栃木駅もしくは新栃木駅から徒歩で20分強。
栃木城址公園が主郭跡。
城域は広かったにもかかわらず遺稿は公園の土塁と堀が残るのみ。
土塁上には石碑もありました。
現在はあまり見ることがない城ですが栃木市は蔵の街。
風情のある街でした。
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2021/05/28 22:40
2021/05/28 17:38
2021/05/28 16:44
2021/05/28 16:30
丁子屋 (2021/05/28 訪問)
他の方も投稿されていますが、丸子宿といえばとろろ汁が有名です。丁子屋さんは丸子城近くにある江戸時代初期(慶長元年創業)から400年以上続く、静岡で最古のとろろ汁の店です。広重の東海道五十三次、芭蕉の俳句、十返舎一九の東海道中膝栗毛にも登場する、丸子宿のとろろ汁。近くに行く機会があれば立ち寄ってみてください。丁子屋の前には徳川家康が駿府城築城のときに石垣を作るために、この周辺から切り出したと伝わる辰石があります。「東海道中膝栗毛」では丸子のとろろ茶屋で夫婦げんかに巻き込まれて、とろろを食べそこねた弥次さん、喜多さんのエピソードが書かれていますが、自分は食事はしましたが、料理の写真を撮ることを忘れました。
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2021/05/28 01:19
光秀の法要
明智城跡の麓の天龍寺で光秀の命日、6月13日に法要が予定されています。
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2021/05/27 21:12
城跡を活用しての再利用を心待ちにしている (2021/02/27 訪問)
学校の敷地となり、更に学校が閉鎖されたことでいよいよ入るのが至難の城となった。遺構は綺麗に残っているようなので、いつかは城跡を活用しての再利用を図ってもらえることを心待ちにしている。
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2021/05/27 19:46
2021/05/27 11:15
高石垣と復元諸門 (2013/03/29 訪問)
平成25年3月末に木造復元鉄門を主目的に登城しました、先に鉄門編、天守台編、稲荷櫓編と投稿させて頂きましたが、まだまだ甲府城の見所は沢山有りますが投稿写真10枚に合わせるため甲府城の稲荷曲輪、数奇屋曲輪の東面高石垣と木造復元された居る諸門の内、内松陰門、稲荷曲輪門、山手門を選んで写真投稿致します。
朝八時前から鉄門渡櫓、稲荷櫓の開館時間を経て約2時間ぐるっと一周半、充分に甲府城を堪能しました、復元建物の度に訪れ、出張の度、プライベートの旅行と拾数回訪れていますが何時も何時も新鮮な気分で登城出来ます。
今後の更なる復元が進展する事を応援し祈って居ます。
この後は新府城、山高神代桜へと探訪に出発しました。・・長々とご覧いただき有難うございました❣
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2021/05/27 06:56
浄福寺城方面へ脱出 (2021/05/01 訪問)
昨年大みそか以来の訪問です。夏が来る前に、気になっていた搦手道を制覇しておこうと出かけました。
とりあえず新道から登って本丸へ。登頂の証に城址碑にタッチし松木曲輪を覗いてから八合目の柵門跡まで引き返しました。
事前に見ていた地図ではここから陣馬街道の松竹橋までは約2㎞、60分。まあまあの覚悟はいるかな?とは思いましたがひたすら下っていけばいいはずなので前進あるのみ。この石は遺構か?とか、この段差や平場は曲輪の跡か?とか、どこから攻められる?とか、上杉景勝軍はここから?とか諸々真剣に考えるのは今回はナシで、脱出できたらOKの予定。(と書くと危ないところのようですがハイキングコースです。)
進み始めてわりとすぐにかわいい矢羽根の道案内がありました。左が松竹で、右は松姫の心源院方面。右の道も捨てがたいのですが予定通り左へ。あとはホントに踏み跡のある道っぽいところを進んで30分足らずで林道から住宅地に抜けられました。途中、脇道に入ると滝が見られるところもあるようでしたが道が整備されていないと書いてあったので寄りませんでした。住宅地に出てからさらに15分ほどで陣馬街道に出ましたが、ここが八王子城と浄福寺城をつないでいる道かと思うと稲荷神社やそのそばの空き地、畑や墓地の盛り土も城の一部だっただろうなとなかなか感慨深く、歩いてみてよかったなぁと思ったのでした。
