ると、印旛沼に浮かぶ要塞であったことが良くわかる。

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ぴーかる

トリーデなると (2020/10/17 訪問)

【撫養城】
<駐車場他>妙見山公園無料駐車場数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>石垣・曲輪
<感想>1泊2日讃州・阿波攻城の旅1城目。「むやじょう」まず読めなかったのですが、この城ははっきりしていないが築城は小笠原氏と伝えられている。 その後三好氏の配下城主、長宗我部元親が配下守備となり、 四国征伐後、蜂須賀家政が阿波国の新領主となり、阿波九城を置き家臣の益田正忠を城番として守らせた。 一国一城令後廃城となる。

 あいにくの激しい雨の中 訪城しました。郭跡と思われる平地がいくつかあり、駐車場の場所、忠魂碑・展望台がある広場、妙見神社、模擬天守がある場所が頂上なので主郭跡と思われます。神社裏手に当時の石垣が残っています。模擬天守内部は数年前までは博物館だったらしいのですが、現在は「トリーデなると」として地域交流施設となっています。内部は展示物も何も無いので、無料で自由に出入りできます。雨の中、地元の方の散歩がてらと思うのですが、親子連れ、おばあちゃんと孫連れが4・5組来ていました。勝手ながら立派な模擬天守、地域の子供たちの場としてもっと活用すればいいのに、中に何もないのは勿体ないと感じました。展望台の方も、木が手入れされてなく展望できないし、鬱蒼としていました。

<満足度>◆◆◇

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小城小次郎

纏っているものが全然違う (2020/09/22 訪問)

名古屋城の本丸御殿が再建されたが400年余の時を経た二条城の二の丸御殿は纏っているものがまるで違う。二の丸と違ってやたら実戦的な本丸にはもしや築城者(秀忠)の性格が反映されているのだろうか。

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カルビン

大森氏館 [神奈川県平塚市岡崎3910] (2017/12/10 訪問)

最寄り駅は小田急線・伊勢原駅。
駅から南に直線距離で2kmのところに岡崎城がありますが、そこから更に直線距離で南に500mのところに大森氏館跡である紫雲寺があります。

あくまでも直線距離なので、歩くとかなりの時間かかります。。。近くを神奈川中央交通(通称・神奈中)のバスが走っている(運行本数も1時間に5本はある)ので、バス移動のほうが良いかもです。

残念ながら大森氏館としての遺構は残っておりませんが、お寺の入口のところに解説碑があります。
岡崎城も大森氏の拠点だった事から、位置的に岡崎城が詰めの城だったのかもしれません。

大森氏といえば当時伊豆を拠点としていた北条早雲こと伊勢新九郎に小田原城をだまし取られ、1度は取り返したものの後に再度攻略されて岡崎城に逃げ帰ったとされてます。
小田原が本拠地と思えるのですが、現地に大森氏が拠点としていたとされる地が無いので(お城の中だったのかも)岡崎の地が本拠地だった可能性がありそうです。

大森氏にしても三浦氏にしても足利公方にしても、山内上杉を頼った結果上杉氏諸共後北条氏に滅ぼされるor吸収されてしまう訳で…
でも地域住民にとっては年貢が圧倒的に安かった後北条氏の支配地になって喜んだとされている事から、後北条氏に負けた勢力って関東では今でもそれ程有名でないんですな・・・日頃の行いが後世にまで響く典型的な例かと(汗)

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チェブ

今、何曲がり目~~? (2021/09/20 訪問)

昨日、投稿した「新発田城」のボランティアの方に、この後「村上城」に向かう事を告げると、歩いて登るから早く行くか明日の方が良い、との事。
時刻3時ちょい過ぎです。
近くまで行って考えようと、出陣しました。

築城時期は16世紀初め。本庄氏により築城されました。この時は「本庄城」です。
本庄 繁長さんの時代に上杉 謙信さんに反発しました。1年近く籠城したそうです。
伊達氏・蘆名氏の斡旋で講和し、引き換えに嫡子を人質と所領一部没収です。
上杉家家臣となった本庄氏は、上杉家と共に転封しました。
加賀から、村上 頼勝さんが入城します。
「新発田城」の溝口さんも加賀から引っ越して来てますので何か関連があるのかもしれませんね。
この時「村上城」となったようです。
その後は、近くの長岡から堀 直寄さんが城主になります。

