前田慶次の自腹でお城めぐり 【第13回】【コラボ回】凸浜松城 後編~松江城と比べる?~

お城に関する豊富な知識を持つ「名古屋おもてなし武将隊」の一員・前田慶次が、全国のお城を実際にめぐりながら歴史・特徴・魅力を解説。今回は、城郭ライターの萩原さちこさんと歴史ナビゲーター・れきしクンと浜松城(静岡県浜松市)へ出陣するコラボ回の後編。お二人のディープな解説を織り交ぜながら、浜松城の変遷から本丸・天守周辺・そして天守の見どころまで詳しく紹介します。

▶前編はこちら
【第13回】【コラボ回】凸浜松城 前編~前身は曳馬城~

皆の衆、我こそは名古屋おもてなし武将隊天下御免ノ傾奇者前田慶次である。

此度(こたび)城びとと同盟を結び、此の前田慶次が連載を持つ事と相成った。
先ずは、名乗りを上げよう。

前田慶次

前田慶次齢四七九歳。戦国の世では天下御免ノ傾奇者として名を馳せ申した。現世に蘇りは名古屋おもてなし武将隊の一角として、名古屋城を拠点に名古屋を世界一の観光都市にせんが為、日々戦働きに勤しむ。

演武といったパフォーマンスなるものを披露し、電波放送戦(テレビやラジオ)は常戦番組(レギュラー)を持ち、全国各地に遠征を繰り広げる。
結成十三年目を迎え、全国の武将隊の先駆けとして日ノ本を代表とする武将隊である。
して、儂前田慶次は現世に蘇り歴史の語り部として多くの戦に出陣して参った。

伝統芸能を伝える舞台出陣、歴史学者との対談、寺子屋(学校)での歴史授業。
名古屋城検定名誉顧問に叙任され、検定過去最高得点を叩き出す。
日本城郭検定にも挑戦し合格。
日ノ本が誇る歴史文化をより多くの者に伝えるべく、此度から城びとでの連載を始める次第。

題して
 
前田慶次の自腹でお城めぐり、犬山城

【前田慶次の自腹でお城めぐり】

他の連載と何が違うのか!?

・現世に生きる戦国武将自らが感じたことを紹介!
・傾奇者による城郭魅力度数値化!
・城巡りの手引書(案内)となる!
・地域の特色を織り交ぜ、観光が楽しくなる!
・イケメン(前田慶次)が見れる!
・要点を抑えた紹介!
・兎に角分かりやすい!

全国の城に直接己が足で出向き、城の見方、歴史を伝え、
其の城の傾き所(見所)や天守閣、男前田度(イケメン)を前田慶次の独断で評価する。
歴史初心者から玄人まで楽しめる、国宝連載となっておる。

ただ城を巡るのではなく! 儂の金子(金)で城に登城する。つまり限られた金子で巡る
旅の道中劇にも注目してもらいたい!!
また巡り方については、王道の道順を歩む故に参考にすると良い。

浜松城 城郭の魅力度を数値化

浜松城

徳川家康様が長らく居城とし、家臣達が城主となってからは出世を果たした者が多く「出世の城」と呼ばれておる。

浜松城

【基本情報】

城郭構造:平山城
主な築城者:徳川家康
※曳馬城(前身)は今川貞相(さだすけ)?
築城年:1570年(家康入城、改修)
廃城:1873年(明治6年)
指定文化財:浜松城跡(市指定史跡)

【歴史】

曳馬(ひきま)城時代
1504~1521年(永正年間)今川貞相が築城したと言われる。

徳川家康が入城!
1570年、徳川家康が岡崎から本拠を移し大改修!
「浜松」と名を改める。17年間居城とした。

堀尾吉晴時代
家康は駿府・江戸に移り、浜松城には豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が入城。高石垣・天守は堀尾が築城。

近代の活動
江戸時代は徳川家譜代大名が居城とし三の丸の拡張・改修を行う。
歴代城主は老中、大坂城代、京都所司代などの幕府の要職に就く者が多く「出世城」と呼ばれる。
明治の廃城令で払下げとなった。
2017年、続日本100名城に指定される。

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浜松城、れきしクン、萩原さちこ

【コラボ回 前田慶次×萩原さちこ殿×れきしクン】

此度の連載は第十三回にして特別回。共闘コラボ回である!
我が盟友の萩原さちこ殿とれきしクンの二人と城巡りぞ!

