みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:頭陀寺城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の7城目は頭陀寺城です。
鳥羽山城から転戦。途中、頭陀寺第一公園(34.698679、137.755961)で石碑を確認して、頭陀寺参拝者用駐車場(34.6995234、137.756653)に駐車しました。

地元の伝承では別名市場城とも云うようです。
頭陀寺城は曳馬城(引間城)の支城で、松下氏によって築かれた城です。
松下之綱は飯尾氏に仕えていましたが、1564年(永禄7年)に曳馬城主・飯尾連龍を今川氏真が攻めた際に、頭陀寺城も攻められ焼失して廃城となりました。
江戸時代は、松下之綱の長男暁綱の家系が、松下屋敷の当主となって1905年(明治38年)まで居住したようです。
1551年(天文20年)頃から約3年間、まだ無名の豊臣秀吉が松下之綱(松下加兵衛)に仕えたと『太閤素生記』に記されています。

現在は城址の西側にあたる部分が「頭陀寺第一公園」として整備されており、園内の北東寄りに松下屋敷跡の案内板等があります。
頭陀寺の南側山門近くに歴史など詳しい説明板があります。
攻城時間は10分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

もふもふ

《お城川柳》

江戸城址 守るは異界 摩天楼

+ 続きを読む

もふもふ

《お城川柳》

殿様の 背中が見える 天守閣

+ 続きを読む

にのまる

【お城川柳】

ひとつとして意味なき石などなかりけり

裏込石も間石も。
人間も。

+ 続きを読む

赤い城

関東七名城の一つ、石垣だけではない。 (2021/07/04 訪問)

東武太田駅から徒歩で60分。
駐車場もあります。
駐車場から階段を登るとすぐに西城の喰違虎口。
西に行くと見附出丸があり虎口の外側に堀切もあります。
西城から実城に行く間にも2つの大きな堀切、
さらに進むと物見台下の岩盤を削った堀切。
この辺りから石垣が見られます。
馬場曲輪と三の丸の間の堀切、そこから月の池。
さらに本丸虎口へと続きます。
日の池から登ると実城本丸の新田神社ヘ。
裏側に石垣も残ります。
本丸と二の丸の間から北城に向かうと大きな堀切。
北城はこの時季笹薮となっていました。
引き返し本丸南の南木戸石垣などさすがに見どころは多いです。
麓のガイダンス施設にパンフレットがあり、ここも見どころですね。
新田氏の城でしたが戦国期には北条氏のものとなり、秀吉の小田原平定により廃城となりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まゆ

設楽の山城 (2021/07/15 訪問)

愛知県設楽町の山城が熱すぎます(●´ω`●)
道の駅したら、にて、各山城のリーフレットが無料でもらえますが、これも秀逸。
ご城印もありますが、何より
城郭図入りリーフレットが秀逸

+ 続きを読む

ぴーかる

閉鎖中で (2021/07/10 訪問)

【百名城58城目】
<駐車場他>城跡駐車場無料あり
<交通手段>車

<見所>堀・曲輪・土塁
<感想>1泊2日沼津・三島の城巡り旅2城目。到着し城跡の大駐車場が閉まっていたので、おかしいなと思いつつ、茶屋に駐車すると、なんと先日の大雨で土塁が崩落し7/16まで閉鎖となっていました。岱崎出丸の方は開いていたのでこちらのみの見学となってしまい、さらにすごい霧で見通しは最悪でした。逆に箱根旧街道は幻想的な雰囲気を醸し出し良かった。松田康長・一柳直末の墓地も手前にロープが張られ奥まで行けず遠目でお参り、スタンプ押印・御城印購入は茶屋でできたものの、肝心の本丸を含む半分以上の城跡部分が攻められず無念が残る中、これではプロフィールにある信念に反するので再訪を誓いあとにした。茶屋のおばちゃん曰く、昨年工事で盛土したところが崩れたそうです。入口から見える三の丸の堀の土塁の崩落部分が見れたので添付しておきます。満足度は暫定評価と致します。

<満足度>★★★☆☆(暫定)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

【お城川柳】上ノ国には,天の川が流れとる! (2021/07/09 訪問)

「花沢で 七夕伝説 回想す」

上ノ国町,花沢館のすぐワキには「天の川」が流れてました。七夕が過ぎたばかりということもあり,引っ掛けてみました。
洲崎館から徒歩約20分で登城口到着です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【お城川柳】伐採景観整備で一句

 ・ 木を切りて 高土塁出現 勝間田城

 ・ 茶畑を 登りて圧巻 二段土塁

 勝間田城は戦国前期、近くの諏訪原城、高天神城ほど有名では有りませんが牧之原台地の谷筋丘陵にひっそりと存在し、今年3月末までに牧之原市で城址の景観整備で3曲輪北側の樹木を伐採し3曲輪の二段高土塁、横堀、虎口がはっきりと確認目視出来る様になりました、麓の茶畑から登って眼前に飛び込んでくる高土塁上部から自然地形谷筋下まで樹木が綺麗に排除された姿は圧巻ですので詠んでみました。

