赤木城の素晴らしさを8年前平成25年5月の写真ですがまだまだ色褪せて無く頭の中も8年前が甦って来ます、3編目は登城口から東郭上段Ⅱ郭、東郭下段Ⅲ郭と北郭、石垣の造りと成ってます、北郭の北に在る堀切には降りて無く未確認です。(ローマ数字は「史跡 赤木城跡保存整備事業報告」紀和町教育委員会2005年の測量図の郭付記番号です)
駐車場、登城路から石垣造りの東郭が見え、登城前からワクワク感満載でした。
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2021/06/02 09:26
熊野山中天空の城『東郭・北郭編』 (2013/05/02 訪問)
赤木城の素晴らしさを8年前平成25年5月の写真ですがまだまだ色褪せて無く頭の中も8年前が甦って来ます、3編目は登城口から東郭上段Ⅱ郭、東郭下段Ⅲ郭と北郭、石垣の造りと成ってます、北郭の北に在る堀切には降りて無く未確認です。(ローマ数字は「史跡 赤木城跡保存整備事業報告」紀和町教育委員会2005年の測量図の郭付記番号です)
駐車場、登城路から石垣造りの東郭が見え、登城前からワクワク感満載でした。
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2021/06/01 22:21
地味だが個性的な人材に彩られ (2021/02/27 訪問)
我孫子側から続く台地が利根川で切り離され、実にお城に適したいい形をしている。江戸城内で初の刃傷沙汰を起こした豊島信満や、松平清康のいとこにあたる松平信一が在城するなど、地味だが個性的な人材に彩られたお城でもある。
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2021/06/01 15:20
熊野山中天空の城『本郭編』 (2013/05/02 訪問)
赤木城があまりにも素晴らしいので4編で綴り『連続外桝形編』の続き本郭編を石垣中心に投稿致します。
武漢コロナウイルス禍中暫く過去の登城探訪投稿にお付き合いください。
赤木城の本郭は山頂に東西約35m、南北約30m方形で横矢の張を北面やや西より、南西角の両サイドに設けています、南東角が大手枡形虎口、その南側に連続枡形郭を設け厳重な守りです。本郭周囲には細い犬走が有り本郭天端側と下の犬走側からも石垣を眺めました、横矢の石垣も素晴らしい。
本郭から四方の眺めも素晴らしい皐月新緑の頃でした。
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2021/06/01 12:11
熊野山中天空の城『連続外枡形編』 (2013/05/02 訪問)
8年前の平成25年5月の連休に浜松より夜明け前、車を飛ばして紀伊熊野「赤木城跡」を尋ねました、兎に角遠い、途中で世界遺産に成った熊野古道の一部「獅子巌」を見学、此処には紀伊半島一周とか熊野大社、那智の滝の旅行で何度かは訪ねて居ます、赤木城手前の丸山千枚田も登城前に見学。
赤木城跡探訪前に熊野市市役所教育委員会に寄り赤木城の資料とアクセス情報を聞く、大変親切に資料をコピーしていただき、赤木城の小冊子を分けて頂く、8年経ちますが有難うございました。
天候も良く山道を案内の通り途中に看板も有り専用駐車場に到着、数十台は可能です。
赤木城は最近の天空の城ブームで「熊野山中の天空の城」と呼ばれてる様で石垣の城跡を見上げる状態ではミニ竹田城、熊野山中ですから条件によっては霧に包まれた、浮かんだ赤木城が見られる事でしょう。
赤木城は山頂に主郭を大きく構え両翼南東の尾根に東郭Ⅱ、Ⅲ間に虎口門、南西の尾根に西郭Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ、北の尾根に北郭、その先に約30m下に堀切、東郭と西曲輪の間に南郭が2段、東郭尾根下に鍛冶屋敷跡を構えた石垣造りの城跡です。
国指定史跡に成り平成7年より約10年発掘調査及び史跡整備事業が行われ石垣、郭群の景観が揃いました、大変ありがたく保存整備の方々に感謝しかありません。
大和紀伊泉州100万石の太守豊臣秀長の命で藤堂高虎が築城したと伝わる赤木城の本郭虎口南側に連続虎口、鏡石等も有り一番の見所かと思い写真投稿します、ワクワクドキドキの写真撮影、探訪でした。
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2021/06/01 11:12
知将 小早川隆景公の居城 (2021/05/06 訪問)