先に伝えておく大事な話
常より尾張の玄関口である「名古屋駅」出陣から始まる我が連載であるが、
此度は特別に鉄籠は自動車にて浜松の地まで参った!
故に!「自腹でお城めぐり」とは申せど、此度だけ金子を使う事が無い!

■二人について
萩原さちこ…城郭ライター・編集者。(公財)日本城郭協会理事。執筆業を中心に、メディア・イベントに出演、講演、講座を行う。連載を多数持つ!
れきしクン…歴史ナビゲーター・歴史作家。数多くのメディアに出演し、元芸人という経験を活かし明るく分かり易いトークで歴史の魅力を発信!

慶次「連載初のコラボ回! 二人とは数多の戦を共にして参ったが、三人で城巡りは初陣故に楽しみぞ!」
(※因みに前日に我が歴史夏祭り(イベント)が御座った!)

後半戦いざ、出陣!

浜松城、スターバックスコーヒー

【異国の茶屋から見える天守】

現世で人気の茶屋「スターバックスコーヒー」殿が何と浜松城公園内に御座る。
城内に異国茶屋を備えておるのは実に珍しき事であり、
茶屋から浜松城天守が見える絶景を兼ね備え、天下に其の名を轟かす。

また、公園の持ち味を残すべく、木々は切らず建物も和風を感じさせる造りと相成っており
我等が好んだ数寄屋造の風格さえも感じさせるとは天晴れ!
天守に登城する前に一息するのも良き哉。

浜松城、れきしクン
 

【天下人徳川様の城とは思えぬ最期!?】

浜松城の変遷が分かる壁画を見ながら萩原殿とれきしクンが色々と教えてくれ申したぞ!

最大の見所
「曳馬城から浜松城に進化していく様を時代分けで確認できる所!」

因みに、此の壁画の考証は三浦正幸殿! 大河ドラマの建築考証でも活躍する学者に候。
改修工事で姿が変わっていくが、城下町も同様に変化しておる。
城下町にも注目じゃ。

浜松城、萩原さちこ

■徳川時代(徳川家康様が入城した時分の特徴)
本丸と二の丸の曲輪が東西に連なっており、北側は湿地帯が広がっており攻めにくい。
当初は曳馬城を取り込んだ形で新城(浜松城)を築城。
石垣や天守は無く、土塁で囲み板葺きの屋敷であった。
その後の城主堀尾吉晴殿が大改修し、徳川様時代の浜松城は地下に埋もれておる。

浜松城、萩原さちこ
 
■堀尾吉晴時代(豊臣の息吹が浜松に降臨)
東を正面とし改修。高石垣に瓦葺きの櫓や天守も築城され申した。
現・浜松城天守は堀尾殿時代のものを見本とし、縮小されて築城されたものじゃ。
当時の天守は後に堀尾殿が築城した松江城(島根県)に近しき天守であったと言われておる。

萩原殿・れきしクン「松江城との共通点を探すのも楽しいですよ! 堀尾様は築城名人ですね!」

城下も整備され家臣の屋敷や町家も整えられていく。

浜松城、れきしクン
 
堀尾吉晴殿との縁故に、れきしクンは松江城衣を着てきたそうじゃ。

慶次「抜かりないのぅ…」

浜松城、変遷

■江戸時代
関ヶ原の戦い以後は徳川様の譜代家臣が城主を務める(出世城と言われる始まり)。
城郭は拡張・整備を行ったが、江戸時代初期には天守を失っておったそうじゃ。
天守曲輪に残されしは土塀が周りを廻るのみ。天守門と表門と埋門のみ。他曲輪を含めても建築物は少ない。

萩原殿・れきしクン「廃城時代をこれだけ取り上げてくれているのは嬉しいですね。縄張りの変化も面白いです! 浜松城に合わせて東海道も整備されて交通の要所として城下町も作られ機能していたわけですね!」

慶次「戦ではなく、交易等の中心地に変わったと。徳川様の城とは思えぬ守り。
簡単に攻められそうじゃ!ワッハハハハハハ」

さぁ知識を入れた所で天守を目指して実際に巡って参ろう!!

