武節城があった愛知県豊田市武節町は、長野県・岐阜県との県境です。
したがって、ここは信濃・美濃の侵攻を防ぐ三河の国境の城だったわけです。
国道153号にある「道の駅 どんぐりの里」北にトンネルがあります。
このトンネルの上に武節城はあります。
山城ではなく、小高い丘に建てられた平山城ですので、5分ほど坂を登れば到着します。それでも、息は切れ切れですが・・・
武節城は3つの曲輪が階段状に作られています。
一番低いところにある三の丸
一段高いところに二の丸があります。
さらに、その上にある本丸
1571(元亀2)年、信長包囲網に呼応した武田信玄は2万5千の大軍を率いて三河侵攻を開始しました。
この際、武節城はなんと戦わずして武田の軍門に下ってしまいました。
しかし、この後信玄は体調を崩したため、退くこととなりあげくのはてに病死してしまいます。
1575(天正3)年、信玄の息子勝頼は三河に侵攻し、徳川・織田連合軍と激突することとなります。長篠の戦いですね。
敗れた勝頼は田峯城主菅沼定忠に伴われ撤退しますが、すでに田峯城では謀反が起こっており入城できず、命からがら武節城にたどり着き、梅酢を飲んで一息ついたとの言い伝えがあります。
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