緊急事態宣言明け前最後の投稿になると思います・・・そもそも緊急事態宣言自体最後にしたいですな(汗)
伊達政宗率いる伊達軍7千(8千とも1万とも)vs鬼佐竹こと佐竹義重率いる佐竹連合軍3万が戦った事で知られる人取橋古戦場をup致します。
そもそも合戦のキッカケが政宗の父・輝宗を畠山義継が人質に取って亡き者にした返討で、畠山氏にキツイ処遇を与えた政宗の責任・・・という声も多いものの、実際反省しなかった畠山義継に問題があったと思われます(勿論この時代の常識においてですが(危))
二本松城の畠山一族の救出という名目で政宗を潰そうと目論んだ、数に物を言わせた佐竹軍に対し、狭い橋の人取橋でなんとか戦局を持ち堪えた伊達軍でしたが、ここで老将・鬼庭左月斎が打ち取られてピンチのまま初日を終え。。。
覚悟を決めていた伊達軍だったものの、翌朝佐竹連合軍は姿を消していた・・・伊達軍はギリギリで行き延びたわけです。
伊達軍の太宰金七率いる忍軍・黒脛巾組の活躍(北条軍が攻めてくるとの情報を流したり、佐竹義重の軍師的役割で叔父の小野崎義昌を暗殺した・・・等が言われている)で救われた説が有力です。
ちなみに1日目の戦いを終えた際に、縁起を担いで豆を刀で砕いて餅とあえて食べたのが陣打(じんだ)⇒ずんだになってずんだ餅と呼ばれるようになった・・・とかw
この日人取橋古戦場にたどり着いたのが日没前ギリギリでした・・・最寄りの駅手前で真っ暗な畑道を通ったのがもう5年以上前なんだなぁ・・・と。。。
すでに1年以上史跡巡り出来ていないです。。。はやくワクチン接種して気軽に遠征したいです(望)
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