道の駅ウッディ京北で鯖そばを食した後、宇津城に向かった。
光秀が宇津氏を滅ぼし周山城築城にかかったと聞き、気になっていたがあまり情報がなく探すのに苦労した💦しかし本当の苦労は…。
京北下宇津町の公民館?に駐車し八幡宮を通過し林道へ。途中、関電の作業道を見つけ上がっていった。ピークが見えていたが侮るなかれ💦
登りはじめてすぐに道は消え、そこはまさに茨の道だった。
山は一歩ごとにずり落ちるような赤土で、掴む草は枯れすっぽ抜ける。掴めるものはイバラのみで血まみれになった💦
平坦部に上がってもイバラだらけで足を取られ、これは難攻ずり落ちの城。近寄れない⤵️
何とかピークに達し南側の本丸を雛壇状の北曲輪を2つ越えて目指す。
本丸は大堰川を眼下に付き出した半島のような場所で、さらに南側の切岸的な箇所に綺麗な石垣が結構残っていて感動した。恐らく落城後に光秀によるものだろう。
同行者とは、「こりゃ攻められんわなぁー」と実感しながら血だらけの茨の道を泣く泣く帰るのであった。
こんなとこ行かない方がよいですヾ(;゚;Д;゚;)ノ゙
しかし宇津氏は元々美濃の長森城の土岐氏と言われており、土岐氏系の明智に滅ぼされるのは何の因果か寂しい話だ。
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