「村上城」細い住宅街の道を進むと、広い無料駐車場がありました。
散歩(?)に登って行く地元の方が見え、出発しました。
写真③から出陣。七曲りのゆるい登坂を歩き始めました。
、、、3曲がり目辺りからゼイゼイし、これが戦なら討死してます。
ヨタヨタする頃、石垣がお出迎えしてくれテンション アップします。
山城の石垣を見るのは久しぶりです。
ちなみに「村上城」は平山城ですが、私にとっては山城級です。
写真⑩の案内板を見つけた時、「新発田城」のボランティアの方の「明日が良い!」に合点しました。
石垣も良いけど、奥が深いのか、、、!!
暗くなると危ないので、地元の方に距離を取り下山しました。
「村上城」体力に余裕がある時間にお勧めです。

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ふゆづき

畑の中の陣屋 (2020/09/01 訪問)

姫路から姫新線で1時間少々の三日月駅(無人駅)から徒歩約12分ほど。
三日月町の三日月陣屋(三日月藩乃井野陣屋)に行ってきました。
美作の津山城主だった森家が改易された結果、転封先で築いた陣屋ですが、物見櫓以外は復元であり、陣屋跡から少し離れたところに表門があります。
陣屋門以外に復元された建造物は無いので、建屋の裏側は駐車場になっています。
古地図を見ると江戸時代には陣屋周辺に他の建造物もあったようですが、現在は畑になっているため、三日月駅方向から来て、道路の角を曲がると忽然と陣屋が登場する感じです。
日本三大平山城と言われた津山城のような大規模城郭から、この地に移された森家の人々は眼下の風景をどのように見ていたのであろうという気にさせられました。

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リャンス

秋晴れの津城😃 (2020/10/26 訪問)

藤堂高虎公を祀る高山神社が
直ぐそばでした。

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リャンス

秋晴れの松坂城 (2020/10/26 訪問)

資料館等が休みで残念😭

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/13 訪問)

広島城からバスで60分で錦帯橋下の河原にある駐車場に到着。錦帯橋を渡りロープウェイ(3分くらい)で岩国城に到着。
100名城スタンプは天守入口にありました。
ロープウェイで登った横山山頂にある天守は再建された復興天守ですが、いい味出しています。
天守台石垣や空堀、大釣井など見所はたくさんあります。また麓にある水堀越に見る錦雲閣、旧吉川邸厩門などもぜひ見学してみてください。河原から見る錦帯橋越の天守(かなり小さく見えます)も絵になります。攻城時間は90分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/13 訪問)

初期近世城郭の代表的な平城です。現在は内堀とそれに囲まれた本丸・二の丸のみが残され、国の史跡に指定されています。
本丸には復元された天守、復元された二の丸には平櫓・多聞櫓・太鼓櫓・表御門・御門橋があります。
水堀越しからみる天守は美しいです。(現代建造物が写真に入らないスポットを捜すため、水堀の周りをウロウロしました。)
東小天守跡下の石垣も個人的には好きです。攻城時間は70分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/13 訪問)

JR福山駅のすぐ側です。伏見櫓は伏見城から移築されたもので、現存の櫓では最古のものだそうです。天守は再建された復興天守ですが、いい味出しています。現在は耐震工事の為、2020/8まで休館のようですが、自分が攻城した時は入れました。
100名城スタンプは天守1Fにありましたが、工事中の現在は天守近くの事務所で入手できるようです。
ツアー客の皆さんが最初に天守に行かれたので、自分は鏡櫓➡月見櫓➡御湯殿➡伏見櫓➡筋金御門➡鐘櫓➡筋金御門から表に出て福山駅を望み➡阿部正弘像➡再び筋金御門から入城➡天守➡鏡櫓横の門から出て➡水野勝成像➡再び本丸へ戻るルートで攻城しました。
大型観光バス駐車場脇に桜が咲いていました。攻城時間は70分くらいでした。

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石垣 石垣 また石垣 (2020/06/20 訪問)

石垣で有名な丸亀城に行ってきました。
綺麗な扇の勾配。20mを越す高石垣。
現存天守。お堀も綺麗。
無骨ではなく秀麗なお城です。
天守閣は小ぶりながら、流石、現存天守。
床が輝いています。
災害で石垣が崩落し、現在、修復中です。
一つ一つ石垣を積んでいます。
それを見ることが出来ます。
早く、完全復旧しますように。

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毛利元就の神秘的パワー (2020/08/13 訪問)

2020年8月、広島県安芸高田町にある100名城の一つ、吉田郡山城に行ってきました。
凄いです‼️ 何が凄いか… 毛利元就の墓です。
パワースポットとは、ここです‼️
お墓が大きくて、周りの樹々が鬱蒼としていて、墓石には神秘を感じさせる苔がむしています。
吉田郡山城には沢山の曲輪があり、絶景があり、楽しいのですが、お墓が凄いです‼️
注意する点としては、虫が多いので虫除けスプレーが必須です。
あと、自販機が無いので、水分を事前に買っておく事です。
まぁ、あのお墓には、いつかまた行きたい‼️

