【豊後森藩陣屋】大分県玖珠郡玖珠町
<駐車場他>三島公園駐車場・豊後森藩資料館駐車場
<交通手段>レンタカー
<見所>庭園・栖鳳楼・御長坂・清水御門・石垣
<感想>2泊3日豊後国百・続百名城攻城の旅2城目。角牟礼城のスタンプ設置場所が豊後森藩資料館ということで登城前に押印、資料館にてお城仕立ての陣屋跡がある説明を受けて良さそうなので行ってみた。
豊後森藩は1601年に来島水軍の後裔の来島長親によって1万4千石で立藩された。来島氏は格式が低く城を持つことが許されなかったため、角牟礼城を廃して、角埋山の山麓に陣屋を置いた。来島氏は2代目に 久留島と改名し明治まで続きます。現在のお城仕立ての遺構は8代藩主久留島通嘉が陣屋背後の山にある三島神社(現末廣神社)の改築を口実として庭園・石垣を築造、天守に見立てた栖鳳楼(せいほうろう)という茶屋を建造しました。
陣屋跡は山麓の旧久留島氏庭園のある所が御殿があった所で、その西側背後の山に末廣神社がある。北側から御長坂と呼ばれる参道は登石垣のようになっており、ここからもう既にお城感いっぱいである。本殿敷地はしっかりした石垣囲みになっており、下段に栖鳳楼があります。1階壁一部分が紅色の漆喰が特徴的である。末廣神社南側に清水御門、丸木御門があり白壁も残る。資料館の方が「当時の藩主がどうしてもお城が欲しかったらしかった」と言っていた通り、見事な石垣遺構でまさに城跡でした。この後行った角牟礼城の石垣の破城(特に本丸)具合からみて三島神社増築の際角牟礼城から石垣を降ろしてきたのではないかと思ったがどうでしょう。
<満足度>◆◆◆
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