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刑部

徳川四天王の城 (2021/01/03 訪問)

今年2回目の訪問は館林城です。
ここは、徳川四天王の1人榊原康政が城主をつとめた城で有名ですが5代将軍 徳川綱吉も城主をつとめた城でもあります、遺構はほとんど遺ってませんが本丸跡の土塁上に神社があります。城沼の東にある善導寺に榊原康政の墓があるので城址訪問時あわせてお参りするといいと思います。

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じゅんじん

森の中は立ち入り禁止 (2021/01/02 訪問)

森の中は防獣柵を開けてもトラロープで立ち入り禁止でした。土塁が残っています。池は堀の一部でしょう。

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じゅんじん

連続お城 (2021/01/02 訪問)

お城がお城に隣接してる。周囲にもお城がある。
変わった景色が甲賀伊賀ではみられます。
ここは主郭周囲の土塁が残っていますが笹が多くあまり見れませんでした。

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じゅんじん

2021年城始め (2021/01/02 訪問)

昨年末のお城納めが雑?(多分甲府城)でしたので年始はきちんとお城へ。
まさかの残雪あり。甲南IC出てすぐ北側にあります。周囲はお城の宝庫なので歩き回っていました。
村雨城は説明板裏から入れます。中は高い土塁で囲まれてほぼ完存なのではないでしょうか。
いいものが見られました。

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大和郡山城の天守台で初日の出 (2021/01/01 訪問)

新年、あけましておめでとうございます。

昨年は、コロナ禍で大変な年でしたね。
今年も、新年そうそう首都圏は緊急事態宣言の要請を行っていますね。
東京都を筆頭に、埼玉県、千葉県、神奈川県が最も感染者が増加していますね。
首都圏にお住まいの皆様にはお見舞申し上げます。
関西圏は、増加しているとは言え小康状態を保っております。
さて、私は例年「逆さ地蔵」で有名な大和郡山城の天守台にて初日の出を拝んでおります。
今年もコロナ禍の中、大和郡山城で無事初日の出を拝むことが出来ました。
今年は登城者が少ないと思っていたのですが、逆に登城者が沢山いてびっくりしております。
皆さん、今年こそは良い一年にしたい思いが強いのでしょう。
コロナ禍が続きますが、感染対策をしっかりとして今年も今までに行ったことのないお城を中心に行ってみたいと思っております。
皆さんも充分に感染対策をして出掛けて下さいね。

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島城 (2020/10/17 訪問)

こんなお城🏯があったでしょうか?
島全体が城なんです‼️
周りには早い潮流。海。
近世城郭には堀や城や土塁がありますが、その代わりとなるものが、潮流や海です。
村上水軍(村上海賊)の拠点です。
海賊といっても、金品を略奪したりするわけではありません。
通行料を支払う事で、無事に航海できるよう計らうって事です。
過所船旗という通行許可証を村上海賊から与えられ、無事に航海出来るのです。
能島城🏯自体は開放的で防御性は高くはありません。切岸程度です。
しかし、最先端の文化があったそうです。
大陸との貿易が盛んに行われていたみたいですね。
戦じたいは、島で戦うのではなく、小早という船に乗って海上で戦ったそうです。
能島城の1番の特色はピッドが多い事です。
岩盤に穴を開けて、柱を立て、舟につないでいたのです。
ピッドを探す際は危険ですので、足元に注意して下さい。
能島城には自販機は無いので、水分は持って行った方が良いです。

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刑部

祇園城 城山公園 (2021/01/02 訪問)

謹賀新年🎍
コロナ禍の中、旅行に行けず近くの城址へ行きました。自転車で行ける範囲で今回小山城へ。関ヶ原合戰時の小山評定で有名なところです。駅から徒歩で10分・駐車場もあります。堀切が凄いですよ!

