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やなぎぶそん

今回も櫓には入れず (2020/04/11 訪問)

前回来たときは人が多かったので断念したが、今回はコロナの影響で入れず。

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やなぎぶそん

桜は散ってた (2020/04/11 訪問)

高遠城は桜は満開だったが、小諸城はかなり散っていた。

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にのまる

旧道から (2020/12/31 訪問)

 昨年の城納めは大みそかの八王子城でした。
 ガイダンス施設のまわりや裏の遊歩道が整えられ、春の芽吹きの頃には素敵な風景が見られそうです。八王子城も滝山城もボランティアの方々が心を尽くしてくださっていてありがたいです。
 
 2020年4度目の本丸へは、はじめて旧道から登ってみました。麓の大鳥居をくぐって少し行ったところの二股を右に行く道です。“きっと私には無理だ”と、これまで行ってみようと思ったこともなかったのですが、分岐に「旧道コッチ→」と案内が出ているということは行ってもいいということ、そして旧道は八合目の柵門跡で新道と合流するということがわかっていたので、案外大丈夫なんじゃないか?という気がしてきたのです。

 結果、全く問題なく大丈夫でした。感じ方は人それぞれだと思いますが、新道より楽で、柵門跡までも早く到着した気がします。道幅は狭めで、若干急坂。新道のように歩きやすい整備はされておらず小石がゴロゴロしていますが、特に危険と感じることもなく、昔の登城路の雰囲気を味わえました。

 途中、左手の斜面に根元から抉られた大きな杉の倒木があり、「この木、すっげーな…」と眺めていると、そのすぐ右の上の方にしれっと石垣があって「何だ、これはー!」となりました。金子曲輪の石垣でした。カメレオンのように冬の山と同化した石垣は自己主張はしてこないものの確かな存在感を放ちながらこちらを見下ろし、人を寄せつけない雰囲気を醸し出しています。ほぼ足元を見ながら歩いていたので、すっげー倒木がなかったら見逃すところでした。

 そこからしばらく行くと分岐があり、左に行くと柵門跡に到着です。右の道は松竹バス停へ出られる道のようです。松竹バス停は以前、支城の浄福寺城に行ったときに確認済みなので、次回はそちらから八王子城を目指してみたくなりました。
 
 柵門跡から本丸まではいつもの道を一気に登りました。松木曲輪のベンチに腰掛けると目の前には年の瀬とは思えない穏やかな景色が広がっていました。
 <続く>

 

☆例年にない大雪で大変な思いをされている方もいらっしゃるのではないかと思います。お見舞い申し上げます。どうぞご無事で。

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橋吉

松平信康、切腹、悲劇の地 (2015/04/26 訪問)

二俣城は、天竜川と二俣川に挟まれた、標高90mの台地に建っていました。
今川氏配下の城として築城されましたが、桶狭間の戦いで当主を失うと、徳川家康に奪われててしまいます。
さらに、西進した武田軍によって支配されてしまいましたが、長篠の戦いの後、再び徳川が奪い返します。
まさに群雄割拠の戦国時代の象徴的な城といえるでしょう。

現在は城山公園として整備されています。
また、公園前にはクルマ5台ほどの駐車場があります。

北曲輪→本丸→天守台→二の丸→蔵屋敷跡→西曲輪
と見て回った後、歩いて鳥羽山城に向かいました。

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赤い城

二重堀切が素敵 (2021/01/09 訪問)

近くに駐車場は無く道の駅かつらから橋を渡って15分くらい。
太陽光発電設備があるところが二の丸で説明板が立っています。そこから奥に進んでいくと竹藪があり、見どころの二重堀切に。
1条目は普通に良い感じですが2条目は深い!
良いものを見ることができました。
恐らく夏はかなりの藪なのでしょう。
この時季が見頃のようです。

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小城小次郎

名前はとっても幸福なのだけれども (2020/11/21 訪問)

