房総日帰り攻城Ⅰ⑦:生実城(ラスト)
(2020/01/31 訪問)
小弓城から徒歩25分弱/1.9Kmで本城公園(35.566510,140.1459)に着きました。
千葉氏は、上総国との境界付近の守りとして、南生実町に小弓城を築き、重臣原氏に守らせていたが、小弓公方にこれを奪われました。
その後、1538年の第一次国府台合戦に勝った後北条氏方の原氏は領地を取り戻し、新たに北に2kmほど離れた生実町(北生実)に城を築いて、ここを本拠地としました。
同時に、「おゆみ」の表記を「小弓」から「生実」に変えたものと考えられています。
ただし、近年の発掘調査で、北生実の城も室町時代には既に存在していた事が確実となり、実態としては2つの城を併せて「小弓城」または「生実城」と書き表していた可能性も出てきました。
なお、従来は小弓城(南生実城)廃城後に築かれた新城だと思われていましたが、出土品などから同時期に存在していたことが調査結果からわかってきており、原氏の居城は生実城で小弓公方もここに入ったとする説もあります。
このため、北生実を本城、南生実を支城をとらえ、連歌師の柴屋軒宗長が入った小弓館や小弓公方も北生実にあったと考えるべきとする研究者もいるそうです。
1590年に後北条氏が滅亡すると、この城は徳川家康のもとのなり、西郷家員が支配しました。
その後、1627年に生浜地区を中心とする地域の大名となった森川重俊は、生実城の一角に陣屋を築き、生実藩の政庁となり、以後11代240年にわたって森川氏の支配が続きました。
現在城址には生実神社があり、神社を取り巻くように土居と深い空堀が残っています。また本城公園に案内板があります。
本城公園(35.566510,140.1459)で案内板の写真を撮り生実神社(35.564865,140.1480)で空堀の確認をして撤収しました。
攻城時間は30分くらいでした。
「房総日帰り攻城Ⅰ」での城間徒歩移動距離=17Km、攻城距離=24Km、攻城歩数=30801歩でした。
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