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー26城目 (2020/09/19 訪問)

スタンプ置き場の高松城址公園資料館は、ネット情報によると10時開館ですが、前回も今回も9時には開館していました。前回は岡山の豪雨災害の後で蓮の葉が泥だらけでしたが、今回は泥の汚れではなく枯れかかっている感じでした。

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にのまる

すごいなぁ。。。 (2020/09/29 訪問)

 長谷堂城から山形城への行軍は思ったほど苦行ではありませんでした。
 まずは目標地点の霞城セントラル(地上24階、高さ約115m)が遠くからでもよく見えたということ。絶対に迷子にならないという安心感は7kmという距離の心理的負担を軽減してくれました。そしてR348沿いの歩道の歩きやすさと気持ちよさ。道の両側で風に揺れる黄金色の稲穂は今世界に蔓延る禍を忘れさせてくれます。視界が広く安全な道路には、熊・猪・猿が飛び出してくる不安も、烏・鳩・雀のそばを通らなければならないという試練もありません。(鳥類全般苦手なので。)
 しかし、この遮るものが何もない道筋は、当時にしてみれば、長谷堂城が陥落したら、ただでさえ兵力分散し寡兵で守る山形城もひとたまりもないということ。このあたりの田畑を自軍に有利に利用することを両軍ともに考えたのではないかと思います。
 そんなこんなで歩き続けたのですが、霞城セントラル、どれだけ歩いても全然近づいてくれません。いつまでたっても“遠くに見える”ままで、「手が届きそうで届かない、どんどん逃げていくお月さま」状態です。
 そんな中、歩道脇に見つけた「湯目之碑」(写真⑩)。伊達政宗に命じられて来援し上杉軍と奮戦、討死した湯目加賀守重旧の供養碑でした。ここのほかにも戦士たちの碑が何か所かあるようです。
‪ 午後3時ちょうどに霞城セントラル最上階の展望ロビーに到着しました。ここから見下ろすと輪郭式平城の山形城のようすが隅々までよくわかります。そして霞城公園となっている山形城に向かったのですが、外したくないのが4年前に時間切れで入れなかった二の丸東大手門櫓です。今回も時間に余裕があるわけではないので真っ先に行こうと思ったのですが、南大手門の石垣に上がり、坤櫓跡まで歩き、などしているとどんどん時間が過ぎていき…。本丸一文字門も同じく4時閉門だったのですがこちらは以前入っているので踏みとどまり、何とか東大手門櫓に間に合いました。‬
 そのあと整備がかなり進んだ本丸西土塁と西堀、それから北側へまわってみました。北側の野球場はなくなって(別の場所に移設されたそうです)、広大な発掘現場となっていました。少し会話をしたお散歩中の方が「ここまで本丸だったとしたら相当広かったんだろうな」としみじみ仰っていたのが印象的でした。地元の方にとって山形城の復元は見届けたい夢なのでしょう。史料を探し出し、発掘調査をし、現代の建築や人々の生活とも折り合いをつけて元の姿に戻してゆくということは財源の確保も含めてきっとたいへんな事業なのだろうと想像することしかできませんが、そこにある夢はとてつもなく大きく、過去を探ることで未来に向かっているような気がいたしました。

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城好きのメガネ

「永田陣屋」 (2020/03/26 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
永田陣屋は、徳川家康の家臣で関東郡代であった伊奈忠次が荒川の改修や新田開発を行うため当地に陣屋(土屋陣屋)を築いたことが始まりとされる。伊奈忠次は父と共に三河一向一揆に加担し、堺に移り住み治水を学ぶ。本能寺の変では徳川家康の伊賀越えに加わり徳川家に復帰した。関東移封では関東郡代に任じられ、検地・治水工事の責任者として頭角を表した。後の江戸幕府の経済基盤の確立に寄与したとされる。永田氏は伊奈忠次と共に新田開発に貢献したことから陣屋跡地を拝領し、現在に至る。現在、長屋門などが遺されている。*個人宅のため見学の際は注意が必要である。

<アクセス>
JR指扇駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「石浜城」 (2020/03/26 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
石浜城は千葉実胤が扇谷上杉家の傘下に入り、築城したとされる。下総の回復は叶わず、扇谷上杉家の没落後は、後北条氏に従う。小田原征伐後に廃城となったとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR南千住駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「蕨城」 (2020/03/26 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を築いたとされている。戦国時代には、北条氏綱に攻められ落城する。三舟山合戦で渋川氏が戦死したため廃城となった。その後、徳川将軍家の鷹狩用の御殿「蕨ノ御所」として、蕨城の跡地が再利用された。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR蕨駅 徒歩15分

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