福山城と山続きの幸山城は二つ合わせて「幸福」という何とも幸せな山だが、「さちやまじょう」ではなく「こうざんじょう」と読むらしい。もともとは「甲山」で、幸福どころか名前からして戦闘的な戦国城塞だったようだ(笑)。

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いんげん丸虫

鎌倉時代 鎌田氏の居城 (2020/12/27 訪問)

ハイキングコースとして整備されてます。主郭には社殿がありまか、ぼろぼろの廃墟で少し不気味です。遺構は素晴らしく技巧的な虎口部分、二重の横堀など見応えがあります。

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武将からの挑戦状!信長の野望×福山城下まちあるきクイズラリー

城下町の古地図が印刷されているクリアファイルと中に入っている同じエリアの現在地図を重ね合わせて城下町の範囲を体感しよう!

現在地図にクイズスポットが印刷されているので,そのスポットを回って武将からの挑戦に挑んでみよう。

クイズはすべて回るとファイナルアンサーがわかり,その答えを応募すると抽選で豪華賞品があたります。

福山城下マップ(クリアファイル)の中に入っているちらしには2022年にリニューアルオープンする福山城博物館の招待券付き!



◆期間:11月20日(金)~2021年1月31日(日)

◆クリアファイル販売場所:福山駅観光案内所・福山城博物館管理事務所・ふくやま美術館・コミュニティハウスumbrella・福山駅前シネマモード・福山ニューキャッスルホテル

【販売場所の営業情報】
福山城博物館管理事務所    開館時間 9:00~17:00(月休館日)
福山駅観光案内所       年中無休 開館時間9:00~18:30
ふくやま美術館        開館時間 9:00~17:00(月休館日)
コミュニティハウスumbrella  営業時間 10:00~18:00(火曜日定休日)
福山駅前シネマモード  年中無休 映画の上映スケジュールによります。
福山ニューキャッスルホテル  年中無休

◆クリアファイル販売額:500円(税込) ※売上は福山城築城400年記念基金にあてられます。

◆クイズスポット 
・福山城博物館
・麻生船町本店
・紀伊國屋
・コミュニティハウスumbrella
・賢忠寺(クイズは水野勝成公墓地にあります)
・惣門跡(クイズは豆徳にあります)
・福山八幡宮
・蓮池(どんどん池)
・福山市三之丸駐車場
・備後護国神社

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昌官忠

鉢形城/足利氏館日帰り② (2018/04/14 訪問)

「鉢形城/足利氏館日帰り」の2城目(ラストです)は足利氏館です。鉢形城からの転戦です。
100名城スタンプは「鑁阿寺本堂内寺務所」で押しました。

鉢形城から徒歩で寄居駅に到着。そこから、秩父鉄道と東武伊勢崎線を利用して足利氏駅に到着。
そこから徒歩で渡良瀬川に架かる「中橋」を渡って足利氏館(鑁阿寺)に着きました。
鉢形城から2時間30分かかりました。

足利氏館は鑁阿寺(ばんなじ)といい、12世紀末、源姓足利氏2代目義兼が築城し居城したと言われています。
その後、邸内に氏寺として鑁阿寺が造営されました。
現在でも寺の境内の周囲には土塁と堀がめぐっており、一般的に「方形居館」と呼ばれる鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されています。
また、館の南方には「坂東の大学」と呼ばれた日本最古の学校である足利学校があります。

城跡というよりはお寺です。でも建物は国宝や国の重要文化財です。攻城時間は35分くらいでした。

足利氏駅から2時間30分かけて自宅最寄り駅まで帰りました。(移動だけで8時間以上かかっているので2城攻城が限界でした)

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昌官忠

鉢形城/足利氏館日帰り① (2018/04/14 訪問)

