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愛してやまない松山城 (2020/01/02 訪問)

僕が愛してやまない松山城を紹介します。
写真は、たったの10枚。毎日のように通ってる松山城の写真はまだまだ有るのですが…
賤ヶ岳の七本槍で有名な加藤嘉明が築きました。
松山城には、全国的に珍しい登り石垣が良好に残っています。県庁裏の登城ルートから良く見えるので、お勧めのコースです。
そして20メートルほどの高石垣に現存天守。床はピカピカです。
重要文化財の数は21棟あり、姫路城に次いで2位です。日本3大連立式天守の一つでもあり、日本3大平山城でもあります。
まるで、迷路のように寄手を惑わせます。
なんと言っても、本丸からの景観は圧巻です。
360度、松山市の街並みが見渡せます。遠くには瀬戸内海もご覧頂けます。
ほぼ毎日登城してますが、飽きる事はありません。
体力に自信がない方は、ロープウェイかリフトを利用すると良いでしょう。
場内にトイレや自販機は多数あります。
御城印は300円、御城印帳は2700円、天守入り口切符売り場にて販売されています。
僕が愛してやまない松山城。またまだ、見どころは満載です。
是非、ご来城し、その後は道後温泉で、温まってください。

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ながす

清洲城 (2021/01/09 訪問)

御城印5つ目は清洲城!!
清洲会議!!
カッコいい天守!

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ながす

関ヶ原古戦場 (2020/12/27 訪問)

天下分け目の戦い!!
新しくできた関ヶ原古戦場記念館行けて良かった!

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にのまる

早川口遺構など (2021/01/02 訪問)

<続き>
 城山公園メインの総構ウォーキングから一旦小田原駅に戻り、二宮神社の土塁と伝・障子堀をチラ見して早川口遺構に行きました。その途中にあったのが<秋山真之終焉の地>の案内板と記念碑。年末に3年にわたって放映されたNHKの「坂の上の雲」を思い出しました。もう10年も前だ…。
 
 早川口遺構は公園になっていて、どっしりとした土塁を見ることができました。説明板には明治以降この場所は別荘地などとして使われたとあります。現在見られる玉石垣や枯山水庭園にありそうな大きな石、礎石のように地面に埋まっている石もかつては虎口を固めていたものかもしれないと思うと、石は歴史の生き証人だ…という思いを強くします。
 
 けっこう歩いたのでそろそろ帰ろうと思ったのですが、せっかくなので御幸の浜に出てみました。ちょうど日没の時間で夕日が石垣山にかかり、空をオレンジ色に染めていきます。美しいです。あそこからここまで…歩いてみたい(*゚▽゚)ノ
 
 帰りは幸田口門土塁を通り抜けました。この土塁は私の小田原巡りの定番経路になりつつあります。先月駅前にオープンした「小田原城下町」。今回は寄りませんでしたが、いつかゆっくり見てみたいです。
 
 総延長9㎞の総構の中に点在する遺構をひとつひとつ探して歩くのは宝探しのようで楽しいです。町全体がお城ってほんとにすごい。テーマパークのような町です。まだ見ていない現存土塁も何か所かあるので制覇したいです。

 
⭐︎写真⑩は籠城生活の友です\(^o^)/

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ながす

犬山城 (2020/12/20 訪問)

御城印4つ目は犬山城!
国宝現存天守!!素晴らしい!
城下町も良き!

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ながす

桶狭間古戦場 (2020/12/12 訪問)

近世の曙!桶狭間の戦い!!
観光案内所の方が丁寧に教えてくれて楽しかった!

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ながす

安土城(レプリカ)笑 (2020/10/31 訪問)

伊勢にある安土城のレプリカ!笑
昔はこんなカッコいい天守があったなんて、、、
現存してたらなぁ、、
次は本物の安土城跡行くぞー!

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ながす

浜松城 (2020/10/17 訪問)

御城印3つ目は浜松城!
我が出身地の遠江国!!

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ながす

岡崎城 (2020/10/03 訪問)

御城印2つ目は岡崎城!
神君出生の地!!
家康公の銅像がカッコいい!!

