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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/08 訪問)

周南市文化会館駐車場(34.061250、131.813977)に駐車して攻城。
遺構は見当たりません。庭園跡と説明板、残念石くらいです。攻城時間は15分位でした。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/08 訪問)

二の丸駐車場(34.084158、131.727922)まで車で登れるのでアクセスはいいです。
「若山城は宝物」の木札がぶら下がっていて、地元の方に愛されている城跡と感じました。遺構として竪堀、空堀、壇床等が残っており、眺望も素晴らしいです。攻城時間は35分位でした。

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昌官忠

西日本遠征・続100名城制覇 (2019/11/08 訪問)

高嶺城駐車場(34.184055、131.464357)=KRY山口放送局中継所前に駐車して攻城。
駐車場まで舗装されている狭い道を車で登ります。そこから本丸まで500m。石垣と眺望が素晴らしい城跡です。攻城時間は50分位でした。

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赤い城

真田氏の居城、門や土塁が復元されている (2020/08/30 訪問)

駐車場に着いたのが閉門10分前。真田館にある100名城スタンプにギリギリ間に合いました。
本丸には入れませんでしたが内堀や石垣、復元された太鼓門、北不明門などを外側から見学しました。
土塁も綺麗に復元されています。
真田信之が居城とした城で近くには真田宝物館などもありますが次の機会に・・・。

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にのまる

常照寺 (2020/09/02 訪問)

武熊城から2㎞くらいだったので徒歩で行ってみました。水戸城の支城で跡地の常照寺は水戸光圀公が建立。遺構ありとのことですがそれらしきところはバリケードがあり立ち入り禁止っぽく、墓地内をうろうろするのも憚られ…。
城址碑の確認も忘れてしまいましたΣ(-᷅_-᷄๑)
来年早々水戸城の隅櫓が完成したら見に行く予定なので、その時に、今回前を通っただけの吉田神社(眺望が素晴らしいそうです)と合わせてもう一度行くかもしれないです。

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キンヤ

隅櫓が復興され、今は美術館の敷地にある城 (2019/10/05 訪問)

挙母城からは七か国を望めたことから七州城と呼ばれ、内藤家の居城です。

豊田市美術館の展示会に併せて久しぶりに行きました。
隅櫓前の駐車場は美術館の駐車場でもありますので車で一杯でした。

誰もが隅櫓には目もくれず、美術館に向かわれてましたが、私だけが隅櫓の写真を撮っていました。
ちょっと可愛い櫓だと思います。

説明書きによると、隅櫓の石垣は当時のものであるようですが、綺麗なので改修されているかもしれません。

寺部城の移築とされる又日亭の裏側には土塁がありましたが、これも城の遺構かはよく分かりませんでした。

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ぴーかる

原田城 (2020/08/23 訪問)

【原田城】
<駐車場他>原田しろあと館入口前に小型乗用車1台くらいなら駐車できる。
<交通手段>車

<感想>摂津国、バイクでちょこ城巡りのツーリング第2弾、4城目。築城者とされる原田氏は鎌倉時代に能勢一帯を支配した多田院の御家人の一人として「多田神社文書」に登場します。13世紀後半から14世紀初頭にまず北城が築かれた。15世紀中頃にはこの地域一帯を支配する土豪に成長し、室町時代には管領細川氏の家臣団に組み込まれます。1547年には細川氏の内紛により北城は落城、その後は南城に中心を移しました。原田氏はその後織田方に付いたようで、荒木村重の反乱の際には有岡城攻めの砦として古田織部・中川清秀が北城を改修し陣を構え使用しました。おそらく原田氏はこの時期前後に中川家に組み込まれたようで、その後中川家とともに豊後岡城へと移っている。(城跡パンフレットより抜粋・要約)

 原城跡(北城)の「原田しろあと館」は土日祝の12:00~15:00までしか開館しておらず、この時入館しなければ内側から土塁跡を見ることはできません。北城は堀と土塁囲みの方形居館で土塁跡は南西隅の一部が現存しています。主郭部は現在は旧羽室家住宅となっていて中を見学することができます。北城は高台の端に位置しており、すぐ南と西は大昔は海だった(大阪湾がこの辺りまで来ていた)海岸線になり急坂で下がっている。

