潮見台団地の奥、潮見台みどりの広場沿いの道の角から登城路が伸びています。公園としてきれいに整備されていますが、未整備の雑木林、最高所は山城的な雰囲気を感じることができました。城址碑、説明板など城であることを示す表示は見当たりませんが、甚だしく老朽化した介良の絵地図に辛うじて「城跡」の文字は見いだすことができました。
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2021/03/11 06:43
2021/03/11 06:41
北総線沿線日帰り攻城②:国府台城(別名:市河城・鴻之台城) (2019/05/02 訪問)
大野城➡市川大野駅➡矢切駅下車。そこから徒歩20分で国府台城滝付近(35.748109、139.898894)に着きました。。
市河城(市川城)は、享徳の乱の初期に発生した下総千葉氏の内紛の際に、宗家側の生き残りであった千葉実胤・自胤兄弟が籠城したが、1456年(康正2年)に陥落(市川合戦)。
国府台城は、その後、扇谷上杉家の家臣であった太田道灌が1478年(文明10年)に武蔵千葉氏を継承した千葉自胤を援けて下総国境根原(現在の千葉県柏市酒井根付近)での合戦を前に、国府台の地に仮陣を築いたことに始まるそうです。
この際に城地として相応しいと見立て、翌1479年(文明11年)に臼井城にいた千葉氏の千葉孝胤を攻めた際、道灌の弟太田資忠らが、この地に城を築いたと記録に残っているそうです。
太日川(現在の江戸川)と坂川の合流地点という要所であったため、後北条氏、千葉氏、高城氏と里見氏、太田氏、上杉氏ら房総諸将らによって行われた国府台合戦の舞台になるなど、争奪戦が繰り返されました。
しかし、豊臣秀吉による小田原征伐後、後北条氏に代わって江戸に入府した徳川家康によって廃城にされました。江戸を見下ろす場所にあったからとも言われています。
現在、城址は里見公園として整備されており、桜の名所となっています。また、堀切や空堀、土塁跡は残っており、櫓台の跡も確認できます。
公園化されているので遺構は少なめですが、雰囲気は伝わります。
攻城時間は45分くらいでした。
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2021/03/11 06:32
北総線沿線日帰り攻城①:大野城 (2019/05/02 訪問)
自宅最寄り駅から市川大野駅で下車。そこから徒歩10分で市川市立第五中学校A門にある説明板前(35.752433、139.956689)に着きました。
大野城は千葉氏の重臣・原氏の一族、大野原氏の居城でした。
大野城は平将門が築いたという伝承も残っていますが、1979年(昭和54年)におこなわれた発掘調査の結果、中世戦国時代の城であることが確認されました。
鎌倉時代には日蓮の庇護者としても知られている千葉氏家臣曾谷教信が大野の地を支配していたとされ、付近には中山法華経寺など日蓮宗寺院が多いようです。
確実に大野城を用いていたとされているのは、1455年(享徳3年)に勃発した享徳の乱の過程でこの地域に進出してきた原氏庶流のいわゆる「大野原氏」と呼ばれる人々だそうです。
近くの本光寺の山号である光胤山は大野原氏の原光胤に由来すると言われています。
その後、大野城付近の支配は原氏からその重臣である小金城の高城氏に移り、遅くても同氏が改易された1590年(天正18年)の小田原征伐までには廃城になったと考えられています。
現在でも市川市大野町3丁目の「城山」の一帯には、御門・殿台・馬寄場・根古屋などの中世城址をしのばせる地名が残っているそうです。
