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個人投資家

地元の城巡り (2019/12/19 訪問)

長野の龍岡城を思い出しました。

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個人投資家

地元の城巡り (2019/12/19 訪問)

大給城とセットで巡りました。

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個人投資家

地元の城巡り (2020/01/22 訪問)

乏しい想像力を補完してくれる、味のある復元建物群でした。

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個人投資家

地元の城巡り (2020/01/22 訪問)

足助城とセットで巡りました。竪堀がはっきりと確認できました。

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松永秀久絡み (2021/01/16 訪問)

松永秀久傘下に入った、豊田氏の豊田城は、松永秀久の指導で防御性も規模もアップしたと。
県道51号線脇に登山道の標識があるが、山裾を行く、東海自然歩道にも立派な表示がある。登山道が頂きの平坦部に至るまでは、東海自然歩道同等の草刈りがされているが、そこから先は、城びとの先達のレポートのように、しばらく手入れされてない感じ。とは言え、副郭と堀底・法面は、藪になっておらず、見ごたえがある。副郭の南の「コ」の字型凹部とその前面の馬だしを認識できた。

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小城小次郎

伊勢盛時(北条早雲)生誕の地として (2020/11/22 訪問)

伊勢盛時(北条早雲)生誕の地との説が定着し地元の「早雲の里」にかける熱量は半端なものではないが、実際に「北条五代」が大河ドラマになれば大河の舞台として大きな注目が集まるのだろう(行くなら今だ。コロナだけど)。

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いんげん丸虫

上山田付城 静岡県伊豆の国市 (2020/12/27 訪問)

小田原の役で韮山城攻めのため豊臣軍が築いた陣城の一つ。写真ではほとんどわからないですが枡形虎口、折れのある土塁など土の城の縄張りを堪能できます。看板等は無く直登、藪漕ぎと訪城しずらいですが、よく遺構が残ってます。

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チェブ

果樹園と農道。 (2020/12/26 訪問)

たくさん「勝山城」がありますが、甲府市の「勝山城」、農道をダッシュで攻めてきました。
車を駐車する場所がありません。路駐してダッシュです。

武田家支流の油川 信恵さんのお城です。
油川?もしや、武田 信玄さんの側室に油川夫人という方がいらっしゃったような気がして調べてみると、油川夫人のおじいちゃんが、油川 信恵さんのようです。
諸説あるので 絶対とは言えませんが『油川』なんて、珍しいお名前だったので、、、。『油川』を調べると青森がルーツのようです。
だんだん話が飛んでしまうので「勝山城」に戻します。
武田家滅亡、本能寺の変と続き、この辺りは北条家に侵攻されます。そこで徳川 家康さんが服部 半蔵さんに「勝山城」の修築を命じたそうです。
元武田家領土、北条家も徳川家も欲しい場所です。

緩やかに登る農道を進むと石碑がありました。
『沼田めぐり 攻めるにかたし 勝山城』
と、刻まれてます。
ゆっくり攻めたら、何か発見できたかもしれませんが路駐が心配で退陣です。

武田家の内紛により油川 信恵さんは討死しました。
油川夫人は、どのような気持ちで信玄さんに嫁いだか、複雑です。
戦国の女性には現在の女性、どのように映ってるのでしょうか?
とりあえず、私のダッシュは見られたくないかな。

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橋吉

島原の乱 (2015/08/09 訪問)

島原半島を南下して、島原の乱の舞台となった原城へ向かいました。
まずは、有馬キリシタン遺産記念館で予習。
              
島原半島には、早くから、キリスト教信者がたくさんいました。
やがて、江戸時代になりキリスト教が禁じられると、島原の領主でありキリシタン大名であった有馬直純は改宗し、領内のキリシタンを迫害することを余儀なくされます。
しかし、良心の呵責に耐えかね、幕府に転封を願い出て、日向延岡転封されることとなります。
後任の桝倉重政はやり手だったようで、江戸城改築の公儀普請役を受けたり、独自にルソン島遠征を計画し先遣隊を派遣したり、島原城を新築したりしました。
しかし、そのたびに領民から年貢を過重に取り立てます。