 管理・運営されている「NPO法人とよなか・歴史と文化の会」の方に城跡の説明と城跡のパンフレットをいただきました。その方の説明では原田氏が土豪の時代、集落に猪名川から九名井(原田井)という灌漑用水を原田氏がひいたのだが、上流で奪われてよく争っていたという話をして下さいました。またその方の自説ですが、原田は最初「はらだ」ではなく、九州地方の呼び名「はるた」と呼んでいたのではないかとのこと。

 見応え的には◆ですが、大切に保存されている城跡で説明の熱意を感じて◆◆とします。是非開いている時間帯に来城を。

<満足度>◆◆◇

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カルビン

桜ヶ城 [長野県諏訪郡下諏訪町木の下3880] (2016/04/09 訪問)

諏訪大社・下社秋宮から山上に向かって北に歩いた先に、城びと未登録の桜ヶ城があります。
有る程度高度の高い場所までは住宅街になっておりますが・・・ここの舗装道路結構角度がきつく、住まわれている方々大変だな。。。と思ってしまいますw

途中から山道に入りますが、それ程距離進まないうちに城域に到着します。
主郭の平地に畑があるので野生動物から保護する為に防獣ネットで覆われている為、扉の開け閉めが必要になります。

google mapには桜ヶ城は「桜城」と表示されているのでお間違いなく(現地の案内には桜ヶ城とあったのでコチラで書かせて頂きます)

主郭には遺構はありません。。。ここが曲輪だったと推定出来る程度で。。。その代わりちょっとした展望台があり、ここからの諏訪湖の眺めも素晴らしいです。
諏訪湖周辺のお城、絶景見られる場所多いですね。。。(それを狙って築城したのでは?ってくらい多いですw)

肝心の遺構は入った扉の反対側の扉のちょい先に二重堀が見られます。
はっきり解る遺構はそれくらいしかありませんが、個人的にはこの日の訪問のメインが諏訪大社訪問だった事、この二重堀が思いの外良かった事、更に諏訪湖の絶景見られた事といろいろ重なって文句ない日となりました。


この日下諏訪駅から手塚城(城びと未登録)⇒諏訪大社下社秋宮⇒桜ヶ城⇒諏訪大社下社春宮⇒万治の石仏⇒下諏訪駅と歩きました(総距離4kmくらいですが、アップダウンが多かった)が、妙に観光客が多くて。。。流石諏訪大社、いつもこんな感じなのかな?と思っていたら。。。かの有名な御柱祭の日でした(汗)
(丁度行軍ルートが御柱祭の会場への道だったわけで。。。折角だから見に行けばよかったかな。。。)

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朝田 辰兵衛

吉江館(新潟県新潟市) (2020/09/05 訪問)

【よしえ やかた】木場城の南約10kmの新潟市南区吉江集落にあったと伝えられています。吉江バス停横の吉江児童遊園に「幻の吉江館」パネルがあります。遺構はまだ発掘されておりませんが,一辺80mの堀が巡っていたと言われております。
歴史的には,奥山荘の中条義周(よしかた)が守護代長尾能景から吉江の地を賜り,吉江氏を称したのが始まり。御館の乱では景勝側として戦功をたて,吉江一族はあの「魚津城の戦い」へと…。吉江宗信および信景,中条景泰は連署して玉砕となりました。

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小牧長久手の戦い (2020/09/05 訪問)

 木曽川の近く農道を行くと田んぼの脇に標柱と案内板があります。遺構はありません。
小牧長久手の戦いでは加賀野井氏は織田信雄配下で秀吉軍に攻められています。

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大銀杏 (2020/09/05 訪問)

 織田信長の家臣である毛利氏の居城です。毛利氏は江戸時代には尾張徳川氏に仕え、現在も子孫の方が住まれているとのことでした。城址には土塁の遺構が残っており、案内板があります。
また市内の真福寺に移築門がありますが、時間の関係で今回は行っていません。

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高須四兄弟 (2020/09/05 訪問)

 海津明誠高校付近が城址で、城跡公園に案内板がありあます。堀が水路として残っていています。この付近にも案内板がありました。
新幹線岐阜羽島駅より海津市コミュニティバスに乗り海津市役所下車、徒歩5分くらいです。

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ランちゃん

諏訪原城 (2020/07/12 訪問)