現在城址に遺構は残っておらず、跡地には市川市立第五中学校があり、同校に説明板があります。
浄光寺前の県道9号線沿の幼稚園前(35.753412、139.954965)に大野城跡方面の標識がありました。
このあたりは高台になってます。攻城時間は15分くらいでした。
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2021/03/10 23:23
天領時代の。 (2021/02/07 訪問)
みなさまご投稿のように住宅地なので、少し離れたところに見えた蜜柑の木を撮って終わりにしようと思ったのですが、そこから緑地の土手に下りてみると、天明期建立とあるお墓がありました。(個人様のようなので写真は控えました。)
陣屋があったとされる時代はさらに遡りますが、この緑地もいにしえの記憶を持つ貴重なレガシーなのではないかと思いました。
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2021/03/10 22:30
西光寺、葛西清重が創立 (2021/02/27 訪問)
京成四ツ木駅から徒歩で5分。
西光寺の周辺が館跡となります。
遺稿は無いですがこの西光寺は親鸞の弟子となった葛西清重が創立した寺です。
山門の脇に説明板がありました。
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2021/03/10 21:34
掛川桜満開の彩り (2021/03/10 訪問)
10日前に訪れた時は満開までに後1週間程掛かるかなという状況でしたので今日天気も良くぽかぽか陽気に誘われて掛川桜満開の掛川城の撮影に出掛けました。
赤ちゃん連れのママ友、同年代シニア世代の男女連れと多くの方で賑わって居ました、掛川桜は外濠の逆川両岸満開状態、よく見ると満開過ぎ根元には花弁がじゅうたん状に散っています。
花は小振りな濃いピンクの緋寒桜です、本格的染井吉野桜の前に掛川城を彩って呉れてます、前回と同じアングルですが濃くなった掛川桜と掛川城の写真をご覧いただければ幸甚です。
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2021/03/10 20:14
準平原の吉備高原 (2021/03/07 訪問)
城びと先達の投稿を見て行きたい城にノミネート。
国道から谷筋に入ると岩屋城家臣の屋敷跡の表示が道脇に連なり、気持ちが高まる。
先達の推す、てのくぼり(テクノ堀に語呂が近い😅)は、もちろん、たくさんの兵力が駐屯できる山頂の郭群も良い。
美作の山城を含め吉備高原の山城に登ると、見渡す山々の頂部の高さが揃っていることをいつも思う。吉備高原は、一旦平坦になった土地が隆起して再び侵食が始まった地形である。岩屋城も堆積岩が浸食されて急峻な斜面を作った山である。岩屋城のかなり高いところに湧き水があるのは、近くの山が同じ高さにあるからであろう。
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2021/03/10 19:22
戸倉城跡(要害山城跡)Ⅳ 主郭 堀切? (2021/03/10 訪問)
主郭から、稗原の集落が見渡せます。晴天時は、宍道湖が見えるかも?(1〜3枚目)郭(4〜7枚目)北側に(7枚目)付き出ていました。登城道は主郭の北西に続いていました。土塁や石垣等は確認出来ませんでした。
下山途中に、堀切らしき物があり。(8枚目)
この辺りに【殿森】と云う地名あり。戸倉城主(要害山城主)と関わりがあるのでしょうか?
今回も【城めぐリン】が大活躍!