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ながす

名古屋城 (2020/09/26 訪問)

御城印集めスタート!
1つ目は名古屋城!
天守閣はまた今度、、、、

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赤い城

公園の外に良好な遺構 (2021/01/23 訪問)

公民館の駐車場に車を停めることができます。
城址入口にパンフレットもあり、公園として整備されています。
駐車場からいきなり竪堀、通路を進むと西の虎口、下に下りると堀も素敵でした。
西から北にかけてゴルフ場と隣接しています。
北側には竪堀や曲輪群も残っています。
主郭部は整備されていて見晴らしもよい!
この日は雨だったのでイマイチでしたが。
東側にも堀や土塁、土橋もあり整備されていないところにも見どころ充分!
法螺貝城ところ呼ばれていることにも納得できる素敵な城でした。

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小城小次郎

よくも悪くも、今も昔も印象は変わらない (2020/11/27 訪問)

「城をやる」の掲載が始まったばかりの2001年以来の訪問だったが、当時も今も印象はほとんど変わらない。国史跡のはずだが岐阜城が目立ちすぎるせいかここに城があることそのものが忘れ去られてしまっているかのよう。

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キンヤ

武田流の築城技術が詰まった勝頼の城 (2019/04/21 訪問)

NHK 先人たちの底力 知恵泉 選「武田勝頼(前編)」を見まして、勝頼の新府城を思い出されましたので投稿させて頂きます。
もしかすると次の後編で紹介されるかもしれませんね。

長篠の戦いで負けた後に、立て直しを図る為、躑躅ヶ崎館から本拠を移した城とされます。

城の完成前に織田信長軍に侵攻され、勝頼は城に火を放って落ち延びたといわれます。

出構、枡形虎口、丸馬出など素晴らしい遺構が残り、武田流の築城技術が詰まった凄い城だと思います。
もし、信長軍に攻められることが、もう少し遅くて完成していたら、勝頼はこの城で立て籠もったのかとか、丸馬出の三日月堀はもっと深かったのかと思いにふけました。

行った時は、本丸でお祭りがされており沢山の人が来ていて、地元の人に親しまれている城で良いなと思いました。

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ひろ

飯野陣屋 (2021/01/27 訪問)

御城印もらいました。

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 13城目+α (2020/11/23 訪問)

昨日、明るいうちに神戸大阪京都を越えようと明石海峡大橋を走っていたら、事故渋滞の案内が・・・。
若狭経由で北陸へと、ルート変更。

旗日の今日は、県庁はじめ官公庁が休みなので絶好の登城日和(?)。 

藩主が御座所の西三の丸から本丸へと入るのに使われた廊下橋が復元されている。
ある研究によると、いまは消滅した橋や城も含む数だが、かつて18か所もの廊下橋があったそうな。
復元ながら高松城・府内城・和歌山城などは、ちゃんと屋根もある廊下橋である。
その他は屋根なども無く普通の橋になっているが、絵図や記録には残っているそうだ。
「エッ! あの城の、あの橋も廊下橋だったのか!」。
そういえば今回の旅、5城目の佐伯城にも廊下橋があった。(ちょっとイメージとは違ったが・・・)

天守曲輪から眺めると、復元された廊下橋や外枡形の様子がよくわかる。
しかし過去に起きた福井地震のせいなのか、それとも別の原因なのかは分からないが、
この天守曲輪の足元の石垣が大きく孕んでいるのがとても気にかかる。

天守台はどうかといえば、液状化で陥没したのか中央はへこみ、石垣は大きくうねっている。
天守曲輪には控天守台というものがあり、これも大きく損壊している。
それにしてもこの控天守台とは、何?   小天守台なのか?
建物が建っていたのか?   いずれ建てるつもりで準備して造ったのか?

