古宮城は愛知県新城市作手に位置する平山城で、武田信玄が三河侵攻する際に、馬場信春に命じて築かせた土の城です。比高30mの丘陵を城塞化した城で、北・東・南の三方が湿地に囲まれており、城域は東西250m・南北200mにも及んでいます。
馬場信春が古宮城を築いたあとは、小幡又兵衛らが守備しましたが、武田信玄が三河に侵攻していた際に死去すると、亀山城の奥平貞能・伸昌父子は武田氏から離反し、徳川氏へ寝返りします。武田氏は奥平氏を討つべく軍勢を出しましたが、奥平氏・徳川氏の軍勢により古宮城は焼失、武田氏はこの地から撤退したと伝わっています。武田氏が築いた古宮城は僅か3年ほど存続したとのことです。
現在、古宮城の大半は個人所有の私有地でありますが、所有者の好意により見学が許されています。駐車場は3台分ほどありますが、トイレはありません。続100名城スタンプの設置場所でもある、作手民族資料館に寄って用を足した後に行かれると良いでしょう。
この城の見所は何と言っても、城の西側にある、幾重にも積まれた高い土塁、何重にも掘られた深い堀、城の東西を分断する大堀切です。(*^▽^*)5度目の攻城ですが、何度見ても飽きさせません(*^▽^*)
この城址に立つと、1Kmほど離れた場所に奥平氏の本城、亀山城・奥平氏が築いた文珠山城があり、更に文殊山城の尾根続きに武田氏側が築いたとされる賽ノ神城があり、三河侵攻の最前線である緊迫感がひしひしと伝わってきます。
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