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響ちゃん

曇り (2019/09/14 訪問)

どんぐりいっぱい落ちてるぽい

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カズサン

白壁リニューアル後チョイ寄り (2018/05/19 訪問)

 千葉県国府台城、増尾城、松戸城(徳川昭武御殿)を終えて少し時間も有り新幹線で小田原に寄り天守閣の漆喰白壁のりょごく工事終了後探訪して無かったので夕刻で写真撮影条件は良くなかったのですがこの目でしっかり確認認知して来ました、その折の写真掲載させて頂きます。

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カズサン

松戸城は戸定邸(徳川昭武御殿) (2018/05/19 訪問)

 千葉県柏市の増尾城を終えて友人の紹介で松戸市の名勝戸定邸を案内して貰った、戸定邸は徳川慶喜の舎弟でパリ万博に将軍名代として派遣、よくその時の写真が残ってます。
 明治期初期の武家屋敷御殿として良く保存整備公開されています、70歳以上は入館料免除されました。御殿内を見学し庭園は工事中の箇所も有り入る事は出来ませんでした。

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カズサン

城址公園にて良好保存整備 (2018/05/19 訪問)

 千葉県市川市の国府台城を終わって友人の車で増尾城を目指す、途中友人の案内で柏市蕎麦の名店「竹やぶ」で昼食、県外からの車多し美味しく頂いて増尾城址公園は直ぐ近く、城址公園南の駐車場に停める。
 案内情報は何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんに依る、城址探訪は余湖図コレクションさん俯瞰図片手に、横堀、曲輪土塁、張り出し櫓台、1郭、2郭連郭式と良く保存整備されているが樹木が高く覆っており鬱蒼としている。
 丘陵台地先端南が崖に成っており防御の城塁を形成してる。

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橋吉

霧山城 (2019/04/07 訪問)

多気北畠氏居館跡を見学した後、詰めの城と霧山城に向かいました。
往復3.5km、全行程2時間20分かかりました。

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橋吉

日本三大武将庭園のひとつ (2019/05/02 訪問)

宇陀松山城から、国道369号線を通って多気北畠氏城館に向かいました。
紀伊半島の3桁国道ということで、酷道も覚悟していましたが、あにはからんや、気持ちの良い快走路でした。

まずは予習を兼ねて、美杉ふるさと資料館へ
城跡に関する展示物の見学と城跡のパンフをもらいました。
隣には映画WOOD JOB!の撮影で使われた小学校が隣に有りました。
WOOD JOB!は地味ながら良い作品でした。
折良く、JAが日曜定休だったので、失礼してとめさせていただきました。

居館の跡は北畠神社となっています。
社務所で、続日本100名城のスタンプを押すことができます。
なんと当時の庭園が現存し、日本三大武将庭園のひとつとされているそうです。
さほど庭に興味はありませんが、せっかくですから、社務所に300円払って見学させていただきました。

居館跡を見学した後、詰めの城と霧山城に向かいました。
往復3.5km、全行程2時間20分かかりました。

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橋吉

荒砥城 (2009/09/22 訪問)

荒砥城(あらとじょう)は、長野県千曲市にあった山城です。
幾たびか合戦の舞台になり城主も交代しています。村上氏→武田氏→上杉氏と盟主も変えてきたようです。
最後の城主である屋代秀正は、上杉の傘下であったにもかかわらず徳川に内通したため、上杉川に攻められ敗走しました。これにより廃城となりました。

千曲市の戸倉上山田温泉街のメインロードを西に進むと登り口に到着します。
けっこうな急坂を登っていきますが、道幅は観光バスも通行できるくらい広いので安心です。

案内所まで舗装された山道を登っていきます。

案内所で入場料は支払います。トイレはこれより上にはありませんのでここで済ませていきましょう。
さらにしばらく上り坂を登ります。

帰るとき、腰の曲がったおばあちゃんが「止まらない!止まらない!」と叫んで孫娘にしがみついておりました。足腰が弱って踏ん張りがきかなかったみたいです。登りよりも下りに注意が必要かも知れません。

この城は下から「三の郭」「二の郭」「本郭」といった構造になっています。三の郭には復元された建物はありません。

荒砥城跡は、2007年大河ドラマ『風林火山』において、武田晴信(信玄)の初陣となった海ノ口城攻防戦のロケ地として使われました(このときは海ノ口城と見立てていました)。

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朝田 辰兵衛

ここから小田原城を眺望して,天下を取った気になっていると… (2018/11/18 訪問)

当時の武士(もののふ)たちが生きていたら,その高慢さを戒められるんだろうなぁ…きっと。

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ヒロケン

戊辰戦争 (2019/08/12 訪問)