「鉢形城/足利氏館日帰り」の1城目は鉢形城です。100名城スタンプは「鉢形城歴史館」で押しました。

自宅最寄り駅から、3時間近くかけて東武東上線の玉淀駅に到着。
そこから徒歩で荒川に架かる「玉喜橋」を渡って笹曲輪の搦め手に着きました。

鉢形城を初めて築城したのは関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春と伝えられています。
その後、小田原の後北条氏時代に北条氏邦によって整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となったほか、甲斐、信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担っていました。
北条氏が支配していた頃には武田信玄でも上杉謙信でも落とせなかったほどの堅城ですが、豊臣秀吉による小田原征伐で落城しました。
その縄張りは唯一平地部に面する南西側に大手、外曲輪、三の曲輪(三ノ丸)の三つの郭を配し、両河川の合流地点である北東側に向かって順に二の曲輪(二ノ丸)、本曲輪(本丸)、笹曲輪と、曲輪が連なる連郭式の構造となっています。
搦手、本丸、二ノ丸、三ノ丸および諏訪曲輪には塹壕をともない、また北西側の荒川沿岸は断崖に面します。
現在は鉢形城公園として整備され、鉢形城歴史館が設置されています。

城址内を一通り見学した後、歴史館によった為、パンフレット等の資料入手があとになってしまいました。
効率よく城址内を楽しむには、先に歴史館に行くことをお薦めします。
攻城時間は2時間くらいでした。

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todo94

2020年城納め (2020/12/29 訪問)

2020年の城納めは鹿児島城となりました。復元なった御楼門を無事、拝むことができました。木曽三川の治水で薩摩藩のお世話になった岐阜県からの木材提供というのは良い話ですよね。黎明館でリーフレットも頂くことができました。

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橋吉

岩崎城 (2015/02/25 訪問)

岩崎城は、尾張国愛知郡(現在の愛知県日進市岩崎)にあり、築いたのは織田信秀(信長の父)といわれています。

尾張国東端にあるこの城は、1529(享禄2)年、松平清康(家康の祖父)に奪われてしまいました。
その後、本郷城から移った丹羽氏清が城主となり、四代にわたって丹羽氏が治めましたが、1600(慶長5)年、関ヶ原の武功が認められ丹羽氏次は三河国伊保(現在の愛知県豊田市)1万石の大名として栄転し、岩崎城はここで廃城となりました。

現在は、岩崎城址公園として整備されています。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその8 前ヶ崎城 (2021/01/11 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその8

松戸市の根木内城とセットで攻城。

緊急事態宣言が出されましたが、移動は自家用車、現地は人がほとんどいないので、登城する事にしました。

こちらも市民のお散歩コースになっているようですが、駐車場が無いため、近くのセ◯ンイレ◯ンで買い物をして、少しだけ停めさせてもらいました。城としては物足りない所もあり、御城印が無ければ多分来なかった城址ですが、お手軽に城の雰囲気を味わえると言う意味では良しとしよう。



御城印は、緊急事態宣言発出前に流鉄平和台駅で購入済みの物に日付を記入しました。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその7 根木内城 (2021/01/11 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその7

流山市の前ヶ崎城とセットで攻城。
緊急事態宣言が出されましたが、移動は自家用車、現地は人がほとんどいないので、登城する事にしました。

松戸市が公園として整備しており、市民のお散歩コースになっているようです。城としては物足りない所もあり、御城印が無ければ多分来なかった城址ですが、お手軽に城の雰囲気を味わえると言う意味では良しとしよう。

御城印は、緊急事態宣言発出前に流鉄小金城趾駅で購入済みの物に日付を記入しました。

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キンヤ

街中の神社とお寺に土塁が残る城 (2021/01/10 訪問)

城びとの皆様の投稿を参考にさせて頂いて行きました。

白山神社の西側・北西側に土塁がありました。
円観寺の墓地の西側の高まりも土塁と思われます。
街中なのに、土塁が奇跡的に残されていて嬉しかったです。

白山神社・円観寺共に北側は城跡らしい雰囲気の腰曲輪のような箇所がありました。

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ぴろちゃん

やっと行けた (2021/01/11 訪問)

討ち入りまでに訪れる予定が、やっと今日行って来ました。堀の水が見事に凍っていて、とてもビックリしました。部屋の間取りがとても面白く城主の気分で歩きました。

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赤い城

宝幢院の周りに素敵な堀が (2021/01/09 訪問)

宝幢院というお寺が跡地。
山門前に説明板が立っています。
山門右手の土塁上に石碑がある他、畑の先の道路沿いにも土塁が残っていました。
山門左手から空堀に入ることができます。
進んでいくとそれは見事な空堀が。
深さもあり、見応えがあります。
那珂氏築いた城とされています。

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織田晃司

南側からの登城と北側からの登城 (2021/01/10 訪問)

どちらが楽なんでしょうか?