竹原小早川家から本家沼田小早川家の17代当主となった、中国地方の覇者毛利元就公の三男小早川隆景公は、高山城へ入城した1年後、沼田川対岸の新高山山頂の砦を改修し、ここに本拠を移しました。本拠を移した理由として、沼田川流域や河口の見晴らしがきき、水運の便がよく、また、家臣の人心一新のため城替えしたといわれています。
新高山城の縄張りは、標高197.6mの中腹から東西約400m、頂上尾根や鞍部を巧妙に利用し、本丸・東の丸・ライゲンガ丸・中の丸・釣井の段・西の丸・北の丸等が構築されています。また、石積み・石垣が多用されており、特に近世城郭に関連する桝形城門が各所に見られます(パンフレットより抜粋)現在、曲輪・石垣・空堀・井戸などが残り今に伝えています。
登山口のすぐ脇に駐車場・トイレが完備されパンフレットも置かれています。駐車場から本丸までは、鐘の段に寄って登ったとしても、30分ほどで到着することができます。また、登山道もよく整備されておりハイキング気分で登ることができます。
新高山城には2度目の登城で、お気に入りの城でもあります。中でも釣井の段(井戸曲輪)の石積みの井戸・石垣を見ると心躍ります。
また、石垣・石積みが彼方此方に見られ、散策中に見つけると何とも来て良かった気持ちになります。(#^.^#)
現在、コロナウイルス感染症で非常事態宣言・蔓延防止重点措置が出ている地域にお住いのお城好きの皆様、お気持ちお察し致します。m(__)m自分も、公共交通機関での移動は避け、なるべく人と接しないよう、心がけております。
お城巡りをしていて、土地の方と接し、地の物を味わうことも醍醐味の一つではありますが、もう暫くの我慢と自分に言い聞かせておりますm(__)m
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2021/06/01 08:13
「Negra」 (2021/05/22 訪問)
平安後期に覚鑁が高野山内に建てた伝法院をルーツとし、覚鑁は対立する高野山衆徒の襲撃を受けて根来に移り、この地で亡くなりました。鎌倉後期に本拠である大伝法院を高野山から根来に移して現在の根来寺となり、室町期に泉南に寺領を得て勢力を拡大。紀北・泉南の土豪と結びついて軍事力を高め、伝来したばかりの火縄銃を門前町で生産して鉄砲衆を組織し、最盛期には寺領72万石、本坊を中心に300を超える子院を擁して、ルイス=フロイスは「日本で最も繁栄している寺院のひとつ」と評し、メルカトル世界図にも「Miaco」(都)などと共に「Negra」(根来)と記されるほどの隆盛を誇りました。織豊期、織田信長の雑賀攻めでは織田方につきましたが、小牧・長久手の戦いでは徳川方について羽柴方の岸和田城を攻めたことから、羽柴秀吉の侵攻を受け、大塔など一部を除き大半が焼亡、衰退しました。その後、江戸期に紀州徳川家の庇護を受けて再興し、現在に至ります。
葛城山系の南麓に位置し、南には前山と呼ばれる山地が東西に広がり、西は蓮華谷川に囲まれた天然の要害で、根来街道と淡島街道を抑える交通の要衝でもあります。
大門前駐車場(無料)に車を駐めて登城開始。両脇に仁王像を配した巨大な大門にいきなり圧倒されます。蓮華院、三部権現社、律乗院とめぐって受付で入山料500円を払い、鐘楼門をくぐると根来寺の主要部です。聖天池越しに聖天堂を眺め、九社神社を訪れた後は本坊へ。本坊からは建物内に入って光明真言殿や根来寺庭園を見学できます。光明真言殿から奥に進むと閼伽井と呼ばれる井戸があり、覚鑁が根来に移って来た頃からの井戸のようです。閼伽井の奥には行者堂と聖天堂があり、行者堂には役行者が祀られていて葛城修験との深い関係をうかがわせます。聖天堂の朱塗の壇は根来塗によるものです。根来寺庭園には紀州徳川家の御殿が移築されており、名草御殿と呼ばれています。本坊を出て、興教大師・覚鑁の廟所である奥の院で手を合わせてから大塔へ。大塔手前の大師堂は根来寺最古の建物で、弘法大師・空海が祀られています。大塔は高さ40mの日本最大の木造多宝塔で、柱や壁には火縄銃の弾痕が残り、秀吉の根来攻めの戦火をくぐり抜けたことがうかがえます。大塔と並び建つ大伝法院は根来寺の本堂で、根来攻めの後、破却されましたが、紀州徳川家により再建されました。その後、高野山衆徒の襲撃から覚鑁を護ったと伝わる「身代わり不動」を祀った不動堂や、覚鑁を荼毘に付した地に建つ菩提院などをめぐって駐車場に戻りました。