会津若松城(鶴ヶ城)は会津若松市追手町にある平山城で、見所は何と言っても鉄筋コンクリートで外観復興された五重五階の層塔型天守で走長屋で千飯櫓とつながる景観は壮観です。城主は有力大名が歴任しました。伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明、そして最後は将軍徳川家光の異母弟、保科正之が入り松平藩政が幕末まで続きました。
会津若松城天守の特徴は赤瓦で、凍害などに強い寒冷地仕様の瓦です。伊達政宗の後に会津若松に入った、蒲生氏郷が城郭を整備し、加藤嘉明の長男明成が西出丸、北出丸などの造築を行い、地震で傾いた天守を五重の層塔型天守に改築するなど城の大改修を行った。

幕末の戊辰戦争で会津藩は新政府軍と激戦を展開し、あまりにも有名な白虎隊まで投入するも、米沢藩をはじめとする同盟諸藩の降伏が相次ぎ、孤立無援の会津藩は城に籠城、一ヶ月あまり新政府軍の攻撃に耐え抜いたものの降伏。戦闘の砲撃で名城も無残な姿となりました。

2回目の登城で天守閣内にはあまり興味がなかったので、朝4時にホテルを出、三の丸にある福島県立博物館横の駐車場が営業時間外であったので、二の丸東門跡の道路に路駐(・ˇ_ˇ・。乂。・ˇ_ˇ・)。
二の丸から廊下橋、高石垣(扇の勾配)などを見学し本丸へ。色々な角度から天守をカメラに収め、本丸をぐるりと一周。
やっぱ素晴らしい('∀`)スンヴァラッッスィィィィィィィ。どの角度から天守を撮っても絵になる。天守、石垣、堀、城の歴史どれをとっても名城だと言えると思います。

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カズサン

国府台合戦で有名な城 (2018/05/19 訪問)

 前日千葉県松戸市の小金城を終えて松戸市で旧友と親交を温め松戸泊り、旧友が車を出して頂き共に城廻、江戸川河川敷側に駐車場が在り車を停めて河岸段丘の城塁を見ながら堀切に成ってた道を公園入口へ里見公園、立派なバラ園で賑わっていました、古墳跡側に土塁らしき跡が見受けれ、江戸川の河岸段丘沿い南北に連郭式の城郭、段丘比高は20~30mの急な崖に成ってます。
 現在は江戸川越しにスカイツリーが聳えてます。

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カズサン

戦国期下総を代表する巨城? (2018/05/18 訪問)

 川崎市多摩区生田緑地公園内の枡形山城を終えて、小田急、千代田線、常磐線、流山線を経由して小金城址駅下車徒歩15分程で大谷口公園へそこが小金城址。
 情報案内は何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの資料に寄り探訪、余湖図コレクションさんの小金城址俯瞰図を見ると曲輪を十数も持った巨大城郭丘陵地を空堀で堀切って曲輪下には障子堀があったようです、現在周辺は住宅街と成り金杉口が大谷口公園として一部分が城址公園として整備保存されている。
 秀吉の小田原征伐後廃城に成った様子。
 夕刻で城址薄暗く写真が良くありませんがご了承ください。

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カズサン

枡形山城は日本民家園の直ぐ北 (2018/05/18 訪問)

 大船駅周辺の玉縄城、村岡城を終えて手軽に探訪出来る所はと探し登戸駅に近い枡形山城にしました、道案内、情報はグーグルマップと余湖図コレクションさんの資料に依ります。
 大船駅で駅スーパーでおこわ弁当を買い昼食、川崎駅から南武線登戸駅小田急に乗り換え一駅向ヶ丘遊園駅、約1km徒歩と思いきや疲れてタクシー生田緑地入口までやっと着きました。
 公園に入ると直ぐ枡形山城の登城路案内指示板、比高約50メートルジグザクの登城路を、園児はホイホイ登り降りしてますがストックを突き突き50メートルも辛い。
 山頂は平たん部は本丸か、入口冠木門、天守閣風の展望台、裏手にまた冠木門、両サイド尾根筋に登城路、入口側は手前に少し広い曲輪状通路、展望台の眺望は良好ですがいまいち方向が分らない。
 枡形山城の南側下に日本全国から集めた民家が移転復元展示されている。

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カズサン

城址公園市民憩いの場 (2018/05/18 訪問)

 神奈川県鎌倉市の玉縄城を終えて玉縄城大手門跡(女子学園裏門)から約2km先の村岡城址公園を目指す、グーグルマップを頼りに歩くが前の玉縄城探訪の疲れ、暑さも有り南に坂を下り県道302号線出でてタクシーが来たら乗ろうと歩いて居るが来ない、道を尋ねながら到着、入口の村岡城址公園の碑は修復工事中で撮影できず、公園内はバトミントンの羽をゴルフクラブで打つフェザーゴルフ?で公園グランドいっぱい使い競技中、周辺の碑を探訪し、から街道沿いの村岡城は高台に在り鎌倉、相模湾への見通しも良く往時は賑わった事でしょう。
 下って武田薬品研究所の通りでバスを待ち大船駅へ待ち時間が有ってもバス乗車歩き疲れました。

