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夕暮れ (2019/11/30 訪問)

またまた夕暮れ時にやって来ました。

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小城小次郎

東条城

東条吉良氏は忠臣蔵のイメージからか「ひ弱」なイメージがあるが、少なくとも永禄年間には松平元康(徳川家康)軍を何度も撃退するだけの力はあったのだ。

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響ちゃん

晴れ (2019/11/30 訪問)

川の水綺麗ぽい

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響ちゃん

晴れ (2019/11/30 訪問)

チクチク君いっぱい生えてるぽい

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響ちゃん

晴れ (2019/11/30 訪問)

遊歩道ぽい

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ぴーかる

山崎山城 (2019/11/15 訪問)

【山崎山城】
<駐車場他>山崎山北東の道路沿いに城跡公園無料Pあり。P横に登城口あり。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>平日日帰り彦根市の城攻めの旅3城目。この城跡は荒神山城跡のある荒神山南東麓の山崎山の比高50mほどの所にあり、現在は山頂の削平地の主郭部分しか見れない。10分程で登れ、道も城跡も整備されていて良いです。登城途中には遺構は全然見られなかった。山頂部の曲輪はなまこ型の楕円形で周りを石垣で囲っていたようで現在は上部が崩れ、下も土で埋まっているようで当時はそこそこの石垣だったと思われる。一部残されている部分だけでも見応えある。石垣外側は帯曲輪で囲んでいる。主郭西部は桝形の虎口になっていたようだが現在はよく分からない。北西隅は盛土になっていて石垣が崩れたようになっていた(櫓台跡だと思われる)。西側横の貯水塔がある山との間には堀切があり、竪掘も見られたが、樹木がひどく向こう側には行けなかった。先に行った佐和山城跡からも天神山系が見えて、こちら側からも伊吹山・彦根城も眺望できた。

<満足度>◆◆◇

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小城小次郎

岡崎城

「神君生誕の城」なので何かしら遠慮があったのか中心部の近世化(石垣化)が十分ではなく、結果として「石の城」と「土の城」を両方楽しめる稀有な城でもある(東海地方にはこういうお城が案外多いのだけれども)

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カルビン

城下町ですな (2014/07/26 訪問)

残念な息子として有名になってしまっている織田信長の息子・信雄。
映画「清須会議」ではバカ殿丸出し役を妻夫木氏に演じられましたね・・・直江兼続役とのギャップが(笑)

そんな残念とされる信雄も、小幡藩初代藩主として陣屋に楽山園を造る等地域貢献した良い藩主だったそうですね。
武将としては能力不足でも今川氏真と同じく別の才能が花開いたという所でしょうか。。。

そんな小幡陣屋ですが、実際訪問するとお城ではなく城下町として残っている感じです。

現在名勝登録されている楽山園(有料)内に土塁・堀・石垣・門・長屋・庭園等が復元されており、ここに入らないと小幡陣屋に行った意味が無いいと言っても良いでしょう。
他にも武家屋敷(食い違い石垣もあったりする)等、お城というよりは全てをひっくるめて城下町を散策したような感覚でした。


比高の高い山城に疲れた時等に訪問オススメの小幡陣屋で御座います。

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イオ

麒麟がくる…少し前 (2019/10/27 訪問)

室町初期に美濃国守護土岐氏の一族・土岐頼兼が築城、明智氏を名乗って代々の居城としました。戦国期、明智光継は娘の小見の方を斎藤道三の正室としましたが、弘治2(1556)年、長良川の戦いで道三が斎藤義龍に討たれると、道三に味方したとして明智長山城は義龍の攻撃を受け落城。一族が自刃する中、明智光秀は明智氏の再興を託されて落ち延びたとされます。

東西に続く丘陵沿いに多くの曲輪跡があるものの、土塁や堀といった山城らしい要素はほとんど見られません。しかし、説明板や石碑、標柱が随所に建てられ、大手口跡には模擬冠木門、馬場跡には逆茂木と馬防柵、大手曲輪と本丸には展望台が設けられるなど、明智光秀生誕の地として訪れた人に、少しでも往時の雰囲気を感じてもらおうという意気込みが感じられます。実際、この日もガイド付きの団体さんと何組か行き会い、大河ドラマの影響力はすごいなー、と実感。
また、大手道の登城口近くにある天龍寺には明智氏歴代の墓所があるほか、命日にちなんで6尺1寸3分(約184cm)の日本一大きな明智光秀の位牌(と木像)が祀られています。