石垣あり、曲輪あり、堀切あり。と見ごたえのある山城です。

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織田晃司

麓の龍野城、山頂の龍野古城 (2021/01/10 訪問)

元々、鷄籠山にあったのが龍野古城。
本丸に僅かに石垣が残るほか曲輪が残る。

山頂の城が廃城となり、江戸時代に麓に建てたのが龍野城。
本丸御殿・埋門・多聞櫓が復元。模擬隅櫓が建つ。

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 11城目 (2020/11/21 訪問)

登城口にある案内説明を読んでいると、軽トラに乗ってきた人物が声をかけてきた。
「お城に来ていただいたのですか? 有難うございます」 と いきなりお礼を言われ面食らったが、
伺えば一宮城保存会の会長をされている方で、整備のために来られたそうです。
草刈りはもちろん登山者に安全に快適に登って頂きたいために登城路をコンクリートブロックで
階段状に設置しておられるそうだ。
ただし本丸より先は昔の遍路道でもあるので、あえて過度な整備を行っていないそうである。
また登城者の意見や感想を書いて頂きたく案内板の横にノートを置いているのだが、近ごろは
日付と登城者の名前しか書いて頂けなくて残念だ、と仰っていらした。
登城者の意見や感想が、保存会の皆様のモチベーションアップに繋がっているのだろう。

さて登城を始めてみると、あるある。  
10Kg ほどもあるのではないかと思われるコンクリートブロックが、延々と続いている。
一つ一つ運び上げるだけでも、その労力たるや。  ただただ感謝あるのみ。

途中には湧水もあり、おそらくこのような場所があちこちにあるのだろう。
才蔵丸と明神丸を隔てた堀切は竪堀となって南側に落ち込んでいる。
才蔵丸へ登る虎口にもコンクリートブロックの階段が。   こんな山の上まで。  再び感謝。
門跡を抜け180度転回し階段を上がった明神丸からの眺望は、徳島市街はおろか淡路島まで
見渡すことができた。 (かすかに見えた山々が、多分そうだと思う)

本丸はとても荒々しく風雪に耐えた感の、趣きある石垣だった。 (雪は降らない土地だったな)
この虎口にはどんな門が似合うか、想像するのは楽しい。
石垣を一周してみると、北側など特に歩ける幅も狭くギリギリに石垣が立ち上がっている。

小倉丸へ向かう途中には城内最大の堀切もあり、こちら側の防御を重視しているようだ。
途中には石を重ね敷いた箇所がある。  土橋ならぬ、石橋というべきものなのか?
土だと流れ崩れるので、それを防ぐためのものか? 後世の物かもしれない。 わからない。

小倉丸へ行ってみて驚いた。  かなり高い土塁が残っている。  馬踏も広い。
さらに外側の横堀も深く、土塁までの高さは、かなりの物だ。
一宮城は天正年間に阿波に入った蜂須賀家正が阿波支配の拠点として大改修したそうだが、
長宗我部を意識した西側からの防御を念頭に置いた大改修だったのだろう。

小倉丸、椎丸、水の手丸、蔭滝の鎖場を通って、一宮神社裏手に戻ってきた。
保存会会長さんは、あえて整備をしていない、と仰っていたがヤブと化しているわけでもなく
さほど歩きにくいわけでもなかった。     ただし足元の装備だけはしっかりした物が望ましい。

案内板横のノートには、感謝の言葉と感想を書いて帰りました。

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