臼井城址公園駐車場(35.737852、140.178570)に駐車して攻城しました。
享徳の乱の折、1478年(文明10年)12月10日の境根原合戦で千葉自胤に敗北した千葉孝胤は、臼井教胤の養子となっていた一族の臼井持胤の守る臼井城に籠城しました。
7ヶ月に及ぶ籠城戦の末、1479年(文明11年)には太田道灌の率いる上杉方に攻められ落城しましたが、このとき道灌の甥の太田資忠らが討ち死にし、現在も臼井城の土塁の上に資忠の墓が残されています。
その後、足利政氏の次男足利義明が小弓城を征圧し小弓公方を自称した際には、臼井城主の臼井景胤は小弓公方側に立ち、千葉孝胤の嫡男勝胤とは立場を異にしました。
だが1538年(天文7年)10月第一次国府台合戦で足利義明が討ち死にした後は千葉氏の影響下に復しました。
その後も千葉氏の家臣、原胤貞が城主を務めていた1566年(永禄9年)には上杉謙信(当時は輝虎)に攻められる(臼井城の戦い)など、何度も合戦の舞台となっています。
1574年(天正2年)に原胤栄(胤貞の子)は里見勢に生実城を追われたため、その後原氏が臼井城を本拠とします。
1590年(天正18年)、小田原征伐により原氏が滅びたのちは豊臣側に接収され、酒井家次が封じられましたが、1604年(慶長9年)、酒井家次の高崎移封に伴い廃城となりました。
現在は城址の一部が臼井城址公園として整備されています。
土橋は土のままであってほしかった。駐車場は10台くらいは停められそうです。
攻城時間は20分くらいでした。
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