発掘調査では土塁や石垣、物見櫓状の建物などが確認されていますが、埋め戻されていて城郭寺院としての遺構は見られません。それでも、往時の姿を伝える大塔や大師堂はもちろん、江戸期建立の大門、大伝法堂、光明真言殿、聖天堂、行者堂など数々の国宝、重文は世界に「Negra」と紹介されたかつての繁栄ぶりを感じさせるものがあります。
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2021/06/01 00:55
新しい武将印 (2021/05/31 訪問)
明智荘をみつめる会のスタッフが新しい武将印のサンプルを見せてくれました、
頒布中の切り絵の御城印に続き武将印も切り絵です、
現在製作中で6月13日の光秀の命日に頒布開始できるように準備を進めています。
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2021/05/31 23:10
興国寺城 (2021/03/31 訪問)
綺麗な街でした。
街の中にこれだけ立派な土塁が残っている事にテンション上がりました。
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2021/05/31 23:06
松尾山城 (2021/03/24 訪問)
ここなら戦が良く見えただろうな。
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2021/05/31 23:02
松平氏館 (2021/02/24 訪問)
資料館がお休みで残念でした。
神社になっていましたが、水堀が館の名残を感じさせてくれました。
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2021/05/31 22:59
大給城 (2021/02/24 訪問)
想像を膨らませながら遺構を見るのがとても楽しかったです。
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2021/05/31 22:55
三岳城 (2020/12/09 訪問)
山城らしく、息を切らせながら登りました。景色は抜群。
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2021/05/31 22:52
井伊谷城 (2020/12/09 訪問)
さすが大河ドラマの城、道が整備されておりました。
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2021/05/31 22:49
高根城 (2020/12/02 訪問)
山道を登って山城の復元が見えた時はなんとも言えない気持ちになりました。
大河ドラマを思い出しました。
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2021/05/31 22:45
東条城 (2020/11/03 訪問)
駐車場が分かりにくいです。
蛇に遭遇、気をつけてください。
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2021/05/31 22:34
挙母城 (2020/09/09 訪問)
周囲に堀の名残があって楽しめました。
美術館があるので、駐車場はたくさんありました。
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2021/05/31 22:31
小山城 (2020/07/29 訪問)
堀が見応えありました。
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2021/05/31 22:26
田中城 (2020/07/29 訪問)
街全体が円を描くように曲線の道が残っていて見事でした。
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2021/05/31 22:22
岩崎城 (2020/07/15 訪問)
空堀、素敵でした。
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2021/05/31 22:18
足助城 (2020/06/24 訪問)
外国の方もいらしてました。
駐車場は大きく、観光地としても栄えていました。
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