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2021/03/10 19:04
2021/03/10 18:49
戸倉城跡(要害山城跡)Ⅱ 登城道 (2021/03/10 訪問)
登城口から、主郭(1枚目)迄は、約15から20分。
ネットで、念入りに調べたところ、登城道は塀の奥に続いていると情報。塀を良く見ると、お手製の階段と杖が‼(2枚目)これは階段で塀を越えても良いと言う合図だと思い、進軍。
落ち葉の30℃位の登城道が続いてます。(3枚目)片足しか通れない程の狭い道も!(4枚目)
倒木もきちんと処理されています、(5枚目)まだ最近の様子。整備して下さった方に感謝です。土を削っての階段(6枚目)整備の質に驚きと感謝です。随所に案内板(7枚目)10分後、周りは竹林に(8枚目)水も湧き出ていました(9枚目)
進軍すると、長い蛇が!(10枚目)
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2021/03/10 18:30
2021/03/10 08:18
見どころはあるけれど… (2021/02/20 訪問)
山岳寺院を前身とし、戦国期に六角氏により観音寺城の支城として築かれた城のようですが、詳細は不明です。
八幡山から北にのびる尾根の頂部(岩崎山)に位置し、南部の上段曲輪と北部の下段曲輪群、その間の斜面に設けられた中段曲輪群で構成され、外周を土塁が取り巻いています。
近江八幡城(八幡山城)北ノ丸からハイキングコースを歩くこと約20分で南尾根の畝状空堀群に到着。写真ではわかりづらいですが、道の両側に数条の空堀がしっかりと残っています。そこから少し行くと北之庄神社への分岐に説明板があります。さらに行くと土橋のかかった大きな堀切があり、堀切は北東方向に横堀となって続いています。土橋を渡ったところが上段曲輪で、周囲を高さのある土塁で囲み、南部には中段曲輪群に通じる虎口がある…はずですが、灌木が生い茂っていて進めず見つけられませんでした。
ハイキングコースになっている西辺の土塁上を下って下段曲輪群へ。下段曲輪群は灌木はまだしも笹藪が激しく、七ツ池は4つ確認したところでギブアップ。七ツ池から南東方向には巨大な土塁で枡形を形成した虎口があります。西辺の土塁上を北西の突端まで行くと櫓台状の土壇があり、長命寺港展望台になっています。pascalさんの投稿にあるとおり、右手に長命寺港、左手に水茎岡山城が一望でき、戦国期の六角氏の支城だとすると、やはり水茎岡山城攻略の拠点として機能したんでしょうね。長命寺港展望台の東下には土塁を伴った虎口が開口し、その東には狼煙台ともいわれる北虎口上展望台があります。
北虎口上展望台から北に進み、百々神社に下山するルートもあるようですが、説明板のある分岐まで戻って北之庄神社に下山しました。夏場は道の両脇の草が伸び盛っていそうですが、この日は真冬でもあり特に問題ありませんでした。
畝状空堀群、堀切に土橋、七ツ池、土塁に虎口、そして眺望と見どころはいろいろあるので、あとは曲輪内がもう少し整備されて散策しやすくなってくれればなぁ、と。
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2021/03/10 06:45
2021/03/10 05:52
利根川沿日帰り攻城⑭:栗ヶ沢城(ラスト)➡城びと未登録(千葉県松戸市) (2019/05/25 訪問)
布施城から転戦。車で25分くらいでした。
臨時駐車入口付近(35.823909、139.940774)に一時停車して攻城しました。
1460年(寛正元年)高城胤忠の築城とされています(「高城家由来書」)が、1506年(永正3年)に高城胤吉が栗ケ沢に陣を構えたのを由来とする説もあります(「万満寺記」)。
ただし、「本土寺過去帳」には、1437年(永享9年)に「クリカサワ」において高城四郎右衛門清高という人物が没した事が記されており、15世紀前期には原氏の代官としての高城氏の居館が栗ケ沢にあったとも考えられます。
高城氏の拠点は後に根木内城・小金城に移り、高城胤則の代には重臣田島時定が栗ヶ沢の城代を務めていた(「東葛飾郡誌」)といいます。
現在城址は開発が進み、根木内中学校やユーカリ交通公園になっており、遺構は確認できません。
公園が閉まっていた為、しかたなく車から写真を撮って撤収しました。
城址を感じるような遺構や案内板等はありませんでした。
攻城時間は5分くらいでした。
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2021/03/10 05:49
利根川沿日帰り攻城⑬:布施城 (2019/05/25 訪問)
幸谷城から転戦。車で25分くらいでした。
ウィングホール柏斎場の駐車場(35.894782、139.989510)に駐車して攻城しました。
布施城の詳細は不明ですが、城主は相馬氏の一族と考えられています。
戦国時代は小金城主・高城氏の支配下にあったようです。