浜松城、ルート

城巡りはどの行路で攻めるか。大事な点である。
傾奇者は王道の行路で攻めて参る。

浜松城、鉄門と枡形虎口

天守を目指して行軍しておれば、現世の景観に紛れて気付かない事が多かろう。
浜松城の天守迄の道中に螺旋の如く渦巻いた此の道は…。

浜松城、鉄門と枡形虎口

【鉄門と枡形虎口】

此処は元々鉄門(くろがねもん。鉄を使用した門)が建ち、
枡形虎口を形成し堅牢な守りであった事が分かる。
やはり本丸への虎口故に高い防御力に加えて格式も意識したのであろう。
明治期に払下げで失ってしまう。

慶次「我等の時代の常套手段に候。儂ならどでかい松の木でも植えて傾いて魅せるがな!」

※虎口…区画の出入口
※枡形…門を二重に構えて枡形の空間を作り、敵をその中に閉じ込め三方から攻撃を仕掛ける。最強の守りの一つ

浜松城、本丸

本丸へ一歩ずつ行軍也。この先には【本丸】である!
して我等を待ち構えているのは何と!!

浜松城、徳川家康像

若き日の徳川家康様がお出迎えに候!

慶次「いやいや、老けすぎじゃろ!!
曳馬城の方もほうじゃったが、徳川様の貫禄盛りすぎだで!
盛るのは土塁だけにしてちょ!!」

浜松城、天守曲輪

【本丸】

浜松城天守は本丸ではなく、天守曲輪に御座る!
本丸から天守曲輪へ参るわけじゃが、見ての通り天守曲輪の方が高い位置である。
して、この辺りから石垣にも注目して参りたい!!

れきしクン「チャートの石垣も見所です!」

浜松城、石垣
 

【浜松城石垣は貴重な遺構】

浜松城石垣は自然石を積み上げた野面積みである。戦国時代で最も目にする石垣ぞ!
堀尾吉晴殿の時分に築城され申した。
現在一部の野面積みは状態が良く、全国的に少なく貴重な遺構となっておる!

浜松市内の山から採石して浜名湖などの水路を使うて運搬したそうじゃ!
算木積みも発展途上の中でこの高さを築いたのは誠に匠の技術!!

浜松城、富士見櫓台

【富士見櫓台からの絶景】

此の開けた地は櫓台(富士見櫓)が存在したからである。
本丸の端から物見をするのも“お城あるある”じゃ。
天守と門を含めた写し絵が綺麗に写せるのは此の櫓台からである故に、皆も忘れるでないぞ!

浜松城、腰曲輪

腰曲輪を歩み乍(ながら)、石垣を眺めつつ天守曲輪へ参る!
恐らく整備されてこの道幅となっておるが、実際はもっと狭かったであろう!!

慶次「道幅を狭めるのも城造りの基本也!」

浜松城、鏡石

【鏡石は天守門】

浜松城鏡石(城の中で一番大きな石)は天守門横にあり申す!
6尺(182㎝)の儂と比べて如何であろうか?
門前に置くのも魅せる工夫である!

浜松城、天守門

浜松城、天守門

天守門は平成26年(2014)に復元されたばかしの櫓門に候。

慶次「嘗(かつ)て存在したものが復元されるのも、素晴らしき取組み。今後の復元にも注目である」

浜松城、鬼瓦

鬼瓦は「井」の紋が! 此れは江戸期の浜松城城主井上家の家紋である。

して、天守門を抜けるとお待ちかねの天守!!

浜松城、天守
 
ドドン!!
見事であるのう。ちゅうことで
「前田慶次の自腹でお城めぐり」恒例
天守の男前田度(イケメン)を発表致す!

浜松城天守男前田度80点!