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ぴーかる

角牟礼城 (2020/11/27 訪問)

【続百名城44城目】
<駐車場他>三の丸跡駐車場
<交通手段>レンタカー

<見所>曲輪跡石垣・門跡石垣・畝状竪掘
<感想>2泊3日豊後国百・続百名城攻城の旅3城目。現在三の丸と本丸は整備中で入れますが、重機の登り降りで少し見づらい状況になっています。三の丸内は転落石の巨石がゴロゴロとあり、外郭の一部は小さめの石積み遺構で他の石垣とは少し違う雰囲気で前時代のものかもしれないと思った。三の丸を過ぎた大手道右手斜面が畝状竪掘り群になっている。つづら折れの山道を2つ程行くとここからは見事な織豊系の穴太積み石垣が現れてくる。大手門手前の石垣、水の手曲輪、二の丸、大手門周辺、本丸北面等各所に石垣が残存して見応えあります。せっかく整備中なのですから西門跡とその下の門跡の草刈をもう少し行って欲しいと感じた。城跡北斜面から焼不動という火災にあった不動尊を見に降りる途中に猪と遭遇し逃げ戻りました(恐)。焼不動は見れず、城跡内の角埋神社には再造の不動尊が祀られています。

<満足度>★★☆

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赤い城

梅が有名 (2020/01/02 訪問)

2021年城初めは坂田城。東金城の登城口が閉鎖されていたのでここまで足を伸ばしました。
横芝駅から徒歩で30分くらい。
坂田池に面した台地上に位置します。
大手口手前に空堀が二重になっています。
虎口から入ると広い曲輪があり、梅林と畑になっていました。
梅の時期には梅まつりも開催される名所で丁寧に育てられています。
三郭と二郭の間の堀には横矢がかかっていますが藪で見えにくい。
二郭と主郭、見台の間にも堀があります。
こちらもやや藪。主郭も通路以外は藪でした。
千葉氏一族の三谷氏の居城を井田氏が攻めて本拠とした城です。

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ぎりょう

年の始めは仙台城に (2021/01/02 訪問)

年末から続いた厳しい寒波が緩んだ2日、新年最初の攻城は仙台城とした。昨年の元日は宮城県南の白石城三階櫓で「初日の出を拝む会」に参加したが、今年はコロナ禍で中止。ならば仙台城本丸から初日の出をと考えていたのだが、元日は連日の降雪で断念した。

大手門跡からの登城路は圧雪、本丸跡地には宮城縣護國神社もあり、初詣客での混雑も心配されたがさほどでもなく駐車場に到着できた。本丸内は雪が積もっていたがきれいな青空。市街地や遠く仙台湾まで眺めることができた。

仙台市教育委員会は仙台空襲で焼失した大手門の復元を含めた「仙台城跡整備基本計画」(2021年から38年)を発表しており、今年度から基礎調査が行わるという。スペインの探検家セバスティアン・ビスカイノが「城は日本の最も優れ、最も堅固なるものの一にして」と評した政宗の仙台城がわかり易く復元されることを期待している。

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ふゆづき

二条城の夜景 (2021/01/01 訪問)

二条城では2月21日までイルミネーションのイルミナージュを行っています。
このイルミネーションよりも、唐門と二の丸御殿の金細工が、照明に照らされて非常に美しく、印象的でした。
昼間の色鮮やかな欄間も良いのですが、輝くばかりの金細工は正月にふさわしく綺麗なものでした。

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カニカニ

大洲で、大失敗 (2020/11/19 訪問)

ここまでの旅では失敗が多かったが、この街でも失敗をしてしまった。

失敗 その①  有料駐車場に停めてしまった。  
失敗 その②  おはなはん通りに行かなかった。
NHK朝の連続テレビ小説 「おはなはん」 を 毎朝観ており、大好きだった。
エンディングの音楽が鳴ると同時に大急ぎで自転車をすっ飛ばし、高校の授業にギリギリ間に合う
毎日を、一年間過ごした。  (昭和41年当時は現在のように半年間ではなく一年間の放送だった)
ザンネン! 行きたかった。   時間は十分余裕があったのに・・・