現在城址は葬祭場となっており遺構は残っていませんが、城址碑が建てられています。
城址碑の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。
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2021/03/10 00:33
『行った気になる日本の名城展』
3/14まで会期が延長された催事に行ってきました。池袋東武百貨店7階の旭屋書店さんです。(駅直結)
イベントタイトルどおり、お城に行った気になる空間でした。グッズもどれもかわいい♪
「この棚の本、全部ください」と言いたいところでしたがそうもいかないので、城びとさんの測量野帳と、重くない本(通勤電車で立ち読み用)を買いました。
表紙がかたい測量野帳は持ち歩きにも便利そうです。中は方眼で、字でも絵でもスケジュール表でもスタンプでも、何でもいけそう。タイトルがSHIRO BOOKなので、残しておきたいことを記録して一冊の本が出来上がればいいな。
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2021/03/09 21:40
日本100名城 No,034 難攻不落の山城。上杉謙信が落しました。その後、手取川の戦いへ。 (2011/09/25 訪問)
■100城の40城目(初登城)【松尾城】
☆二泊三日北陸城攻めの4城目(一乗谷城→丸岡城→金沢城→七尾城→高岡城)
【移動手段】車:宿泊地の和倉温泉から道の駅・能登食祭市場経由で15km
【駐車場】山腹の七尾城趾駐車場(無料) ここから15分ぐらいで本丸跡。
【スタンプ】七尾城史資料館△ 玄関先に置いてあります。
【天気】晴れ時々曇り
【印象】☆☆ 山城で石垣が多く残っています。足下はウッドチップで整備され歩きやすいですね。本丸跡からの眺望はお天気にも恵まれ絶景です。「松風騒ぐ丘の上 古城よ独り何偲ぶ・・・」のモデルといわれているようで歌碑が建っています。故三橋美智也さんを偲びました。日本一小さな茶室がありました。
【お土産】能登食祭市場で食べ物系みやげ
【食事】なし
【同行者】姫、息子、犬(柴)
【他】和倉温泉から道の駅・能登食祭市場に向かう途中に忘れ物に気づき、姫と息子を道の駅に残し旅館「青海荘」に戻る。旅館のご主人に探して頂き、大変有り難うございました。犬もOKの感じの良い旅館でした。
七尾城史資料館は探し辛い。タクシーでの登城の方が2組いました。高岡へ。
【柴犬のクウ】山城は好きだワン!
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2021/03/09 20:08
芥川城 (2021/02/20 訪問)
【芥川城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑のある西側のスイミングスクール前道路に少しの間なら停車できそう。
<交通手段>バイク
<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング第3弾、大阪府内限定3城目。芥川城は芥川山城とは全くの別で、鎌倉時代に芥川氏によって築城されたと思われているそうです。芥川氏はこの地方の武士であり、鎌倉時代には幕府の御家人となっている。応仁の乱後芥川氏は没落し芥川城は芥川山城の平時の居館として活用されていたという説もある。
遺構が全く残っていないので、城びとポイントに城跡碑があるが、立派な民家の垣根の中にあるのでこの垣根が伸びると城跡碑も埋もれてしまいそうです。
<満足度>◆◇◇
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2021/03/09 19:43
貝原塚城(城びと未登録) (2021/02/28 訪問)
貝原塚城は茨城県龍ケ崎市にあったお城です。
詳しい歴史はよくわかっていないそうです。
金剛院の細い脇道を墓地沿いに徒歩で北西に進むと貝原塚城跡地です。
堀のようなものを見つけるも。藪が凄まじく突入困難。
さらに進むと入り口を見つけたので突入。
しかし昼間なのに薄暗く、やはり奥は藪が深くジャングルのような状態で方向感覚を失いそうで不安になり、こちらも断念、撤退しました。
このお城に突入するにはそれなりの装備が必要と思われます。
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2021/03/09 19:39
土塁が山脈のように連なる光景は見ごたえあり (2021/02/28 訪問)
小坂城は茨城県牛久市にあったお城です。
小田氏に従っていた岡見氏が築城したそうです。
このお城に仕えていた女中の伝説「笄松物語」が伝わっています。
公園として整備されていて、藪は刈り取られているのでスニーカーでも歩きやすいです。
至る所に案内板が設置されていて、解説もわかりやすいものでした。
小ぶりながら、かなり楽しい城攻めでした。
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