望楼型3重天守の見た目は安土桃山期を想像させる。何より浜松城天守は天守台が傾(かぶ)いておる!
元々5重天守であったが、再建されたものはご覧の3重である。
つまり小ぶりの天守が現在皆を出迎えておる!
此の余った土台は珍しき見た目である。再建当時5重天守は財政的にも難儀であったのであろう。
(戦国江戸期みたいな事情で親近感)
石落とし(袴腰型)が一つしか御座らん!! 本来もっと付けたかったはずじゃ!!
不揃いな具合が何ともわびさびを感じさせ、現世の芸術とも言えよう。
男前度で申せば、一つ一つの部位は特徴的で面白いが、
全体のまとまりが大事である故に天守台を余す事無く5重天守としての風格があらば、100点であったのぅ。
儂の如く、背丈が高くシュッとした姿、其れは今後の楽しみにとっておくか。

では、入城する前に。
目の前に写し絵台があった故に三人で記録に残し申す。

浜松城、記念撮影
 
いつか儂の肖像画に使われるやもしれぬ…。
儂なりに徳川様の顔面を真似たのじゃ。
して、まだ天守には登城せぬぞ!!

浜松城、萩原さちこ

【萩原殿の技が炸裂】

萩原殿「心の目で視界から柵を消す!」←これができると変態らしいぞ。
そうすることで石垣の上に櫓があったことも想像ができる。

れきしクン「連立式っぽいですよね」

跡から様々な可能性も見出す事ができる。此れが歴史や城を楽しみ醍醐味の一つ。
此処にも嘗ては門が御座った!

では、いざ天守へ。

浜松城、天守内部

浜松城、天守内部

浜松城、天守内部

【浜松の町を知る】

天守内部は展示の間となっており、より委細に町の事を知る事が叶う。
いつも思うが、斯様(かよう)な情報は地元の者こそ知って欲しいわな。
己が育った町がどんな歴史を歩んだかは、先祖を知る事にも繋がる。
日ノ本の歴史文化を学ぶ事で異国との違い、日ノ本の良き所が見つかるはずじゃ。

浜松城、土産

浜松城、御城印
 
物見の醍醐味である土産も数多売っておるぞ!!
儂は此処で御城印を手にした!(300円也)
城に夢中になりすぎて御城印を忘れる事無かれ!!

浜松城、格天井

最上階は格(ごう)天井となっており、武士の家紋が散りばめられており
戦国の雰囲気を堪能出来申す。金地になっておるのも高評価である。

浜松城、廻縁

廻縁(ベランダ)にも出る事が出来申す!
此れが天守の一番の楽しみであろう?

当時では城に入城も難儀な中、天守に登り廻縁から絶景を拝めるのは城主になった気になろう?
どこの城が見えるか? 敵対した地域がどう見えるか。
是非己が目で刮目せよ!

浜松城、廻縁
 
ちぃとばかし絶景をお福分け!

浜松城、コラボ

【まとめ】

浜松城如何であったか?
徳川家康様が長年居城とし盤石な時代を創り上げた基盤は、
此の浜松で育んだ事も多かったであろう。

歴史的合戦「三方ヶ原の戦い」所縁の城であり、
徳川譜代大名が城主を務めると出世を果たすという運気上昇の出世城。
また、尾張出自の堀尾吉晴が築城した“実質名古屋城”とも言える名古屋の息吹も感じ得よう。
松江城との共通点を探すのもよし。
城好きにとっては見所も多く、安土桃山期で此の石垣は見事であるし、
野面積みは貴重な遺構となっておる。
今後の発掘調査をはじめ復元事業にも期待したい次第。

萩原殿とれきしクンという城郭の達人が援軍に参り、
今と嘗ての違いを分かり易く479歳の儂にも教えてくれ申した。有難う御座った!
二人とも城の書物(本)を出版しておる故に皆も一度読んでみると良い。
堅苦しいものではなく、侵攻しやすい虎口本が殆ど故に勧めである。

此度は特別編であったが為に自腹は無し! うむ。
※御城印は買うた故に残金は54,322円
400年前浪人暮らしの時分、関白様達に助けてもらっていた頃を思い出す。

次回は何処の城に参るか。また読んでちょ!

以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者 名古屋城検定名誉顧問 城びと連載人
前田慶次郎利益

凸伝令

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執筆・写真/前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)