しかし、ここから高尾駅まで戻るのがちょっと面倒で…。歩数稼ぎに(‼︎)歩道を延々と歩きましたが、八王子城に戻って(下山した道を再び登るか心源院からのコースを行くかして)旧道から下るのもアリだったかもと思いました。
これまでの訪城で、御主殿とその周辺、本丸、詰城、富士見台、新道、旧道、搦手道、北条氏照と家臣の墓所に行けて、あとは太鼓曲輪だ…と思っていましたが、外郭まで含めると相当広くてまだまだ行ってみたいところもあるし、この日見上げた浄福寺城はこれまでに行った城びと登録都内城址77ヶ所のうち唯一途中断念で消化不良なところ。ぼちぼちと少しずつ行ってみようと思います。
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2021/05/26 22:48
整備された公園 (2021/05/22 訪問)
東武宇都宮線の壬生駅から徒歩で15分くらい。
城址公園として整備されています。
足利銀行のところが大手門跡、そこから公園に向かいます。
公園には復元された二の丸門があり、マンホールカードの図柄にもなっていました。
本丸には図書館や歴史資料館があり、南側に土塁や堀が残っています。
公園として整備されているため綺麗すぎ感はありです。
壬生町は城よりも藩校、蘭学の歴史推しでした。
宇都宮氏家臣の壬生氏が築いた城です。
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塩沢城 (2021/05/25 訪問)
小鹿野町コミュニティバスの「午房」バス停付近の道、和千葉・塩沢方面の案内板が示す道、「林道塩沢線」を進入します。途中、「宇賀神社・入口」の案内板があるので、それを左折します。道の最後に宇賀神社・奥院の赤い鳥居の前に駐車場があります。
祠の後に登山道があり、山頂まで一時間弱、ひたすら登山することになります。途中から明確な道が無くなります。必ずGPSを持参してください。
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2021/05/26 13:52
2021/05/26 08:06
樫井城(大阪府泉佐野市南中樫井) (2021/05/10 訪問)
樫井城(城びと未登録)は鎌倉以来の御家人・樫井氏の居館で、詳細は不明ながら南北朝期までには存在していた記録があります。その後、樫井氏は織田信長に従い、豊臣秀吉の頃にこの地を去ったようです。
樫井城は、樫井川の北岸、熊野街道に面した方形館で、周囲を堀と土塁で囲んでいたと考えられますが、現在では西辺と北辺に堀の名残の水路が見られるくらいです。
…と、これだけでは物足りないので、昨秋以来の大坂の陣史跡めぐり(第11回)を。
このあたりは夏の陣の樫井の戦いの古戦場であり、紀州方面から迫る浅野長晟に対し、大野治房を主将に塙直之、岡部則綱、淡輪重政らが迎撃しますが、塙と岡部が先陣を争って突出したため、部隊の連携が取れずに岡部は敗走、塙と淡輪は討死し、大野の本隊も大坂城に撤退しました。
樫井城から西に徒歩9分の明治大橋北詰に樫井古戦場跡の石碑と説明碑が建てられています。また、熊野街道を東に行くと塙団右衛門直之の五輪塔が、正法寺東隅の街道沿いには淡輪六郎兵衛重政の宝篋印塔があります。
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2021/05/25 22:35
岡の城山公園 (2021/05/16 訪問)
朝霞駅、北朝霞駅からどちらからでも徒歩で20分ちょっと。
岡の城山公園に城址があります。
東西に曲輪が3つ並んでいて、曲輪は堀で区切られています。
主郭と二郭の間の堀には折れも見ることができます。
主郭南側には物見櫓も設けられています。空堀は恐らくもっと深かったと思われますが規模は大きいです。
太田道灌の築城とされていますが詳細は不明です。
時季によってはスズメバチも出てくるようですが今なら安心ですね。
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2021/05/25 21:42
金箔瓦も発掘され桜に浮かぶ天守台 (2013/03/29 訪問)
鉄門渡櫓、稲荷櫓の入館時間まで鉄門櫓周辺、本丸、天守台、稲荷櫓周辺、稲荷曲輪、数奇屋曲輪、高石垣、水堀、鍛冶曲輪、山手門周辺と巡り、桜を入れて撮影してましたがどの地点からも天守台が聳え見る事が出来ます、天守台を主体とした写真を投稿します。
織豊系を踏襲する石垣造りの天守台、金箔瓦も発掘されたとか、復元も鉄門、山手門、稲荷櫓、諸門夫々、白漆喰土塀と展開されてますのでいよいよ天守閣の復元が待たれます、復元図の新聞発表も有ったようですのでいよいよかな?
