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【お城川柳】

琉球の不死鳥のよう首里の城

何度も火災にあっている首里城。その度に人々によって復活してきました。
なんだか、南国の派手な不死鳥を思わせますね。

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赤い城

多古城 千葉県多古町 (2021/06/13 訪問)

分城から栗山川を渡り徒歩で30分くらい。
スーパーカスミやバスターミナルの辺りも城域だったようです。
台地状になった北側に空堀が残っていて傍らに説明板も立っています。
深さは5m位、幅も20m位で折れのある大規模な堀です。
発掘調査では畝堀も発見されたそうで北条氏の影響が及んでいたとされます。
空堀から下に降りる石段は崩れかけていて危険。
注意が必要です。

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入り江わに

【お城川柳】

ついに出た「その城お前と 行ってない」

大学の女友達とです!
川柳を詠むのにダンナにあれこれ聞いていたら言われてしまいました。
友人に歴女がいたから…

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にのまる

【お城川柳】嵐の聖地便乗その2


城跡に神出鬼没の二宮くん


「嵐にしやがれ」でニノが廃校の二宮金次郎像を救い出して別の小学校に移転させるという企画がありました。(余談)

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ぎりょう

上杉謙信の攻撃に耐えた城 (2021/06/21 訪問)

6月20日に9都道府県の緊急事態宣言が解除されたことで、仲間たちと共に村上を訪問した。お城好きの方はよくご存じのことと思うが、安西水丸氏の「ちいさな城下町」に描かれた村上を訪れるべく二年前から計画していたものの昨春からのコロナ禍、長い自粛生活のストレス解消にと出かけた次第。村上は「鮭・酒・なさけ」を観光の目玉とした城下町の風情が溢れる町で、城址はもちろん町家、寺社など見どころも多く、久々に楽しい時間を過ごすことができた。
村上城は戦国時代に阿賀北の有力国人本庄氏の築城後、江戸時代には、村上氏・堀氏等が山上に石垣を築き近世城郭として生まれ変わる。その後、松平・榊原・本多氏時代は15万石、松平氏7万2千石、間部氏5万石、内藤氏5万90石と続き版籍奉還を迎える。
城地は独立丘陵の臥牛山の山頂を中心に山腹、山麓に拡がっていたが、本庄氏時代は山上の主曲輪と東斜面に数多くの曲輪や竪堀が展開していたと云う。現在山頂には近世に構築された石垣が残り、松平直矩によって新造された三層天守や多くの櫓・門の跡地からは領地支配のための「見せる城」をイメージすることができる。
一文字門跡から七曲り道を登り四ツ門跡、御鐘門跡桝形、出櫓台を経て20分程で本丸天守台へ。本丸からは村上市街と日本海が一望のもとに見ることができる。また四ツ門跡から東斜面を経由して本丸下の埋門跡へ出る「中世遺構散策コース」も用意されており時間の余裕が有ればそちらも廻りたい。
車で訪問の際は、登城口にほど近いおしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で縄張図入りの「村上城跡」パンフレットを手に入れてから村上城跡駐車場に駐車しての攻城をおすすめしたい。





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赤い城

分城(飯土井城) 千葉県多古町 (2021/06/13 訪問)

中城から転戦、徒歩で20分くらい。
途中紫陽花の名所、日本寺もありました。
分城は妙見神社の周辺にあり、堀や土塁などの遺構が残っていました。妙見神社が主郭で堀の外側は畑で私有地となります。
ここも千葉胤貞の城です。

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ぴーかる

天保山 (2021/06/13 訪問)

【天保山台場】
<駐車場他>有料駐車場あり
<交通手段>大阪地下鉄1日乗車券「エンジョイエコカード」

<感想>城郭検定受験後ついでの城巡りラスト5城目。天保山は1831年安治川(当時の淀川本流)の洪水防止と大型船の入港をしやすくする目的で河口の土砂をさらって、その土砂を積上げた人口の築山です。ここまでのくだりは関西のTVでよくやっているので知ってました。当初は目印山と名付けられましたが、時の元号から天保山とよばれるようになりました。山頂に灯台や茶屋などが建てられて行楽地となっていました。
 台場としては幕末、ロシア軍艦が大坂湾に現れ高圧的に通商条約を結ぶよう求めた為、1864年に時の大坂奉行が山を削り取り砲台を建設しました。城塞は使用されることはなかったようです。
 天保山はその後地盤沈下によってほぼ今の高さになったようです。現在はすぐ横に小山や展望台が出来たりして盛土し周辺の方が高くなっちゃっています。台場の稜堡的な感じの土塁遺構は見受けられなかった。
 天保山が台場になっていたのを知ったのは城びとになってから。海遊館には何度か来たことはあるが、すぐ横にある天保山のこの公園に来たのは初めてでした。土日祝閉館中の海遊館周辺と港を巡り終了した。

<満足度>◆◇◇

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小城小次郎

見えない努力に心からの感謝を (2021/04/11 訪問)

祝・中ノ御門再建!と普通に祝いたくなるが、国史跡指定範囲での建築物復元には想像をはるかに超える緻密な検証作業と厳密な保全措置が行われているに違いない。見えない努力に感謝し、有難く見学したい。

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にのまる

【お城川柳】秒でやられる

大堀切行ったり来たりで大はりきり

↓どこのお城でしょう?