もともと、島原は海が迫り山が多くて耕作地が多い上、火山灰が滞積したやせた土地でした。
さらに、天候の加減で不作が続いていたのですが、新領主は、年貢をまけてくれません。

しかし前任者の轍を踏まないと思ったのか、重政は、キリスト教徒の弾圧に一層力を入れます。
これ見よがしに、残虐な仕打ちをし、農民たちから深い恨みをかうことになりました。

隣の天草も同じ状況でした。
ついに1637(寛永14)年、積もり積もった重いが爆発し、島原・天草の農民たちが立ち上がったわけです。

原城跡は、有馬キリシタン遺産記念館から車で5分ほどです。
島原の乱当時、すでに原城は廃城になっていましたが、そこに3万7千人が籠城しました。
対する幕府軍は12万5千人でした。

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赤い城

湿地帯に築かれた要害 (2020/01/09 訪問)

主郭部は河和田小学校、中城幼稚園の辺りですが周辺に遺構は多く残っています。
報仏寺の山門前に石碑があり、墓地の奥に堀が残っています。
進むと途中から泥濘み、水堀へと繋がっていました。
天徳寺の山門前の堀も進んでいくと湿地になっています。
墓地の裏手辺りは二重に。
他にも遺構は在るのですが多くが私有地で入れません。
平地に深い堀と湿地、現在は市街地となっている場所にこのような要害、驚きです。

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昌官忠

八王子城/小田原城/江戸城スタンプ押印日帰りの旅③ (2017/12/09 訪問)

「八王子城/小田原城/江戸城スタンプ押印日帰りの旅」の3城目は江戸城(ラストです)です。小田原城からの転戦です。
100名城スタンプは「和田倉休憩所」で押しました。

小田原城から小田原駅に戻り、東海道新幹線で東京駅に到着。そこから徒歩で江戸城を目指します。

江戸城は2回攻城しています。
①2017/03/04に一人でじっくり2時間30分かけて見学
②2017/12/09の今回、八王子城を攻城した際に100名城スタンプを押すためだけに攻城

攻城目的がスタンプ押印なので、和田倉休憩所で押印後は5分で撤退。

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昌官忠

八王子城/小田原城/江戸城スタンプ押印日帰りの旅② (2017/12/09 訪問)

「八王子城/小田原城/江戸城スタンプ押印日帰りの旅」の2城目は小田原城です。八王子城からの転戦です。
100名城スタンプは「天守1F」で押しました。
八王子城から高尾駅に戻り、JR中央線で八王子駅に向かい、JR横浜線で町田駅に到着。町田駅から小田急特急で小田原駅。そこから徒歩で小田原城を目指しました。

小田原城は3回攻城しています。
①2016/11/05に次男と二人で攻城(天守内も見学)
②2017/12/09の今回、八王子城を攻城した際に100名城スタンプを押すためだけに攻城
③2018/09/17に小峯御鐘ノ台の大堀切が見たくて攻城(投稿済)

攻城目的がスタンプ押印なので、天守1Fで押印後は5分で撤退。

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昌官忠

八王子城/小田原城/江戸城スタンプ押印日帰りの旅① (2017/12/09 訪問)

「八王子城/小田原城/江戸城スタンプ押印日帰りの旅」の1城目は八王子城です。
自宅最寄り駅よりJR高尾駅に到着。高尾駅北口から西東京バスで八王子城跡下車し、そこから徒歩で八王子城に着きました。
八王子城跡行のバスは土休日のみだと思います。平日は霊園前までだと思います(そこからだと徒歩で20分くらいかかると思います)
100名城スタンプは「管理棟」で押しました。

小田原に本拠をおいた小田原北条氏の三代目、氏康の三男、北条氏照が築いた山城です。
築城の時期ははっきりしませんが、天正年間に築城が開始され、氏照が滝山城から移ったのは1584年(天正12年)から1587年(天正15年)の間とする説が有力だそうです。
築城の際には、織田信長の安土城を参考にしたともいわれています。小田原城の支城であり、北条氏最大の支城でした。
1590年(天正18年)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝・真田昌幸軍に攻められて落城しました。
この、八王子城落城が決め手となって籠城を続けていた小田原城は開城、北条氏は滅亡しました。
氏照はこの時、小田原に籠城中で、開城後、兄の氏政とともに城下で切腹しました。