本丸内部四方すべてに長い雁木が取囲んでいて、これほど大規模に造られた雁木を初めて見た。 
復元図によれば四方すべての雁木の上部は、多門櫓や土塀で全面を固めている。
さすが越前宰相の城。   

大手門傍の雁木と石垣の接合面も、隙間を小さい石で埋めるのではなくちゃんと一体加工していた。
(写真のナメクジが這っている石はヒビが入っているが、その下は無傷)

さて、北の庄城址まで歩き発掘された石垣を見てきた。
この場所は勝家が自害した北の庄城の、どの部分にあたる場所なのだろうか?
北の庄城の石は福井城に再利用されたらしいが、見てきた福井城はほとんど切り込み接ぎ。
目の前の石たちは、自然石。
ほとんどは外堀などの石垣に姿を変えたのだろうが、いまはそれも埋め立てられ道路や住宅の下に。
もし本丸に使われたことがあっても、表に出ない土台に使われたのだろう。

「いまは地中深くに埋もれておるが、いつか姿を見せるぞ。待っておれ。」 と思っていてくれればいいが。

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ぶーたろー

市民の森として整備されてるよ!

https://youtu.be/9Yj3KzyHLpY
↑この動画が参考になります。国道246号のすぐそばに深見城はあります。市民の森として整備されていて攻略しやすいお城です。反面城ファンには物足りないかも。

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イオ

土井城(和歌山県西牟婁郡白浜町田野井) (2021/01/10 訪問)

# 土井城は安宅本城とともに国史跡「安宅氏城館跡」を構成する城であり、安宅本城の支城と考えられるため、安宅本城で投稿します。

史料の裏付けはないものの、江戸期に書かれた軍記物「安宅一乱記」によれば、土井城は安宅氏当主・安宅安定の弟で土井氏の家督を継いだ安宅基定が拠った城で、兄を滅ぼして当主の座を得ようと挙兵した際に戦場となったとされます。その真偽はともかく、安宅一族が城主を務める支城だった可能性はありそうです。

土井城は天徳寺の裏山に築かれた城で、天徳寺の駐車場に駐めさせてもらい、墓地の奥の登城口から防獣柵を開けて5分ほど登っていくと、水道施設らしき建物の奥に横堀がある……はずですが、シダの藪と化していて何も見えません。少し行くと今度はシダが土塁と横堀の形に盛り上がり窪んでいました。さらに登った先にある虎口の手前と奥には石垣が設けられ、虎口から西にのびる横堀の土塁内側にも石積みが見られます。虎口を抜けると南の曲輪に至り、南東部に櫓台状の土壇、西辺から南西辺にかけて石塁があります。南の曲輪の一段上が主郭で、北端の櫓台(大日如来の石塔が祀られています)の北下では大堀切が北尾根を断ち切っています。

大堀切の先の北の曲輪に足を踏み入れたあたりから、シダの繁茂がさらに激しくなって顔の高さまで伸び盛り、足元も見えなくなってきましたが、もう少し行けば土井城最大の見どころである連続堀切群があるはず! と勇を鼓してシダをかき分けふみ分け何とか進んでみましたが……連続堀切群はシダの藪に沈んでいて何が何やら全くわかりませんでした。

横堀と竪堀を組み合わせ、虎口の導線に折れを設け、連続堀切群で尾根筋を遮断するなど、安宅氏城館跡の他の城に比べて技巧的な縄張で、大いに見応えがあるはずなんですが、シダのせいでその半分も目にすることができないというのは何とももったいないことですね。
 

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昌官忠

次男と二人で行くクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」⑦ (2017/02/18 訪問)

次男と二人で行くクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」の7城目は高松城です。丸亀城からの転戦です。
高松城は2回攻城しています。(3回目を2020/11に攻城予定でしたが、新型コロナの影響でキャンセル)
①2017/02/18(今回) 次男と二人でクラブツーリズムのツアーで攻城 
②2019/11/10 一人でレンタカーを借りて蛸橋目当ての攻城(投稿済)

1588年(天正16年)生駒親正により高松城築城開始
1640年(寛永17年)7月生駒高俊が生駒騒動により出羽矢島1万石に転封
1642年(寛永19年)2月松平頼重に東讃12万石が与えられ城内の改修を行う
1670年(寛文10年)8月小倉城天守を模した天守完成
1671年(寛文11年)東ノ丸・北ノ丸を新造開始
1677年(延宝5年)5月艮櫓完成
1868年(慶応4年)1月官軍に高松城開城
1884年(明治17年)老朽化により解体
現在城跡は「玉藻公園」として整備されており、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存します。
また、高松城の天守は小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」でしたが、1884年(明治17年)に老朽化により解体されたため現存していません。