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にのまる

【お城川柳】木を見て森を見ず


巨大墓地俯瞰で見れば巨大基地

 作延城は遺構らしきものは見あたらない大きな霊園で、城址碑と説明板の写真だけ撮って帰りました。
 その後、4㎞ほど北にある枡形城の展望台から周囲を見渡していると、こんもりと盛り上がった小山が。
 …あれ?作延城じゃんっ‼︎
 多摩川防衛ライン上のお城の密集地。
戦う目線で見ると、墓地がちゃんと基地に見えました。

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まにまに

お城川柳

車窓から 城が見えると とりま撮る

クルマや電車に乗っていて、城が見えてくるといそいそとスマホを構えてとにかく連写(笑)大体がブレブレだけど、たまに上手く撮れるとテンション爆上がり。

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イオ

【お城川柳】

寺社 公園 役所 学校 城の跡

山城はともかく、街なかの城跡ってだいたいこんなところですよね。

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にのまる

【お城川柳】四郎さま

永遠のアイドル鬼籍の人なれば

突然、結婚発表〜‼︎とか絶対にしないから安心してずっと推しでいられる(*´꒳`*)

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すけきよ堂

30分で本格派山城が味わえる (2021/06/20 訪問)

宿場町も楽しめ、軽い気持ちで登城できるわりに、ガッツリ戦国の山城が味わえます。
登城道は整備されていて、急な場所には階段や手すりもあり、散歩程度の軽い装備で登れます。
「麒麟がくる」に便乗して、展望台や案内看板も新たになっています。

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朝田 辰兵衛

【お城川柳】明日は投稿休みます。 (2021/06/15 訪問)

「耳川より 衰退一路 ドン底に」

耳川とは,耳川の戦いのことです。大友氏はここで島津氏に敗れ,衰退の一路をたどることになります。
大友宗麟の洗礼名は,ドン・フランシスコ。下五は,この「ドン」と「どん底」を掛けました。

明日は,宣言の明けた東京へ行くことになりました。行ったついでにいくつか巡ってくるつもりです。なので,もういっちょいきました。

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のり巻せんべい

明智城跡のぼり旗 (2021/06/24 訪問)

ボランティアメンバーが自費で制作して城跡に立てていたのぼり旗が持ち去られる事が有りました、せっかく立てた物を・・どうしても欲しい方はボランティアの方に相談すれば在庫の新品の旗を製作費程度で融通して頂けるようです、相談してみてください。

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赤い城

中城 千葉県多古町 (2021/06/13 訪問)

並木城から徒歩で20分くらい。
中村小学校の東にあります。
登城口に案内板あり、単郭方形の主郭を土塁が囲んでいます。
虎口は桝形になっています。
規模はあまり大きく無いものの良い感じで曲輪などの遺構が残っていました。

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にのまる

【お城川柳】

白雪にロマン沸き立つ古代城


季節外れにも程がありますが。

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にのまる

【お城川柳】公式見解を待ちたいと思います。

切り株かキノコか悩む展望台


↓こちら。

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山上のお城と山麓の城下町の城砦都市 (2021/06/20 訪問)

一乗谷にどうして朝倉氏はお城を築いたのでしょうか?
福井の都心から1キロも離れたところにわざわざお城を造っているんです。
今は、都心から離れた不便なところのように見られますが、当時はこれが結構交通の便が良かったのです。
上城戸の少し向こうに朝倉街道が通ってますね。又、
下城戸から今の資料館の間に今も道路がありますね。
あの道路が美濃街道なんです。
即ち、朝倉街道は、北国街道にぶつかって南に行けば近江から京の町に出ることが出来ました。
美濃街道は、北に行けば三国湊に、南に行けば美濃から尾張に出ることが出来たのです。
その他に水が豊富であったことが挙げられますね。
各家には井戸が必ずあり、水路も発達しておりました。
それに加えて、資料館の近くに足羽川がありますね。
この足羽川は九頭竜川に繋がっており三国湊まで続いています。
そこはもう海原であり、北海道を初め各方面と交易をしていました。
このように、お城を築くうえで色んな条件が良かったのでしょう。
また、山上と山麓にお屋敷を設けスケールの大きい城砦都市を造り挙げたのですね。
上城戸と下城戸で守られた区画に約1万人も人々が住んでいたのですね。
彼らは、朝倉氏の家臣として扱われておりました。
勿論、武士団もいましたが商人たちも一緒に仲良く生活をしていたのですね。
そして、そこには京を凌ぐ京文化が栄え豊かな暮らしをしていたと思われます。
一乗谷には、戦国の庭が数多く存在していたのですね。
その戦国の庭は、京を真似て造られていたのです。
山麓の朝倉館は、京の将軍家の館に良く似ているのです。
これも、京の将軍家の館を真似て造らせたからなんですね。
だから、京から一乗谷に数多くの人々が訪れたのでしょう。
このような戦国の遺構が蘇ったらなんて奇跡のようですね。
最後に 川柳を一句

一乗谷 京を凌ぐ 戦国の庭



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