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橋吉

お城公園 (2018/08/18 訪問)

高山神社(こうざんじんじゃ)の鳥居右は月極駐車場になっていますので、
左側の参拝者用駐車場を利用されると良いかと思います。
私は、数に限りのある参拝者駐車場をバイクでふさいでしまうのは申し訳ないので、鳥居の裏にとめておきました。
なお、参拝者用駐車場奥に社務所があり、ここで続日本100名城のスタンプを押すことができます。

本丸と西の丸が、お城公園になっています。

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橋吉

御城番屋敷もお薦め (2010/01/16 訪問)

スタンプは城内にある本居宣長記念館と歴史資料館の受付で押すことができます。
裏門を出たところにある御城番屋敷は必ず見学しましょう。お薦めできます。
また城下町も見所がいろいろありました。

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橋吉

伊賀上野城 (2007/10/11 訪問)

古い石垣の発掘調査をしていました。

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くろもり

摂津尼崎琴浦城 (2019/09/08 訪問)

阪神尼崎駅から徒歩で5分かからないくらいで再建された天守に着きました。駐車場も天守のすぐ近くにありました(尼崎城のHP見ると有料のようです)。

尼崎城を訪れるちょうど5年前、荻原一青先生の『日本名城画集成』をAmazonで購入しました。1978年発売のもので中古でしたが、南の鹿児島城から八代城・熊本城と続き、最初は「すげぇ」と感嘆して見ていましたが、途中から泣きながら見ました。こんなに城を愛している人がいるのかと感動し(先生の経歴を調べてさらに泣きました)、荻原一青先生の地元で先生が「ありし日の尼崎城の姿を描きたい」と思い、失われた天守を力強く描いた「旧尼嵜城」の絵を見てとても印象に残っていました。

尼崎城の天守が再建されるというニュースを見て、真っ先に荻原一青先生のことを思い出しました。先生の念願だった尼崎城の天守が再建される。しかも、ミドリ電化(現エディオン傘下)の創業者の安保 詮(あぼ あきら)氏が地元・尼崎への恩返しとして天守再建の為、10億円以上の私財を投じたと知って、またも目頭が熱くなりました。

天守の場所が違ったり(元は天守が鬼門の本丸北東隅にある珍しい城です)、木造での復元でもありませんが、偉大な先人二人をはじめ尼崎城天守の再建に協力して頂いた皆様に感謝感謝です。天守内は荻原一青先生の「名城手拭百城」の展示をはじめ、お姫様や忍者や陣羽織と兜の武将や武士のコスプレ、剣術・鉄砲の体験ゲーム等、家族で楽しめる令和仕様(エレベーターあり・段差のないバリアフリーで車椅子の方と一緒に楽しめます)の城となっています。

今年の春先に仕事で尼崎出身の方とご一緒する機会があり、「尼崎城の天守再建されましたね!」と話した所、「いやぁ、思うてたより大きくてホンマに立派でしたわ」と嬉しそうに返してくれたので一層楽しみにしてました。

最後に、尼崎城は本当に「ちゅ〜〜と(中途)半端やおまへんな!」大きくて立派な天守でした。(ミドリ電化のCMに出てた「ちゃらんぽらん」の二人も尼崎出身だそうです)

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カズサン

七曲り坂より攻略 (2018/05/18 訪問)

 相模の玉縄城は以前から認識して居たのですが東京近郊範囲の住宅街は駐車場を探すのに一苦労も有り中々出掛けられませんでしたが新幹線で小田原下車し在来線で大船駅へ、徒歩で大船観音を見ながら資料の有る玉縄図書館に寄り、トンネルを抜けて龍寶寺、玉縄城大手門、高低差ある七曲り坂、太鼓櫓虎口、太鼓櫓跡、大手門跡、下って村岡城へのルートで廻りました。
 本丸部分が女子学園に成って居り見学出来ない様なので七曲り口で玉縄城の攻略の厳しさを味わいました、5月は暑い。

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でんのすけ

北上川を望む城跡 (2019/09/12 訪問)

北上川と千厩川が合流する高台に築城されてます。
二の丸から北上大橋を望む景色が絶景です。
今後の整備が待たれます。

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todo94

標高日本一の現存天守 (2003/05/18 訪問)

「備中松山城…日本唯一の山城の現存天守。現存城郭建造物所在地の標高430mは日本一」超入門!お城セミナー お城にも「日本三大◯◯」というのはあるの?の中の表記である。松本城に隣接する松本市役所の標高は592m。現存天守の標高日本一は紛れもなく松本城である。松山城の標高日本一の表記に触れる度、大人げなく指摘し続けてきたが、まさか、城びとの中の記事にまで記されてしまうとはショック以外の何物でもない。

投稿写真は現存12天守を1年間のうちに全て訪れた2003年に撮影したものである。

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