+ 続きを読む

てぬき親父

お城川柳

お堀端 いつも笑顔の デート道

+ 続きを読む

てぬき親父

お城川柳

城巡り 自分をちょっと 好きになり

+ 続きを読む

黄金虫

【お城川柳】

城山は 元気象台 現役場

二の丸。昭和50年のつくば移転までは気象測器製作所。

+ 続きを読む

黄金虫

【お城川柳】

小金城 達磨口跡 犬散歩

石柱は達磨口、説明板は達摩口。どっちなの?市教委。

+ 続きを読む

黄金虫

【お城川柳】

「上様」が ご案内する 姫路城

松平健が音声ガイドのナレーションを担当。でも有料。

+ 続きを読む

黄金虫

【お城川柳】

暴れん坊 将軍ロケは 姫路城

「暴れん坊将軍」ロケの江戸城は、実は姫路城だった。

+ 続きを読む

黄金虫

【お城川柳】

美白度の 代表格は 白鷺城

白さではダントツの1位。修復でなおさら白くなった。

+ 続きを読む

黄金虫

【お城川柳】 熊本城・松本城

漆黒美 競う熊本・ 松本城

真っ黒度ナンバー1は熊本城か、烏城禁止の松本城か。

+ 続きを読む

黄金虫

【お城川柳】

どっち好き 白黒つかぬ 城の色

黒=豊臣系、白=徳川系とか、どっちも好きでいいよ。

+ 続きを読む

昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:鳥羽山城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の6城目は鳥羽山城です。
二俣城から転戦。公園駐車場(34.857371、137.805959)に駐車しました。

鳥羽山城は徳川家康が二俣城攻略のため、1575年(天正3年)に築かれた付城です(それ以前に1560年(永禄3年)の桶狭間の戦い後に今川方が築いていた説もある)。
1572年(元亀3年)から1575年(天正3年)の間、徳川家康と武田信玄・勝頼親子との攻防戦が繰り広げられた城として著名です。
徳川氏の関東転封で豊臣方の堀尾氏が、1590年(天正18年)から1600年(慶長5年)の間、城主だったそうです。
天守台や石垣は、堀尾氏によって築かれたものと推定されています。
発掘調査の結果、鳥羽山城は二俣城と同規模、またはそれ以上の城郭があったことが判明し、各曲輪・枡形門跡・庭園・石垣・井戸・排水溝などの遺構が発掘されました。
また、染付・天目茶碗・鉄釉仏飯器なども発見されているそうです。

現在は鳥羽山公園になっているので登城路はしっかりしているが、雨で石段が滑る。縄張りがわかるように整備されています。
攻城時間は25分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:二俣城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の5城目は二俣城です。
笹岡古城から転戦。城駐車場(34.862929、137.810352)に駐車しました。

二俣への築城は、戦国時代初頭、遠江を巡って今川氏と斯波氏が争った際に、今川氏が拠点とするために城館を築いたのがその初めといわれます。
ただし、それは後のように山城ではなく、北東の平坦地にあったと考えられています(現在の浜松市天竜支所周辺。笹岡古城の名が残る)。
1572年(元亀3年)10月、武田信玄が大軍を率いて信濃から遠江に侵攻、武田勝頼を大将とする軍が二俣城を攻撃しました。
二俣城の落城により武田軍は遠州平野内に入り、浜松を無視するが如くそのまま西進、これに業を煮やした家康が浜松城から出撃し、12月23日に三方ヶ原の戦いで両軍は激突、武田軍は大勝しました。
しかし、上洛そのものはまもなく信玄が発病したために中止となり、信玄は帰国中に死亡しました。
その後二俣城には、信濃先方衆の依田信蕃が城主として入りました。
1575年(天正3年)5月21日、長篠の戦いで武田軍は織田・徳川連合軍に大敗しました。
家康は直ちに反攻を開始、同年12月24日、城兵の安全な退去を条件についに開城、城代依田信蕃も駿河田中城に撤退しました。
家康は城主として重臣の中でも特に武勇名高い大久保忠世を置き、合わせて万全な城の修築工事を行わせました(武田軍はその後たびたび攻撃をかけるが、ついに落城しませんでした)。
そのまま大久保忠世が城主を務めたが、本能寺の変後の家康の勢力伸張に伴い忠世自身が信州惣奉行として小諸城に在番することが多く、二俣城にはあまり在城していなかったそうです。
1590年(天正18年)、家康の関東転出に伴い堀尾吉晴が浜松城に入り、二俣城はその支城となりましたが、1600年(慶長5年)に堀尾氏が出雲に転封すると廃城となったようです。

二俣城といえば、1579年(天正7年)家康の長男・松平信康が若くして父に切腹させられた悲劇の地としても知られています。
現在、城址には天守台・石垣・土塁などが残っています。また、井戸櫓が清瀧寺に復元されています(自分は時間の都合で行けませんでした)。
本丸跡の天守台は圧巻です。また、所々に石垣が残っており、堀切はよく形を残していました。
攻城時間は30分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ1177