3年以上前の攻城ですが、麓にある御主殿跡の見学後、本丸までの登城路がきつかったのは覚えています。
きつかった分、眺望は良かったです。攻城時間は2時間30分くらいでした。

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ブレンダ

愛知の古城、史跡めぐり(織田信長の居城・小牧山城) (2021/01/16 訪問)

愛知の古城、史跡めぐり(織田信長の居城・小牧山城)マクさん、菜千花さん

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朝田 辰兵衛

掛川古城(静岡県掛川市) (2020/12/19 訪問)

掛川城より北東約400m先に掛川古城があります。1568年,掛川城に逃げ込んだ今川氏真を攻めるため,徳川家康がここに本陣を置いたと伝わります。
本丸~二の丸間の空堀が見どころかと思います。

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にのまる

猿が密 (2020/12/31 訪問)

<続き>
 旧道経由の本丸が思ったより楽だったのでそのまま詰城に向かったのですが、井戸の少し先まで進んだところで(あー待てよ、それより太鼓曲輪の偵察に行こうっと!)と思い立ち方向転換、下山しました。
 以前、詰城から富士見台まで行ったときに太鼓曲輪尾根伝いに御主殿まで下山できたはずなのですが、その時は下調べをしておらず来た道を引き返してしまっていました。今思えば少し残念なことなのですが、麓の大手道から少し踏み込んでみることはできるのではないかと思ったのです。

 本丸からの下りは新道を通りました。旧道から見上げた杉の倒木と石垣が見えないものかと左側を覗き込みながら下ったのですがさっぱりわかりませんでした。次回は松竹(心源院)方面から行こうと思っているので、次々回もう一度旧道から登って場所の確認をしたいと思うのですが、想像するに結構な高さがあるのでここから石礫攻撃を仕掛ければ相当なダメージを与えられるのではないかと…。よい子はマネをしないでね♪

 そして太鼓曲輪の方に向かっていると、まさにそちらの方から動物の鳴き声のようなものが聞こえてきました。
 何かいる?とじっと目を凝らしてみていると、ガサガサ、ドサドサ…、そしてドドーっとお猿さんの群れがこっちに向かってくるではないですかΣ(゚д゚lll)
 地を這い枝を伝い、あっちこっちから湧いてくる‼︎
 ちょっと待って、怖い~😭
…と、走って逃げたのが御主殿方面。
しまった、逆だった。こっちに逃げたら帰れないΣ(-᷅_-᷄๑)
 仕方がないのでお猿さんたちがどこかに行ってくれるまで時間つぶしです。せっかくなので御主殿の石垣をじっくり観察しました。そして適当な時間が過ぎたところで古道の方から戻ってみると、お猿さんたち、山に帰らずにそのへんで遊んでいました。
 かなり密状態ですが、何だか楽しそう。フィジカルディスタンスを保って猿の群れを眺める、そんな私の2020年大みそか。。。
 浄福寺城でも遭遇しているのでこのあたりに生息していることはわかっていたのですが、八王子城で猿の襲撃に遭う(←襲われてはいない)って、430年前の再現のようです。
 そういうわけで太鼓曲輪偵察は取りやめ、今後踏み込む気もすっかり失せてしまいました。
<おわり>

☆最近、動物遭遇系のご投稿をよくお見かけします。熊でなくて何より♪

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Mt.stone

松本城 (2020/12/16 訪問)

雪がチラつく中の訪問。生憎、工事箇所がありましたが、人も少なくゆっくりと満喫できました。何度来ても美しいと思う。クツ脱ぐから足の裏が冷たい!冬は極厚の靴下必須です。次回は雪の北アルプスとのコラボが見たい。あっ、あと山賊焼も。

