長野(工藤)氏重臣の城 家所城(三重県津市美里町)➡城びと未登録
(2019/02/26 訪問)
伊勢中部に勢力を張った長野(工藤)氏の属城:家所城です。
城びと未登録ながら遺構の残存状態も良く、見どころの多い城址です。
【アクセス(車)】
津市美里町の広域農道:グリーンロードの辰ノ口の交差点を東に折れ、県道411で300m走った“辰水小学校北”の信号を南に入ると、左手に見えて来る丘が家所城址です。
向かい側の辰水小学校入口に駐車スペース(児童送迎用?)があります。
城址への入り口は、城山の南側に回り込んだ民家の横にあり、狭い歩道と案内看板があります。
【城の歴史】
家所城は貞治元年(1362)、家所祐歳により築城されました。
長野氏は源頼朝の側近だった工藤祐経の三男:祐長が伊勢国二郡の地頭に任じられ、安芸郡長野郷に移り住んで“長野氏”を名乗ったのが始まりです。
家所祐歳は長野氏6代:藤房の三男であり、家所の近郷24ヶ村を貰って家所氏を名乗りました。
以後8代にわたり、長野氏の重臣を務めた訳ですが、『勢州軍記』によると、家所氏の兵力は500人(騎馬50、徒歩250、小者200)だったそうです。
家所の地は、南の北畠氏領だった一志郡に境を接しており、南北朝~戦国時代に両者は激しく戦っていますから、対北畠の尖兵…という位置付けだった様ですね。
織田信長の侵攻に際しては、家所氏は抗戦派だった様で、結局は織田信包ではなく、織田信雄の傘下に入っています。
しかし、その後の家所氏の消息については不明で、信雄の羽柴秀吉との抗争の中で没落してしまった様ですね。
【見どころ】
中世の築城らしく、土塁を巻いた広い主郭があり、居館からスタートした城の様です。
周囲には大規模な横堀が掘られ、東西の尾根上には曲輪群が幾重にも付加されおり、最後には菩提寺(什心寺)も郭内に取り込まれた様で、主郭の物見台下からは寺に向けて“抜け穴”も掘られていた様です。
市の史跡だから保存整備も限定的ですが、時代が進むに連れて機能を強化する進化の具合が良く見られる城です。
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