日本三大海城の一つ、お堀が海水なので鯛への餌やりができます。(自分が攻城した時は100円でした)
高松城と一緒に栗林公園にもいきましたが、近くに室山城があることは知りませんでした。知っていてもツアーなので行けなかったと思いますが。
撮った写真は高松城と栗林公園で併せて112枚。この中から選んだ10枚を投稿します。
攻城時間は180分くらいでした。

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昌官忠

次男と二人で行くクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」⑥ (2017/02/18 訪問)

次男と二人で行くクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」の6城目は丸亀城です。今治城からの転戦です。
丸亀城は2回攻城しています。(3回目を2020/11に攻城予定でしたが、新型コロナの影響でキャンセル)
①2017/02/18(今回) 次男と二人でクラブツーリズムのツアーで攻城 
②2019/11/10 一人でレンタカーを借りての攻城(投稿済)

1597年(慶長2年)生駒親正・一正父子が丸亀城築城に着手します。
1602年(慶長7年)生駒一正、丸亀城から高松城へ移り、丸亀城には城代を置きます。
1615年(元和元年)一国一城令で丸亀城は廃城となります。
1640年(寛永17年)生駒氏所領没収、出羽国由利郡矢島に転封後、1641年(寛永18年)天草郡、富岡城主山崎家治が領主となります。
1649年(慶安2年)幕府、山崎氏の丸亀城修復、普請等の指示を出します。
1657年(明暦3年)山崎氏絶家後、1658年(万治元年)京極高和が丸亀藩主となります。
1660年(万治3年)丸亀城天守が完成します。
1869年(明治2年)京極郎徹が版籍を奉還します。

石垣の美しいお城です。野面積み/打込みハギ/切込ハギの石垣、刻印も確認できます。
ただ、天守への上り坂は結構きついですね。また、天守内の階段も結構急なので注意が必要です
攻城時間は120分くらいでした。

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カズサン

【遠江・野地城】静岡県浜松市 佐久城の北800m程半島城 (2021/01/26 訪問)

 城びとに登録の無い野地城を佐久城を終えて平成27年6月以来同じく冬枯れの時期は如何にと探訪しました。
 地理案内と歴史案内は前回投稿2020/7/28登城日2015/06/25をお読みください。
 駐車場は無く野地城手前200m程の湖岸ウォーキング道始めに路駐、前回は車で野地城まで行けそうと書き込みましたが車走行禁止で停止柱で防いでます。
 湖岸ウォーキング道を徒歩200m程、本曲輪の西から登城出来ます、北側からは車走行禁止柱は無くまた本曲輪はグランドゴルフ場にも成ってる様で地元の方々の車利用が予想されます?

 本曲輪の西端に神社が在りますが現在は閉鎖され立入禁止状態、西から東に本曲輪は運動場、二の曲輪と三の曲輪はミカン畑で私有地、本曲輪の北西側に南北の空堀が確認、堀もミカン畑、三の曲輪から城域の南側の城塁を眺めるが樹木、笹竹が茂り良く見えない、本曲輪と二の曲輪南側の城塁に堀と堀の間を出構えにした遺構辺りに土塁と、堀、下に腰巻石垣のような石垣がミカン畑の隙間から見え近くで観察、当時の石垣か?戻って三の曲輪東北に堀が有り水が溜まってる、水堀か? 解説と案内図が欲しいが私有地に付き無理かな?
 私有地ですのでマナーを守って荒らさない様な見学を心がけましょう。
 案内、解説も無く良く分かりません浜松市文化財課で2017年3月発行してる「浜松の城跡 見どころマップ」には名前が載るのみで詳細は掲載されてません、佐久城の欄に佐久城と野地城が地図掲載されてます。
 投稿写真は前回と被らない様にと選びました。

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