以上は、事前調査をしていなかったので、存在すら知らなかったために起きた失敗です。

その③ 城好きにあるまじき、 大失敗

先日の大洲城の投稿の為に写真を整理していたら、天守内を写した画像が無いことに気付いた。
最上階から撮った四方の風景写真もない。
入り口を入ってからの数枚の説明パネルは写っている。
画像を消した覚えはないし、消すはずもない。
”城びと”の皆さんの投稿写真や大洲市のHP、いろんな方々のブログに載っている天守内の様子や
展示物の写真を見ても、それを見たという記憶がまったく無い。

そうなんです。
途中に置いてあった天守再建工事のビデオを観て、天守に登った気分になってしまったのか、
その苦労に感動したからなのか、ほかに理由があるのかはわからないが、ともかく二つの櫓にも
天守にも登らずじまいで、そのまま出てしまっていたのです。

なんの違和感も疑問も持たないまま、城下を巡っていました。
なによりも、ひと月以上も、そのことに気付かないとは・・・・。
投稿をしていなかったら、一生気付かなかったってことですよね。

これって認知症の始まりの兆候なのですかねー?

ほんとにマヌケで恥ずかしいので、この稿はやめようと思いましたが、
      「カニカニ」 だから、イイヤ!!     (これが 匿名 の怖いところ か )

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ふゆづき

冬期間の竹田城 (2020/12/30 訪問)

冬期の閉鎖期間の前に今一度竹田城を再訪しました。
初回は鉄道で行ったので、今回は車で行くこととし、最寄りのICは和田山であることは解っていましたが、福知山ICからR9経由で約1時間かけて行ってみました。福知山ICからの道は幅員も広く、山城の郷までの道に問題は無いと感じました。
冬期期間は、山城の郷に車を停めて、登城口までは徒歩で30分はかからない程度の距離になります。
天気が良ければ、自動車道を行く途中の左手に石垣を臨むことができるので、城に近づいている実感を伴います。

開城時間が、10時~14時と限られていましたし、北から低気圧が迫っていたためか、登城者は多くなく、その分十分に見ることができました。
当日は登城時には天気が良かったのですが、やはり山頂ということで風が強く、悪天候時には訪問が大変だったと思われます。
下城後は大雪になったので城は閉鎖されましたので、本当に最後の訪問のタイミングになりました。

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小城小次郎

伝承には一貫性がある (2020/11/14 訪問)

源頼信が旗を立てて八幡宮を勧請した場所に頼信の子孫を称する荏原義宗の屋敷があり、更に日蓮宗に帰依して寺を建てた。旗の台に並んで残る旗岡八幡宮と法蓮寺に伝わる話は伝承の域を出ないものの、一貫性は感じられる。

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城好きのメガネ

「岩槻城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★★★★☆
岩槻城は、古河公方に対する抑えとして太田道真・道灌父子が築いたとされる。1522年、太田資頼が岩槻城を奪取し、岩槻太田氏の居城となる。太田資正(三楽斎)の代には居城を増改築し、反北条の拠点とした。1564年、資正の留守中に嫡子・太田氏資が北条氏康に内応し、資正の追放したことにより岩槻城は後北条氏方となる。1585年、北条氏房が城主となった。小田原征伐では宿老の伊達房実以下2000の兵が籠城するが、浅野長政等に率る約2万の兵に攻められ、落城した。徳川家康の関東入り後、三河譜代の高力清長が岩槻城に入る。以後、青山、阿部、板倉など譜代大名が入れ替わる。江戸中期に、旗本から大名に上り詰めた大岡忠光が藩主となり幕末まで大岡氏が当地を治める。大岡忠光は言語不明瞭な9代将軍・徳川家重の言葉を唯一理解し寵愛を受けたとされる。戊辰戦争では新政府軍に服従した。現在、岩槻城城門及び裏門が移築現存している。

<アクセス>
東武鉄道野田線 岩槻駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「増尾城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★★★★★
増尾城は、下総小金城主であった高城氏の家臣・平川若狭守が改修したとされる。小田原征伐の際に廃城となったとされる。現在、土塁や櫓台などが遺されている。

<アクセス>
東武鉄道野田線 増尾駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「佐津間城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
佐津間城は、土塁と空堀をめぐらせた千葉相馬氏が築城したとされる。現在、私有地のため見学はできない。