この日の時点では、本丸跡の展望台は改修工事中のため立ち入り禁止となっており(10月31日まで)、山城からの眺望好きとしては残念でしたが、工事期間中、展望台近くの木に展望台からの眺望のパノラマ写真が掲示されていて、私のように残念に感じるであろう人への配慮に、かえって嬉しい気持ちになりました。…そうそう、展望台といえば大手門近くの大手曲輪にも設けられていますが、こちらは麓にあるので眺望も何も(笑)

また、本丸から水ノ手曲輪に続く搦手道が通行止めのため、水ノ手曲輪や西大手曲輪、乾曲輪に行くのはあきらめたのですが、赤い城さんの投稿で、下から登って行くことができたと知り愕然…。搦手道は来年1月頃に開通予定らしいので、展望台とあわせて開通後に再訪したいと思っています。

それにしても、(諸説あるにしても)この日訪れた土田城は織田信長の生母・土田御前の出身地、明智長山城は信長正室の帰蝶(濃姫)の生母・小見の方の出身地であり、信長を討った明智光秀の出身地でもある…。そう考えると、可児市って信長の生涯に大きく関わった人たちのゆかりの地なんですね。
 

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橋吉

きちんとした装備で (2019/11/10 訪問)

要害山城の登り口は、「積翠温泉要害」の脇にあります。
この温泉を目的地にしてナビで検索すれば簡単に見つけることができます。

武田神社(躑躅ヶ崎館跡)から車3km(7 分)で到着。

道路脇に駐車スペースがあります。

橋を渡ってすぐ右手に登り口があります。

信玄の隠し湯の一つといわれるこの温泉ですが、現在は営業を中止しているようです。

いきなり山道が出迎えます。
かなりの急勾配が続き、かなりキツイです。
きちんとした装備で臨みましょう。

しばらくすると「不動曲輪」と書かれた立て札あるY字路があります。
右に進むとすぐ不動曲輪です。

Y字路を戻って、少し登ると
井戸跡に向かう道があります。
といっても、表示板はなく、
左に細い道があるだけです。

しばらくすると曲輪があり、井戸と祠が置かれていました。
井戸は諏訪の水とよばれています。
さらに進むと広場があり行き止まりでした。

主郭には「武田信玄公誕生之地」と刻まれた碑があります。

また、搦手側の門跡を出てすぐのところに竪堀があります。
大手側のものにくらべわかりやすいです。

所要時間約80分でした。

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プリン

雲海シーズン (2019/11/09 訪問)

天守の格子窓から見る雲海がとても綺麗でした。

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刑部

おそらく 案内板〔石碑〕 ⁇ (2019/11/28 訪問)

館跡は幼稚園と小学校になっている為、遺構は雰囲気だけです。 石碑らしいのを発見しましたが学校校内の為 断念! 中に入らずに一応後ろから撮影してみました。

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小城小次郎

三河山中城

三島の山中城は確かにすごいが、こっちの山中城もなかなかにすごい。徳川氏が今川氏か武田氏の脅威に晒されていた時代に機能していたと考えれば実戦的な構えにも頷けるものがある。

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チェブ

古民家。 (2019/11/09 訪問)

「平山館」=「平山家住宅」に行きました。
2枚目の写真の看板にしたがって進むと、「日本昔話」の世界に入ります。
「平山館」は深谷上杉氏の家臣、平山氏の館跡です。
説明板によると平山氏は、1590年に深谷城が落城した後、帰農したそうです。
1590年に落城なら、秀吉さんの北条征伐でしょうね。
「平山家住宅」は18世紀はじめの建物で、国指定重要文化財です。
おじゃまします。
釜戸や土間もある古民家ですが、もしかすると現役でお使いになっているかもしれません。
通り抜けると掘跡かなと掘って、盛ったような遺構っぽい跡がありました。