武田の城

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小城小次郎

任期ごとに新しいお代官様が赴任してきたらしい (2020/08/09 訪問)

松平忠輝が所領没収されて以降、今の中野市は大名領になったり旗本領になったり天領になったりしたが、一貫して代官陣屋による統治が行われ、任期ごとに新しいお代官様が赴任してきたそうだ。

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昌官忠

西日本遠征・続100名城制覇 (2019/11/08 訪問)

馬場先櫓近くの空きスペース(34.462438、131.769044)に駐車して攻城。
津和野城は前回(2019/3/14)攻城済みの為、今回は麓にある馬場先櫓と物見櫓を見学する為、大内氏館に行く途中に寄りました。津和野城の写真は別途、投稿しますので、今回は馬場先櫓と物見櫓の写真を投稿します。攻城時間は15分位でした。

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昌官忠

西日本遠征・続100名城制覇 (2019/11/08 訪問)

大路ロビー前の病院の駐車場(34.182351、131.479297)に駐車させて頂き、続100名城スタンプ押印後に攻城。
綺麗に復元、整備され説明板も充実しています。攻城時間は30分位でした。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/08 訪問)

住吉神社参拝者駐車場(34.674793、131.862391)に駐車して攻城。
麓の駐車場から急な石段を登り住吉神社に到着。門をくぐり説明板の横の小道を登っていけば、本丸に着きます。攻城時間は45分位でした。

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てがぬま

真夏の石垣山城征伐 (2020/09/05 訪問)

北条方が敗れて、490年経って石垣山城を征伐しました。これから豊臣方の城へ倍返しです。9月になっても暑い城跡でした。

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ヒロケン

甲斐源氏の祖 逸見清光 の居城 (2020/08/12 訪問)

谷戸城は山梨県北杜市大泉町谷戸にある甲斐源氏の祖新羅三郎義光の曾孫・逸見清光の居城だと云われています。この城は八ヶ岳山麓にあり甲信国境で、外敵を防ぐ最前線の城として逸見清光は、騎馬軍団の増強を図っていたとされています。(パンフより抜粋)

形状は平山城で、曲輪・土塁・空堀・竪堀・虎口などが残り、この季節にしては、形状がはっきりと分かり、よく整備されていると感じました。駐車場は谷戸城に隣接されている谷戸城ふるさと歴史館にあり、トイレも完備されています。

8月10日に南近江を攻略し、たっぷりと石垣を堪能した翌々日、甲斐の「行きたい城」を攻略するため、朝4:30に豊橋を出発し、この日2城目の谷戸城(1城目は白山城)に11時頃到着。いでたちは、半袖、ハーフパンツ、スニーカーという軽装で登城。下調べでの画像は「軽装でも十分行ける」という判断でしたが、”谷戸城ふるさと歴史館”がコロナの影響で休館しているためか、雑草がくるぶしから膝のあたりまで伸びていて、散策できない場所もありましたが、形状などはハッキリと確認できました。(*^-^*)
”土の城”で、この地域でこの時代(1180年代)の城としては、特別大きな城であったのだろうと推察できます。

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にのまる

竹隈市民センターに石碑 (2020/09/02 訪問)

 水戸城たっぷり2時間堪能後、向かいました。駅の反対側です。遺構も関連する知識もないところでも自分の足と目で確かめることで記憶に残り、のちに別のお城と繋がったときの喜びも大きいので、積極的バーターです。歩いて向かう途中で思わぬ発見をすることもあります。
「行けばよかった」と思ったところはたくさんあるけれど「行かなくてもよかった」と思ったところは今のところひとつもない…。

 武熊城の歴史ついてはネットで急ぎ検索。個人さまのサイトなので転載いたしませんが、「佐竹」「吉田」「埋め立て」など、ここのあとで行ったところと繋がるキーワードがいくつかありました。
 写真①はあえて大きめに撮った石碑。なぜかというと引きで撮ると②の状態なので。しかしこの感じは初めてではなく…。港区の太田道灌城推定地の出石藩仙石家があったことを示す石もこのような場所にありました。「人々の暮らしに最も役立つ石碑」だと密かに思っています。
 ですが、写真があまりに寂しいので、近くにあった備前堀と水戸駅前のお約束の銅像を③④⑤に貼付します。

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