<アクセス>
東武鉄道野田線 六実駅 徒歩15分

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ぴーかる

豊後森藩陣屋(久留島陣屋)~お城仕立ての陣屋~ (2020/11/27 訪問)

【豊後森藩陣屋】大分県玖珠郡玖珠町
<駐車場他>三島公園駐車場・豊後森藩資料館駐車場
<交通手段>レンタカー

<見所>庭園・栖鳳楼・御長坂・清水御門・石垣
<感想>2泊3日豊後国百・続百名城攻城の旅2城目。角牟礼城のスタンプ設置場所が豊後森藩資料館ということで登城前に押印、資料館にてお城仕立ての陣屋跡がある説明を受けて良さそうなので行ってみた。
 豊後森藩は1601年に来島水軍の後裔の来島長親によって1万4千石で立藩された。来島氏は格式が低く城を持つことが許されなかったため、角牟礼城を廃して、角埋山の山麓に陣屋を置いた。来島氏は2代目に 久留島と改名し明治まで続きます。現在のお城仕立ての遺構は8代藩主久留島通嘉が陣屋背後の山にある三島神社(現末廣神社)の改築を口実として庭園・石垣を築造、天守に見立てた栖鳳楼(せいほうろう)という茶屋を建造しました。
 陣屋跡は山麓の旧久留島氏庭園のある所が御殿があった所で、その西側背後の山に末廣神社がある。北側から御長坂と呼ばれる参道は登石垣のようになっており、ここからもう既にお城感いっぱいである。本殿敷地はしっかりした石垣囲みになっており、下段に栖鳳楼があります。1階壁一部分が紅色の漆喰が特徴的である。末廣神社南側に清水御門、丸木御門があり白壁も残る。資料館の方が「当時の藩主がどうしてもお城が欲しかったらしかった」と言っていた通り、見事な石垣遺構でまさに城跡でした。この後行った角牟礼城の石垣の破城(特に本丸)具合からみて三島神社増築の際角牟礼城から石垣を降ろしてきたのではないかと思ったがどうでしょう。

<満足度>◆◆◆

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ヒロケン

浜松城天守閣リニューアルOPEN! (2021/01/01 訪問)

新年、明けましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願い致します。

浜松城は三方原台地の東南端に位置し、徳川家康公が三河・遠江の2か国の大名として29歳から45歳までのまでの17年間、居城としていた城跡です。その間、三方原合戦、姉川合戦、長篠合戦、小牧・長久手の合戦と歴史に名を遺す合戦にこの城から出陣したと云われています。家康公が関東移封後は豊臣系大名の堀尾吉晴が12万石で入城し、堀尾氏が出雲へ転封されたのちは、松平忠頼ら5~6万石の譜代大名の居城となり、幕末まで続いています。

浜松城は岡崎城と並び「出世城」として有名ですが、実際に幕閣の老中が5人、大阪城代に2人、寺社奉行に4人選ばれています。
現在の浜松城は浜松城公園として模擬天守、石垣、曲輪などが残り浜松市のシンボルとして市民に親しまれています。
この模擬天守ですが、浜松城に天守が築かれたのが、堀尾氏時代の僅かな期間で、外観など全く分からないのが実情です。天守台の石垣に対し、天守の大きさが合っておらず、違和感を覚えるのは私だけでしょうか(・・?

2021年1月1日に天守内部がリニューアルOPENということで早速行って来ましたが、コロナ感染症の影響で入城時間が時間ごとに区切られ、1時間待ち((+_+))、時間の都合上、後ろ髪を惹かれる思いで諦めました((+_+))

毎年、1月2日は名古屋城で城初めするのが10年以上続けてきましたが、今年は密を避けるため諦めました((+_+))
今年はコロナ感染症のワクチンを接種して感染など気にせず城巡りができることを期待しています。

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー32城目 (2020/12/12 訪問)

雨の降りが強くなってきたので山城攻めを切り上げ、昼食をとってから高田城へと脚を伸ばしました。これが3度目の攻城ですが、二の丸の土塁遺構と根上がり松を拝見するのは今回が初めてでした。

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