もっと見学したかったですが、家主さんにお会いして了解をいただいた方が良いかなと思い退陣しました。

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todo94

14年ぶりの再訪 (2019/11/17 訪問)

14年ぶりの再訪になります。山頂の展望台は麓からの見栄えはさほど悪くはありませんが、近寄ってみると…。千葉県の万喜城ほど強烈なインパクトはありませんが似たようなテイストの展望台です。でも、眺望はなかなかのものでした。

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ぎりょう

古い伝承を持つ山城 (2015/05/02 訪問)

花山湖岸の山城。前九年の役にさかのぼる伝承をもつ。館の北東部に広い駐車場が有り遊歩道を通って館の主要部に登ることができる。南北に連なる曲輪群や虎口・二重掘・土塁など遺構が残る。

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ぎりょう

鎌倉以来の名族、長江氏の本拠地 (2015/03/07 訪問)

東松島市の鳴瀬川河口に位置する。北からの丘陵先端部に並び建つ桜ヶ森館と梅ヶ森館で構成されるという。曲輪・切岸・土塁・堀切が残る。曲輪跡は長年畑地として利用されていたようだが現状は草も刈りこまれ観やすい状態。駐車場は特に無く、両館を隔てる沢の道路脇に停めることとなる。

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ぴーかる

登り石垣・天秤櫓・その他 (2019/11/15 訪問)

【彦根城】
<感想>平日日帰り彦根市の城攻めの旅2城目。2回目の投稿で、じっくり城を見るのは5年ぶりの3回目。今回の来城の目的は御城印購入と、今まで知識も薄く、じっくり観察しなかった遺構の箇所(登り石垣・天秤櫓・城の北西部)を見に来た。結果的には城に行ったら興奮してしまって登り石垣は全部で5本あるが2本見落としてしまって、今まで見てかなった井戸郭・西の丸北東面の高石垣も間近で見るのを忘れてしまい、なんとも情けないざまに。まあ少し知識を得て新しい気付いた遺構も分かりよかった所もあった。また来よっと。今回も写真はタイトルに特化したものを添付してます。

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朝田 辰兵衛

上野の美術館鑑賞ついでに散策。 (2019/11/17 訪問)

みなさんと同じアングルとなり,スミマセン!

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にのまる

遊歩道じゃないところも行けます? (2019/11/02 訪問)

愛宕神社の大きな鳥居が登城口です。(写真①)
パンフレットには、「国道27号線後瀬山トンネル東口北隣」が遊歩道入口と書かれていますが、遊歩道にもいろいろあるので油断は禁物です。
こちらは所要時間20分の山道ではありますが、比較的安全な遊歩道でした。(私的過去最強遊歩道は太尾山城の湯谷神社の裏の道です。)

ただ縄張り図を見ると畝状竪堀群などの遺構がたくさんある(=防御していた)側は北西側で、遊歩道沿いのメインは団地のような曲輪群でした。八幡神社の方にも曲輪が連なっているようでしたが、そちらには行かずに本丸を目指しました。(帰りに行けばよかった…)

曲輪群を右手に見ながら(左手は崖)登っていき、土橋を渡ると崩れたような石が目につくようになり、ほどなく本丸に到着です。
虎口石垣の鏡石(として据えたのだと思う)に出会ったときには、500年前にタイムスリップした気持ちになり、来てよかったなーって心底思いました。

本丸には若狭武田氏城址碑と、常高院(京極高次の妻で浅井三姉妹の次女お初)勧進の愛宕神社と四阿がありました。細長く残る土塁もいい感じでした。

本丸の南西にある二の丸の方がむしろ見所だったようなのですが、遊歩道としてパンフレットに道が書いてあるのが本丸までで、この先下ったとして上れるか不安だったので、本丸までにしました。

 が、やはり今思うと、行ってみればよかったなーと少し後悔。
チャンスがあればもう一度行ってみたいです。(読みもしない本とか予備の予備のバッテリーとか晴れなのに折り畳み傘とか秋なのに日焼けどめとかの荷物の見直しをして身軽にしてから^^;)

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