<はじめに>新年あけましておめでとうございます。昨年は疫災の影響で緊急事態や自粛期間があり思いきった攻め城ができずに、悶々とした日々も多かったことと思います。終息し安心して攻城旅ができる日が来ることを祈念しております。また皆様方もお体ご自愛ください。あい変わらず拙く伝わりにくい文章ですが少しでも皆様の攻城時の情報としてお役に立てたら良いかと思います。応援もまたよろしくお願い致します。
引き続いて昨年11・12月に行ったお城、未投稿分十数城がありますのでそこから始めたいと思います。
【日出城】
<駐車場他>二の丸館駐車場
<交通手段>飛行機→レンタカー
<見所>鬼門櫓・鐘櫓・天守台・穴太積高石垣
<感想>2泊3日豊後国百・続百名城攻城の旅1城目。日出城は1602年に高台院(おね)の兄木下家定の3男、日出藩初代藩主木下延俊が、義兄であった細川忠興の支援・縄張りをしてもらい築城した。日出藩木下家は外様なのに転封も減封もされることなく明治まで続いた珍しい家である。城跡は本丸内は日出小学校になっていて入ることはできないが、本丸を中心とする石垣は大部分が残っており周辺散策を楽しむことができる。二の丸館横に移築現存の鐘櫓(内部入れず)、本丸北西堀外に移築現存の鬼門櫓があります。鬼門櫓は自由に内部見学できて修復時の資料等があります。修復前の倒壊寸前の写真を見ると見事に修復されたことに感心しました。本丸北堀底から見上げる櫓は雰囲気あって見応えあり。鬼門切落し箇所もしっかり確認。本丸大手門跡は現在の小学校正門になっているが大手土橋の石垣塀は上部がかまぼこ石になっています。最大の見応えは天守台を含む穴太積みの高石垣です。天守は破風がいっさい無い層塔型3重の初期型のもの(細川忠興縄張りなので小倉城と似た天守だったかもしれないと想像する)だったそうだが、天守台は巨大で圧巻です。本丸東面の裏御門跡から天守台にかけての堀石垣も2段に分けてはいるが、海を引き込んだ堀となっていて見応えがあります。本丸西側に致道館という藩校が現存しており立寄った。続百名城にも負けてない見応えある城跡でした。
<満足度>◆◆◆
<グルメ>勿論城下かれいを食べました。旬が5月頃で今は時期外れなので、下調べして1年中提供してくれる「能良玄屋(のらくろや)」をチョイス。ミニセットをいただきました。かれい独特の脂のくせが全く無く刺身が特に美味しかった。
+ 続きを読む