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2021/05/25 18:18
何もなくても (2021/02/27 訪問)
斎場の敷地となった城跡には遺構らしきものは見当たらないがこの敷地は主郭の形をなぞっているのだろう。付近には布施弁天や14世紀初開基と伝わる寺院もあり歴史の深さを感じる。何もなくても城をやることは可能だと実感できる。
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2021/05/25 14:02
木造復元鉄門公開早々探訪 (2013/03/29 訪問)
県境を越えて城探訪も憚られる昨今、8年前の平成25年未整理のDVD写真データーからボチボチ投稿させて頂きます。
平成25年1月に鉄門が木造復元公開され、雪と峠の凍結が心配なので3月末に日本三大桜「山高神代桜」見学も兼ねて甲府城鉄門を観察探訪しました。
当日は夜明け早く出発し富士市より北上、精進湖では黎明霞に浮かぶ富士山を感激の初体験、カメラマンも多く写真のビューポイントだったのでしょう。
車は新しくここも木造復元した山手門枡形虎口の駐車場を利用5、6台は可能。
ルートは、山手門からJR線路を陸橋で越えて銅門跡から本丸に登り目指す鉄門へ、時間は早く渡櫓門の櫓部分へは入れませんので鉄門の内から外から斜め横から、天守台からと眺め、丁度桜満開で桜も入れてベストショットを狙ったりと時間調整、稲荷櫓、同曲輪、高石垣、数奇屋曲輪、鍛冶曲輪、水堀と一周、時間で開いた鉄門櫓部分、稲荷櫓を入場見学、新しい鉄門、満開の桜と堪能しました。
撮影写真が多かったので、鉄門編、天守台編、稲荷櫓編、周辺曲輪・各門編と4編で投稿させて頂きます。
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2021/05/25 12:18
城下町が残る城址 (2021/05/03 訪問)
城址の中にミュージアムがあり水堀と虎口が見所。奥に小高い山が主郭部のようです。城下町も散策するといいと思います!
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2021/05/25 08:04
秀次切腹事件の悲劇 (2021/05/10 訪問)
鎌倉期に土着の国人 淡輪氏が築いた城館で、織豊期までこの地を領しましたが、淡輪徹斎の娘が豊臣秀次の側室「小督局」となっていたことから、秀次切腹事件に連座して没落しました。その後、徹斎の長男・重利は紀州藩 浅野氏に仕え、二男・重政は大坂の陣で豊臣方につき、夏の陣の樫井の戦いで討死しています。
周囲に土塁をめぐらせた方形館で、東辺、南辺、西辺に土塁が残りますが、曲輪内は私有地で立ち入りできない上に、土塁のあたりには樹木が生い茂っていて北側の道路から見てもよくわからず、かろうじて説明板が立てられている西辺の土塁を確認できるくらいでした。
ところで、淡輪城から東北東に車で約15分、南海・鳥取ノ荘駅近くの法福寺は「お菊寺」とも呼ばれ、小督局の娘・お菊の木像が安置されています。小督局が三条河原で斬首された際、まだ生後一か月だったお菊は助命され、母のいとこにあたる後藤興義の養女として育てられますが、紀伊国山口の代官 山口喜内の嫡男 山口兵内に嫁いでまもなく大坂の陣となり、山口氏が豊臣方について夫が大坂入りしたため、お菊は男装して大坂への密使を務めました。しかし、返書を持って戻る途中に徳川方の浅野氏に捕らわれ、助命の申し出を拒んで処刑されました。そして、わずか20歳で生涯を閉じたお菊を哀れんだ養母が、後藤氏の菩提寺である法福寺に木像を納めたと伝わります。最上の駒姫はじめ、秀次切腹事件はあまたの悲劇を生みましたが、お菊の悲劇も二重三重に積み重なっていて言葉もありません。ただただ手を合わせてきました…。
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2021/05/25 07:18
海と川で守られた城 (2021/05/03 訪問)
川の河口付近にある高台の城、どんな縄張りの城だったんでしょうか?
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