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Maturibaka

高見城

高見城
高見山(標高485m/比高約360m)山頂の主郭

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城好きのメガネ

「本證寺」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★★★★★
1206年頃、慶円上人が創建したとされる。三河一向一揆では、上宮寺・勝鬘寺とともに三河三ヶ寺として徳川家康と対立した。諸説あるが家康配下の侍が寺内の不入権を侵したことが発端となり起こったとされる。一向門徒であった家康の家臣の一部が離反し、寺院に籠城した。門徒連判状に武士門徒115名が署名するなど、徳川家康側は苦戦したとされる。1564年、小川の戦いで門徒側は敗走し、空誓上人が逃走し、一時廃寺となった。江戸時代になると、徳川家綱の将軍就任にあわせて拝謁。以降、江戸幕府と尾張徳川家の代替わりごとに拝謁を行っていたことから、他の三か寺と同様に両家と密接な関係を持っていた。本證寺の 境内は国指定史跡となっており、二重の堀と土塁に囲まれるなど城郭的防備に主眼を置いた伽藍配置になっており、横堀(水堀)や鐘楼等が遺されている。

<アクセス>
名鉄西尾線 南桜井駅 徒歩20分

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カズサン

薬医門続板塀?復元工事中、壮大空横堀が絶品 (2021/01/14 訪問)

 冬枯れ時期の長大な空横堀、三日月堀を観察探訪したいと自宅から40km程約1時間超掛け山越え1号線BP経由東行し半年振り登城しました。
 先ずは諏訪原城ビジターセンターにより担当の方に挨拶若干会話し、資料確認入手、何回となく登城してるのですが初めて「案内します」と言われ二の曲輪大手馬出手前まで案内頂きました、よく来てますとも言えずそのままに感謝です。
 1時間半掛けてゆっくりと廻りました、大手南外堀、二の曲輪大手馬出三日月堀、外堀ここで一番長い横堀、二の丸土橋を眺める、外堀は草刈りと草枯れて堀底まではっきりと観察できる、冬成ればこそ感嘆です、大手北外堀、二の曲輪中馬出、同三日月掘り、板塀復元工事中で中馬出土橋より北は現在立入禁止。
 近くで見たいと二の曲輪土塁北側より西に向かって観察と望遠撮影、板塀復元は二の曲輪北馬出に復元されて薬医門の南側続きで約10メートル程か? 現在は中芯鉄骨基礎が立ち上部に屋根の基礎が架かっており鉄骨が赤く塗られてる、チョット興醒めますが復元完成時は板張り?で隠される事でしょう、(白土塀とは成らないでしょうから) 完成は3月末との事、楽しみが増えました。
 二の曲輪、二の曲輪仕切り土塁、内堀、本曲輪土橋、本曲輪土塁、本曲輪虎口、本曲輪発掘階段(埋め戻し)、本曲輪内部、本曲輪より東下の内堀、土塁(16号掘り)を眺める、草刈りされてたので意を決して搦手口より崖状の搦手道を降りる、内堀(16号堀)の底と同土塁を観察、笹竹、ブッシュが刈られてるが刈った残渣がツンツンして少し危険で歩きにくい、本曲輪の高切岸?崖?かを始めて堪能する、東側から見ると諏訪原城は山城です。
 本曲輪に登り東側下内堀を眺めるとそこにカモシカが歩いてるカメラを望遠操作をしてる間に下麓に降り見失い撮影出来ず、本曲輪から内堀底に降りカンカン井戸、水の手曲輪を眺め、二の曲輪に上がる、二の曲輪土塁、二の曲輪東内東馬出、二の曲輪南馬出、同三日月堀、二の曲輪大手馬出三日月堀外からビジターセンターへ戻る。
 担当の方にカモシカの遭遇を報告、また若干会話し、冬枯れのこの時期長大壮大な外堀底から眺めて堀の大きさを実感したいので仮設の堀底見学階段を設けて欲しい旨をお願いしたがどうかな? 下草刈りの斜め道が在るがチョット危険な感じがして挑戦して無い。

 薬医門続板塀?が復元されたら駆け付けたいと思って居ります。桜の頃がベストです❣

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